33:もし巨竜は自分の物語の主人公なら、幸せな暮らしを送れたのだろうか?

 蘇小雅は自分がどうやって尋問室から連れ出されたのかわからない。彼の頭は空っぽにブンブンと鳴り響き、王夫人の歪んだ顔と痙攣した体が目に焼き付けた。彼が目を開こうと閉じようと、その光景は目の前から消えられなかった。

 彼は、誰かの優しくて熱い、力強い手で、自分の手を引かれた。片手は彼の手首を握って、もう片方は彼の腰に触れずに支えようとして、彼を連れてよろめきながら尋問室から離れた。

「ほら、少し飲んで」低くて優しい声が、彼の左耳から頭に伝わった、蘇小雅は肩をすくめて少し震え、それから強く瞬きをした。

 ぼんやりとした男の姿は王夫人の歪んだ顔と重なり合った。彼は自分と話している人が誰なのかよく見えないが、ただ聞き覚えた声がして、あるいい匂いが広がって脳まで這い上がり、彼の頭の耳障りの音とくらくらした感覚を収めるのに効果的だった。

 彼は男性が彼の手の中に入れた瓶を握り締めた。ほんのり熱い温度は、手のひらの上では小さな太陽のように、彼は無自覚に引き締まった肩を緩め、ゆっくりと長い息を吐いて、それを鼻の下まで上げて甘い匂いを嗅いでいた。

 この前に嗅いだ匂いと違って、彼は少し失望したが、甘ったるい香りは何らかの魔力があるようで、簡単に気持ちを落ち着かせる。蘇小雅にも例外ではなかった。

 彼は、この前に何思がアンドルーを尋問した時、馮艾保は「極濃いクラウドコーヒー」を買ってきたことを思い出した。あの時、彼は眉をひそめて理解できなかったが、何思はいつもブラックコーヒーを飲んで、砂糖もコーヒーフレッシュも入れないで、せいぜいミルクを少し入れるだけなのに、馮艾保は相棒として、まさか知らないのか?

 その後、何思はごくごくとアリまで溺れそうな甘い香りがした飲み物を飲み干した。その時、蘇小雅には理由を理解できなかったが、今なら少しわかった気がした……

「さあ、少し飲んで」優しい声は再び左耳に響き、本当にチェロのような音調に聞こえた。語尾に喉を震わした音を帯びて、心がくすぐられるほどに優しかった。

 蘇小雅は素直にカップの縁に近づいた──彼は、自分が持っているのは瓶ではなく、一つのマグカップを持っていることにようやく気づいた──カップの縁にある熱気を冷まし、慎重に一口を啜った。

 甘ったるい味が舌に広がり、ちょうどいい熱さを帯び、少し熱いが飲み込めないほどではなかった。まるでチョコ味の溶岩を飲んだように、濃くてねばねばしたものだが、滑らかに喉から流れ込み、食道を通って胃の中に入った。太陽を飲み込んだように、小腹から発された熱度が全身に広がった。

 頭の中の耳障りな音が徹底的に止まり、王夫人の顔も目の前から消えた。蘇小雅は何回か瞬きをして、ようやく自分の前にしゃがみ込んでいる人が誰なのか見えた……馮艾保だった。

「よう、眉ちゃん」センチネルは満面の笑みで彼と挨拶して、片手は彼の膝の上に置き、宥めるように叩いた。「少しは気分がよくなった?」

「ありがとう……」蘇小雅は恥ずかしそうに唇をすぼめて、残ったホットココアを舐めた。本当に甘い。いつもならこんなものを飲まないが、今はかなり必要としていることに気づいた。

「どういたしまして。ゆっくりとこのホットココアを飲み干せ。何があれば、また後で話そう。沈さんの事なら心配する必要はない。彼女の体に支障はない。何思はもう医務室まで付いて行ったよ。沈さんは情緒が高ぶり過ぎたせいで急性癲癇の症状が出たというメッセージが来た」蘇小雅が何を心配しているのか知って、馮艾保はいつものように、誰かの気性を荒らすみたいに、一言を何句も分けて言っておらず、いっぺんに全部の状況を説明した。

「うん……」蘇小雅はようやく胸にある重い石を下ろすことができた。彼はまたため息をついて、頭を俯いて少しずつホットココアを啜り飲んだ。

 馮艾保は依然として彼の前にしゃがみ込み、片手は彼の膝に乗って、もう片方は椅子の手すりに置いて、小さな空間を作った。どうしてかわからないが、蘇小雅の頭の中は小さい頃に見た絵本のことを思い出した。

