第28話 子犬とお散歩


 とはいっても、エルナだってこの街に来てやっと慣れてきた程度で、詳しくなんて全然ない。でも、だからこそ精一杯に案内した。


「ここがエルナがいつも買い物をしている店か?」

「そう。お兄さんが甘いもの好きだからね」

「あら、エルナちゃん。今日は可愛らしい子も一緒なのねぇ」

「弟です!」


 ちなみに、お兄さんとはフェリオルの兄という意味でクロスのことである。サンフラワー商店は大口の受注のみ受け付ける問屋のような店だ。保存のきく食料品を多く扱っているため、城ではよくお世話になっている。お隣の花屋も家族で営んでいるらしく、ハムスター精霊のおやつであるひまわりの種はそこで購入している。なので、この店に近づくだけでうっとり顔になってしまうハムスター精霊を見て、フェリオルは最初びっくりした後で、小さな声で笑っていた。


 ***


「買い物はあまりしないけど、街中を歩くのは好きかも」

「へ、へぇ……。まあ祭りの日よりもずっと人は少ないな」

「さすがにお祭りの日と比べたらそうね。でも今日はいい天気だから、いつもよりも人が多いかも」

「ほう……」


 商店街はいつも活気に満ち溢れている。客引きの声が元気に響いて、ぎくりとフェリオルは肩を跳ねた。「大丈夫」とこっそり小さな声で伝える。姉弟のふりをしているから、自然と言葉遣いも柔らかくなってしまう。いつの間にか、エルナとフェリオルは手を繋いでいたから、ちょっとの彼の驚きもわかってしまった。


 私がいるから、とまでは言わなかったけれど、フェリオルはすいっと背筋を伸ばした。

 興味深げに店を見回って、とうとう露店でパンを購入してしまった。前回の失敗から財布の中には金貨ではなく銅貨を準備していたらしく、初めての買い物にきらきらと目を光らせている。嬉しいときは、やっぱり無言で喜ぶんだな、とちょっと微笑ましい気持ちになってしまった。


 ***


「エルナは! 腹は減ってないのか?」

「さっき少しもらったから大丈夫」


 毒身代わりのつもりとして最初にそっと口に含んだのだが、そこまで言わなくてもいいだろう。楽しそうなフェリオルの声を聞くと、こちらまで嬉しくなってくる。


 パンの切れ込みから飛び出るほどの茹でた分厚いソーセージと一緒に野菜もふんだんに挟まれていて、ぱりっと音を立ててソーセージを食べると次にやってくるのはぴりりときいたマスタードの風味だ。エルナも食べたことがある店なので、口の中に溢れる肉汁をわふわふ必死に食べるフェリオルの気持ちはちょっとわかるし、見ていてとても微笑ましい。

 広場のベンチに腰掛けて、口いっぱいにパンを頬張るフェリオルが隣にいると、ついこの間まで色々と悩んでいたことが嘘みたいな気分になる。たまにはこんな日もいいな、と思ってハムスター精霊にはひまわりの種をあげた。


 フェリオルの前ではただのハムスターのふりをしている精霊は、ぺこんと頭を下げた仕草だけでお礼を伝えて、すぐさま種の皮を剥くことに専念している。


「前から思っていたんだが。そのハムスター、ちょっと変だと思うくらいに賢いな……?」

「実はすごいハムなの」

「へー……?」


 ただのハムのふりをしていたつもりである精霊がショックのあまりに種を持つ手が震えているが、それはさておき。


 フェリオルを連れてもうたくさんの場所を訪れて歩いたから、出発は朝早くだったというのに太陽の日も真上から落ちてきている。姿を見せないように隠れている護衛の騎士たちもすっかり歩きづめだ。そろそろ休憩してもらった方がいいだろうとエルナは考え、そのまましばらくベンチに座ることにした。

 広場では噴水が湧き上がり、太陽の光が水面と水しぶきに反射し、きらきらと美しく輝いている。


(……あんなの、エルナルフィアの時代では考えられなかったな)


 それはもう遠い昔となってしまった日々だけれど。


 ヴァイド――この国の礎を作った初代国王は雨が降りづらい土地であることを嘆き、また人々の幸せを願ってこの地をウィズレインと名付けた。けれど精霊術の進歩により、現在では水不足に困ることはない。


