深夜のパレード

芦原瑞祥

 小さい頃、泊まり番の父の勤務先まで、母と弟と三人で夕食を届けに行くことがときどきあった。弟が走ってどこかへ行ってしまわないよう私が手を繋ぎ、お弁当箱を大事そうに持った母がその後ろを歩く。社宅から五分ほどの道のりだったが、夜の景色が物珍しくて、私はこの時間が好きだった。


「お母さん、見て見て! お月様がついてくる!」

 どんなに進んでも建物の間から見える月が、幼い私は不思議でならなかった。

「お月様はミイちゃんのことが好きだから、ついてくるんよ」


 父の職場の宿直室でしばらく過ごし、帰りは少し遠回りして夜の散歩を楽しんだ。

 私たちが住んでいたのは瀬戸内海の島で、海を挟んで本土が見渡せた。その海に、誰も乗っていない遊覧船が浮かんでおり、潮の加減で近づいたり遠ざかったりしていた。あれは海賊船なんだとか、夜になったら甲板に人が現れるとか、子どもたちの間でいろんな噂があった。私は海賊船の秘密を今日こそ目撃してやるとばかりに、夜の海に浮かぶ船を飽きもせず眺めていた。

 あの頃の私にとって、夜はワクワクした時間だった。


 弟が事故で亡くなり、私たち一家は島を離れて、海のない県に引っ越すことになった。

 転校したことや弟が死んでしまったことで私は落ち込み、内向的な子どもになった。引っ越し先の家は古くてじめじめしていて、念願の一人部屋を与えられたものの私は、夜になると隣の空き部屋の不穏な気配や、窓の外から聞こえる野生動物の声に怯えるようになった。

 夜はもう、ワクワクした時間ではなくなってしまった。


 大人になって就職した企業は、二社続けて「ブラック」だった。

 終電の時間まで働き、ときには泊まり込みもした。業務量が多い上に締切がタイトで、常に追い詰められていた。夢の中でも仕事をする毎日に、とうとう出勤途中で足が動かなくなり、同僚に引っ張られてなんとか会社に着く有様だった。


「私な、前の仕事のときにつらすぎで、夜の御堂筋に飛び込んだろかって思ったことあってん」


 同僚のさっちんが言った。いつも自信満々に振る舞っていて、おおよそ自殺やマイナス思考とは縁のなさそうな子だった。「死にたいとかじゃなくて、とにかく楽になりたかってん。……忙しいと誰でも、まともな判断ができんくなるからな」と彼女は続けた。


「どうしてもつらかったら、辞めてええんやで。代わりはなんとでもなる」


 さっちんが真顔で言った。

 たぶん、私の状態がかなりまずいことを察してくれたのだろう。

 けれども、先に辞めたのはさっちんの方だった。彼女がいてくれたから何とか踏ん張っていた私は、もう壊れる寸前だった。


 提出していた仕事を、夜になって上司からやり直しを命じられた。明日には取引先へ渡さなければならないから、今夜は徹夜だ。私は自分の精神がぼろぼろと剥落し始めるのを感じた。

 終電の時間になると、皆が慌ただしく帰っていった。誰もいなくなった会社はしんとしていて、静けさに押し潰されそうになる。私は逃げるように外へ飛び出した。


 時間は零時半、深夜の散歩というよりも逃避に近かった。私は暗い幹線道路沿いをとぼとぼと歩いた。

 子どもの頃は夜の散歩が楽しかったのに、ワクワクのメッキが剥げてしまったのは私が大人になったからだろうか。


 月は私のことが好きだからついてくるのではないし、海に浮かんでいた船は海賊船ではなく、海沿いの遊園地がアトラクション用に設置したものの何かの事情で使えないことが判明、さりとて処分もできずに放置していただけのものだった。


「疲れたな……」


 私は立ち止まって、道を行く車を眺めた。

 さっちんが夜の御堂筋に飛び込もうとした話を思い出す。彼女は「楽になりたかった」と言っていた。


 楽に、なれるだろうか。

 

 車道へと踏み出そうとしたとき、どこからか陽気な音楽が聞こえてきた。確か、ネズミキャラの夢の国でかかっている、パレードのときの曲だ。

 音がだんだん近づいてくる。車の行き来が絶えた幹線道路の端に、煌びやかな光の塊が出現し、少しずつ大きくなりながらこちらへ来る。


 それは船だった。幼い頃に眺めていた海賊船が、小さな光の粒を寄せ集めて再現されている。船体の色は記憶の通り水色だ。私のすぐそばまで進んできた船は大きく、見上げるほどの高さがあった。マストには真っ白な帆がかかり、風をはらんでいる。


 甲板に人がいるのが見えた。ほら、やっぱり海賊船には人がいて、夜になると船倉から出てくるんだ、と私は目の前を通り過ぎる船を高ぶった気持ちで見つめた。船長は眼帯をしているのかな、あれは暗闇にすぐ順応するためなんだっけ。


 夢中になるうちに、海賊船の光のパレードは幹線道路の先へ去ろうとしている。

 我に返った私は、走って船を追いかけた。

「待って! 私も連れて行って!」


 しかし、船は光の波にさらわれて姿を消し、陽気な音楽もフェイドアウトしてしまった。

 幹線道路には、無粋な車が排気ガスとともに通り過ぎるばかりだった。



 翌日、私は辞表を出し、引き継ぎを終えた二ヶ月後に退職した。

 海賊船のエレクトリカルパレードをもう一度見たくて、私は夜になると道路に出てみるが、あれ以来遭遇することはない。


 たぶん、私の命が終わるときに、あの光でできた海賊船が陽気な音楽と共に迎えに来て、甲板に乗せてくれるのだろう。

 そう考えると、今から少しだけワクワクしている。

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深夜のパレード 芦原瑞祥 @zuishou

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