世界で一番、綺麗なあなた

藤咲 沙久

演劇大会


──ぐちゃぐちゃだ、と思った。




***




「ストーップ! 横井よこいくん台詞飛ばした! そこ飛んじゃうとエメラルドの能力がお客さんに伝わらないわよ! もうっ本番目前なのに~!」

 稽古場、撮影現場、それともオーディション会場? いいや、普通科高校二年三組の教室だ。声を上げたのは演出担当を買って出た花村はなむらさん。クラス対抗演劇大会まで、一週間をきったところだった。ウチはミュージカルを上演する。

 正直な話をしよう。僕はこの手の「みんなで協力して何かを作り上げる」行事がちょっと苦手だ。目立つのは得意じゃないし、はみ出しちゃいけない感じがするし、空気を読めば読むほど発言できなくなる。本当は特に役割のない練習なんて放って、家でレジンでも作っていたかった。総合の時間五限目だからそうもいかないけれど。

「三ページ目の頭からもう一度ね。寺脇てらわきさん、音楽お願い!」

「はーい」


 ♪

 エメラルドが盗まれたって?

 エメラルドが盗まれたって!

 あれは世界で一番綺麗な宝石

 「ジェームズ様が先代から受け継がれた秘宝が!」

 「本当の願いをひとつだけ叶えるって聞いたわ!」

 パン屋は見た、あれは魔女だったと

 花屋も頷いた、とても美人だったと

 森に住む黒髪の魔女はジェームズにご執心

 エメラルドを盗んでなにを願うつもりか?

 「ジェームズ、取り返しにいくなんて危険だわ」

 ああハンナ、可哀想な婚約者

 愛するジェームズは魔女に見初められてしまった

 「心からの願いを叶えて消える、それが我が家の

 エメラルド。魔女の願いは告げさせない、エメラ

 ルドは消させない。ハンナ、どうか私を止めない

 でくれ……」

 ……♪ ……♪


 花村さんの演出はそこそこ厳しく、やれ読み方が違うだの、やれタイミングが悪いだの、まあまあ口うるさかった。やるからには優勝したいクラスの面々も時に苦笑いしてしまうくらいだ。なんか、一生懸命だなぁ。などと僕は後ろから眺めていた。

「花村さーん、あと増井ますいくんもー。日高ひだか先生がちょっとだけ美化委員の業務頼みたいって呼んでたよ。練習中にすまーんって」

「担任のくせに姿消したと思ったら、委員会の仕事、それも五限の最中に! ~~仕方ないわね、行くわよ増井君」

「え……あ、僕か。わかった」

「増井君はキミひとりでしょう」

 同じ高さの肩を並べて歩く間も、もちろん花村さんの熱い演技論は止まらなかった。どうやら中学時代は演劇部だったらしい。僕なんか今回のことで初めてカミテ、シモテという単語を知ったレベルだ。

「魔女とハンナのシーンあるでしょ。魔女にはもっと半狂乱になってほしいのよね……。あとハンナが淡々としすぎてるわ。こう、もっと……あああ自分で演じたい」

「そんなに不満なら自分で演ればいいじゃないか……」

「あら性格悪いわね、知ってるくせに」

 あなたは口も悪いね、と喉まで出かかったが堪えた。喧嘩をしたいわけじゃない。そして自薦・他薦の候補者に対して投票で決められる配役は、確かにクラスの中心人物が占める仕組みだ。ヒロイン“ハンナ”役に手を上げたものの二票しか入らず、花村さんは早々に黒板から名前を消されていた。まあ、ヒロインにしてはちょっと体格が良すぎる。

 僕に愚痴るのもどうかと思うけど、あまり教室でぶちまけて空気を悪くするよりは余程いいか……と諦めながら先に階段へ足をかける。途端に花村さんが「あっ」と声を上げた。

「増井君、ポケットから出てるストラップ……そのすっごく綺麗なやつ。紐が取れかかってない?」

「は? あー……やっぱり丸カンが弱かったか。穴あけ苦労したのになぁ、そこかー……」

 やっぱり最初から穴ありきの型がいいな、太さも一ミリにして……と、ついいつもの癖でぶつぶつとハンドメイドモードに入ってしまう。ハッとしたときには、花村さんがポカンと口を開けていた。

