045

「おはようございます、セニオリスさん」


「うん。おはよう、ミーシャちゃん」


 どう、声を掛けるべきか悩んで、いつも通りを装った。セニオリスさんが、眠ったままのシグの様子を見に行くために起きて、それから三時間くらい。わたしは眠っているフリをした。声の掛け方に迷ってしまって、随分と悩んでしまった。正直わたしもかなり困惑したけれど、それはセニオリスさんも同じ。というより長年一緒に居た息子が急に目を覚まさなくなった母親の気持ちに比べればわたしはちっぽけなモノだ。


「……学校、行ってきますね」


「うん。いってらっしゃい」


 アリシアさんはトルガニスへと乗り込んだらしい。何の為かは知らないけれど、神子様からの依頼だと聞いた。今のセニオリスさんを一人にしておくのは少し不安に思う。けれど学校を休むわけにはいかない。生徒会に入ると決めてからなんというかやる事が増えてしまった。現状副生徒会長としての立場になるらしいけれど、来年はどうやらわたしを生徒会長として据え置きたいらしい。レグナードが言っていた。


『一応はお前主席なんだから、そういう立場に選ばれやすい事は分かっていただろ?』


 と。まあそうなんだろうけどさ。


 ドアをそっと閉めながら、


「朝ご飯、置いておくので、食べてくださいね」


 と伝える。──────返事は無かった。制服には既に着替えてある。揺らぐな。わたしがセニオリスさんに出来ることなんてあるとは思えない。唯一、しっかり学校に行って神子になる事が彼女達への恩返しになるかもしれないけれど、それはわたし個人で出来る事じゃない。


「…………………………」


 彼を寝かせる為に掃除され手入れされた部屋からそのまま玄関へ向かう。靴を履いて、玄関前にある鏡で髪型が変じゃないか、制服はしっかり着れているだろうか、今日のわたしはライラに会っても大丈夫なくらい可愛いだろうか、と確認して、扉を開く。


「あ、」


 その先に子供が居た。シグと同じくらいの身長の男の子。けれどその雰囲気はシグと比べて子供らしい。いや、違う、年相応だ……と思う。いつも話している子供がやけに大人びている所為でそんな印象を持ってしまうだけだ。


「あの、シグルゼ、は……」


 グライム・トークライン。シグの友達という事だけ知ってる。何度か遊びに行っているのは知っているけれど、実際に会うのは初めてのはず。


「まだ目を覚ましてないよ」


「……そう……か。……あの、これ」


 グライムはポケットから銀色のネックレスを取り出す。


「これは?」


「……あの日、シグが買った物です。丁度誕生日だから、って」


「……………………誕生日、…………………………あっ、」


 そう、か。そうだった。わたしは、あの日誕生日だった。忘れてた。わたしがシグに言ったはずなのに、わたしが忘れていた。色々あった。ベルのこと、シグのこと。ライラとの約束のこと。色々あって自分の事を棚上げにしてしまっていた。


「……そっか」


 彼の手からネックレスを受け取る。優しい子だ。優しい子だった。忘れていたわけじゃないけれど改めて実感した。


「……………………………………っ!」


 どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく悲しい。泣きそうになりながら、シグからの贈り物に首を通す。何も、失ったわけじゃない。いつか目を覚ます。それは今日かもしれないし明日かもしれない。アリシアさんによれば『暫く』というのが分かる限界らしい。彼女にとっての暫くがどのくらいなのか分からないから、もしかしたらを含んで、今日かもしれない。


「ありがとう」


「…………………………本当はもっと早く、渡したかった、んです…………オレは、これで」


 慣れない丁寧な言葉遣いは、たぶんシグから学んだのだろう。彼はそのままどこかへ走り去っていく。恥ずかしがり屋なのか、それとも耐えきれなかったか。どちらにせよ、あの子にもかなりの重責を負わせてしまっていると思う。重責というより罪悪感。シグが気を失った現場に彼が居た。だから、彼も責任を多少なりとも感じているんだろう。


 わたしと同じだ。


「行かなきゃ」


 彼に貰ったネックレスを制服の下に隠し、大きく一歩を踏み出す。まだ時間はある。ゆっくりで良いけれど、何故だか少し足取りは軽い。彼に貰ったネックレスが思ったより嬉しいんだろう。だってそりゃ、弟からの贈り物、嬉しくない訳が無い。


 足取り軽く学校へ。わたしにとって学ぶ以外の目的が無くなった場所。けれど、それが一番健全だと思う。ベルとの約束を果たすには丁度良い。利用できるものは全て利用しなければ。生徒会も、神子になる予行練習だと思えば、良い機会。


 シグが目を覚まさなくなってそこまで時間は経っていない。けれど、アリシアさんもセニオリスさんもかなり疲弊している。親としての目線と、姉としての目線は違う。わたしが彼にしてあげられる事は最初から無いけれど、アリシアさんとセニオリスさんは違う。出来ることは全部やってそれでも、だ。その違いは明白でしょ?


