20:Adam’s appleは喉仏のことだ。この言葉で思いをかき立てたのもそのはずだ

 マジックミラーの片側はスペースが限られた取調室だ。現在、その中にいるのは罠にかけられた動物のように、かけられた手錠でテーブルに繋がれたセンチネルのアンドルー・サンガスだけだ。彼はイライラして足を小刻みにゆすり、地面に固定されたテーブルを叩いて、ガタガタと音を立てている。

 顔の怪我について、アンドルーは簡単な手当を受けたが、前歯二本は元に戻らないことが確定された。聞いたところでは、逮捕行動の際にアンドルーが激しく抵抗していて、彼が誤って野次馬を傷つけることを防ぐため、馮艾保はやむを得ず彼を力強く攻撃したという。

 もともとセンチネルの警察官と互角で、わずかに勝ち目を見せたアンドルーは馮艾保の攻撃を受け、五秒も経たずに倒され、前歯が折れてそのまま胃に飲み込まれた。

 そして、アンドルー・サンガスを尋問する前に、取調のペースがアンドルーのような野郎に乱され、時間を無駄することを防ぐため、彼らは歩行者天国の広場にある監視カメラの録画映像を見て、その時一体何が起こったのか確認しておかなければならなかった。

 監視カメラの録画映像がすぐに送られてきた。マジックミラーの向こう側にある監視室で、数人が囲んで録画映像をクリックして流し始めた。西荊区の二人の警察官が初めて旅行に出た子供のように興奮した表情をしていた。蘇小雅は自分の精神力をできるだけ抑えようとしても、その二人の興奮を感じ取ることが避けられず、それが彼を少しイライラさせた。

 幸いなことに、映像を流し始めると、全員の注意力が白黒で音のない画面に集中した。蘇小雅がようやく気を緩められた。

 始まりに映っていたのは賑わっている歩行者天国の広場だった。そこにヴァイオリニストとストリートパフォーマーがそれぞれ広場の一角を占め、買い物に出た大勢の人たちが寄り集まって、一般の賑やかな商店街とはあまり変わらなかった。

 だが暫くすると、走ってきたアンドルーが画面に映った。彼は進みながら自分の前にいた人たちを押し退け、平和で活気に満ちたこのエリアは即座に大混乱になった。後ろから追いかけてきたセンチネルの警察官はそのままアンドルーにタックルして、彼を地面に倒せた。そこに二人は逃げる群衆の間に取っ組み合っていた。拳で戦い合っただけではなく、アンドルーがさらにバイオリンを奪ってきて警察官の顔に投げつけた。うっかりして顔が打たれた警察官は顔を覆って数歩後ずさったが、ストリートパフォーマーが持っていたボーリングのピンのような小道具を取ってきて、アンドルーの足元に投げて、その逃げ足を留めた。そして、二人は再び殴り合いを続けた。

 二人のセンチネルの争いが激しくなる中、通行人たちが怯えた表情を浮かべながら逃げ回っていた。しばらく経つと、画面には白熱化した戦いをする二人しか残っていなかった。きれいに敷き詰められたタイルは最初の一枚が踏み潰された後、ドミノ倒しのように次々と傷め続けられた。

 録画映像には音声がないため、無言劇のようなシーンだが、白黒の映像を通して、当時の激戦の様子を感じ取ることができる。二人には怪我の数が増え続けて、兇悪な表情をする顔にも腫れ始めた。この戦いは約十数分間続いてから、警察官の体力がだんだん衰えてきた。それに対し、アンドルーのほうも優勢を保たず、命を懸けて警察官を殴ったり蹴ったりして、ようやく有利な立場になった。

 録画映像の約十七分四十数秒のところにくると、画面の縁に体格がスリムでゆったりとした姿をする人が現れ、散歩のように、のんびりとした歩き方で戦いの中心に近づいた。程よい距離を保ち、激しく殴り合う二人の動きも、飛び散りになっているタイル及び舞い上がった埃も彼の身には触れられそうもなかった。

 男は片手をポケットに突っ込み、半分吸いかけのタバコをくわえて、周囲の混乱としっくりとしない違和感を覚えさせた。まるで目の前に起きていることはパフォーマンスかのように、男はただ観客の立場で、次の瞬間にどんなサプライズが起こるかを熱心に期待していたようだ。

