53:いわゆる感情的な脅迫の最高境地。

 馮艾保の両親は身分が高いと言えるが、彼らの住居は別に高級住宅街ではなく、古くて小さな住宅街で、ビルに囲まれて静かなところだ。周辺環境はトップとは言えないが、草木が生い茂り、ほとんどは一軒家で、高くても三階までで、やや外れたところにだけエレベーターのない古いマンションが何軒かある。

 馮家の敷地は狭くなく、広い庭がある。馮艾保は直接車で乗り入れ、ブッソウゲの鉢植えの隣に停めた。

 庭の明かりは柔らかい黄色で、門の前にある敷石の道が直接正門に通じている。蘇小雅はクッキーを車に置き、さっき途中で適当に買った煎餅詰合せギフトを持っていった。値段は高級クッキーの十分の一しかなく、さらに馮艾保がお金を払ったのだ。

「気をつけて、滑らないように」馮艾保はびくびくと蘇小雅の腰に手を回し、小さい声で注意した。

「うん」若いガイドはうなずいて、足下の敷石を見ることに集中した。適当に歩けない。馮艾保の家に近づけば近づくほど、彼は言葉にできない苛立ちを感じ、直感が彼にあまりよくないことが間もなく起きると注意しているようだ。

「母はダブルS級のセンチネルだから、入ったら私はきみにどんな内緒話も話せない。彼女に聞こえるからね」いよいよ緑色の正門に着きそうな時、馮艾保は突然足を止め、腰をかがめて蘇小雅の左耳に近づき声よりも息に近い声で言った。「注意すべきことは、さっき車できみに言った。我々は、あまり好意的ではない目にあうし、両親の話もきっとあまり心地よくないけど、気にしないで。きみは何思の義弟だし、私がきみをうちに誘ったからには、絶対きみを守る。いいね?」

 馮艾保によるウッディ系の香りの息が耳に吹き込まれ、蘇小雅は熱すぎて耳から心の底まで震えて、無意識に男を押しのけようとしたが、なんとか自分の衝動を抑えて、手で腰のそばを少しかくと、大人しくうなずいた。一言も返事できなかった。

 馮艾保はずっといつものようなダラダラしている感じを表そうとしていたが、蘇小雅は、彼がどんどん緊張してきて、この居心地のよさそうな庭に入った後、ピークに達したように感じられた。

 それに、何思の表した焦りを思い出すと、今蘇小雅も怯まずにはいられず、この鴻門の宴を受け入れなければよかったと密かに後悔した。

「心配しないで。今晩を乗り越えれば明日はもう大丈夫だ」馮艾保はまた小声で落ち着かせ、大きな手のひらで若いガイドの腰の後ろを叩いた。

 彼らがドアの外であまりに長くひそひそ話をしていたので、中の人がうんざりしたのか、馮艾保が蘇小雅の耳元から離れる前に、緑色の正門がギィーと開いた。二人は逆光になってドアの近くに立っており、長い影が地面に映り、二人の体まで伸びている。

「お父さん、お母さん」馮艾保は何事もなかったかのようにまっすぐ起き上がり、腰に回していた手も離し、蘇小雅が気持ち悪く感じるほど標準的な笑みを浮かべた。

「馮さん、保さん、お宅にお招きいただきありがとうございます」蘇小雅もむりやり笑みを浮かべ、大人しく挨拶した。

 ドアの前の二人は、確かに馮靜初と保澄だ。二人とも顔立ちがいいが、写真より歳をとっており、特に保澄は、もしかすると工夫を凝らしているのかもしれないが、髪の毛はもう白いのに、やつれたり老けたようには見えず、逆に別の魅力を感じる。全体的な雰囲気は、馮艾保にたまにふと表す色っぽさに似ているが、ただし彼はより純粋で、より人を心地良くする。

 馮靜初の表情は厳しく鋭いので、彼女の艶麗な顔つきまでも人を刺すみたいだ。

 彼女は冷ややかに息子をちらっと見て、口を開いた。「着いたのになぜ早く入らないの?外で何をしているの?」

「この子と少しおしゃべりした。彼が緊張しないように」馮艾保はにやにや笑いながら返事してから、全く自然にもう一度蘇小雅の腰を抱き寄せて言った。「行こう行こう。はやく家に入ろう。小雅はすっかりお腹すいたでしょう?この時間きみならとっくにご飯を食べているはずだ」

