37:それをやった張本人は、側で冷めた目で見ている

 わずか五分間だけだが、外の叫び声が上がったりして、混乱の状況で、王平安のその「空白の」五分間が非常に興味深いものだった。

 言ってみれば、始めて夫婦二人と話す時も、最初からずっと王平安が答えて、妻に代わって意見を述べていた。そして、王夫人はほぼ夫に導かれて警察の質問に答えていた。

 蘇小雅は最初、王夫人が過度に驚かれて、トラウマ後ストレス障害によって反応が鈍くなっていたから、最初は王平安が質問に答えることから始まっただと思った。

 今よく思い返してみると、王夫人の後の回答は基本的に王平安が最初に設定した枠組みの中に制約されていた。

 連続して異なる角度や距離からの監視カメラの映像を再生し、さらに卜東延の会社から取得した監視カメラの映像を確認した結果、事件の大まかな経過はかなり明確になった。

 卜東延の会社、金穗キンスイ会計士事務所の昼休み時間は正午十二時から午後一時半までだ。卜東延は午前十二時十分頃に会社を出て、そのまま王平安のケータリングカーに歩いてきた。

 彼は一人で、同僚との会話は一切なく、会社を出た前に秘書と少し話しただけで、午後の会議時間を伝えただそうだ。彼は副経理になったばかりで、多くの業務はまだ熟知している途中で、二、三日ごとに部門会議を開いていた。会議時間はそれほど長くないが、皆の精神を引き締めて緊張させていた。

 秘書に聞いた後、卜東延は毎日ほぼ同じ時間に会社を出て食事に行くことが確認できたが、秘書は彼が何を食べていたのかを知からない。それは、卜東延は食べ物を会社に持ち込まないからだ。彼は仕事とプライベートをきっちり分けている人だ。同僚たちの話からわかる。彼が会社に入ったあの日から、会社にいる限り仕事に専念するのみだ。

 そうだとしても、同僚と交流しないわけではない。卜東延の人間関係はかなり活発だ。彼は同僚との関係がとても深いわけではないが、悪い仲でもない。部下は彼を少し恐れていたくらいだ。それも、彼の仕事ぶりは厳格で効率を重視しているから、人に大きなプレッシャーをかけていた。

 しかし、金穗のようなトップレベルの会計士事務所では、ストレスが大きいのは普通だ。そのため、裏で文句を言うことはあっても、卜東延に対して嫌悪感を持って、彼を殺すまで思っている人はいない。

 要するに、秘書と同僚の話から判断すると、卜東延はプライベートな生活が謎だが、仕事能力が非常に優れた人だ。副経理に昇進したのもさほど驚かせることではない。

 卜東延の生活経歴を確認するために、また一か月分内のあのケータリングカーを向いた十三台の監視カメラの映像を取得した。

 卜東延は確かに常連客だ。毎日同じ時間に姿を現し、王夫人との会話は一番簡単な二、三句の注文だけ。王夫人の親切な挨拶に向かっても何の表情もなく、その上一度も真面目に王夫人を見たことすらない。

 感情的な面を除けば、王夫人の証言は非常に信頼性が高い。食品のパッケージから見れば、卜東延は確かにほぼ毎日同じ食べ物を食べていた。最大でもサンドイッチとおにぎりを交互に食べている程度で、チャウダーがあるなら、追加に注文するくらいだ。

 食事を受け取った後、彼は木陰がちょうど良く日陰になっているベンチで食事する。十三台のカメラの中には幾つかそのベンチの一角をちょうど撮っていた。スーツをビシッと着ている男が無表情で機械的に食事して、チャウダーがある日なら卜東延は少し時間をかけて食べるが、通常は約十五分で食事を終えて、そこから離れて会社に戻る。

 事件当日、卜東延の行動には特に違いはないが、実際数日前から彼の顔色が悪くなりつづ、おそらく胃腸の具合も数日間悪そうだ。

 それでも、彼は規則的な生活を送っていた。最後は血を吐いて病院へ運ばれて、治れずに亡くなったまでだ。

 王平安の証言にはいくつかの抜け穴があるが、現時点で彼と卜東延の死を結びつける証拠はない。なにせ、この一ヶ月間の監視カメラの映像を見る限り、王平安はほぼケータリングカーの中で忙しく働いているようだ。

 ただし、彼の証言と大きく異なる点が一つある。それは、彼のケータリングカーから実は外を見えることだ。高さと視野の制限があるから、見える範囲はとても狭いだけで、逆に外からケータリングカーの中で忙しく働いている彼のほうが見えやすいのだ。