「もしかして、自分で作ったとか? 増井君が? え……どれをどこまで? これってビーズみたいなものじゃないの? なになにすごい」

 どう考えても自分で撒いた種だった。ここにきて言い逃れできるほどの賢さを僕は持ち合わせていない。花村さん相手に、この短時間で二度目の諦め。しかしこれこそ教室でぶちまけられなくてよかったというものだ。

「……レジンだよ。液体を固めて作るやつ。男のくせにって思われがちだから、他の人には言わないで」

「……すごい。レジンってすごい。増井君もすごい。こんなのどうやって作るのか見てみたい! 今度材料とか持ってきてくれない? ね、皆には黙っておくから」

「なんで学校に持ってこなきゃいけないんだ、ネットで検索とかすればいいだろ」

「だって増井君がこんな綺麗なの作るのがすごいのよ。それが見たい。ほら、演劇大会の小道具みたいなフリしてれば目立たないわよ。約束ね、約束」

「無茶言うなぁ……」

 やっぱり彼女は、ちょっとうるさい。



 事件は大会当日に起こった。三組の教室が凍りついた。

「横田くんが……インフルエンザで、休み……?」

 確かに彼は昨日に頭痛で早退している。本番に向けて鋭気を養うわ、そんな言葉を残して。聞けば、どうにも具合が悪く医者へ行った結果判明したそうだ。

 凍りついて、そのあと一斉にざわめきが始まる。

「ど、ど、ど、どうすんだよ、主役だぞ?!」

「誰かジェームズの台詞覚えてない?」

「日高先生なんとかして!」

「すまーん、俺も横田を連れてくることは出来ん!」

「それはしなくていい!!」

 三組の出番は午前の三番目。それまでにこの状況がなんとかなるのか。いやなるわけがない。クラスの誰もがそう思っている、そんな顔をしていた。

「私……台詞、覚えてる」

 その声は、ざわめきの中でも不思議とよく聞こえた。みんなもそうだったんだろう、シンと静まりかえった。そして全員が見た。緊張した面持ちで手を上げた花村さんを。

「ほ……本当? 花村さん、お願い、本当って言って」

「ううん、完璧じゃないけど、でも……何度もみんなの台詞を読み込んだから、補填しながらなら、いけるわ、きっと」

「衣装は……私たち丈直しなんて出来ない」

「知ってるでしょ。私、身長タッパなら男子ほどある。ある程度は捲って、あとはマントで誤魔化すわ。……誰か男子、ベルト貸して!」

「お、俺ので良ければ!」

 出来るかどうかなどと考えている暇はなかったと思う。彼女を信じて託すことはすぐさま決まり、ここに女ジェームズが誕生した。もちろん役の上では男なので、メイク担当が花村さんを凛々しい顔立ちに仕上げていく。僕はなんの力にもなれず、ただただ手に汗を握ってその様を見守っていた。


 *


「あ、待って待って。カラコン忘れないでよハンナ、大事な伏線なんだから!」

「やだ危なかった、私のグリーンアイ~!」

 本番が始まる頃には「なんとかするしかない」と腹を括った役者陣が、いつもの調子を取り戻しつつあった。やがて幕が上がり、花村さんがマントを翻す。ややぎこちなさはあったが、まともな練習をしていないことを思えば、充分すぎる動きだった。僕らは舞台袖からそれを見ていた。

 花村さんは、すごい。この間は彼女の方が僕をすごいすごいと褒めてくれたが、僕なんて到底敵いっこなかった。だって、突然舞台にあがれるのだから。演劇論は張りぼてではなかったのだから。そのうち、なんの役にも立っていない自分が恥ずかしくすら感じ始めていた。

「……あっ、どうしよう! すっかり忘れてた!」

 上演開始から数分後のことだ。寺脇さんが大きめの声を出した。ちょうどBGMと同時だったので、たぶん客席にはバレていないだろう。いったいなんだとクラスの何人かが文句を言いたげに振り返ったが、寺脇さんの顔はそれを黙らせるほど青くなっていた。薄暗いこの場所でわかるくらいの青さ。