 彼が眠ったままでもわたしがやるべきことは変わらない。寧ろ彼が目を覚ました時、いつも通りじゃないのを見せてしまえば、気を悪くするだろう。それはダメ。いつも通り。彼に気を遣わせたくない。


「だから、わたしも頑張らないと」


 学校前。別に何の問題も無く辿り着いて校内に入る。周囲の視線が少しだけ集まっている気がする。生徒会に入ったという事もあるけれど、それよりも、ベルの件、レグナードを酷くフッた件、色々。気持ちのいいモノじゃないけれど、それくらいならば我慢出来る。それはいつか清算出来ると思うし、今気にして立ち止まるべきじゃない。


 校舎に入ってそのまま教室へ。生徒会室に向かわなければならないけれどその前に杖を置いて行かないと邪魔だ。書類仕事が大体の仕事で、後は生徒集会の進行などを任されるのが殆ど。ぶっちゃけ向いてない。けれど、神子として仕事を請け負う事になれば、そんな事言ってられない。今の内に慣れておかなければわたしはこの先上手く立ち回れない。


 杖を教室に置く。


「……………………………………」


 ここでベルが、亡くなった。そういうのを思うと、心が裂けそうだ。慣れない。慣れるわけがない。この先ずっとこの感情を引き摺り歩くんだ。それで良い。


 教室を出て、生徒会室に向かう。階段を一つ登って三階へ。そこにあるのは図書室と、生徒会室、そして余った教室。部室として使うけど、まあそこまで重要じゃない。生徒会の倉庫みたいになっていたりするから、余りもの部屋として余り部屋なんて呼ばれるだけ。


「失礼します」


 ノックを三回して、そう呼びかけ、ドアを開く。少し前であれば、わたしの胃はキリキリと痛むだけじゃなく、吐き気を催していたと思う。ドアをノックするという行為に、どれだけ悩まされた事か。自分から相手に呼びかけるのが苦手なわたしにとって、最初の試練とも言えた。


「やあ、来たね」


 わたしを出迎えたのは、現生徒会長、クシェラパトリ・ヴィレドレーナ。由緒正しきヴィレドレーナ王国の第三王女である。大陸が違うから、ヴィレドレーナの話はあまり聞かないかもしれないけれど、身近で関係ある物と言えば、グラーヌスが思い当たる。どうしてグラーヌスがわざわざ剣の形なんかしているのかと言えば、ヴィレドレーナに伝わる宝剣グラーヌスに起因する。


 いやこんな話はどうでも良いんだ。今一番解かないといけないのは、何故、その由緒正しきヴィレドレーナの第三王女がここに居るのかという事。まぁぶっちゃけアリシアさん関連だろうけれど……だって魔法を学びたいのであればカルイザムに行けばいい。魔道国家と呼ばれるあの場所であれば最高の教育を施してもらえるだろう。


 何よりも驚きなのは、彼女のフランクさ。わたしの少ない知り合いには居ないタイプ。まぁアリシアさんに似てるかもしれないと言えば、そうなんだけど、あのヒトは何にでも似てるヒトだから、何かに似ていると形容するのは間違いだ。


「君に生徒会に入ってもらえてとても嬉しいよ。いやはや、この会は何故だか慢性的な役員不足でね。レグナードを引き摺りこんだのは良いモノの、俺は書記が良いだなんて言うから、困ったモノだったんだ」


「……そう、ですか」


 チラっと彼を見る。唇を尖らせて聞こえないフリをしながら明後日の方向を見ている。別に良い。わたしに声が掛かったのは幸運だ。


「けれどわたしに出来る事なんて限られていますよ」


「何、元々この生徒会に仕事は殆ど無いよ。学内でのイベントは少ないからね。少ないというか、無い。忌避していると言っていい。まぁ、魔法の所為で何かあったら責任が取れないというのが本音でね。そういうのは生徒会主催であろうと、開催出来ないんだ」


