第26話 使者の目的 その2


「やはり何か企みがあるのではないか?」

「いや、それほどおかしなことを主張してはおらんかったように思うが……」


 カイルには城にて逗留するように伝えてからすでに半刻は経過している。城の重鎮たちはああでもない、こうでもないと言い合うばかりでクロスはただただ、ため息をついた。


「やはり先触れなくやってきたことに対して、裏の事情があるようにしか感じんぞ」

「わざわざこちらを怪しませても仕方あるまい」

「そのリスクを負ってでも、そうする必要があったのではないか?」


 このように話し合いは延々と平行線を繰り返していたが、これではまとまるものも、まとまりはしない。


「むうんっ! 怪しもうとすれば、いくらでも怪しむことができますぞ!」


 しかし会議の場でどんっと椅子に座ったまま腹の底から上げられた声に、それぞれがぎょっとして男を見た。

 もちろん視線の先はハルバーン公爵だ。公爵はにこやかな表情をしているものの、ふんっと鼻から勢いよく噴き出された息で髭がふさふさと動いている。

 公爵本人が意識しているかしていないかはさておき。その姿を見て妙に毒気が抜けた者も多いはずだ。


「……そうだな。ハルバーン公爵の言う通りだろう」


 もちろん、クロスも例に漏れずではあるが。


「言い合うよりも、まずは事実の調査だ。ヴィドラスト山に精霊術師を派遣し、その上で、皆の意見も改めて聞くことにしよう」






 やっとのことで一人きりになったクロスは、無意識にも眉間をもんでしまった。出そうになったため息はなんとか抑え込み、「エルナ」と、扉の外に向かって声をかける。


「もう入っても構わんぞ」


 ゆっくりと扉が開き、次にちょこりとアプリコット色の髪色が覗く。ふいに、クロスは疲れていた気持ちすらもすべてが消えていくような気がした。


「邪魔じゃない?」

「問題ない。それよりも、だ」


 彼女としかできない会話もある。エルナもクロスと同じことを考えていたのだろう。やはり彼女も気づいていた。こくりとエルナは頷き、ドアを素早く後手で閉める。「あなたはいてもいいよ」と肩に乗ったハムスターの姿をした精霊に声をかけている。精霊はこてん、と首を傾げている。


「カイルヴィス……ううん、あのカイルという人についてね」

「そうだ。俺は間違いなくカイルヴィスの生まれ変わりだろうと思うが、エルナはどうだ」

「私もそう思う。ただ、いくら生まれ変わりだといっても姿まで似るはずはないから、そこのところがわからないんだけど」

「たまたま、偶然。そういった言葉でごまかすこともできるが……もしくは、子孫なのかもしれない」

「まさか、カイルヴィスの?」


 エルナは青い瞳をきょとんとさせたが、「そっか、なるほど」と口元に手を当てて思案する。


「カイルヴィスには子どもはいなかったけど、親戚はいたわね。マールズ国はもとはウィズレインの一地域だし……」

「ただの可能性だがな。だが、見かけについては正直どうでもいいことだ。問題は……」

「カイルヴィスとしての記憶を持っているのかどうか」


 クロスの言葉に重ねるようにエルナは話す。


「その通りだ。俺は、ないと感じた。エルナはどうだ」

「私も、そう思う。……生まれ変わって、記憶が引き継がれているだなんて本来は健全ではないことよ。新たな形で彼が生を楽しんでくれているなら、私は嬉しい……けど、私が本来いたのは別の目的のためだよね。マールズ国が、竜の噂を耳にしてこの場に来たかどうか探るため。カイルヴィスがいて、ちょっと目的がずれそうになっちゃったけど」


 エルナは苦笑してはいるものの、驚いたに違いない。その気持ちは、クロスも理解できる。


「竜の噂を知って来たのかどうか、ということは正直わからない。でも、竜――エルナルフィアの生まれ変わりが私ということまでは確実に知らないと思う。一度目があったよ。でもすぐにそらされた。不自然なところは何もなかった」

「そうか……懸念が一つ減った、というべきなのだろうな」


 少なくとも、エルナ自身に狙いを定めてやってきたわけではないのならと安堵した。ふう、と息をつきながら机に肘を立て額を押さえる。エルナもそれ以上、何も言わない。長い間があった。すると、どちらともなく肩を震わせた。「くっ」最初に声を出したのは、多分クロスだ。でもすぐにエルナも同じように「う、ふふっ、ふふふっ」とこらえきれない笑いを、必死に噛み殺している。