「エメラルドに見立てるプラスチックの石、あれ、たぶん横田くんが……持って帰っちゃってる、かも……」

 この物語のキーとなる、小道具が、ここにない。普通はもっと早い段階で気づかれることだ。でもあまりに強烈なイレギュラーが意識をさらい、今の今までエメラルドの行方に触れた人はいなかった。

「練習のとき、失くさないようにってポケットに入れてるの見たの。でもその後帰っちゃったでしょ? 小道具回収したときになかったから、横田くんが持ったままなんだと思って……次の日聞こうって……思ってぇ……」

 泣きそうになる寺脇さんに、他の女子たちが慌てて駆け寄る。誰も、本来は石の初登場シーンで手に持ってるはずの魔女役さえも、思い出さなかったのだ。むしろ寺脇さんはファインプレーをかましたと言える。

 でも、あとはどうする? 再びのピンチを乗り切れる?

「──緑色で、丸くて、綺麗なものならいい?」

 口に出してから、ああこれ、僕が喋ったんだと認識した。言ったからには最後まで。これだけ全員が必死な中、もう「目立ちたくない」だとか「行事は苦手」だなんて考えている場合ではなかった。それだけはわかった。

「石が出てくるまで何分?」

「え……えっと、だいたい十五分……?」

「教室まで往復、型は二つあるから四分……いや仕上げを考慮すれば三分、ラストに二分……ギリギリの一か八かだ、やるしかない!」

「ちょ、ちょ、増井くん?!」

「作るんだよ、宝石を! いいから待ってて!」


 ──小道具のフリして持ち込めば目立たないわよ。約束ね、約束。


 全力疾走で教室へ駆け込むと、僕は机の横に掛けておいた大きな荷物に飛び付いた。箱に詰めたUV照射ライト、そして製作材料セットを入れた巾着。迷いながらも果たした約束が今、奇跡的に活きる。

 深呼吸で息を整えると、僕は透明なレジン液と色混ぜカップを手に取った。チャンスは一度。失敗すると間に合わない。

(慎重に、慎重に、慎重に)

 多めに絞り出した液へ、今度はエメラルドグリーンの着色液を数滴落とす。急ぐ必要があるとわかっていながらも、気泡が出来ないようゆっくり丁寧にかき混ぜた。客席からは決して気づかれないのに。

 左手だけで巾着をまさぐり、半休のシリコン型を二つ掴み出す。混合液を流し込んだらすぐさま照射ライトの中へ。36Wのしっかり大きいライトはまるで窯のようで、青い光がみるみる液を硬化させた。だけどここで焦りは禁物だ。固まり方が甘いとうまく型抜きが──……

「って、だから最低限のレベルでいいんだって……!」

 わかってる。それらしくあれば構わない。仕上がりは求められないない。だけど、クオリティと制限時間がせめぎ合う緊張感は、不思議と僕の胸を高揚させた。心臓が心地良くうるさかった。だって僕は今作っている。舞台の上で、世界一美しいと称される宝石を。

 出来上がった二つの半休、その平らな面に薄く透明レジンを塗りつける。これで最後だ。僕は腕時計にチラと目をやってから、もう一度照射ライトへ指を差し入れた。



「来た! 増井くん来た! うわああん早く早く早く!!」

 体育館の舞台袖に繋がる裏口までつくと、ドアから顔を覗かせていた寺脇さんが必死に僕を呼んでいた。走りすぎて応えることもできず、身体より早くたどり着けと思いっきり右手を伸ばした。

「魔女に……、わた、渡して……っ!」

 僕から寺脇さんへ、寺脇さんから魔女へと渡った宝石は、すぐさま舞台へ躍り出る。


 ♪

 嘘だ嘘だ偽物だ

 私の願いを聴きやしない、こんなガラクタ意味が

 ない

 「私がどれほど願っても、お前は私を愛さない! 