 その服装と象徴的なゆったりとした態度から見れば、その人物は明らかに馮艾保のことだった。

 彼はゆったりとタバコを吸っていた。深く吸い込んだタバコの匂いが胸の中で一まわり循環をさせてから、彼は長い首を少し上に向けて傾けて、ゆっくりと煙を吐き出した。はっきり確認できない監視カメラの録画映像だが、喉仏が上下に移動する様子がぼんやりと見えて、言い表せない雰囲気をしていた。

 その瞬間、画面を見ていた数人は何思を除き、全員が無意識のうちに馮艾保に視線を向け、彼の喉仏をちらりと見た。

 蘇小雅の頭に、「Adam's apple」という英単語が浮かび上がった。直訳すると、アダムのリンゴという意味で、男性の喉仏を指している。この言葉は聖書の内容から来たと言われている。

 ストーリーの内容はこんな感じだった。イブが蛇に誘われて知恵の実を食べた後、アダムを誘って、一緒にルールを破った行いをした。アダムが知恵の実を食べている際、緊張のためか他の理由かわからなかったが、果実の一部が喉に詰まってしまい、それ以来、男の人に喉仏が存在するようになった。

 さすがは禁断の果実だ。人を迷わせてしまう……蘇小雅は自分にエンパスempathを力強く打ち、このような妄想を中断させた。

 映像がまだ流れ続いている。画面には馮艾保が携帯灰皿を取り出し、タバコの火を消してから灰皿を収めて、そして手首にある時計型のコンピューターを数回スワイプしたのが映っていた。その際、アンドルーがすでに、警察官との戦いから解放され、兇悪な目線で一番近くにいる馮艾保を見つめた。彼は口を大きく開けて、咆哮を発する動きを見せた。傷だらけの警察官がその声に驚かせて、顔には微かに恐怖の表情が浮かんでいた。

「あの時、彼は非常に強烈なセンチネルフェロモンを放っていました。私はちょっと……」顔向けができない様子を人に見られて、センチネルの警察官は恥ずかしそうに説明した。

「大丈夫です。彼は退役軍人で、センチネルフェロモンを使って敵を嚇かす方法を学んでいたから。あなたは若くて経験が浅いので、抑圧されるのも当たり前のことです。」何思はエンパスempathを使って、恥ずかしくてパニックになった若いセンチネルを慰めた。

 S級ガイドのガイディングを受けて、若いセンチネルがすぐに落ち着いた。側にいる蘇小雅は何思の行動を静かに覚えた。これから数多くのトラブルを避けるために、彼も迅速かつ正確にセンチネルをガイディングする方法を学ばなければならない。

 まず、最初にならして従わせたいものは馮艾保だ!この目標のために、彼は今のことを心の中のメモ帳に学ぶべきこととして書き留めた。

 目の前に、監視カメラの録画映像に映っているアンドルーは猛獣のように見え、狼狽えても凶暴さを減らずに馮艾保に向かって突進していた。おそらく目の前の人物が普通な人ではないのに気づき、馮艾保を人質にして警察を脅かそうとしていただろう。

 アンドルーの動きが極まった勇猛と速さからのものとすれば、馮艾保の動きは時間が止まったかのように静寂な存在だった。

 過程全体はわずか数秒で終わった。その数秒の間に、アンドルーがすでに馮艾保の目の前にきて、彼に向って手を伸ばした。その角度から見れば、アンドルーの右手が馮艾保の喉を狙って、左手が額をターゲットにしていると判断できる。重力加速度を利用すれば、人の喉仏を直接に潰し、首の骨を脱臼させるのも可能だ。

 馮艾保のほうはその時どうしていたか?彼は避けようもせず、さらに口元には微かな笑みを浮かべた。まるで目の前に襲い掛かってくる人物が存在していないかのように、それはただのインタラクティブな演劇のように構えていた。

 警察官は後ろから何か叫び、立ち上がってアンドルーに駆け寄ってぶつかろうとしたが、一瞬で状況が変わった。馮艾保が何気なく長い足を伸ばしてアンドルーの足を引っかけただけで、アンドルーはまるで歯車が何かに引っ掛かれた大型機器のように、前に突進していた勢いがすべて逆転して彼自身に注ぎ込まれ、突然全身がうつむいて地面を強く叩いた。パタン!

