第40話 届く言葉

 ――なんとなくメイドたちの間でそうなのかなって思ってるだけよ。聞き出したいわけではないけれど、ただ純粋にどうするのかなって。


 そう続いたノマの台詞は、中々衝撃的なものだった。

 つまりまとめると、もともとエルナとクロスの逢瀬(と、メイドたちは思っているようだが、別に隠れていたわけではない)は知られており、身分違いの恋だと思われていたところに今回の騒動だ。エルナがエルナルフィアの生まれ変わりであるのならば、生まれの身分なんて関係なくさっさと嫁入りできるのでは? と憶測されているらしい。


 まったくの誤解だ、と叫ぶことはできないけれど、ちょっと待って、とストップをかけたい。クロスとエルナの婚姻はすでに約束済みのことであり、エルナは嫁になると言ったし、クロスからは嫁になれととっくの昔に言われているし……と、エルナは目をぐるぐるさせながらクロスの執務室まで向かっていた。


 だから今更、このことをきっかけに大きく動くなんてことはあるわけ、あるわけ、ないのだろうか? いくら考えてもわからないので、無意識にもポケットのハムスターをよしよしなでなでしてしまう。ごんすごんすと悲鳴なのか喜びなのかわからない声を上げているが、本日もふかふかのふわふわである。


 なら、やっぱりそういうこと? もしかして今日呼び出された理由って……。

 とまで考えて、急に現在の自分の姿が恥ずかしくなってきた。メイドの服を着ているのはもちろん問題ない。だってこれは仕事の制服なわけで、そこに気まずい気持ちを持つ必要はない。ただついさっきまで大泣きしてしまったことで、顔のむくみやまぶたの腫れがどうしても気になってしまう。

 今更どうしたところでなんの抵抗にもならないと理解しながらも、冷やしたハンカチを目頭に押さえて、クロスの執務室の扉の前に立った。


「……よし」


 ハンカチはハムスター精霊が忍んでいるポケットとは反対側にしまいこんで、ぐっと拳に力を入れて前を向く。たとえ、この次の瞬間に改めてプロポーズされたとして、『ふうん? そっちがしたいって言うんなら、構わないけど?』くらいの余裕たっぷりな返答ができるくらいの心構えはきちんとできたはず。


 いざゆかん、とエルナは数度ノックをして、それから聞こえたクロスの返事に驚くほど胸の鼓動を大きくさせながら扉をくぐった。

 部屋の中にいたのはクロス、そしてカイルの二人である。


「あ、エルナ。君も来たのか」

「俺が呼んだんだ」

「そうでしたか」


 とクロスは椅子に座り、カイルはテーブル前に立ちながら朗らかな様子で会話している。

 エルナは静かに唇を噛んだ。そしてぶるぶると震える体をごまかすように力強く拳を握り、ゆっくりとそっぽを向く。死にたい。

 何がプロポーズだ。本当に死にたい。


「カイル殿。鉱山についての返答を、こうまで時間を取らせてしまい申し訳なかった」

「いえ、あれほどの騒ぎがあったのですから当たり前です。それに私が急ぎこの国に来た理由は……お気づきかとは思いますがアルバルル帝国からの横槍を恐れてのことです。ただ今回の騒動を見るに、すでに帝国も情報を掴んでいるに違いありません。今更急いだところで意味はありませんよ」

「そう言ってくれるのならありがたい。そして今日この場に貴殿を呼んだのは他でもない、鉱山についての決着を表向きに出す前に、事前に根回しをと……エルナ、どうかしたのか?」

「大丈夫、なんでもない。自分の愚かさに驚いていただけだから」


 エルナは油がささっていない機械のような動きでぎぎっと首の向きを正面に変えて、口元をぴくぴくとさせている。


「お、おお。なんでもないなら構わんが……。カイル殿。我が国は貴国からの提案を全面的に受け入れ、鉱山の採掘を共同の事業として執り行おう。ただし、配分の割合は配分については、七対三ではなく、六対四だ。一方的な割り振りは、のちの不満につながる。精霊術師を派遣する分、こちらの取り分はどうしても多くなってしまうが」

「いえ、十分です。ありがとうございます。ご英断、感謝致します。そして私からも一つ。エルナがここにいるということは、私がこの国に来た理由の別の理由も、すでにご存じということですね」