 ただしその分、人と精霊との距離は昔よりも遠くなっているような気がした。どこにでもいて日常の小さな願いを叶えてくれる代わりに、ちょっとした悪戯を残していくような可愛らしい隣人という存在から、崇められ、尊ばれる存在に変わってしまったのだ。


 本当は、精霊はどこにでもいる。エルナのようにそのことを知っている人間の周囲には、居心地がいいのか精霊が集まりやすい。

 広場では木の精霊や風の精霊がひゅうひゅうと流れるように追いかけっこをしている。

 ハムスター精霊も土の精霊に誘われて、お散歩に消えてしまった。その姿を微笑ましく見下ろしていると、ふと、きらりとした輝きが視界に留まる。


 噴水の水が光ったのかと思ったが、少し違う。エルナはほんの少し前のめりになりながら目を凝らしてみる。むう、と自然と眉間にしわが寄ってしまう。


「どうかしたのか?」


 すでにパンを食べ終えたフェリオルが、持っていたハンカチでお上品に手を拭っている。「あちらに何かあるのか?」と問いかけられて、「そういうわけじゃ……」と首を横に振ろうとしたが、エルナはすぐに思い直した。


「うん。少しあっちに行ってもいいかしら?」

「もちろんいいぞ」


 こくりとフェリオルは頷き、仲のいい姉弟のような姿でちょこちょこと二人は噴水に近づく。


「水がとても澄んでいて涼しげだ。腕のいい精霊術師が土壌から汲み取っているんだろうな」


 片手で水をすくいながらフェリオルは弾んだような声を出したが、エルナはそれどころではなく、煉瓦でできた囲いに両手をつき、波立つ水面を見下ろす。


 そこには、一人の少女の姿があった。エルナではなく、美しい金の髪の娘だ。

 彼女はにこりと笑った。次にエルナが瞬くと煉瓦の上に腰をかけて、ぱちゃぱちゃと白い足の先で水を弾いている。

 そしてまた、ちらりとエルナを見て微笑する。


(……森の中ならまだしも、こんなところに高位の精霊が?)


 そのころ土の精霊と散歩中のハムスター精霊が、くしゅんと小さなくしゃみをしていた。

 ――ときに例外はあるものの、精霊は自然を好む。その特性はより高位の精霊に顕著に表れるとされ、また精霊は高位になればなるほど、姿かたちのない曖昧な存在から自身の器となる形を作る。


 足先まである長い金の髪は少女が動くごとにゆるく揺れた。白くゆったりとした布を体に巻き、無垢な幼子のような表情でこちらを見る少女は耳の先こそわずかに尖っているが、その姿はただの人の子のように見える。


 つまり彼女は自身の器に少女の姿を選ぶほどに、人に好意を持っているということだろう。だからこそこんな街中にいるのかもしれない。

 一瞬驚きはしたが警戒が必要な相手ではない。フェリオルが水面に自身の顔を映したり、ちゃぷちゃぷと指を入れたりとこちらを気にしてはいないことを確認して、エルナはその精霊に話しかけた。


(こんにちは、水の精霊。私のことを呼んだのはあなた?)


 これほどまでに高位ならば、わざわざ声を出して言葉にする必要はない。あちらが勝手にエルナの意図を読み取ってくれるはずだ。

 すぐさま精霊は嬉々とした声で返事をした。


『気づいてくれたの? ガラスの竜』


 もう竜ではないけれど、と苦笑して返事をすると、『そんなことはどうだっていいの。私、ずっとあなたとお話したかったの』と、からころと水の精霊は笑う。


(ずっと話をしたかった……? どういうこと?)


『色んな精霊からあなたの話を聞いたわ。特に城にいる精霊たちからね。私、見ての通り人が好きなの。だから多分、あなたも好きよ』


 ときには嘘をついたり、誤魔化したりと愚かなことをするけれど別にいいの、と鈴を転がすように話すこの精霊は、おそらくよっぽどの変わり者だ。


『私は笑う人間が好き。でも悲しむ人間も好き。悲しみや怒りの中で幸せを求めて、必死にあがく人間を見るのが大好き』


 幼い顔つきであるはずなのに、老婆のように悟りきった、いや何も知らない生まれたての子どものように。恐ろしいほどに無邪気な声色で精霊は小首を傾げながらエルナを見上げる。


