第27話 ハムスター、冒険する


 ***


 ハムスター精霊は実はすごい。毎日結構忙しい。エルナのポケットの中にいつも入っていると思うなかれ。神に捧げるダンスの練習は日夜欠かさないため誰にも見られることなく練習できるスポットは複数把握し、ついでに城の警備も自主的に行っている。


 エルナとクロスの幸せを祈り、ささやかではあるが力にならんと小さな体をもひもひ動かし、怪しい人間がいないかどうか城内のチェックはもはや自身の仕事の一部とさえも考えている。


『ごごごごごごんすごんすごんす』


 気合の掛け声でちゃかちゃか城の回廊を進んでいく。日中に比べ暗く見通しも悪いが、夜目のきくハムスターなのでその点はもちろん大丈夫だ。


『ごごごごごごんすごんすごんすがんす』


 ちゃかちゃか小さな爪が床を蹴る。


「……ん。今何か聞こえたか?」

『ごんすぅー!』


 ジピーである。どうやら夜間の見回りをしていたらしい。逃亡ハムスターと疑われることを危惧して、ハムスター精霊は自分の姿を消すことすら忘れ、しびびっと毛を逆立てて逆走した。ほわわー! と悲鳴が出そうになるほどに頑張って走る。


 途中、火の精霊や風の精霊に助けてもらいながら、やっとのことでハムスター精霊は目的の部屋に滑り込むことができた。いや、できそうでできなかった。扉の下の隙間から体が変形するほどにむりやり頭をつっこみ、お尻と尻尾をぷるぷるさせる。入らない。もう一回ぷるぷるする。もちもちの体はもう前にも後ろにも進まない。なんてこったと、じたばたしていたとき、がすい、とハムスター精霊の前を横切った。


 もちろんカイルだ。ハムスター精霊が頭だけ中途半端に突っ込んでいるドアの向こうはカイルが逗留を許可された部屋なので、彼がいるのは当たり前だ。

 なんとか部屋に忍び込めばカイルの目的を探ることができると思ったのだが……。ハムスター精霊は息を呑んでできる限り室内へと目を凝らした。


 机の上にはぽつりとランプが一つ。部屋の中は暗く、夜目がきくハムスターでもこの距離ではカイルの横顔程度しか見えない。

 カイルはどうやら机の上の何かを見ているようだった。立ちながらペンを持ち、腰をかがめて何かを書き込んでいる。文字の動きではない。それなら……地図か何か……?


「ここでも、ない」


 男が静かに呟いた。がりがりと、ペンが机に叩きつけられる音が響く。


「ない。ここも、違う」

『ご、ごんす……?』


 がりがり、がりがり、がりがり。


「違う、違う、違う……!」


 自身で描いた地図に、バツをつけるように強くペンを動かす。段々ハムスター精霊は寒々しさまで感じてきた。カイルは、何かを探している。「それなら……」と、ふと、カイルはにまりと口元を緩ませる。影が、ランプの光に照らされ、ぬうっと膨らみ伸びた。ような、気がした。


「なら、やはりここか……?」


 影が伸びたのは、きっと体勢を変えたからだ。むしろそう思いたい。『は、ハムじゅらぁああああ』ぶるぶるっと尻尾の先まで体が震えた。瞬間、はまっていた体がすぽんっと抜けた。わずかな音が響いたのか、カイルはドアへと視線を向けたが、そのときにはハムスター精霊は四本の足を必死に動かし、全力疾走で城の回廊を駆け抜けていた。