 エルナとクロスは、腹を抱えて二人で笑った。


「なんで? カイルヴィスが? まさかこんなところで出会うだなんて!」

「あいつは昔からこちらが予想だにしないことばかりしでかしてきたが、まさか生まれ変わってまでとはな! いや、笑っている場合ではないな……」

「本当に、本当にそうなんだけども! あの、ポットとカップの両方から紅茶が湧き出る古代遺物アーティファクトを作ったのもカイルヴィスだったわよね? すごいくせに、何をしでかすかわからない子というか」


 カイルヴィスは類稀なる才能を持った発明家であり、今現在でもウィズレイン城の上空を覆う結界はカイルヴィスが作成した古代遺物が使用されている。雨が降ると解除されてしまうという欠点はあるが、それを抜きにしても十分すぎるほどの性能である。


「あの、エルナルフィアと茶会がしたくて作ったポットだな? でも知っているか? あいつは実は、紅茶が嫌いだったんだ」


 クロスは秘密の言葉をささやくように、手のひらで口を隠しながらエルナに伝える。「嘘、それ、ほんと?」「残念ながら」と、神妙にクロスは頷く。数秒の間ののち、また二人はどっと声を上げて笑った。


「なのに作っちゃったのね! なんというか、あの子は、本当に……」

「そうだ。変わったやつだったよ……。しかしエルナ。わかっているとは思うが、カイルヴィスと、あの使者はあくまでも他人だ」


 そのとき、しん、と空気までも静まったような気がした。エルナは、少しばかり寂しげに空色の瞳が揺れていた。


「……うん、そうだね」

「たとえ生まれ変わりだろうと、別の人間だ」

「わかってる」

「十分に、注意が必要であることを忘れるな」

「わかってるったら」


 エルナは苦笑したように小さく微笑む。ここまで伝える必要はなかったかもしれない。しかしいつか後悔するよりは、伝えておくべきだったとクロスは感じた。


「……なんにせよ、あやつの目的が言葉通りのものか、それとも別にあるのか。まだ判断がつかん。竜のことを探りに来たのだとしても、お前のことまで知られていないのなら僥倖だ。下手に騒がず、いつも通りに日々を過ごした方がいいだろうな」


 ***


 いつも通りに、日々を過ごす。


 エルナはクロスの言葉を思い出しながら、箒の柄を動かす。そうする度に、しゃかり、と音を立てては、落ちた花弁がふわふわと集まっていく。精霊たちはエルナの足元でどんどこどんどこ踊っていた。ハムスター精霊にせよ、なぜ彼らは暇さえあれば踊り始めるのか。


 それはさておき、しゃか、しゃかと庭の掃除をしながらエルナはクロスの言葉を思い返していた。いつも通りに、というのはもちろんエルナに関してのみで、今頃クロスは寝る間も惜しんでマールズ国の調査を行っているのだろう。


「うーん……」


 箒の柄にあごを乗せて、どうしたものかな、と考えてみる。


「私に何か、できることが……」


 あればいいんだけどな。

 けれど、そう思うことすら、おこがましいことなのかもしれない。国と国同士の話で、力のみで解決できることなどおそらくそう多くはない。たとえば、ヴィドラスト山の調査はエルナのみならばすぐに乗り出すことはできるが、精霊については詳しくても鉱山や宝石についてはただの素人だ。いくら魔力を見る目があるといったところで、石の産地までは特定できない。また、エルナの力を見せたところで、いたずらに騒がせてしまうだけかもしれない。

 クロスの力になりたいと思うのと同じくらい、彼の足を引っ張りたくはないと願っている。


「……意外と、少ないんだな。私ができることって」


 それは人として生きていく中で、知っていくことばかりだけれど。

 歯がゆい気持ちを呑み込み、気づけばつむってしまっていた瞳を開くと、精霊たちはずんどこずんどこ、と小刻みなリズムでエルナの周囲を回っていた。そんなにあからさまに回らなくても、と無言のままに彼らを見下ろす。もちろんハムスター精霊はその中で一番のキレのいいダンスを見せていた。ずんどこハムハム。ずんどこごんす。