 頭蓋骨が床のタイルにぶつかった音が全員聞こえたようだったが、実際に、録画映像には音声がないものだった。

 アンドルーは長い間起き上がることができず、まるで日焼けで死にかけそうな毛虫のように身をよじっていた。

「この時に歯が折れたのか?」何思さんは一時停止ボタンを押し、振り返ってポケットに手を入れて監視室のドアにもたれかかっていた馮艾保に尋ねた。

 そいつは眠そうな顔をしてあくびをしていた。

 これを聞くと、彼は頷き、曖昧に答えた。「多分そうだろう。彼はその後、あきらめずに身を起こして逃げようとした。その時、私は『コミュニケーション』をしようとして彼に近づいた。乱暴に手を出していなかったよ!映像を続けて見てください。あるいはこの若いセンチネルに聞いてもいいよ。彼は目撃者だった。」

 もちろん映像を続けて見るが、事件の主な経過はほぼわかったから、このあとの映像を今すぐに見る必要もなくなった。

 馮艾保に名前を呼ばれて、センチネルの警察官はキツツキのように頷き、憧れが溢れた表情で言った。「馮警察官は嘘をついていませんでした。アンドルー・サンガスに対して、本当に違法行為はしていませんでした」

 蘇小雅はその警察官をちらりと見た。その表情はレン・チェスタと初めて会った時の状況を連想させ、思い出させた。その時、レンもこのような目が輝いて、憧れが溢れた表情をしていた。

「わかりました。お二人のご協力どうもありがとうございました。それでは、結果がわかった次第お知らせします」何思はモニターの画面を消して、二人の警察官を送り出すに立ち上がった。

 最初は二人がこの逮捕行動への参加を明確に終わらせるため、二人を留まってもらった。しかし、この先の調査に引き続き参加させるのもう適切ではない。

 未練が残るが、二人の若者は少し長く留まるために口を開くことはなく、馮艾保と他の三人を部屋に残して、従順に監視室を出て行った。

「広場にいる間に何か連絡を受けましたか?」と蘇小雅が尋ねた。その時、馮艾保が確かに腕にあるコンピューターを操作していた。

「アンドルー・サンガスの人間関係網とレン・チェスタの通信履歴だ。今から送るわ」馮艾保がこれを言って、腕にあるコンピューターのスクリーンを数回スワイプしたら、何思と蘇小雅の腕からはピーピーの音が鳴った。

「あなたたちがアンドルーという野生動物のドキュメンタリーを見ている間に、これらの資料をざっと見た。予想通り興味深いものがいくつかあった」

「予想通り興味深いもの?」何思は自分のコンピューターのスクリーンにあるフォルダをクリックして文書ファイルをめくり始めると、二ページ目のところで眉を上げて讃嘆した。「実に興味深いだ」

 蘇小雅の読む速度が少し遅かった。最初のページにはアンドルーの基本情報が記載されていた。特別なものはないけど、今まで知っていたセンチネルのレベルが違うのがわかった。アンドルーはB級のセンチネルではなく、B+級だった。そして彼の能力値のピークはA-級に近かった。

 こんな実力のある人なら、十二ブロックも逃げ延び、警察との白兵戦で劣勢が見えずのも不思議ではない。馮艾保が来ていなければ、彼はもう逃げていたかもしれない。ホワイトタワーは彼の行動を追跡できるが、彼が外にいる限り、期限のない時限爆弾のような存在だ。捨て身になってミュートを傷つける可能性はある。

 二ページ目にはその家族のことが書かれており、四年前に祖父母も両親も致命的な交通事故に遭い他界した。それで彼が古着屋を引き継いだのだ。

 彼には姉妹が二人いる。どちらも長年結婚している。妹のナンシーは結婚後に夫の姓に改めた。現在はナンシー・チェスタと名乗って、息子一人と娘二人がいる。息子はセンチネルで、今年十八歳になったばかりだ。そして名前の欄にはなんとレン・チェスタと記載している。

「つまり、サンガスとレンは叔父と甥の関係か……」予想外だが、その可能性は確かにあるという複雑な感情を蘇小雅が抱いた。

 手がかりはほぼ完全に揃い、アンドルーとレンの関係も明らかになったので、次に調査すべき通信履歴の範囲も分かった。

 何思は手首コンピューターのデータを壁に投影し、左右の窓にはアンドルーの通信履歴とレンの通信履歴を表示させた。

 二人の間は頻繁に連絡をしてはいなかったが、アンドルーとナンシーは非常に仲のいい兄妹のはずだろう。ほぼ二日おきに連絡を取り合っていた。ほとんどが音声通話だが、ビデオ通話の頻度も少ないとは言えない。さらに、毎回の通話は少なくとも二十分をかかり、最長で一時間続く場合もある。