 そしてエルナの部屋へとたどり着き、はんわはんわと小さな爪をシーツにひっかけベッドに登り、今や眠りについている部屋の主のほっぺをぺちんぺちんと何度も叩く。


『エルナ、起きるでがんす、起きるでがんす、起きるでがんすぅー!』

「え……何……」

『あ、あのカイルという男! あまりにも怪しすぎるでごんす! もう大変なんでごんすよー!』

「ええ……カイルが怪しいことは……もう知ってるよ……」

『ああっ! 眠らないでくれでごんすー!』


 時間は真夜中である。エルナは瞳をとろりとさせて、そのまま枕の上に顔を突っ伏した。


『すりーぴーんぐっ! でがんすー!』


 髭の先までふえんとしょげさせたハムスター精霊が、まるで打楽器の如くエルナの頭をぺちぺちぺちんと両手で打ち続けたが、夜はただ深まるばかりである。

 色々とタイミングが悪かった、としかいいようのない出来事であった。



***




 ハムスター精霊がカイルの寝所に忍び込んでから数日。

 カイルは城の中で何かを探しているようだった……という話を改めてハムスター精霊から聞き、エルナができることと言えばクロスに報告する程度だった。それも今はなるべく目立たないようにクロスと直接会うことを避けているためコモンワルド経由での伝言となり、自身の力不足を日々噛みしめるばかりだ。


 それでもコモンワルドにはよくぞ教えてくれたと褒められたが、もちろんエルナの手柄とすることはできない。相変わらずエルナのポケットの中にはふくふくのほっぺのハムスター精霊がいたが、「がんばったけれど、もう危ないことはしないでね」とピンク色のお鼻をちょんと指先でつつくと、ひくひくっとお鼻が返事をしていた。





 カイルがウィズレイン王国にやってきてから、すでに一週間が経過していた。

 クロスの方は、なんらかの進展があったのだろうか?

 エルナは薄い雲がすうっと伸びた空をぼんやりと見上げた。いつの間にか雲は流れ去っていき、青すぎる空の色が目に沁みて、しゃらりと鱗の音が降り落ちる。


(竜……?)


 目を眇めてさらに顔を上げて確認した。エルナルフィアの鱗だと見間違ったものはただの強すぎる太陽の光だったらしい。ぎらりと熱い熱が、じわじわと肌を焼く。次に遠くに見えた雲は、子供が食べる雲菓子のようにもくもくと膨らんでいる。


(知らないうちに、夏が近づいているのね……)

「エルナ、おい、エルナ! ちゃんと聞いているのか!」


 そのとき、きゃんっと子犬が吠えた。いやエルナからはそう見えて聞こえただけで、実際は少年の声である。


「時間は限られているのだから、ぼうっとしている暇はないぞっ!」


 この、クロスを小さくさせて、さらに愛らしく変えたような少年は、つるんとした膝小僧を見せながら腕を組み、目立つ金の髪の毛を心持ちかぴこぴこさせている。

 喜びを隠しきれていない口は嬉しそうに弧を描き、ほっぺはほこほこと紅潮してピンク色だ。


「さあ、出発の時間だ!」


 ウィズレイン王国、王弟殿下。

 フェリオルの愛称で親しまれる少年はエルナに向かって、むんっ、と胸を張り、にこりと嬉しそうに破顔した。





「……その。出発とはいったものの、どこか体調が悪いのではないのか? 別の日に改めても……」

「ああまったく、ただぼんやりしていただけです。すみませんフェリオル様」

「それなら……いいんですが。いや、いいんだが」


 自分の言葉にはっとして、フェリオルはげほげほとごまかすように咳き込んでいる。しかし咳をしすぎたのか今度は妙なところに詰まってしまったらしく、さらに顔を真っ赤になって体を曲げるフェリオルの背中をエルナは無言でなでた。そのとき周囲の視線には気づいたが気にすることなくなで続けていると、フェリオルがすいっと片手を持ち上げて問題ないと制している。エルナではなく、他の相手に。