 エルナが現在いる場所はキアローレの大樹と呼ばれる大きな木がどこからも見渡せる庭とは異なり、ただの城の中庭である。最初にメイドの仕事として割り振られたのが中庭を通る回廊であったために、なんとなくエルナの管轄のようになってしまった。


 なんともいえない笑みを浮かべて精霊たちに視線を落としたエルナだが、仕事をしようと顔を上げたとき、「あっ」と、一陣の風が吹いた。せっかく集めた花弁がエルナの視界一面に膨らむように風の中に流れ、さらさらと消えていく。


 次に、流れた花弁の向こうに映ったのは銀の髪の、細い体つきの男だ。カイルヴィス、いや、マールズ国の使者、カイルである。


 アーチの向こうにいるカイルはエルナのことに気づいてはいないようだが、エルナを手伝おうとこちらに向かうノマに声をかけ、二人は会話をしている様子だ。しかし次第に雲行きは怪しくなり、ノマはカイルを何らかの言葉を叫び、ぷんぷんと肩を動かし、こちらにやってきた。


「……何かあった?」

「あったわよ! なんなのあの人!」


 問いかけると、すぐさまノマはきゅっと眉をつり上げて振り返ったが、そこにはもうカイルの姿はない。そのことがさらに怒りを増したようで、「わからないけど、城のことを色々聞いてこられたの。道に迷ったのかと思ったらそうではないみたいだし。そうぽろぽろとお城のことなんて教えるわけないじゃないの!」と、くわっと目と口を見開き、「城のメイドを馬鹿にしているのかしら!?」とすっかりお冠である。


「城のことを、色々……」

「そう! あっちには何があるのかとか。ここはどこかとか……。ねぇ、あの人ってなんなの? 見ない顔だけど。貴族か何か?」


 マールズ国からやってきた使者については、まだノマの耳には入っていないようだ。しかし、それも時間の問題だろう。だが少なくとも、エルナの口から話すべきことではないと思ったので、「さぁ……」と気のない返事をすることしかできなかった。

 いつの間にか、踊っていた精霊たちは消えている。ただハムスター精霊だけが、その黒々とした瞳でカイルが去った道をじっと見つめていた。

 




 結局、エルナが口に出さずともマールズ国からやってきたただ一人の使者については、すぐさま城の誰もが知るところになった。

 何しろ城の至る所に出没する。不必要だと思うほどにふらふらと出歩き、不審者と勘違いしたジピーが追いかけている姿も目にしたことがある。


 さらにメイドを見ると誰彼構わず話しかけるらしいが、実はこの点に関してはメイドの間で評価がわかれた。ノマのように訝しく思う者もいれば、長い前髪でわかりづらいがよく見ると整った顔つきであり、雰囲気も柔和であると高評価な意見もあるようだ。ただカイルのことを怪しく思う者の方が多いのは事実であり、さすがのクロスも苦言を呈したらしく、城で話しかけられたという人間は最近は少ない。


 エルナはもともとカイルとはなるべく顔を合わせないように、そして普段通りにメイドとして生活をしているため、すべては噂でのみ知るところであり、詳しいところは何もわかっていない。

 ただ、奇妙な。ふわついたような感覚だけがあった。踏みしめる道が正しいのか、そうでないのかわからないような。そんな気持ちが。

 空を飛ぶことができればいいのに。


 そうすれば、不確かな道を歩く必要などどこにもない。でも、エルナはもう空を飛べない。自分がそう望んだことだ。そこに後悔など、どこにもない。




 ごろん、とエルナはベッドの上で転がった。

 アプリコット色の髪がシーツの上に広がる。自室の窓からは夜の中にとろけてしまいそうなほどのはちみつ色の月がよく見える。


「白か、黒か。何もがはっきりわかったらいいのに」


 そうしたら自分だって、もっとクロスの力になる方法が見つかるかもしれないのに、と。

 その呟きは誰にも知られることなく暗い夜空に吸い込まれていくはずだった。エルナはゆっくりと瞳を閉じて、次第に胸の動きが規則的な呼吸に変わっていく。


 このときぴょこんっと飛び出したのは一匹のハムスターである。エルナが眠ったことを確認し、『すべては……』ぴくぴくっとピンク色の鼻とひげを小刻みに動かして、ベッドの下から顔を出す。


『ハムスターにおまかせ、でごんすよっ!』


 実はちょっとすごいハムスター、いやハムスター精霊の。

 大冒険の始まり、である。

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