12:おじさんと眉ちゃんのデュエット(4)

 簡正の部屋のレイアウトはほぼ同じスタイルだ。基本的な白い家具とすりガラスの窓一つ、そしてミントクリーム色のカーテンなどがあって、さわやかでシンプルな印象を与えている。

 馮艾保は先ほどと同じく、最初に窓際に行き、窓枠に手を伸ばして触った。すぼめた唇で笑っているようだった。立ち位置のせいで、蘇小雅は馮艾保の片側の頬と下顎骨の動きしか見えないので、笑っているかどうか分からなかった。

 クローゼットの中には標準的な礼服が一セットあった。明るくてエレガントなゲインズボロの灰色だった。それを見て、蘇小雅は黎英英のクローゼットにある淡いライラック色のドレスを自然に思い浮かべた。その色は簡正の礼服の色とよく似合う。

「他に聞きたいことはあるか?」馮艾保は寝室内を歩き回り、引き出しとキャビネットを重点にして調べた。白い手袋をはめた手でいくつかの小さなものを取り出し、さりげなくそれらを回しながら確認してから、すべて証拠品袋に入れた。

「暫くありませんが……」蘇小雅は頬を掻いて、心には言葉にできない悔しさが残っている。家に帰ってからすぐ取調室での記録を読むと心に決めた。

「そうか、じゃ代わりに少し聞かせてください」馮艾保は簡正の日記帳を見つけてからめくって読んでいた。相変わらず無頓着な態度だ。

 それとは逆に、レンはまるで妖精に惑わされたように、最初からずっと目を輝かせて馮艾保を見つめていた。「先輩、何でも聞いてください。陳雅曼と僕は知っていることをすべて話しますから」忠誠心を示すのを待っていられないようだった。

 陳雅曼は彼ほど熱心ではなく、淡々として「うん」だけを答えた。

 蘇小雅は前に出て、証拠品袋にあるものをすべて受け取った。馮艾保の尋問を聞きながら、証拠品を整理、分類して、そして手がかりを得られるかどうかを確認したいと考えた。

 二人の死者の行動は確かに怪しかった。レンの話によれば、センチネルが卒業するまで、食事も住まいもホワイトタワーに頼っているそうだ。国からの補助金が給付されても、累計した金額が多くない。卒業ダンスパーティーのために出費が多くなると、タワーを出る時にお財布が空っぽになる可能性が高い。

 簡正も黎英英も家族と関係を絶った。上級センチネルであったが、家族全員がミュートであるため、煙たがられた。彼らがホワイトタワーに入った後、両方の家族はどこかに引っ越した。もちろん、国のデータベースを使って調べれば、家族の現住所を把握するのが難しくない。政府も、センチネルへの貸しとして、このようにバックドアを開けてあげることを喜んでやっているだろう。

 しかし、陳雅曼によると、簡正と黎英英は家族を探すつもりはなかった。恐れられ、敵意があるほど冷淡な家族関係に対し、興味がないそうだ。むしろ自分の生活をしっかりして送ったほうがいい、関係を挽回する必要もないと考えられていただろう。

 したがって、二人とも計画的にお金を貯めていた。インターネットにアクセスできてから、リスクの低い少額投資も行っていた。確かに軍事機関の給与は悪くないけど……。

「黎英英は軍の勧誘を断ったが、何をするかを決めていないと言った」その話をした時、陳雅曼が黎英英の選択をすっかり理解できず、困惑の表情を浮かべた。

 レンの話によると、将来に対する計画について、簡正も暫く軍の勧誘を断ったという。簡正は他の予定があったみたいけど、誰にも話していなかった。

 二人の死者は秘密を持っている。しかし、蘇小雅は自分が結び目のある糸玉を見ているが、糸の端がどこにあるのか分からない感じがした。

 馮艾保は静かにページをめくっていたが、その存在感が強かった。知らないうちに、その場にいる人たちの視線はすべて彼に集中し、息を止めて彼が口を開くのを待っていた。

「その二人は仲がいいでしたか?」暫く経った後、馮艾保はようやく尋ねた。

「その二人の仲ですか?」レンと陳雅曼は顔を見合わせ、馮艾保のこの質問に対して驚いたようだった。結局、陳雅曼が答えた。「その二人は特に仲がいいとは思いませんが、悪くはないでしょう。男子生徒と女子生徒の主席で、常に一緒に公務をしていましたから」

