19:可能であれば、何思は一生、もう二度とセンチネルを追っかけて走りたくない

 何思は本当に、本当に走るのが嫌だ!

 彼が送風機のようにあえぎ、心臓が高鳴って胸骨を打ちつけて、胸から飛び出しそうになっていた。足のほうも既に疲れて、痛くてだるくなっていた。強い意志力、そして普段、しっかりしたトレーニングをしていなければ、今の自分はこれ以上一歩も前に進められないと何思は確信した。

 そして前方に遠く逃げたそのセンチネルについては、とっくに影さえ見えなくなった。結局、何思は生れつきの生理機能の差に負け、激しく息を切らしながら足を止めた。彼は片手でぐったりとした膝を支え、もう片方の手で胸を覆いながら、咳きが長い間続いて止まらなかった。

「何、何警察官!」自分と同じようにかすれた叫び声が後ろから聞こえた。何思は額の汗を拭き、顔を振り向けて見た。ある若い、制服姿の警察が脇腹を抱えて、ひょろひょろして後ろから追いかけてきた。「大、大丈夫ですか?」

「まあまあ大丈夫ですが……」何思は若い警察官の青白い顔を見た。彼の唇は青ざめて、明らかにこれ以上追いかけ続ける気力はもうないだろう。休まないと何かがが起こるかもしれない。

 それも当たり前のことだろう。二人は既に七つのブロックを走ってきた。さらに、そのセンチネルを追いかけるため、命を懸けて全力で疾走してきた。危うく死ぬところだった。

「とりあえず休みましょう。あなたの同僚たちは彼に追いつくでしょう……電話をして応援を呼びます」多分、頭が混乱していたから、何も考えずに追っかけに没頭してきたのだろう。もっと早く馮艾保に電話すべきだったのに。

 幸いなことに、当初アンドルーを一人で逮捕しに行く予定だったが、たまたま西荊区の交番が商店街の隣にあるので、念のためにそちらに応援を求めた。この交番は大きくない。そこには六、七人の警察官しかいなかった。さらに、その半分以上はミュートで、センチネルが二人しかいなかった。

 古着屋『サンガス』を提起すると、この交番の警察官たちは皆その店のことも、店主のアンドルーのこともよく知っている。中央警察署の刑事部特捜班からの刑事は何のために店主のアンドルーを探しているのか分からないけど、とにかく一人のセンチネルと交番内でたった一人のガイドを協力に出動させた。

 最初、何思は店に入らず、外で待機するようと二人に言いつけた。センチネルの耳が非常にいいので、店内に何かが起きれば、駆け付けて来ても間に合うはずだ。だから最初から不用意なことをして相手に先手を打たれなくていい。

 しかし、アンドルーは何らかの方法で、とっくに何思が刑事であることを知った。対面する途端、何思がエンパスempathで攻撃を仕掛ける前に、彼の頭と顔にめがけて二つのマネキンが投げられてきた。

 何思はすぐに手を伸ばしてマネキンを留めようとしたが、アンドルーはその隙を突いて店のドアから飛び出し、まるでフルパワーのスポーツカーのように瞬く間に数百メートル先まで走った。

 ドアの外にいた二人の若い警察官はすぐに反応できなかった。何思はすぐに店から飛び出したが、非常に高い爆発力のある、生まれつき強い身体能力を持つセンチネルに追いつくのは絶対に無理だった。

「早く追っかけろ!」と彼は血相を変える叫んだ。二人の若い警察官はこのような状況に遭遇したのは多分初めてだったので、言われてから初めてリアクションをし、何思の後ろについてアンドルーを追いかけた。

 このような混乱が起きたため、何思は真っ先に馮艾保に電話して支援を求めることを忘れた。

 ルーニー、つまり、その息を切らして走っていたガイドの警察官は、すぐに地面に座り込んだ。脇腹を押さえて絶えずに咳き込み、やや長めの髪の毛が汗で束になって、顔にべたついて、とても狼狽えた。