 心からの願いなどこれ以上あるものか! 叶えて

 みせよエメラルド!!」


 魔女がローブの腕を高々と掲げた。その手に光る緑の丸い石は、効果的に当てられた照明により印象的な輝き方をした。白熱した演技も相まって、ほぅ……と客席から声が漏れ聞こえた。“世界で一番綺麗な宝石”は、こうして無事に舞台上へ登場した。僕は今更ながら指が震えていることに気づいた。

 ここからは駆け足の展開だ。ジェームズに同行し困難を共にしてきたハンナは、魔女へ静かに告げる。それはあなたの心からの願いではないと。だってあなたは、エメラルドの力を借りない真実の愛を求めているのだと。怒り狂った魔女はハンナを雷の魔法で殺してしまうが、悲しみに暮れた自身も同じ雷に打たれ息を引き取るのだった。舞台の上では、ジェームズが絶望の表情でエメラルドを拾い上げている。

 シナリオサイトからダウンロードしてきた台本だと聞いたが、練習を含め何度見ても激しい内容だ。ここまでの仕上がりになっているのは、やや口うるさかった花村さんの功績もあるのかもしれない。


 ♪

 ああハンナ、可哀想な婚約者

 愛するジェームズから引き離された、魔女によって

 戻ってきたエメラルド

 世界で一番綺麗な宝石

 どうするジェームズ?

 どうするジェームズ!

 「我が家に伝わるエメラルド。私の心からの願いを

 どうか聞いてくれ。愛するハンナを救ってくれ。

 これが私の願いなのだ」

 エメラルドが消えた

 ジェームズの拳から消えた

 ハンナの瞳が開いたぞ、グリーンアイが開いたぞ

 「ああ、なんてことジェームズ。私のためなんか

 に、大切なあなたの宝を失わせてしまった。世界

 で一番綺麗な宝石」

 「いいやハンナ、エメラルドは消えてなんかない

 さ。エメラルドグリーンに輝く君の瞳こそ、私に

 とって世界で一番綺麗な宝石なのだから」


 ……♪ ……♪



「う……あああああ!! なん、なんとか、なったあああっ!!!!」

 大喝采と共に幕は降りた。そして誰よりも号泣したのが花村さんだった。無理もない、それだけのことを彼女はやってのけた。もう誰一人「苦笑い」なんてしていなかった。

 僕は最初の頃思った以上に、花村さんが一生懸命だったことを知った気がした。

「おつ……おつかれ、さま。花村さん、すごかった」

「まずいぐん゛~~~あり、が、どお!!」

 まずかないぞと笑ってやりながら背を叩いた。労いを表すには他に思いつかなかったから。そうすると、花村さんは僕に向かって右手を突きだし、そして開いた。

 僕が作ったレジン製のエメラルドがそこにあった。

「これ、すごく、綺麗で、ぐず……っ練習と違くて……。でも、わかったよ、増井君でしょ? 増井君が作ったんだ……私わかったよ、ひっく……」

「そう、それ! 増井くんあれどうしたの? すっごく綺麗だったよね! 世界で一番感出てたもの!」

「まさか作ったとかある? え、どうやって?!」

「花村さんも本当にすごかった~! ジェームズが美しかった、綺麗だった!」

 ワッとクラスメイトたちに囲まれながら、僕の耳には花村さんの泣き声と鼻をすする音ばかり聞こえていた。わかってくれてたんだ。僕の作品だって気づいてくれた。またあの高揚感が胸に押し寄せてくる。

 嬉しい。一生懸命やりきった人に、自分の一生懸命も認めてもらえたようで、たまらない気持ちになる。それをどう言葉にしていいかわからなくて、僕は花村さんをジッと見つめた。

 次から次へと溢れる涙に鼻水。顔は真っ赤だし、もう女の子にあるまじきくらいぐちゃぐちゃだ。

(ああでも、僕は)

 心から演劇を愛して、最後まで戦いきった花村さん。その証である今のあなたこそが、物語のエメラルドみたいに世界で一番綺麗だと、思った。

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世界で一番、綺麗なあなた 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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