『人が精霊を見る目を持つことは、とても喜ばしいことよ。あなたは飛竜であり火竜だったから、水が苦手なことは知っているけれど。よければいつか、私とも遊んでちょうだいね』


 そう言ってつんとエルナの鼻に指を伸ばしたかと思うと、ぱしゃんと弾け、精霊は泡沫のように消え去った。


 まるで時が止まっていたのかと錯覚するほどに静まり返っていた周囲から、唐突に音が生まれた。しゃわしゃわと噴水の水がこぼれおちる。虫や、風の音。人々の笑い声。

 エルナの顎を伝って、ぽたりと一粒、汗が落ちる。


「……疲れたのか?」


 気づくとフェリオルが訝しげにこちらを窺うように見上げている。半テンポほど、反応が遅れてしまった。「まさか」と返答してから額を拭う仕草をする。「少し暑いなと思っただけよ」


「それならいいが……。ん、城に戻る予定の時刻までまだ時間はあるな……。早めに戻っても僕はかまわないけれど」

「ううん、せっかくの機会だもの。でも時間はあると言っても、そこまで長くはなさそうね」


 空に昇った太陽の高さを確認してからエルナは思案した。今回の予定は実はあえて決めていない。王族のお忍びとなればどこから情報が漏れるかもわからないから、あえてその場その場で行き先を決めることにしている。隠れて護衛が付いているとはいえフェリオルが一人勝手に城から抜け出したときよりも、むしろ慎重になるべきだ。


「んー……」


 じりじりと照りつけるような太陽の下でエルナは顎に手を当てて考える。散歩をしていたハムスター精霊もちょこちょこと戻ってくる。


「せっかくだし。最後に、涼しいところに行きましょうか」

「涼しいところ……?」






 かららん、とドアに取り付けられたカウベルが鳴ると同時に「いらっしゃいませー!」と元気な声が聞こえる。


「…………」

「おいどうしたんだエルナ。なんでいきなり緊張してるんだ!」


 にこやかな顔で接客してくれた店員に対して、エルナは体を硬くさせて二本の足で立ったままぴくりとも動かない。「行きつけの店なんじゃなかったのか……!?」とフェリオルが困惑した声を発して、エルナの服の裾をつんつんと引っ張っている。


「あの、お客様……?」

「ご、ごめんなさい。二人です。二人で来ました」

「ではご案内致しますね」


 店員はエルナの様子に不審な顔を見せることなく、さかさかと空いている席に案内する。プロである。「ご注文がお決まりになりましたら、こちらのベルでお呼びください」と、明るい声を最後に紡ぎ、エプロンドレスをひらりと翻しながら別の対応に消えてしまう。

 行かないでほしい、と思わずエルナは呼び止めたい気持ちになったが、そんなことはもちろんできない。渡されたメニュー表をオーガのような表情で見下ろし、膝の上に両手を乗せながらかちんこちんとなっている。


「な、なあ。どういうことなんだ? 涼しいところに行こうって、さっきまで自信満々だったじゃないか……!?」


 フェリオルの気持ちは痛いほどに伝わるし、理解もできる。


「ごめん、こんなことになるだなんて、思わなくて……!」


 だからこそエルナは擦りだしたような声を出して、テーブルを挟んで正面に座るフェリオルから勢いよく視線をそらしてしまう。


「なんでだ? そんなにおかしな店ではないだろう。むしろか? そう、お菓子な店なのか?」

「うまいことまで、言わせてしまって、ごめん……!」

「い、言った僕まで恥ずかしくなってくるだろ! 妙な謝罪はやめてくれ! ここは……」


 ぴたり、とフェリオルは息を止めて。


「――ただの甘味処じゃないか!」


 はっきりと、言い切った。

 その瞬間、なぜだかエルナは赤面して顔を伏せた。


「う、ううう!」

「だ、だからなんでなんだよ!?」


 フェリオルは突っ込み、つられたように少年もほんの少しだけ耳の端を赤くした。そうした自分に気づいたらしく、慌てて自分の耳を隠した。でもエルナはそんなことにも気づかないくらい、なぜだかひどくどきどきして、渡されたメニュー表にやっぱりただただじっと、視線を落とすことしかできなかった。


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今更のお知らせとなりますが、ウィズレイン王国物語の2巻の発売が決定しました!

12月25日予定となります。

近況ノートやX(旧ツイッター)などでお知らせをしていければ、と思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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