 何思の状況は彼より良くもなかった。彼はその若い子より二、三百メートルも多く走っていたので、くたびれて建物の壁にもたれ、電話をかけた。

 電話はすぐに出られた。馮艾保の話を待たず、何思は矢継ぎ早に話した。「早く支援に来て!俺の携帯電話の位置を検索しなさい。アンドルーが逃げた!今、一人の西荊区の警察が彼を追っている!」

「ああ、今から行く」馮艾保は意味のない話を言わず、電話をすぐに切った。

 携帯電話をポケットに戻し、何思は悔しがっているルーニーに向けて彼を慰めた。「大丈夫、相棒の馮艾保が来たら、アンドルー・サンガスを捕まえられるはずです。ホワイトタワーがセンチネルの行方をすべて把握しているので、大丈夫でしょう」

「ホワイトタワーはセンチネル全員の行動履歴を取っているのですか?」ルーニーは明らかにこんな情報を初めて知ったらしい。その青ざめた顔の落ち込んでいた表情は少し晴れた。

「可能だそうだ」何思は壁にもたれかかり、そして体を滑らして地面に座った。空を長く見つめて、ようやく息を整えてから、突然笑い出した。

「何警官?」隣のルーニーは彼の笑い声を聞いて不安になり、恐れ恐れ声をかけた。

 何思はルーニーの声が聞こえていなかったようで、ますます大声で笑い、ついには顔を覆って笑いに震えた。通行人はキチガイな人を見たかのように避けた。

「何警官?大丈夫ですか?」ルーニーは何思の頭がおかしくなったとは思っていなかったが、何思が挫折感をひどく覚え、突然に、少し……なんと言えばいいのか、神経回路がおかしくなってしまったのかと疑った。

「大丈夫……大丈夫……」幸いなことに、何思は数分間笑い続いてから徐々に笑顔を消し、長い息をしてから落ち着いた。「思ったのだが、そんなに必死に彼を追いかける必要がなかったです。ホワイトタワーに行ってデータを取り出せばいいのに……アンドルーには自分の居場所を隠す能力がないはずです」

 ルーニーは茫然として何思の言っていることを理解できなかったが、それでも頷いて賛同した。

 二人はしばらく道端に休んでいた。しかし馮艾保は現れず、逆に蘇小雅が彼らの前に来た。

「あなたは一人か?」何思が蘇小雅に会ってから不思議に尋ねた。

「はい」蘇小雅は頷き、手に取っていた二本の水を何思とルーニーに渡した。「馮艾保はアンドルー・サンガスの居場所を直接に確認し、既に彼を追いかけています。アンドルーは実に、ここから遠く離れていない場所にいます。彼はもう一人のセンチネルに追いつかれ、二人が戦っているところです」

「もう一人のセンチネル?」何思は渡された水を一口飲んでからルーニーに向けて彼の同僚を称賛した。「あなたの同僚はすごいですね。そんなに早くアンドルーを追いつきました」

 十二ブロックも追いかけたのだから、とても速いわけでもないだろう。蘇小雅は心の中でそう思ったが、ルーニーの誇らしげな姿を見て真実を話さなかった。

 アンドルーはおそらく疲れ始めたので、追いつかれたのだろう。警察官のほうが若いし、普段もアンドルーよりしっかりとトレーニングをしている。追いつかれたのは時間の問題だった。

 もし追いかける者が馮艾保だったら、アンドルーに追いつくまではどれくらい時間がかかるのだろう?蘇小雅はその答えを知りたいけど、聞くタイミングではないので、尋ねるのをやめた。

「支援に行きましょう。馮艾保は車を僕に任しています」二人のガイドが水を飲んで、顔に血色が戻った。それを見て蘇小雅は言った。「手錠を持っていないと馮艾保が言いました。彼は今あなたの支援を待っているでしょう」

「いいだろう……」何思が立ち上がってズボンの埃をたたいてから、ルーニーに手を差し伸べた。「そっちの方の状況はどうだったか?」今の質問はラボの件の結果を尋ねているのだ。

