34:馮警官、どのような人が殺人を犯しますか?

 二人は急いで病院に着いた時、亡くなった卜東延はすでに司法検死のために霊安室へ運ばれていた。

 彼の未亡人は病棟のロビーの二人掛けのソファに座り、一人で手を震えながらお湯を持ち、微かに揺れる水面に見入っていた。

 卜夫人は卜東延と同い年で、大学を卒業して結婚した。資料から見ると、デキ婚のようだ。

 卜夫人はまだ若い。その容姿も美しくて、気品もあるにもかかわらず、夫が突然亡くなったせいか、彼女の目は赤くなり、全身は午後の金色の日差しに溶け込むほど灰色になっているようだった。その姿は『憔悴』という言葉だけでは足りなくて、なんか……世界から消えつつある感じだった。

 ロビーに他の人はおらず、広々とした空間には快適そうなソファがいくつか配置されていて、大型テレビと充実した本棚がある。壁紙はリラックス効果のあるマカロンのような淡いピンクで、床には柔らかいカーペットが敷かれている。窓は大きくて、自然光を取り入れている。そして、日光を遮れるよう調整できるマットガラスと薄いカーテンもあって、日差しの強さが和らげられる。

 しかし、環境がどれだけ快適に作られていても、卜夫人にとっては明らかに意味がない。

 馮艾保は蘇小雅と一緒に卜夫人の前に座り、二人の影が彼女の半身を覆っていたから、卜夫人はゆっくりと視線をカップの中身から、訪問者達の顔へ移した。

「秦さん?」と馮艾保は最初に尋ねた。彼は元々の無関心な表情を変えて、穏やかな表情で人を安心させようそしている。

「はい」卜夫人は微弱な声で答えた。「私を秦さんと呼ばれるのは久しぶりです」彼女の声は少し嗄れて、悲しみというよりも疲労が感じられる。話し終えると軽く微笑んだ。

「私たちは中央警察署の刑事です。いくつかの質問をお聞きしてもよろしいでしょうか?」と馮艾保はそう尋ねた。

「どうぞ、でも私もどれくらい答えられるかよくわかりませんが……」と卜夫人、つまりチン夏笙シャーシェン》は一気に水を飲み干して、空のカップをテーブルに置き、背筋を伸ばして二人と向き合った。

 礼儀正しくて、落ち着いた態度を持っていることから、秦夏笙は非常に教養がある人だとわかる。その声は急ぎすぎず、緩急をつけず、わずかな時間で人に誠実で快適な感じを与えた。

 秦夏笙は悲しんでいる。でもその悲しみを人に影響を与えることなく、他の誰かに共感を求める必要がない。

「いくつか簡単な質問だけです」と言った馮艾保は今回、蘇小雅に話せるつもりはなく、記録だけを取ろうと目つきで指示した。

 亡くなった人の家族と接触したことがない蘇小雅は今の自分が何も助けられないことをわかる。それに蘇小雅はガイドだから、エンパスempathを制御しようと努力していても、秦夏笙の感情に影響されつつ、自分の気持ちも異常に沈んでしまっていた。そんな彼は質問をまとめる余裕がないので、大人しく馮艾保の指示に従うことにした。

「わかりました」

「秦さん、あなたは専業主婦ですね?ご家族の三食はすべてご自分での手作りですか?」

「はい。長男と次男が学校にいる時のお昼は全部私が用意して、届けています。一番下の子は私と一緒に食べてます」と、子供たちのことを話して、秦夏笙の気分は少し良くなって、顔の悲しみと疲労が少し和らいだ。

「おっ……卜さんの昼食はあなたが用意していたのではないですか?」

「もともとは私が用意していました」と言って、亡くなった夫の話になると、秦夏笙の唇はすぐに引き締まって、口調も少し硬くなった。「しかし、次男が生まれてから、夫は私が忙しすぎたので、彼のお弁当まで用意しなくても、会社の近くで適当に食べればいいと言いました。そのため、おおよそ三年前から、彼の昼食を用意しなくなりました」

「夕食も普段、家で食べることが多いですか?」

「必ずしもそうではありません」今回は、秦夏笙は子供たちの状況については詳しく語っていなかった。「夫は最近、昇進のことで忙しくて、残業したり、社交付き合いしたりしていました。一か月に二、三回は家で夕食をとることがあるくらいで、他の時間には夕食をどう解決していたのか、私は特に尋ねませんでした」