 あれは騎士が姫を助ける童話で、遥かな古の国の中、ある人気のない高い山の中に、巨竜が住んでいた話だった。

 このドラコンは、全ての巨竜の祖先と同じように、綺麗でピカピカと輝くものが好きだ。彼は金銀財宝と金銀銅鉄を集め、山頂の洞窟の中に住んでいた。

 それは非常に険しく聳え立つ山で、巨竜しか飛べることができず、自分の両手を使って上る人類なんているはずもなかった。だから巨竜は自分の愛する宝物を洞窟の中に隠し、金貨によって作り上げた大きなベッドの上で寝ていた。

 もしこれは巨竜を主人公とする物語なら、恐らく幸せな結末になるだろう。

 しかしこの物語の主人公は王子と姫だ。そして何の意外性もなく、姫は金箔のように美しい髪を持っているせいで巨竜に攫われた。王子はエルフの助けがあって、山頂に登ることができ、巨竜を殺して姫を奪還し、宝物を奪った。

 蘇小雅は、五、六歳だった自分が怒りのあまりに泣いてしまったことを覚えていた。彼はとても巨竜が好きで、巨竜が自分の金貨の小さなベッドに横たわっていることを覚えていた。巨竜はあんなに小さい頃から、どんどん大きくなったとしても、最初の小さなベッドから離れることが出来ず、最後は尻尾だけギリギリその小さなベッドに「横たわる」ことができた。

 その後、その小さなベッドは他の金貨と一緒に奪われた。何せ王子の視点から、それは小さなベッドではなく、比較的に小さい金貨の山に過ぎなかった。

 その中では、巨竜が巨大な体で彼の小さなベッドを囲んで、尻尾を小さなベッドに置いて、満足そうに目を閉じてスヤスヤと寝ていたというイラストがあった。そのイラストは後に、蘇小雅がカッターナイフを使って、綴り目に沿って完璧に切り取った。うっかりと自分の柔らかい小指を切って、彼は血がイラストを汚すのを恐れて、だから例え怖くて痛いあまりに涙が止まらないとしても、すぐに指を口の中に入れて含んだ。

 母と兄が見つけた時、叫び声が出るほどに驚いた。彼の口が真っ赤で、小さな歯が赤色になり、血液は涎に混じってパタパタと流れ、服とズボンが血だらけになっていた。しかし左手に持っていたイラストは綺麗で、巨竜はスヤスヤと自分の宝物を囲んでよく寝ていた。

 何でこのことを思い出してしまったのだろうか?蘇小雅はホットココアを飲みながら、目の前にいる少し俯いていてこっそりとあくびをしていた馮艾保を真っ直ぐに見つめていた。

 馮艾保は自分の前にしゃがんで守る姿勢を取ったが、センチネルはずっと蘇小雅を見つめているわけではないから、蘇小雅は全くストレスを感じず、更に本当はこのくそおじさんがかなり嫌いなことを忘れそうになった。

 よく考えてみれば、何故自分は馮艾保が嫌いだろうか?この男は顔がよく、気性も穏やかで、強い能力を持っていた。それでも、彼はクジャクのように羽を広げて見せびらかすのが好きな多くのセンチネルと異なった。彼らはクジャクのように羽を広げて見せびらかすと同時に、モフモフの素肌を見せることになるのを忘れたように、滑稽でおかしかった。

 更に、馮艾保はとても優しくて思いやりがあった。もちろん、多くのセンチネルはガイドに対して優しくて気が利くが、その同時にガイドを弱者扱いして保護するような感じだった。恩恵を施すほどにはいかないが、何と言うか……とにかく、蘇小雅は自分のことが誰かに世話されるようなお姫様ではなく、巨竜になれると思った。

 しかし馮艾保の優しさは違って、ちょうどよかった。必要な以上に親しくないし、あまり距離感を感じない。手元にあるホットココアのように、暖かくて甘い、適当な時間で現れる。

「どうした?熱すぎたのか?」蘇小雅の視線に気づき、馮艾保はダラダラと顔を上げて、彼を一目見た。

「そういうわけじゃないけど……」蘇小雅は頭を振った。彼は自分の体温が少し熱すぎたと感じ、ホットココアを飲んだせいなのか、体は汗が出るほどに熱くて、顔までも熱くなった。「少し熱い、今日の天気も熱い」

「それもそうだな」馮艾保はそれに同意し、しゃがみ姿から立ち姿になった。そして敏捷に蘇小雅の肩を叩いて、彼に向けて左目を瞬いた。「もう大きな子供だから、一人でここに休んでもいいよね?それともイケメンのお兄さんが付き合ってあげようか?」