「証拠が有効だと確認されました。レンの部屋にあったのはオレアンドリンの匂いでした。馮艾保さんは既にレン・チェスタの通信記録と行動履歴へのアクセスを申請しました」

「働く意欲さえあれば、彼の仕事の効率はいつも非常に高い」何思は感歎した。「ところで、他の二人のセンチネルは誰なのか?ホワイトタワーの先生や教官だろう?」

「はい」彼らは車のところに来ていた。蘇小雅はルーニーに向けて尋ねた。「一緒に現場に行きますか?あるいは交番に戻りますか?」

「見学について行ってもいいですか?」ルーニーの目が輝いていた。彼は警察官になったばかりで、せいぜい蘇小雅より一歳か二歳ぐらい年上で、刑事の事件捜査に参加するのはこれが初めてだった。

「一緒に来てくれ。現場の秩序の維持に協力してもらえるから」何思はドアを開けて、先に後部座席に乗り込み、そしてルーニーを呼び、乗り込でもらった。「三人のセンチネルが殴り合っているよ。たくさんのものを壊さないでほしい。レポートを書くのが大変だから」

 ルーニーはお米をついばむ雛のように頷きを連発して、車に乗り込んでからドアをバタンと閉めた。

 蘇小雅は運転席に乗り、車を始動させてから、何思の質問に答えた。「彼らは確かにホワイトタワーの教官です。一人は金教官、もう一人はラッセル中将です……」

「ラッセル中将か?」何思は突然椅子の背もたれから飛び上がり、隣にいたルーニーがビックリしてドアの方へ身を縮めた。「彼はどうして来たのか?特に何も言っていなかったのか?」何思の顔色は良いとは言えなく、少し恐れるような表情をして、顔色が青ざめていた。

 蘇小雅はバックミラーを見て、ぶるぶる震えていると言える何思を鏡越しで眺めて疑いを深めた。でもこの場にルーニーがいたので詳しく言えず、「別に。馮艾保に家に帰って食事しなさいと言っていただけ」と言ってごまかした。

「なるほど……」何思は苦渋の表情で頷き、体を背もたれに戻し、顔を覆って何かを考え始めた。

 それから車内はずっと静かだった。ルーニーは自分が無理矢理について来たことを少し後悔した。沈黙を破るために何らかの質問をしようと考えていたが、蘇小雅が人形のようなこわばった表情を見て、言おうとした話を全部飲み込んだ。

 幸いなことに、目的地までは十数分で到着するもので、遠くはなかった。群衆が囲んで壁のようになり、喧噪な音も窓越しで聞こえるほどうるさかった。

 蘇小雅は車を慌てて道端に止めた。三人は取り返しのつかない重大なことが起きたのではないかと恐れ、急いで車を降りて、目的地に向かって走った。

「すみません!通ります!警察です!」何思は警察手帳を提示し、ユニフォームを着ていたルーニーを前に押し出して道を開けてもらった。すると、群衆はモーゼが渡った紅海のように左右に分かれ、三人が通れるスペースを開けた。

 この時、蘇小雅は初めてどうして何思がルーニーを一緒に来てもらった理由を分かった。これはつまり経験の違いによって取られた対応策の差か?

 囲まれた中央には確かに三人のセンチネルがいたが、彼らが想像していたような甚だしい状況ではなかった……いや、この言い方は間違っていた。ここは商店街の端にある歩行者天国の広場だ。地面には美しく整然としたハナズオウの模様のタイルが敷かれている。普段、この時間になると、ここでは大道芸人が二、三組パフォーマンスを披露しているから、これほど多くの人が集まっていた。

 今日は平日だけど、依然としてバイオリンの演奏者が一人、そしてジャグラーが一人いた。この情報を知ったのは芸人たちが今でもパフォーマンスを続けているわけではなく、地面に壊れたバイオリンとあちこちに散らばったジャグリングで使う小道具が残されたから。さらに、地面のタイルが三坪ほどめくれ上がり、割れたり、壊れたりして、その下の土まで削り取られた。