「それに」


 とレグナードが続ける。


「この学校のヒト達はそういうのを好いていない。勉学に勤しむ事に集中ばかりしていて娯楽が無い。その癖、一番最初に行うのはレクリエーションと来たもんだ」


「レグナード、悪口は良くないよ」


「悪口ですか、これ。まあとにかく、副生徒会長って言っても事実上次年度からの生徒会長だ。その予行練習だとでも思ってくれればいい。まぁ資料仕事はあるし、全校集会の進行はやってもらうけどな」


 レグナードは背もたれに全体重を預け、だらしなく前後に揺れる。


「…………、慢性な役員不足、というのは?」


「仕事が無くても決まりはある」


「他のヒト達はどうしているんですか? 会計とか、居るはずですよね?」


「居ないよ。君を迎えて三人になる」


「……………………………………。どうして、そこまで……」


「私がサボタージュした。いやめんどくさくてね。この学校では、生徒会長指名の元、役員が決定される。事実上、この学校の生徒において一番の権力者と言えるだろう。けれど、まぁ私は権力というのが嫌いでね。いや、飽きたというか。ほら、私って第三王女だろう? だから、なんというか、面白くなくて」


 ならなんで生徒会長なんかに? とは口を開かない。長くなりそうだ。そんな時間はこの朝の短い時間には無い。


「それで、具体的にわたしは何を?」


「あぁ、わたしの傍に立っていればいい。来年、君が生徒会長となる。私は卒業だからね。本来ならレグナードを副生徒会長に選びたかったのに、さっきの通り書記が良いとか言いやがったからね」


「レグナード、わたしを誘えって言われたって話だったはずだけど?」


「俺も生徒会のヒトだから文言的に間違ってない。今のお前には適役だろ。次期神子様」


「………………はぁ」


 分かりやすく大きく溜息を吐いてやった。


「あぁ、そうか。そういう事か。アリシア様の養子だとは聞いていたが、そういう事か。次期神子様となれば君に生徒会に入ってもらったのは本当に間違いではなかったようだ」


 クシェラパトラさん……様?(どっちだろ) はうんうんと頷く。


「まあ、養子にするって部分がネックになっているんだろう。いや、深く聞くつもりはないけれど、神子様になるのなら、うってつけだ。生徒会長も神子様もヒトの上に立つというのには違いが無い。良い予行練習になる」


「………………」


 わたしはこのヒトが少し苦手だ。完璧超人という気がしてならない。だってこのヒト四年生だ。いつ生徒会長になったのかは知らないけれど、レグナードを引きずり込むまで一人で仕事をしていたという事になる。本来四人か五人の人数で成り立っている生徒会という役目をたった一人で。これが王女としての裁量か。


「名簿上、そう書かれてはいないが、きっと将来こう名乗る事を想定して敢えてこう呼ぼう。ミーシャ・アリシオス=ファブラグゼル。君が生徒会に入ることを心より歓迎しよう」


 恐れている。わたしは彼女を恐れている。人見知りだったからじゃない。本能が彼女はわたしの天敵であると告げている。苦手、とか嫌いとか、そういうちゃちな感情じゃない。生物的にわたしの天敵である、と。自分でも不思議に思う。彼女からは善意しか感じられない。その点で言えば、ベルと似ていると思う。けれど、その強さは全く違っている。


「全く腹立たしい事だが、この学校で自死した者が居る。私はその事実が許せないし、そこまで追い込んだモノを赦す事は出来ないだろう。これに関する議題はまぁ、私達が対応するには問題が根深過ぎてね。大人に任せるしかない。最大権力を謳っておきながら、責任能力は無い。哀れなものだ。まぁ、それは納得するしかない。今日はそういう事が言いたいわけではなくて、ミーシャ、君は朝強い方か?」


「…………朝、ですか」


「起きれるかどうかの話だ。獣人族は朝に弱いという話を聞く。特に猫虎族であれば、顕著にみられるだろう」


「えぇ、まあ。起きるのは苦手ですが……それが、何か関係が?」


「うむ、まぁなんというか、三人集まったのだし、朝の挨拶運動でもしてみようかと思ってね。本来の生徒会の仕事にも含まれているから、そういうのも実行しておいた方が良いだろう」