 蘇小雅は顔をこわばって、直接馮艾保に向けて大きな白目をむいて、「僕はもう成人した!大きな子供じゃない!やりたいことがあれば、やればいい。ここに居ても目障りだ」と呆れたように言った。

 馮艾保は何回か小声で笑った。「ネズミを貸してあげようか?モフモフな動物は気持ちを落ち着かせるよ!」

「いい、大丈夫だ」この人には何の問題がある!さっきは彼が優しいと思ったが、蘇小雅は馮艾保に対する好評を全て取り消すことにした。そう、馮艾保は普通のセンチネルのように見せびらかすのが好きじゃないが、この人はナルシストの雀、ぺちゃくちゃと一言が多い!

「わかった。じゃあここに残すよ?」馮艾保はまた勝手気ままで何ものにも縛られない様子に戻って、一本のロリポップを開けて口に含んだ。「元々は、何思が沈さんのことで忙しいし、私はちょうど病院から電話を貰ったから、あなたを連れて見識を増やせようかとそう考えたが……」

 蘇小雅は瞬時に椅子から飛び上がって、もう少しで手に持っていたホットココアを溢した。馮艾保が手を伸ばして支えたお陰で、惨劇にはならなかった。

「そんな大事なこと、何で今更に言った!」

「まだ落ち着いてないかもと思ったからだよ!だって、誰でも尋問した相手が、急に自分の前に痙攣になって倒れるアクシデントを経験したわけではない。普通そういう時は、もし相手に何があったら、レポートを書くことになって、更に訴えられる可能性があることを心配すべきではないのか?」馮艾保は相変わらず空が崩壊しようと彼には関係ないようなダラダラとした姿で、楽しそうにガイドちゃんの傷口に塩をかけた。

 蘇小雅は表情をこわばせて、さっきホットココアに宥められたいい気分は、目に見える速度でしょげていった。

「そんな顔をするな、冗談だよ」馮艾保はため息をついて、仕方なくマグカップの底を支えて上にあげた。「さあ、もう二口くらい飲んで。飲んだら、一緒に病院に行って卜東延の状況を確認しに行こう」

「僕は……あなたたちに迷惑をかけたのかな?」蘇小雅は思わず王夫人が倒れた時の顔を思い出してしまった。「僕は彼女に無理をさせ過ぎたのかな?僕は、彼女の精神に問題があることに気づいた。手を止めて阿思アースー兄さんに処理させるべきだった……」

 元から少しか細いに見えたガイドちゃんが、暴風雨に吹かれたばかりの小さな木のように、やつれて老いたようになり、全体的にツートーンほど明るさを落としたように見えた。

「あまり心配することはない。沈さんは現在、身体的には健康だ。王平安は自分の奥さんが医務室に送り込んだのを見た後も、特に感情を高ぶったことなく、手元の飲み物を飲み干してから、後をついて状況を確認しに行った」馮艾保の五感は一体どれほど鋭いのか、蘇小雅は数回を経験して、非常に印象深い体験となったと言えるだろう。

 この前、蘇小雅は驚きのせいで、外部の情報を受け取ることが鈍感になったが、冷静になった今なら、多少は少しのことを思い出せた。

 蘇小雅を尋問室から出したのは、きっと馮艾保だった。彼は、具体的な時間はわからないが、絶対に一分以内に全員が尋問室に駆け込んだ。応急処置をする人は応急処置をして、現場の状況を確認する人もいた。そして馮艾保は混乱の中で彼を連れ出した後、一杯のホットココアを持ってきて彼の精神をガイディングした。

 こんな状況下で、普通は王平安の反応を気にする余裕がないが、恐らく王平安自身もそう思って、飲み物を飲み干すことを選んだ。

 しかし、ずっと蘇小雅の世話をしているように見えた馮艾保は、見落とすことなく、王平安の全ての動きを目に焼き付け、まるで人間のふりをした監視カメラだ!

「それで、王平安は僕を訴えると思わないの?」

「それは、この後に私たちが彼にちょっかいを出すかどうかによる」馮艾保の答えは意外と現実的だった。

 しかし、蘇小雅はかえってこの答えを受け入れた。彼はうなずいて、マグカップを取ってごくごくとホットココアを飲み干し、馮艾保が渡してきたティッシュで口元を綺麗に拭いた。

「行こう。病院は何と?」

「おう、別に」馮艾保はあくびをして、頬を掻いた。「卜東延は蘇生に失敗して、もう死亡した」

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