「なるほど……卜さんは副経理に昇進したばかりなんですか?」

「そうです。詳細はよくわかりませんが、おおよそ一年半前に、会社の副経理が退職することになり、夫はいくつかの同僚とその職位を競っていました。二週間ほど前に昇進の通知と発表があったため、私は彼が昇進したことを初めて知りました」

「それ以前に、卜さんは昇進についてあなたに話したことがありませんでしたか?」蘇小雅は我慢できずに、つい口を挟んで質問した。


 秦夏笙は微笑みながら淡々と彼を見つめ、少し無力な笑みを浮かんだ。「いいえ。彼は昇進に忙しいってわかります。でも普段から家事と子供の世話をしている私は疲れすぎたって言ってくれてから、それに、私も彼の会社のことをよくわかりませんので、私に負担をかけないように会社のことをあまり話さないようにしていました」

「でも……」

「蘇小雅、黙って」馮艾保は若いガイドの言葉を遮って、手を伸ばして彼の膝に広げた記録用のノートを叩いた。馮艾保は優しいお兄ちゃんのように微笑みを浮かべているが、その口調には妥協の余地がなかった。「ちゃんと記録して。君はただのインターンですよ」

 馮艾保がこのように攻撃的になることを初めて見た蘇小雅は一瞬驚き、口を半分開けてぽかんっとした。その後、顔に恥ずかしい赤みを浮かべて、俯いたまま低い声で「ごめんなさい、口を挟むべきではありませんでした」と言った。

「申し訳ありません。うちの若手がまだインターンとして始めたばかりで、礼儀がまだなっていないです。どうかお気になさらず」馮艾保は蘇小雅の謝罪に応じず、ガイドを慰めることもなく、直接秦夏笙に謝った。「では、続けてもいいですか?」

「はい」秦夏笙はうなずいたが、蘇小雅が怒られたことに対して少し気の毒そうな表情を見せた。「私はこちらのインターンの言葉に感情を害されたと感じていません。若者には情熱があるのは良いことです」と蘇小雅のために言った。

 馮艾保は微笑みかけたまま、このことについて深追いしなく、本題に戻った。「卜さんは昼食をどこで食べていたと言っていましたか?」

「昼食のことですか?」秦夏笙は眉をひそめ、考え込んだかのようにしばらく黙ってから、首を横に振って「それについては詳しくわかりませんが、彼の昼休み時間は短く、昼食会があった時を除いて、仕事に支障のない簡単な食事を好んでいました。以前、私がお弁当を用意していた時、手の込んだ料理じゃなくて、サンドイッチとお握りがいいと、彼はそう頼んでいました」と答えた。

「それでは、彼はチャウダーが好きでしたか?」

「嫌いでしたよ。彼は乳糖不耐症で、乳製品は摂取できませんでした」今度、秦夏笙の答えは迅速かつ明確でした。

 蘇小雅は記録を書いている手を止めて馮艾保を見たが、センチネルは彼のほうを向いてなかった。

「秦さん、卜さんが浮気をしていた可能性はあると思いますか?」

 平地に落雷が落としたのように、温かくて快適なロビーの雰囲気は一気に凍りついた。蘇小雅は驚きを隠すために顔を伏せて、馮艾保がこんな突然にはっきり聞くとは思っていなかった。遺族にこんなことを尋ねていいのか?

 秦夏笙は長い間返事をしなかった。冷たい雰囲気は窓から差し込む温かい日差しを完全に無視し、次第に外へ広がっていた。蘇小雅は首を引っ込めて震えたくなった。

「彼は浮気したのですか?」暫く経って口を開けた彼女の声は思いのほか冷静で、無関心とも言えるのようだ。

「いいえ、確信は持ていません」馮艾保はまるで周囲の雰囲気に全く影響されないかのように、自然体で肩をすくめ、親切な微笑みをした。「ただ、慣例に従って質問しただけです」