 アンドルーを追いかけるセンチネルとアンドルー本人の顔が一番惨めだった。目と鼻が腫れただけではなく、アンドルーの歯が数本落ちて、喘ぐ口からは血の泡が噴出されていた。口の中に、前歯があったはず場所に、何も残っていなかった。

 それに対し、センチネルの警察官には口角の裂傷と額の大きな腫れ以外に大きな怪我がなかった。

 三人の中で唯一、外見がきれいで爽やかで、服にしわさえなかったのは馮艾保だけだった。

「よっ!来てくれたね!」馮艾保はすぐに三人のガイドの存在に気付き、格好よく手を挙げて挨拶をした。「タイミングが丁度いい!逮捕するために手錠が必要だ。持っているよね?」

 何思は黙ったまま、背中から手錠を取り出し、馮艾保に投げた。

 手錠を受け取った馮艾保は片膝でしゃがみ、ひどい痛みで表情が歪んで、協力的でないアンドルーを玩具を扱うように、男の細かい傷だらけの両腕を引っ張ってきた。そして、男が痛みで悲鳴していている中、背後に両手を交差させ、押し付けてからカチッと手錠をかけた。

「アンドルー・サンガス、あなたは警察を襲ってから逃走した故、法律に従ってあなたを逮捕します。あなたは黙秘権を行使することあるいは書面で陳述することもできます。弁護士を自分で選ぶこともできます。もし、あなたが低所得世帯、低中所得世帯、先住民又は法律による人権の被保護者である場合、証拠を提示するため、家族や友人に依頼することができます。裁判所の人身保護法に従い、私たちはあなたが警察へ暴行を行った現行犯として逮捕したのです。もしこの理由が合法ではないと思うなら、裁判所に申し出することができて、または家族、友人、弁護士に依頼して、代わりに申し出することもできます。この申し出には手数料がかかりません。あなたは二十四時間以内に裁判官に会えます。そして書面資料で事情を確認することもできます」馮艾保は一気で話しを終え、満足そうにため息をついた。「こんな時、本当に大好きだ」

「しーっ!何馬鹿なことを言ってるんか!」何思は急いで前に行って、地面に倒れているセンチネルの警察官を引き上げ、蘇小雅に向けて言いつけた。「鑑識課に連絡して!あなた二人は現場の秩序と現場保存を協力してください」後半の言葉はルーニーを含む二人の警察官を対象にしたのだ。

「馬鹿野郎!手を放して!人を殺していない!証拠はあるのか?」アンドルーは依然として協力を拒んでいた。全身が傷だらけになっても、左足が捻挫か骨折かにより、動かすのができなく地面を引きずっていても、ジャンピングビーンのように体をくねらせて動かしていた。そして、血が混じったつばを吹き出しながら叫んだ。「お前らを訴えるんだ!暴行だ!警察って、そんなにすごいのか!警察だから、人を勝手に逮捕したり、殴ったりするなんかできるんか?お前のお母さんをファックする!手を放せ!」

「私の母をファックしたいのは別にいいけど」馮艾保はアンドルーの肩を軽く叩いて、飄々とした口調で言った。「でも彼女はS S級のセンチネルだよ。あなたはその相手を務められるのか?おじさん」

 馮艾保の言葉があまりにも厚かましいかどうか、アンドルーはどうやって対処すればいいかわからなかった。また、何かがの理由で、アンドルーは相変わらず兇悪な表情しているのに、額に冷や汗が流れ、歯を食いしばって、頭を下げて静かになった。

「それに、殺人なんかを言っていないよ。あなたが逮捕された理由は、私たちの国の可愛い警察官を頭が腫れたほど殴ったからだよ」

 蘇小雅は、自分のエンパスempathが微かにピリピリした痺れを感じた。しかし、感じ取った時間が短すぎて、勘違いかもしれないと思った。犯人をセンチネルの警察官に任せ、自分が横で喫煙している馮艾保に目を向けると、蘇小雅がまた無意識に眉をひそめた。

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