「では、あなたとの仲を基準にして、簡正と黎英英の仲はどうでしたか?」馮艾保はこせこせをせず、目を上げて陳雅曼を見た。

「それは……」陳雅曼は少しためらった後、落ち着きのない口調で答えた。「多分、同じくらいでしょう?その二人は生徒会の活動で会う機会が多かったけど、プライベートではあまり連絡をしていなかったようだった。私は黎英英の部屋の隣に住んでいたので、プライベートの場で交流する機会がわりと多かったです」

「レンくん、どう思いますか?」馮艾保はレンに同じ質問を投げた。

「私の考えは陳雅曼と大体同じです。彼らが普段会っていたのは生徒会室でしたね。黎英英はずいぶん早く女子生徒の主席になりました。例外的な昇格だと言えます。簡正は二年前に選出されたのです。プライベートでの連絡は特にないでしょう」

 その話を聞いて、馮艾保が頷いて、日記帳をさらに一ページを繰ってから尋ねた。「今にもオープニングダンスをやっていますか?」

「卒業ダンスパーティーのオープニングダンスのことですか?」陳雅曼が確認して、大人のセンチネルの頷きを見てから質問に答えた。「あったとは言い切れなかった。ダンスパーティーとは言え、実際に踊る人はあまりいなかったです。主に食べたり、飲んだり、音楽を聴いて知り合いと会話するぐらいだったでしょう」

 馮艾保は軽く微笑んだ。「面白い答えでしたね。ちっともセンチネルらしくありません」

 訓練と生まれつきの性質の影響により、センチネルは質問を明確で短く答える傾向がある。大人になって、十分に社会化したセンチネルは確かに質問をあいまいに、どっちらでもないように答えることはできるが、センチネルの本質は大幅に変わることはない。

 ホワイトタワーを出ていないセンチネルであるのに、陳雅曼はこんな風にあいまいに答えた。レンがそれを聞いて、困惑した目線で彼女をちらりと見た。

 これを聞いて、陳雅曼の表情が凍りついた。

「『あったとは言い切れなかった』と答えられたら、あったということですね。但し、あなたがそれを認めたくないだけ。または当日には確かにオープニングダンスに近い形のものはあったが、あなたが参加したくなかったか。そうでしょうね?」人に迫る口調をちっともしていないのに、馮艾保の言葉はてんてこ舞いのようだが、応じるには大変だった。

 陳雅曼の表情は石の仮面をかぶったように強張り、口を固くすぼめて答えようとはしなかった。

「その夜、簡正と黎英英がオープニングダンスを担当したでしょう。ですから、彼らが亡くなった場所には何もなかったですね」そのエリアはダンスフロアと予定されていたので、踊るために調度品を置かないようにして、食べ物エリアからも一定の距離を保つようにしていた。

「その日、あなたたちは横でその二人のダンスを見ていましたか?」二人の若いセンチネルの答えを待たず、馮艾保は質問を続けた。

「それはダンスとは考えられませんかな……」レンは陳雅曼が機嫌悪いことを感じ、聞かれたことをすぐに答えた。「実は僕たちはダンスなんかできません。当初、パーティーを企画していた時、ダンスフロアの設置は一つの提案としてあげただけ。ダンスパーティーの直前に、簡正が今までの卒業ダンスパーティーは名ばかりで、実際と名称が違って、誰も踊らなかったのが残念だと言った。初めての挑戦者になってもいいかもしれませんとも言った。ちょうど今回選んだ楽曲はすべてクラシックで、ダンスフロアは開始直前の一時間に設置を終えたものでした」