 馮艾保は、監視カメラの映像から何の手かかりを見つけたのか、何日をかけて卜東延が毎日注文をし、食事を待っているところを何度も見直した。

 何思は馮艾保を妨げず、彼が何かのことに没頭する情熱的な行動に慣れていたようで、勝手に蘇小雅を連れて他の場所を走って証言や証拠を集めていた。

 まず、卜東延の死体解剖報告が出た。

 何思は蘇小雅を連れて法医の汪監察医に会いに行った。

「まず結論から言うと、彼は播種性血管内凝固症により、自発的な出血が引き起こされた出血性ショックで死亡したのだ」汪監察医は蘇小雅の少し興味津々の表情を見ても余計に質問しなくて、非常に公式的な態度だった。

「播種性血管内凝固症?」何思は眉をひそめて、この奥深い医学用語を聞いて頭が痛くなった。

「そうだな。簡単に言うと……死者は生前、長期間にわたって高用量の抗凝固剤を服用していた。播種性血管内凝固症というのは消耗性凝固障害、汎発性血管内凝固症候群とも呼ばれている。具体的に言えば、何らかの病因子の作用で、末梢血管内凝固因子と血小板が活性化されて、広範な微血栓になったから、循環機能と他の臓器機能障害を引き起こした。それによって大量に消耗された凝固因子と血小板が続発性線状線溶機能増強を引き起こして、最終的に人体は凝固機能障害が生じる病理学的特徴だ」

 二人のガイドはお互いに見つめ合い、彼らは汪監察医の説明のどこが「簡単に言う」なのかを聞き出せない。

「汪監察医、もう少し、簡単に説明してもいいか?」なにせ何思は汪監察医に馴染んでいた。向こうは凄腕の監察医で、唯一の欠点は話がわかりにくいところ。それも科学者の情熱の一種だろう?

「おっ。もっと簡単に言うと、彼の凝血機能に問題があって、自発的な出血が引き起こされた」と汪監察医はそう言って、検死時の記録映像を投影し、詳しく説明した。「見て。死者の臓器には異なる程度の出血症状があって、それらの臓器の表面に位置する黒い斑点が出血した場所だ。肝臓、脾臓、胃、腎臓など、皮膚にも出血症状がある」

 説明につれ、画面は死体の各部位に移動し、汪監察医が言っていた症状をはっきり示した。幾つか名を呼びあげられた内臓には異なる程度の黒い斑点が見える。特に肝臓にははっきりとした出血痕跡がある。

「最初は彼が打撲傷で、強い外力の攻撃を受けたのかと思った。後で、それは自発的な出血症状だって気付いた」画面は卜東延の腹部、脚部、背部、腰部などのほうへ跳んできた。血色のない肌に深色のあざが残っていて、まるで激しい体の衝突の後に残された傷跡のようだ。

「待って!腰部と脚部のあざ、手のひらの跡のように見えませんか?」蘇小雅が急に汪監察医を呼び止めた。

「どこ?見てみる」汪監察医は再び腰部と脚部のあざの写真を呼び出して、ズームアウトしてしばらく観察した後、讃頌的に頷いた。「確かに気づいてなかった。こうして見ると、ここの部分とここの部分、明らかに人の手のひらのようだ」彼がそう言って、赤いペンで二つのあざに丸付けた。

 深さと浅さが異なる広範なあざの中に、手印の境界線がぼんやりとしていて、よく見ないと手のひらの形だとはわからない。しかし、人の手には指があるので、指の位置を見つければ手のひら全体を沿って描ける。

「この大きさ……」何思は自分の手を上げて、画面に汪監察医が赤いペンで沿って描いた手印と比較して、ためらった。「女性の手のようには見えないが、男性の手のようだ……」

 蘇小雅も手を伸ばして比較した後、自分の手が画面のよりも一回り小さいことに気付いて、黙々と手を腰の後ろに引き戻して隠した。

「この部位と手印の形状は戦って残ったのではなく、むしろ……」汪監察医は急に話を止まって、蘇小雅のほうを見た。

 若いガイドは瞬きして彼を見つめ返し、無知蒙昧な表情だった。

「君、成人したか?」汪監察医はしばらくためらった後に訊いた。

「はい、成人しました。十八歳です」蘇小雅は茫然と答えた。

「この子、本当に十八歳?」汪監察医は代えて何思に訊いた。彼は何思と蘇小雅の兄と結婚したことを知っている。この二人は一応義理の兄弟関係で、家族の中の大人とも言えるだろう。

「彼にはすでに死体を見せたのに、今さら聞くの遅くないか?」何思は頭痛でこめかみをこすった。時折、センチネルの頭の思考回路を理解するのが本当に難しいのだ。「彼は成人だ。何を言ってもいいし、気を配ることはない」