 さらに、四年前に祖父母と両親が亡くなった後、ナンシーはイースター、端午節、中秋節、クリスマス、新年などの重要な祝日や休みの日には兄を家に招いている。アンドルーも、妹の家族の集まりに出席するのを受け入れている。

 この場合、アンドルーとレンは普段、頻繁に連絡を取り合っていなくても、二人は会っているだろう。またアンドルーがいる故、レンが祝日にホワイトタワーを出て家に帰ることが認められる少数の未成年センチネルの一人だ。ほとんどの未成年センチネルがこのような機会を謹んで拒むが、彼らとは違い、レンは祝日にいつも帰省している。

 彼の性格は馮艾保や蘇小雅と向き合う時に見せた陽気で単純な性格とは少し異なり、大胆な性格を持ち、そしてそれを意識的に隠している。また自分がルールを破らずにホワイトタワーを出るができることをわざと隠している。

 約一年前、レン・チェスタが最高学年になった。そして生徒会の男子生徒の副主席に就任してから、アンドルーとの連絡も頻繁になってきた。

 但し、二人の連絡はほとんど音声通話ではなく、メールでやり取りしていた。その内容を見ると、二人の交流はすべてごく日常的な挨拶や生活に関する対話が中心だ。レンもアンドルーの軍隊での生活について質問した。

 レンは軍隊に行くつもりがあるらしい。

 彼がメールで使う言葉や内容は、人に見せる性格と一致している。元気で精力的で、細心で頭が切れるほどではないが、てきぱきして、誠実で非常に熱心で、人々に好感を持たれやすい。

 アンドルーは明らかに甥のことを非常に信頼している。あるメールの中で、レンが叔父さんはなぜ退役したという少し失礼なことを尋ねても、アンドルーが怒らずに簡単な説明をして答えた。その答えにこのように書かれたところがある。「センチネルは最も優れる遺伝子を有し、それを汚されてはいけない。自然の法則に従い、純粋さを保つため、ガイドと結むしか方法がない」

「これはSGの宣言みたいだな」何思はこめかみを揉み、顔に嫌悪感を隠せなかった。「この部分の文字は、アンドルーの他のメールでのいつものの言葉遣いや書き方とは異なる」

 SGとは一つの過激派組織のことで、センチネルはガイドとのみ結ぶべき、それ以外の組み合わせを全て反対すると主張している。センチネル至上主義の過激派が多く集まって、テロリストに近い団体で、平和な時代では珍しい組織だ。

「確かに、アンドルーは誤字が多く、語彙も少ない人だ。言葉遣いは非常に簡潔に見えるが、ロジックが混乱する場合もある。しかし、この文章だけはまったく違う。書くことに慣れている人が書いたもののようだ」と蘇小雅も同意した。

 馮艾保がレンからアンドルー宛ての一通のメールをクリックして開いた。そのメールに、写真が一枚添付されている。

 メールには次のように書かれていた。「叔父さん、卒業ダンスパーティーの準備がいよいよ始まります。生徒会のメンバーたちは、ホワイトタワーでの一番重要なミッションを記念するため、準備作業を始める前に記念写真を一枚、ダンスパーティーが終わった後にもう一枚を撮ることにしました。写真の中の私を見つけましたか。私の隣にいるのは私の親友、男子生徒主席の簡正です。彼の隣は女子生徒主席の黎英英で、彼女の隣には女子生徒副主席の陳雅曼です。私たちは最近、いつも一緒に準備作業をして、忙しくなっています。叔父さん、一つ言っていいかどうかわからない秘密があるのですが、叔父さんなら他の人に言うことはしないと信じているので、こっそり教えてあげます。私は偶然、黎英英と簡正が人目を忍んで、ハグとキスしているところを見ってしまいました……ああ、叔父さん、私はどうしたらいいでしょうか?」

 馮艾保は口笛を吹いて「ここがポイントだ。レン・チェスタはあなたたちと同じ結論を出すかどうか当ててみてください」と言った。

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