「そうだな。互いに腹を割って話すか」


 テーブル越しに握手をしながら、二人は子どものように笑っている。「エルナ、それでお前も構わんか」と、クロスに投げかけられた言葉には、エルナは肩をすくめる形で返事をした。どうぞご勝手に、という意味である。


「鉱山採掘の提案は、もちろん嘘ではありません。我が国、マールズは長らく帝国の脅威に怯え続けておりますから、武器の一つとなり得る〈竜の鱗〉を手に入れることができるというのなら願ってもないことです……しかし、ここ最近、ウィズレイン王国からは、別の噂を耳にするようになりました」


 カイルは、そっとエルナを振り返り、そしてもう一度、真っ直ぐにカイルを見つめる。


「竜の噂です」

「エルナルフィアの生まれ変わりか」

「その通りです。この噂の事実調査も私の任務でした。……マールズ国はウィズレイン王国の一部ではありましたが、一度は帝国に吸収され、独立した過去もあります」


 そう言ってカイルは声をひそめた。

 エルナは想像することしかできないが、きっと激動の歴史でもあったのだろう。


「我らマールズの国民はウィズレイン王国のもとに戻りたいと心の底で願いながらも、離れていた時間があまりにも長すぎるために独自性を持ってしまい、どこにも行くことができなくなっているのです」


 カイルはふと、悲しみを瞳に乗せるようにそっと眉を伏せる。


「だからこそ、エルナルフィア様を敬う気持ちがあれど、この感情をどのようにすればいいのかもわかっていない……。ただそもそも、あくまでも噂は噂。むしろ、虚言である可能性の方が高い、と思っていたのですが……」


 ちらりとエルナをまた振り返り、困ったように笑っている。

 そして、すうっと息を吸い込み、ぴたりと動きを止めたかと思うと、カイルはゆっくりとエルナの前に歩き、静かにかしずいた。


「エルナルフィア様、あなたは、我が国が長年探し求めていた御方でございます。そして、私に一つの気づきをくださいました。あなたは、この国を愛している理由はいまだ答えることはできない、知っている最中なのだとおっしゃった。自国を好きかどうかとウィズレイン王国の方々に問いかける前に、私もあなたを倣い、そのようにすればいいだけの話」


 カイルは、そっと顔を上げた。


「まずは私自身も今のウィズレイン王国のことを知りたい。そして同時にマールズ国のことをこの国の方々に知っていただきたいのです。迷うことは、知った後でいくらでもすればいいのだと」


 さらりと揺れた長い前髪の隙間から、優しげな銀の瞳がエルナへと向けられる。そうまじまじと見上げられると、妙に恥ずかしい気持ちになってしまう。「えーっと……」というか、エルナはただ曖昧な自分の感情をカイルに伝えただけで、大層なことは何も言っていない。


「……とりあえず、エルナルフィア様、じゃなくて、いつも通りエルナと呼んでもらうことはできない?」


 なので見当違いな返答をしてしまった。カイルはしばらくの間、目を見開き、ふはりと吹き出すように笑う。


「ごめんよ、ちょっと仰々しすぎたよねぇ」

「すまんな、俺の嫁は照れ屋なんだ」


 嫁じゃない、といつも通り叫ぶほどに空気が読めないわけではないので、エルナはぷいとそっぽと向いた。カイルが立ち上がりながら、「え、よめ?」と素っ頓狂な声を出しているのが聞こえたが、聞かなかったふりをする。


「その件に関してはエルナに変わって俺が返答しよう。こちらとしても願ったり叶ったりな提案だ。アルバルル帝国の動向も気がかりだからな。貴国とは永続的な友好関係を築くことを願う。まずは定期的に人員を交換し互いの国を学び合ってはどうか」

「ご検討、感謝いたします!」


 声色どころか表情までも嬉しくてたまらない、といった様子がよくわかる。大きな犬みたいな人だ、とエルナはこっそりと顔がほころんでしまう。


「こちらの話としては以上となるが……他にもまだあるだろうか」

「いいえ、十分すぎるほどのお話でした。ありがとうございます」

「あくまでもこの場は非公式なものだ。また改めて時間を頂戴する」

「いつでもお声掛けください。それでは、私はこれで」


 お互いの性格もあるのかもしれないが、さくさくと話はまとまり呆気ないくらいである。ふうん、とエルナは男二人の姿を後ろから見つめていたが、カイルが退出の意向を唱えたので、見送りついでに目を向ける。するりと、カイルはエルナの隣を抜けようとした。が、そのときだ。