「どんなダンスをしましたか?」馮艾保は興味津々に聞いて、日記帳をまた一ページめくった。

「よく知りませんね……ダンダンダン、ダンダンダンという感じでした」レンはありったけの知恵を絞ったように見え、手でいつの間にか額にかいた汗を拭いた。

「ああ、メヌエットですか?ワルツですか?」馮艾保は頷き、何かのリストやシートをチェックするかのように手首のスマートウォッチを操作した。しばらくすると、彼は言った。「最初の曲はMenuet Waltzer、メヌエットワルツでした。それは身体の反射神経と協調運動が速いが、あまりダンスをしたことがない人に最適です。」

「なるほど、あれはメヌエットワルツというものですか。彼らのダンス姿がとても素敵でしたね。そうだったでしょう?」最後の一言は陳雅曼の賛同を求めるようなものだった。

 しかし、少女はレンを無視した。その顔は依然として強張り、唇が冷たい線を引いていた。虚ろな目線で馮艾保を見つめ、何も言わなかった。

「綺麗に踊れましたか? 途中で引っかかったり、曲調が合わなかったりしませんでしたか?」 馮艾保の口ぶりは温和かつ穏やかで、声もいい。蘇小雅は彼を嫌うけど、この時、人間の声が本当に「ヴィオラの音色」で形容できることを初めて知った。

 しかし、耳を楽しませるその声は二人の若いセンチネルにとって、明らかに幸せを感じさせる声ではないようだった。ファンのレンまでは質問を聞いていたうちに、どうやって答えればいいか分からなく、表情が硬直した。

「分りません。注意を払っていなかったです」ほぼ一分間近く黙った後、レンが額の汗を拭き、さらに話そうとした時、陳雅曼が一歩先に口を開けた。「おしゃった通りです。私はオープニングダンスに大反対しました。同じセンチネルであるあなたには理解できるでしょう。すべての計画は書いた通りに実行すべきだと思いますから。卒業ダンスパーティーのような大型の集会はとくにそうでしょう。ホワイトタワーのセンチネルのうち、七割が下級の者です。残り三割のうち、一割弱は上級センチネルです。これらの者はほぼ全員が生徒会のメンバーで、他の人に対して責任を持つべきです」

「ということで、あなたは何をしましたか?」馮艾保は簡正の日記帳を閉じた。そのささやかの音は陳雅曼とレンの耳にとってはまるで雷のような音で、二人が同時に肩をすくめた。

 レンはもっと狼狽えたように見え、隣にいる同級生をぼんやりと見ていた。陳雅曼は背中をまっすぐにして、まるで壮健さが未だ足りないが、まったく倒せない小さい木のように立っていた。

 彼女は目の前にいる、この成人でかつ最盛期に入ったセンチネルをちっとも恐れていなかった。その顔は青ざめたが毅然としていた。その唇は血の色を失って、身に纏う純白の衣装に溶け込みそうになった。

「私はシーリングライトを明るくしました」陳雅曼は一言一言をゆっくりで、明確に言った。「ダンスフロアは急に設置したもので、周りのデコレーションと明らかに区別することはできなかったです。黎英英は、もう一つのシーリングライトを配置すれば、照明でダンスフロアと区切りすればいいではないかと提案しました。しかし、急にどうやってライトを追加できるでしょうか?ダンスパーティーは間もなく始まり、すべてのデコレーションも用意できました。その時点で、ライトを追加するか、針一本さえ生み出して追加することはできませんでした」

「シーリングライトを明るくしたと言いましたね?」蘇小雅は我慢できず、口を挟んだ。

「はい」陳雅曼は顔を若いガイドに向けた。口調に上げ下げはなく、言葉を体から吐き出すように、全力で嘔吐するような感じで言った。「私が言ったことを覚えていますか?センチネルは高い服従性を持っているということです。上級センチネルは少し反抗的かつ自己中心的になりやすいが、結局のところ、私たちは強者に従うという遺伝子に刻まれた性格に対抗できません。ホワイトタワーにおいて、黎英英と簡正は先生と教官を除いて一番強い二人です。最初に、私はあまり協力してあげたくなかったです。しかし、その後は怒りや強いマイナスな感情を持たず、ライトの問題をどうやって解決できるかだけを考えました」