 現在時刻は八時少し前。最近はずっと担当の事件がないので、蘇小雅は毎日七時ぴったりに家に着き、彼の兄がいつもテーブルいっぱいの料理を準備して彼を待っており、生活リズムが非常に整っていたといえる。今この時間には、彼は確かに少しお腹が空いていた。

「きみたちは六時半に仕事が終わるんじゃないの?どうしてもっと早い時間に約束しないんだい?」保澄は尋ねた。彼のチェロのように穏やかな声音は完全に馮艾保へ遺伝した。人を刺激する言葉を常に愛用している馮艾保と違って、完全にいかなる疎外感も感じないほど心地よく聞こえる。

 蘇小雅は初めに警戒心を最高レベルまで引き上げていたにもかかわらず、一言話しただけで五、六割解いてしまった。

「いつも事務の仕事の仕上げをしないといけないから」馮艾保は俯いて、表情がリラックスしてきた若いガイドをちらっと見ると、心の中でほっと息をついた。

 保澄のレベルはあまりに高く能力もあまりにすぐれているので、社会経験の浅い子供を容易に丸め込み、相手のあらゆる防備を解くことができた。蘇小雅はベテランのガイドに上手くやられたことにまだ気づいていないようで、顔を少し赤らめ、自分が馮艾保の両親を悪人として扱ったのは早すぎたのではないかとかすかに疑っているようだ。

「はやく入りなさい。きみは蘇小雅だね?おじさんは小雅と呼んでもいいかな?」保澄の能力は自分の息子には機能しないかもしれないが、妻をなだめるのは水を飲むように簡単であるし、成年したばかりの若いガイドを扱うのは尚更だ。

「いいですよ。おじさん、こんにちは」蘇小雅はいい子だ。保澄の能力に影響されているかどうかはさておき、相手が好意を示せば、彼は無意識に好意で返し、大人しく呼び方を変えた。「これはさっき来る途中で買った小さい手土産です。つまらないものですが、気に入っていただければ幸いです」彼は言いながら、煎餅詰合せギフトを渡した。これはおそらく彼にわずかに残っている強情さだった。

「この煎餅……」保澄はにこにこ笑いながら、手土産を受け取り、ブランド名を見ると、驚喜の表情をした。「これは私たちが昔大好きだったあのお店の煎餅じゃない?」

 馮靜初はそれを聞き夫に近づいてブランド名をちらっと見ると、うなずいて言った。「そうね」

「これは小雅、きみが選んだのか?気が利くな」保澄の表情は真摯で、蘇小雅はそれを見て落ち着かず、真っ赤になった顔を下げ、何思と馮艾保が前に言いつけたことはすっかり忘れてしまっているようだ。

「いいえ、馮艾保がアドバイスをしてくれました……」

「おっ?」保澄はちらっと息子を見た。薄いブラウンの瞳は、微笑んでいるようだが、同時に冷然としているようでもある。

 馮艾保は彼に肩をすくめてみせ、弁解しようとはしなかった。

 それから少し挨拶して、時計の針が八時を指す前にやっと全員食卓に着席した。

 確かに馮艾保が言った通り、馮家は客を接待することにおいて徹底している。テーブルいっぱいの料理は、六割が蘇小雅の好きなものだ。無錫排骨ウーシーパイグー螞蟻上樹マーイーシャンシュー、酸菜と牡蠣の炒め、豆酥ドウスー魚、ウェンスードウフーゴン(細切り豆腐のスーラー煮込み)、骨つきラムステーキなど。彼の食べ物に対する好みは兄によって養われたものだ。蘇經綸は東洋西洋ほとんどの料理を作れるしたいへん精通している。よい点として蘇小雅は好き嫌いなく何でも食べるが、悪い点は、彼は味にこだわりがあり、不味かったり、本場のものでなければ食べるのを嫌がることだ。

 この点において、馮家の料理は完全に蘇小雅のうるさい舌を満足させた。食物は色彩、香り、味が揃っているのはもちろんのこと、味付けも蘇小雅の好みだ。それに、味が少し懐かしいような?蘇小雅は若干怪しく思ったが、深く追求する間もなく保澄は彼のためにすでにラムステーキを一枚お皿に取り寄せた。