 カイルは振り返り、強くエルナの腕を掴んだ。


「……え?」

「あ、いや」


 掴んだのはカイルなはずなのに、なぜか彼の方がエルナよりも動揺している。けれども腕はしっかとして離さない。ちらり、とエルナがカイルの手を見下ろすと、「あっ、ごめん」とぱっとカイルは両手を上げた。そして何かを言おうと口をあけて、すぐに閉じる。でもやっぱり、と顔を上げて、震えるように視線を逃がす。

 エルナはそのすべてを、じっと口を閉ざして待った。待たなければならないような気がした。


「その」


 とうとうカイルが声を出したとき、彼の顔はひどく真っ赤な色合いに変わって、さらに額には汗が滲んでいた。飄々とし続けていた青年と、同じ人間だとは思えないほどに。


「その、何を言っているか……僕自身にも、わからないことなんだけど。僕は、この国で、を探していたんだ。そのがどんなものか、見当もつかなくて……。いや、ただ一つはっきりとイメージがある。それは赤い宝石がついていると思うんだ。そしてあるとしたらこの城の付近なんじゃないかな、と。ああ僕は何を言ってるんだろう……」


 最後の方はびっくりするほど早口で、カイルは視線を右往左往させている。

 ――ない。ここも、違う。

 ハムスター精霊から、カイルが執拗に何かを探していたという話を聞いている。あとは、メイドたちから城の構造を探っているようだとも。


「子どもの頃からそうなんだ。ウィズレイン城に行けばあれがあるって、ずっとそう思っていたから、実際に訪れることができて本当に嬉し……かったんだけど、はは」


 そう言って、カイルはごまかすように照れ笑いをして、がりがりと頭をかいた。

 始終、なんてことのない様子で話すように努めているカイルと相反して、エルナはまるで頭から足の先まで、雷で打たれたような衝撃を受けた。


(赤い石……それって、キアローレのことなの……?)


 それは、ウィズレイン王国開闢の物語に関わる。

 初代国王ヴァイドは宝剣キアローレを手に、魔族に打ち勝ちこの地を拓いたとされる。

 キアローレには、いつしか赤い宝石がつけられた。発明の天才、カイルヴィスの手によって。

 長い時間を剣が超えていくことができるように、竜とともに時間を駆け抜けていくことを願って。


 この感情を、どう呑み込んだらいいのだろうか。

 カイルがエルナを見る瞳が、ふと誰かと重なった。

 彼とよく似た面影を持つ、懐かしい青年の姿に。


「きみなら、知っているような気がするんだ。本当に、もし、かけらでもわかったらそれでいいから。……僕が探しているものは、今もきみの近くにあるんだろうか……?」


 波のように感情が押し寄せてくる。すう、と息を吸い込み、緩みそうになる涙腺を必死に抑え込んで、エルナは口元を引き締めた。……それから、小さく頷いた。

 カイルははっと目を見開き、すぐさま彼は泣き出しそうなほどに柔らかく微笑んだ。「よかった」と聞こえたその声は、時間を超えて、時代を超えて。

 やっと、エルナルフィアのもとに届いた。






「……カイルに、前世の記憶はないんだよね?」

「そうだろうな。ただし、人生の中で一番色濃く残っているものだけが、今生にも影響しているのかもしれん」

「そういうことも……あるのかなぁ」


 すでにカイルが去ってしまった扉を見つめて、エルナはほう、と思わずため息に似た息を吐き出してしまう。


「さあ、知らん」


 しかしクロスの反応はどこか淡白で、頬杖をつきながら珍しく仏頂面だ。というか、わかりやすく不機嫌だ。


「……何か思うところでもある?」

「ない」


 即座に短く吐き出す。しかしすぐに眉間のしわを深めたまま、「エルナ」「うん?」呼ばれた低い声に返事をした。


「今日、お前の部屋に夜這いするぞ」

「ん?」

「窓の鍵は閉めるなよ」

「…………うん?」


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