 ここまで言うと、陳雅曼がいきなり笑った。

 彼女に会ってから、蘇小雅は初めて彼女の笑顔を見た。なんとなく一種の不気味な感じが広がってきたようだ。

「簡正は、彼の部屋にステージ用のシーリングライトがあると言いました。サイズが大きくなく、光も眩しくないというものです。彼の部屋に取ってきて、設置してねと彼が私とレンに言いつけた」陳雅曼の顔は歪んでいた。美しく整っている容姿はテレピン油をふんだんにかけられた油絵のように、溶けているように見えた。

 彼女はパニックを隠すことができず、数歩後退した蘇小雅を見て、笑顔という言うよりも、口を笑っているような形に歪めて言った。「簡正が準備してあれば、ちょうどそれでいいではありませんか?どうして私が怒っていましたのかと言いたいでしょう?」

 蘇小雅は頷いた。少しびっくりしたが、すぐに自分の気持ちを落ち着かせた。これはガイドにとっては一種の本能みたいの能力だ。

「ちょっと理解できません。簡正が頑固で独りよがりと思っても、そこまで怒る必要はないでしょう?」

 陳雅曼は目を丸くして、そして白目が赤くなった。ホワイトタワーの内部にいなかったら、陳雅曼は蘇小雅に襲いかかってくるだろう。そうしなくても、少なくともスピリットアニマルを放って彼を攻撃するだろう。

「もし彼がずっと前にそのつもりがあったのなら、なぜ早めに言わなかったのでしょう?私たちは全員の刺激受容閾値を考慮する必要があります。下級センチネルは上級センチネルのほど敏感ではありませんが、それはまた、彼らが刺激により傷つけられることにつながります。彼らはそれを即時に察知できず、気が付いたらもう取り返しのつかない損傷が生じたことにつながるかもしれません。私たちは……まだホワイトタワーを出ていません!まだ非常にもろいです!黎英英と簡正はそれを……まったく考えていなかったでしょうか?」陳雅曼は泣きながらそう叫んだ。

 蘇小雅は精神力で彼女を宥めようとしたが、残念ながら経験が足りず、狂気に近い陳雅曼に対処する術がなかった。むしろ彼女の勢いに抑え込まれてしまった。

「私はちょっと……ちょっと洗剤の匂いを嗅いだだけ。ちょっと……ちょっと彼らに迷惑をかけたかっただけ……」陳雅曼が鬱憤を晴らした後、急に胸を押さえて息を切らした。ポロリと落ちた涙が地面に水跡を残すほど流れ続けた。

「何かがおかしい!すぐに医療スタッフを呼んできて!」馮艾保は弓から放たれた矢のように、椅子から立ち上がり、大股で陳雅曼の側に寄ってきて、間もなく成年になるこのセンチネルに手を伸ばして支えてあげた。馮艾保は片方の手のひらで陳雅曼のこめかみを覆って、同時に蘇小雅に向けて「早く一階に行って何思を連れてこい!」と叫んだ。

 この時、センチネルとガイドの違いが明らかに見られた。馮艾保が指示を出すとほぼ同時に、レンが医療スタッフを探しに部屋を飛び出した。それに対し、蘇小雅は一瞬唖然とし、三から五秒ほどしてから振り返ってエレベーターに急いだ。

 何思と金教官は一階の廊下で話をしていた。エレベーターのドアが開くと、蘇小雅は二人の姿を見て、出る前に声を上げて叫んだ。「思兄さん!おじさんは早く上がってと言いました。陳雅曼の身に何かが起こりました!」

 深刻な表情になった何思は、すぐにエレベーターに乗り込んだ。それと同時に、金教官は何思より一足早く、後を追って入ってきた。

 エレベーターのスピードが速くて、事件の過程を話し合う時間さえなかったまま、一同が急いで簡正の部屋に向かった。

 部屋の中に、陳雅曼は地面に横たわっていた。彼女は妙に安からな表情をしていた。その表情は衣装とほぼ同じ程度だった青白い顔との違和感を感じさせた。

 医療スタッフがそばで応急処置をしていた。馮艾保は横に座り、なぜか少し疲れていて憔悴した様子を見せた。何思と金教官を見ると、彼はゆっくりと首を横に振った。

 陳雅曼が亡くなった。

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