 確かな答えを得て、汪監察医は明らかにひと安心して、続いて話した。「これらの手印は性行為によるもののように見える。腰に重なっているこれらのものを見ろ。最も浅いものは二、三週前のようで、最も深いこの二つはおそらく三、四日前に残ったものだ」

「彼には妻がいますから、性行為があってもおかしくないですよね?」と言った蘇小雅は自分が子供扱いされていることに無念さを感じたが、汪監察医も親切心からなので、彼はそれを気にしないよう自分に言いつけた。

「ええ……それについては……」誰が知っているだろう。彼の話を聞いた汪監察医はまた話を突き止めて、助けを求めるように何思を見た。

「とりあえずこの痕跡が何かについては気にするな。まず卜東延の死因を明らかにしよう」一見、何思は顔色一つも変っていないようだが、実際にはその目付きもいくぶん迷いがちで、強引に話題を変えた。「彼の凝血機能に支障が出たから血を吐いたのか?」

「完全にそれだけじゃないが、彼は同時に胃潰瘍もある」汪監察医はその話題の流れに乗って、胃の解剖写真を呼び出して、レーザーポインターでそこにある痕跡を指しながら解説した。「彼の潰瘍症状はとてもひどくて、吐血症状はかなりの間を続いたはずだ。食道と喉の粘膜にも損傷が見られるが、彼の吐血症状は確かに凝血機能の障害によって悪化したのだ。彼の医療記録を調べたか?」

「調べた。彼の過去十年間の医療記録は単純だ。二年ごとの会社からの健康診断資料だけで、その他の医療記録はほとんどゼロに近い。最近の二年間はまったくない」

「通例として彼のように重度の胃潰瘍で吐血症状も伴った場合なら、普通の人は医者にかかるか、少なくとも薬剤師にかかって薬を受け取って症状を緩和しようとする。彼はそれを全部しなかったのか?」

「全然。でも、彼の消費記録には過去一年間に胃薬を買ったことが示されている。買ったのは最も一般的な市販薬だけだが」何思は卜東延の行動に異常だと思っていない。大企業で働いている人が似たような選択しているのが少なくない。倒れていない限り、生きている限り、医者にかかるのに休暇を取ったり、休憩したりして、時間を無駄にすることはできない。そうしなければ他の人に取って代わられる可能性がいつでもあるからだ。

「彼が買った薬のリストを送ってくれ」と汪監察医がそう頼んだ。

 何思はすぐに卜東延が買った薬のリストを送った。汪監察医はリストを受け取ってから先と同じように画面に写して、一回詳しく調べた後「彼が服用していた薬には抗凝血剤の成分が含まれていない。通例としてこれらの薬が彼の体に大した助けにならないし、害を及ぼすこともない」と言った。

「卜東延が長期間にわたって高用量の抗凝血剤を服用していたと言ったじゃないですか?もし彼が自分で飲んだのではないなら、他の誰かが彼に薬を飲ませたのですか?」と蘇小雅は少し焦ってそう訊いた。

「これは君たちが確かめていくことだ。私が教えられるのは死者の体内から抗凝血薬、具体的にはWarfarinワーファリンの薬剤成分が検出されたことだ。この成分は前には鼠を駆除するのに使われたから、殺鼠剤とも呼ばれている。これは処方箋が必要な薬だ。一般人が触れることはない」汪監察医は投影の写真をしまって、そばにあった厚いフォルダを取って、少し考えてから蘇小雅に渡した。

「では、私が教えられることはこれだけ。残りの仕事は君達自身にかかる。犯人が誰かは知らないが、彼は確実に死者を憎んでいただろう」最後に、汪監察医は感嘆の意を表した。

「憎まないと人を殺さないだろう?」と何思は微笑みながら、ため息をついた。

「いいえ、これはいたぶりだ。死ぬ前に、死者は長い間苦しんでいた。出血が続き、自分の体が虚弱していくのを感じつづ、体には訳のわからない多くのあざができているが原因を見つからない。これはゆっくりとした苦痛のいたぶりだ」

「そして、やった人はそばで見ていました」蘇小雅は突然話を続け、汪監察医と何思は驚きの眼差しの中、淡々と話した。「どんな方法で薬を飲ませても、それを口から飲ませる必要があります。なので薬を飲ませた人は卜東延に親しかった周りの人のはずです。そうして、長時間にわたって異常を感つかれない状況で彼の体を壊し続けます。その人は確実に卜東延の体の異常を見ていたでしょうが、それでも薬を飲ませ続けました」

 経験豊富な汪監察医と何思でさえなぜか蘇小雅の冷静な述べり方からほんのりとした寒気を感じ、二人共も寒気で震えた。

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