「すまないエルナさ……いやエルナ」

「はい。大丈夫ですよ」


 言葉のブレは本人が気にしているようなので、あえてエルナから何か伝えるつもりはない。エルナ自身はどういった言葉遣いをされようともどうでもよくはあるのだが。


「少し、僕は緊張しているのかもしれない。隠れているとはいえ護衛つきで街を回るだなんて、初めてのことだから……」


 と、フェリオルは恥じ入るように頬を赤らめて、ちらりとエルナを見上げた。不覚にも、エルナはフェリオルのことを少しだけ可愛らしく思えてしまった。……兄であるクロスとよく似ている、というところも、きゅんときてしまった原因の一つなのかもしれない。


「……初めてのことは、誰でもそうです。恥ずかしいことではありません」


 なんとか息を呑み込んで、平常の気持ちでできるだけ優しく伝えてみた。エルナだって幼い相手にはなるべく優しくしたいという感情くらいは持ち合わせている。できているかどうかは、わからないが。

 そう、今日は以前からフェリオルに願われていた、だ。


 エルナがフェリオルと顔を合わせたのは偶発の事故のようなもので、曰く、『エルナと出会えたことは忘れがたいことだが、あの日の僕の行動はどうかすべて記憶から消し去ってほしい!』とのことだ。そんなに気にしなくてもいいのに、とエルナは思うが、たしかに初めて出会った日のフェリオルはちょっとばかり尊大で、少しばかり無鉄砲だった。まとめていうと小生意気な男の子だった。フェリオルはそのことを思い出すと、『あわわわわ』と頭を抱えて涙目になってしまうようだが、子どもをいじめる趣味はないので忘れることは難しくても、あえて口にするつもりはない。


 だから本当に、気にしないでと言いたいけれど、本人からするとそんな訳にはいかないのだろう。


「ええっと、エルナさ、いやエルナ」


 フェリオルも、エルナの前世について知ってはいるが、人目を気にして常の対応をしようと必死なようだ。なんだか目までぐるぐる回っている。そのことについても『僕は人の立場に応じて態度を変えようとするなど、なんて愚かだ!』と最初に出会ったとき、自身がエルナを軽んじるような扱いをしていたことに憤ると同時に嘆いていたが、そこは王族なのだから仕方ないのではないか、とエルナは感じた。メイド相手に畏まる方がどうかと思うし、あと別にそこまで失礼な扱いは受けてはいない。


 ただなんにせよ、今日がフェリオルにとって貴重な一日となることに違いはなかった。

 なんせ、普段は馬車に乗って移動するのがせいぜいで、街を直接自身の足で歩くことなどまずないようで、出会った日のやり直しというのは裏の目的であり、表向きは王弟殿下の社会見学のためということになっている。そのためきちんと護衛役の騎士たちが随所に待機しており、先程フェリオルが手で制したのは彼らに対してだ。


 城を抜け出すような勝手なことはもうしないと誓う少年は、最初に出会ったときよりも一回りは大きくなっているような気がする。

 エルナはもちろんメイドとして彼に付き従う役だ。ただし本日はお忍びであるため、メイドの服装ではなく裾の長いエプロンドレスを着ており、フェリオルもそこいらにいそうなただの少年のような格好だ。あまり似てはいないが表向きはただの姉弟という設定になっている。


 しかしまさか、ひっそりと隠れフェリオルを見守る騎士たちも思うまい。姉役であるエルナが、一番の護衛役ともいえることは。

 王族のお忍びの視察としてはこれ以上なく安全、かつ適切な配置となっている。エルナのポケットから、こそこそ、とハムスター精霊が顔を出して周囲の匂いをくんくんと嗅いでいる。


「うん。……うん。もう大丈夫だ」


 緊張して思うように声を出すことができなかったフェリオルだが、ゆっくりと深い呼吸を繰り返してやっと落ち着いてきたらしい。すっかり硬くなっていた表情も柔らかくなり、真っ直ぐにエルナを見上げていた。


「エルナ、案内は任せてもかまわないか?」


 きらきらと輝くような瞳とかち合い、自然とエルナも微笑んでいた。


「ええ、もちろん!」


 だから、力いっぱいに返事をした。

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