「てっきり慣例に従えば、夫の死の第一容疑者はいつも妻だと思います」秦夏笙は明らかに怒りをかき立てられ、冷たい口調で皮肉を言った。

「あなたもそう言い出したのなら、私も遠慮なく質問させてもらいますよ。あなたが、卜さんに何かしたのではないですか?」

 これはまるで人の傷口を直接踏みつけるかのような言葉で、あたかも十インチのハイヒールで三周踏み回しているかのようだった。

「私はもう何も言うことはありません」秦夏笙はそのまま立って「あなたは夫が食べたものに問題があると疑っているようですね。私は現時点で彼の死因がわかりませんが、それでも彼の食べ物に手を加えたことも機会もありません。申し訳ありませんが、私はこれで失礼します。道を開けてください」

 馮艾保も立ち上がり、とても紳士的に外へ二歩退いた。

 秦夏笙は彼を一瞥し、自分のハンドバッグを持って彼の前を通り過ぎた。

「朝食」二人がすれ違うと、馮艾保は突然そう言った。

 女性は足を止め、日差しで気持ち悪そうにずっと目を細めて、初見では親切だったが、今ではイラ立たせる男を横目で見た。

「はい?」彼女は眉をひそめ、この男の言葉の意味が理解できない。

「あなたは朝食について話していなかったので、彼は家で朝食を食べていたと仮定しました。そうですか?」馮艾保は気配りのある説明をした。

「はい」秦夏笙は信じられない表情で馮艾保を見つめ、明らかに侮辱されたと感じ、怒りを込めた口調で言った。「でも、私は子供たちとも一緒に食べていますよ!家庭主婦にとって家族の朝食を準備することがどれだけ大変で忙しいかを理解してもらいたい!私には手を加える時間がありません!」

「申し訳ありません。私はあなたの献身を疑うつもりはありませんでした。これは……」馮艾保は肩をすくめ、顔から完璧な淡い笑顔を浮かんで「慣例に従っただけです」と言った。

 秦夏笙は突然笑い出したが、蘇小雅は彼女が馮艾保にからかわれて笑ったとは思わないだろう。なぜなら怒りの感情がとても強烈で、止まることなくエンパスempathから伝わってきた。そのせいで、彼も不安になっている。

「警官さん、私からも一つ質問していいですか?」怒り続けながらも、秦夏笙は自分の怒りを抑えようとしている。

「馮です。すみません、名刺を渡すの遅くなりました」馮艾保は名刺を懐から取り出し、差し出した。秦夏笙は一度受け取りたくないと思ったようだが、馮艾保は手を伸ばしたままだった。最終的には遠慮深くて、礼儀正しいほうが負けた。

「馮警官、」感情の波動から判断すると、秦夏笙はまだ怒っているが、礼儀正しい態度は変わらない。

「ご遠慮なく。何をお尋ねしたいですか?」

「あなたは経験豊富のようですね。人を怒らせて、そこから相手の言葉の矛盾を見つけることも得意でしょう。では、あなたの経験から、どのような人が殺人を犯しますか?」これはほぼ哲学的な問いで、蘇小雅もこの質問に興味を持った。

 日常生活では、誰もが殺人犯を自分と同じような『普通の人』とは考えていない。まるでベッドの下の怪物のようで、または名前のつけられない恐怖の存在のように思っている。

 殺人犯は、皆の周りで生活していて、空気を吸って、皆が食べている食べ物を食べて、健康のためにジョギングして、笑ったり遊んだり、友達や愛する人がいるような……周りの皆。

 そんな質問を聞かされるとは思わなかった馮艾保はしばらく黙ってから、困ったため、息をついた。「秦さん、あなたは私の技で私を攻撃していますね」

「そうですか?」秦夏笙は自虐的に笑い、馮艾保の名刺をハンドバッグにしまった。「私はこれで失礼します。あなたたちが夫の死因と本当に責任を負うべき人を見つけてくれることを願っています。私はあなたたちより迫切で自分の夫がなぜ亡くなったのかを知る必要があります」

 それで、秦夏笙は二人に会釈して、背筋を伸ばして去った。

「どうして秦さんに質問攻めしていたのですか?」秦夏笙が遠くに行って姿が見えなくなった後、蘇小雅がそう尋ねた。

「Always Wife. 殺人に関する原因は感情かお金か、そしてパートナーというのは両方も絡んでいる」馮艾保は肩をすくめて「ただし、事情は常にそうとは限らない。はっきり聞いておくことは見逃すことよりマシだ」

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