「ほら、はやく食べて。きみのような若者は成長中だから、お腹が空きすぎちゃダメだ」保澄の親切な言葉が付いてきた。

 彼は用意周到な人で、絶え間なく息子と蘇小雅に料理を取ってあげた。気分を悪くする話題は話さずに、むしろ自分が昔海外に住んでいた時に見聞きしたものを共有することを選んだ。セーヌ河岸のカフェのクロワッサンとコーヒー、それに焼きたてのフランスパンについて話した。

「本場のフランスパンを食べる前、私はなぜフランス人があんなに恐ろしい食べ物を食べるのかずっと理解できなかった。食感は硬くて乾燥しているし、静ちゃんでもほとんど噛みこなせないちっちゃいパンだ」保澄は妻を見ながら、幸せそうに笑った。「静おばさんは一見尊大でクールに見えるけど、かんしゃく持ちで、自分がフランスパンを噛みこなせないと気づいて死ぬほど怒った。私がまだどうやって食べるのか調べていたのに、残りのフランスパンをひったくって床に投げつけたら、跳ね返ったパンが顔に当たって、その場で生理的な涙のせいでキジトラになったんだ」

「保澄!」馮靜初は眉をひそめて怒鳴りつけたが、赤くなり始めた耳たぶから本当の気持ちがバレバレだ。

「わかったわかった、もう言わないよ」保澄はエンパス(empath)を伸ばし、妻のこめかみを撫でながら、こっそり蘇小雅に向かって肩をすくめた。愛情と仕方なさでいっぱいだ。

 蘇小雅は我慢できずに笑ってしまい、すぐ口を覆い、慌てて馮靜初へ目を向け、自分が怒らせていないか心配した。

「ご飯を食べましょう」馮靜初はそのように見られて、少し慌てたようで、夫のエンパス(empath)をよけて若干距離を取った。

「そうだね。ほら、アスパラの炒めを食べて。きみは野菜を食べなさすぎる。歳をとったら肉ばかり食べたらだめだ」保澄は妻に料理を取ってあげながら、くどくどと言った。「保保、きみもだぞ。センチネルであろうと健康的な食事をせんとな。さもないと、いつか慢性疾患で病院に行くことになって恥をかくぞ?」

「お父さん、私はいつも健康的に食べているよ。お母さんと違ってね」馮艾保は父親に自分の皿の中の野菜を見せた。センチネルにしては、確かに彼の食生活はあっさりしているほうで、肉より野菜を好んで食べる。

 最近一緒にご飯を食べる機会が多く、蘇小雅も馮艾保の食生活をよく知っていたので、保澄が息子に言いつけるのを聞いて、思わず相手をちらっと見た。

「きみは昔から他のセンチネルとは違うもんな」保澄のこの言葉は感嘆しているように聞こえたが、蘇小雅はなぜかとげがあるように感じた。

 先ほど保澄によって下げられた警戒心を一瞬でまた全開に引き戻した。

「僕は、馮艾保は素晴らしいと思います!」

 蘇小雅が自分のために弁解したのが聞こえて、馮艾保は首を回して彼に視線を向け、笑っているように見える。しかし、蘇小雅は彼の視線から警告を読み取り、瞬く間に彼が車の中で言いつけたことを思い出した。彼は、決して自分について言及するなと注意していた。

 あ……蘇小雅の表情はサッと固まり、保澄と馮靜初が自分に向ける目線がさっきと違うことにすばやく気づいた。少し……情熱的すぎる感じ?

「つまり……彼はいい先輩という意味です。特捜班では、誰もが彼を信頼しています」こんな時何も言わないほうがいいとわかっていながら、蘇小雅は若く、恥ずかしがり屋だったため、年配者に熱い目線を注がれると、『すべきこと、すべきではないこと』をすっかり忘れ、自分を弁解せずにいられなかった。

「きみは確か、何思の役職を受け継いたんだろう?」口を開くのは相変わらず保澄だ。馮靜初は基本的にあまり喋らないが、じっと見つめられていると、かえってプレッシャーが増える。