「それ、書記の俺もしないとダメですか」


「面倒くさいのは分かるが、大事な事だよ。我々が存在しているというアピールにもなる」


 そういえば、この半年ちょっとで生徒会の話を一度も聞いた事がなかった。レグナードが生徒会の一員であるのも初めて知ったし、これを知っているヒトもかなり少ないだろう。彼を取り巻く女の子たちももしかしたら知らないかもしれない。


「…………そういえば、ファブラグゼルは毎日弁当を作っていたな。これ以上早くするのはしんどいんじゃないか?」


「えと、うん。作ってはいるけど、アリシアさん達のお昼と朝ご飯を一緒に作って両方からちょっとずつ入れてるだけだから……」


 お弁当作りは別に苦ではない。ついでの様なモノなんだ。ただ、これ以上早く起きるとなると、少しつらいかもしれない。わたしは元々朝が強い方じゃない。アリシアさんやセニオリスさんが異常なだけだ。セニオリスさんに関しては本当に眠っているのかさえも疑わしい。


「そうか、なら無理をさせるのも可哀想だ。では、私とレグナードで行う事としよう。ミーシャは登校次第参加、という事で。そこまで厳しくするつもりはないからね」


「はあ……」


 このヒトをどういうヒトなのか計りかねてる。厳しい様に見えるけれど、優しくも見える。良いヒトである事に間違いは無いだろうけれど、優しいか厳しいかの区別が付かない。不思議なヒトだ。熱いヒトだとも思う。彼女の言葉は一切のブレが無い。声に芯があるというか。全く関係ない話ではあるけど、このヒトの演説であれば誰も聞き入ってしまうのではないだろうかという力強さを感じる。


「わたしは、生徒会の仕組みを知りません。まずはそれを教えてくださいませんか。でなければ……」


 彼女は最初に何故だかと言った。けれどすぐにサボタージュしたと自白した。多分、冗談のつもりで何故だかと言ったのだろうけど、もしそれが冗談であれば、わたしにそれを指摘する事を求められても困る。いや、良い。良いよ。なんというか、アリシアさんに似ているというのが濃くなるだけで、別に嫌なわけじゃない。困りはするけれど。


「仕組みって言われてもそう難しく考える必要は無い。そもそも仕組みがしっかりしていれば、私がサボタージュしても何も問題は無かったんだ」


 それは、貴女がサボタージュしたのが悪いのでは。仕組みがしっかりしていればなんていうけれど、結局しっかりしていたとしてもサボタージュしたら水泡に消えるでしょ。


「ま、時期になったら副生徒会長が生徒会長を引き継ぎ、そして書記、会計、部活総部長、事務局、風紀委員長、美化委員長、図書委員長。まぁ最後三つは別に生徒会直属ってわけじゃないんだけどな。最低七人、お前を含めれば八人になる」


「……八人」


 それをたった一人で全て行っていたというのか、このヒトは。つくづく王に向いていない。第三王女で良かったというべきだろうか。


「では、わたしに残された時間はそこまで無さそうですね」


「あぁ、そうだね。あまり時間は無い。それ故に突貫工事の様になってしまったけれど、君を迎えたんだ」


「……良いですよ。時間が無いのは慣れています」


 神子になる事だってそうだ。もう時間が無い。猶予は後三年も無い。アリシアさんから聞かされていた通り、後一年程でわたしは教会住まいとなり、教会から学校に通う事になる。そしてこの学校を卒業する前に神子となる。つまり、神子と同時に学業も行わなければならないという事。それにプラスして生徒会だ。はは、過労死するね、これ。


「…………本当は、そんなのに慣れてほしくはないがね」


 彼女は溜息混じりに呟く。わたしもそうは思うよ。けれど、わたしが逃げてきた分、その全てがわたしに帰って来ただけなんだ。だから自業自得だ。神子になるという選択も結局はわたしがした事だから、文句なんて言える立場じゃない。


「よし、そろそろ時間だ。放課後、また来てくれるとありがたい。腰を据えて今後の話をしよう」


 彼女が立ち上がる。


「あの、最後に気になってた質問、良いですか?」


「なんだい?」


「何故、ヴィレドレーナの第三王女である貴女がこんな所で生徒会長をやっているんですか?」


「あぁ、それはね」


 彼女は、不適な笑みを浮かべる。


「我が祖国に復讐する為さ」

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