「一応そうです……」蘇小雅は口には出せないが後悔した。馮艾保が言いつけたことを忘れるべきではなかった。

「きみが以前インターンシップの時に加わった事件を見たよ。若いけど、能力はすぐれているし、頭の回転は速いし、保保とよく協力している。」保澄は褒めて言った。

「あ……それはただの怪我の功名です……」現在、蘇小雅はアンドルーの事件を思い出す時に、かつての威勢のよさがだいぶ少なくなった。何といっても秦夏笙の事件で派手に転び、少年の思い上がりはほとんど跡形もなく消えるほど直接の打撃を受けた。

「きみは謙遜しすぎる。年長者に褒められた時は、もっと誇りに思っていいんだよ」保澄は言いながら、エンパス(empath)で蘇小雅の頭を軽く叩いた。

 若いガイドはすぐに頭を覆い、顔を赤らめ、どうすればいいかわからない様子でそばにいるセンチネルへ目をやった。

「お父さん、子供をからかわないで。用事があるなら、ご飯を食べた後にして」馮艾保は本来ならばエンパス(empath)が見えないはずだが、相変わらず正確に手を伸ばして保澄のエンパス(empath)を動かすと、蘇小雅に排骨を取ってあげた。

「きみはこの子を守っているんだね」保澄はお碗とお箸を置き、息子が自分のエンパス(empath)に触れたことも気にせず、目尻に皺が浮かぶほどにやにや笑った。明らかに親切な感じのはずなのに、蘇小雅はただぞっとして、無意識にエンパス(empath)で自分を包み始めた。

「小雅は今の私の相棒なんだから、彼とまだあと何年か付き合いたいんだ」馮艾保は、冷静な表情で、話をそらした。

「あなたはもう彼に話したんでしょう?」馮靜初は息子に曖昧な言葉を使おうとせず、手に持ったお碗とお箸を置き、ほとんど失礼と言えるほどに、頭を下げている蘇小雅を見つめた。「蘇小雅、あなたはもう成年ね。つまり、遅かれ早かれセンチネルとボンディングしなければならないの。精神的にあれ肉体的であれどちらにせよ」

「お母さん、まだ食事中です」馮艾保は珍しく眉をひそめ、嫌がる顔を表した。

「あなたの元相棒の何思は、今や蘇小雅のお兄さんの蘇經綸のパートナーです……S級のガイドだったのに、あなたは相手を逃すなんて。馮艾保、あなたにはがっかりです」馮靜初の話すスピードは遅いが、一文字一文字が鋭利な刀のように、馮艾保を容赦なく切り付けた。

 同時に突き刺されたのは蘇小雅だ。彼は、他人が自分を攻撃するのは我慢できるが、自分の最も親しい家族に言及するのは我慢できない!

 蘇小雅がまた口を開きそうなのを見て、馮艾保は率先して手を伸ばし若いガイドの肩に乗せ、やさしい力でマッサージした。蘇小雅のガンガン鳴っている頭がさっと覚め、すぐに唇を噛んで、思わず口から出そうな反駁を我慢した。

「がっかりさせてすみません。お母さん」馮艾保の口ぶりにはいつもの適当さがなく、やりきれないほど、冷淡で慎み深い。

 少なくとも蘇小雅はとてもやりきれなかった。

「あなたがすでに蘇小雅にこれからの流れを話したのなら、私からは他に知らせることはありません。食事を終えたら、あなたは彼と部屋に入りなさい!薬で自分の生理的本能を抑えようとしないで。おととい、一度我慢しましたが、今日はくれぐれもあなたのわがままを我慢し続けると思わないで」馮靜初は息子を脅かしているわけではなく、息子に自分を怒らせないように、本気で注意しているのだ。

 馮艾保にも当然はっきりわかった。彼は同い年のセンチネルの中ではトップだと言えるかもしれないが、母親の前では、ただのひよっこにすぎない。蘇小雅を守ることでもいっぱいいっぱいだ。一番いい方法は、前に言ったように、二人がちゃんと部屋に一晩留まる。明日になれば全て何でもない。

「まだ食べるかい?」保澄は部外者のように、にやにやしながら聞いた。

「食べる」馮艾保は笑い、まず蘇小雅に野菜を取ってあげた。「もっと食べて。自分につらい思いをさせるわけにはいかない」

 蘇小雅は黙々と食べることに専念した。

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