041─Turning Point3─ Soule to Soule

 ヒトは選択を迫られた時、必ず最良の選択を取ろうとする。アリシア・アリシオスにおいてその傾向は顕著だろう。あれは多くの選択を切り捨て最良を選び未来を決定する一種の呪いだ。彼女には選択によって起こり得る未来は見えていないはずだが、見えていないというのはつまり破滅を意味するという事だ。正史というモノがあるなら、それになぞらった別の可能性の世界もあるのだろう。


 魔法学において異世界は存在していると確定しているが、実証はされていない。あくまで理論に基づいたモノだ。何せその技術が追い付いていない。莫大な魔力、それこそ星一つが溜め込む程の魔力があれば実証可能だろう。


 最良を選び、他全てを切り捨てる。別の可能性から広がる未来に全てのバッドエンドをぶち込む事で強制的に現在の可能性をハッピーエンドに繋げようとする。ごり押しと言われればそうだが、彼女が居なければ、この星でヒトが築いた文明は三度程滅んでいるだろう。その一度目が麗愛だ。


 シグルゼとグライムはファブンドアートストリートを少し逸れた住宅街を歩いていた。丁度、グライムの家へと向かっている所で、子供らしく外で遊んだのは良いものの、疲れてしまったのでどこかで休憩したいという話になり、グライムの家、トークラインが選出された。湖畔で休むにはほんの少し遠かったんだ。正直そんなに変わらないが、まぁどうせ休むなら屋根がある方が良い。


「そういえば、ググゼリアは良かったのか?」


「グゥは俺達みたいに外に出たがらないんだよ。誘ったんだけど、ワタシは行かないって」


「そうか。そりゃ、残念だな」


「何がだ?」


「何でもない」


 グライムとググゼリアは幼馴染と聞く。仲は良く見えるが……。


「この後休憩したらどうするんだ?」


「なぁんも考えてないけど?」


「…………そうか」


 国の外に出れるならやる事なんてそれこそ無限にあるだろうけど、二人ともまだ八歳の子供だ。子供のみの城壁外への外出は硬く禁じられている。ただし冒険者であるのなら話は別。冒険者の定義は簡単だが、その内情は少し暗い話になるから今回は無し。まぁあれだ、命の保証だとかそういうのが出来るわけないから、色々と黒く見えたりするんだ。


 子供にとってファブナーリンドという国は狭いだろう。実際、ファブナーリンドはカルイザムの半分程しか住める場所は無い。早々に城壁を作ってしまったが為に、拡張がめんどくさいのだ。国土で言えば、カルイザムと同等、もしくはそれ以上の広さがある。故に城壁外には難民キャンプやら、ファブナーリンドのおこぼれにあずかろうとする集落が稀に見られるのだ。


 難民キャンプに関しては政策の一部だが、集落はまた別。ファブナーリンドに対し税を納めるだとか、そういう決まり事さえ守らないのも多い。法律だからと言っても聞く耳を持たない。それに、トルガニスの崩壊によって流れてきたヒトは数知れず。そういうヒトが不法に占拠して住み着いている場所があるとも聞く。これに関して神子が対処中だが、彼女の任期中に終わるのかは不明。もしかしたらミーシャへと引き継がれるかもしれない。


 集落に対して税を治めないから庇護は無く、盗賊に子供を攫われ奴隷にされる。そういうのも起きているから、アリシアや神子が頭を抱えているのだ。


「なぁ、シグルゼ」


 グライムが足を止めて、前方を指差す。その先に居たのは小さな女の子と長身の男性。ぱっと見ればそれは親子で間違いないだろう。顔立ちは全く似ていないのは、父親と娘だからで大体納得が行く。だけど、その雰囲気は異常で。この場に居合わせたのが最悪だったと自分を呪ってしまえる程だ。目を逸らせ。関わるな。あれは、シグルゼやグライムが手に負える案件ではない。そもそも子供がでしゃばるべきじゃない。大人に子供が勝てるわけないんだ。


「…………………………」


 大人の方は随分と裕福層に見える。綺麗に整えられた服に、宝石が宛がわれたブレスレットを身に着け、なんというか、ギラギラ光っている。だけど、恐らく娘であろう子は、ぼろ布一枚という言葉が似合う程の恰好で……。思わず奴隷という単語を、子供ながら脳裏に過ぎらせる程だ。


 この国においては奴隷は禁じられている。人身売買の禁止、奴隷という存在自体を国の中に入れない為の政策は数多くあるが、完璧ではない。だが、この雰囲気は。


 腫れていた。頬の少し下。転んだ? 確かにその位置なら正確に頬に傷が無い事も頷ける。だけど、シグルゼの眼にはそうは映らない。


 少女の腕を強引に引っ張りながら、歩いていく。足を引き摺りながら抵抗を続けている様に見える少女を、黙って見ている。なんてシグルゼには出来ないのだ。


 アリシアの息子であるという事に誇りを持っているかと言われたらそんな事は無い。たかが養子。養子になった所で彼自身が偉くなった訳じゃない。ヒト真似をして生きる彼の参考文献は本の中の世界だけでなく、アリシアやセニオリスからされた話も多く含まれている。彼女達の生き方、彼女達が選ぶであろう選択肢を取ってしまうように出来ている。そこに感情論は存在しない。理性的に、こうであるべきだと決めつけ行動する。


 ──────困っているヒトが居たら、助けなくちゃならない。


 これは至極当然のように彼の中に留められた一つの強迫観念の様なモノだ。彼を彼たらしめる理由に含まれてしまっている。俺はこうじゃないとダメだ。こうじゃなければ、意味が無い。そういうような強迫観念に襲われながら生きている。


 己が何者かなんて関係ない。彼という生物はそういう風に出来上がってしまった。齢八歳にて、その年齢からは考えられない程達観した物言い、常人離れした理性。アリシアやセニオリスから直接得た知識と経験。


 ぶっちゃけ彼の眼は肥えていた。あれくらいならなんとかなるのではないかと思ってしまったのだ。化け物ばかり目にしている彼からすれば、大抵の大人は小物に見えてしまう。


 あれくらいなら、助けられるかもしれない。


 善悪の判断はある。だがそれを望んでいるかを考えられる程、彼はまだ出来上がっていない。押し付けの善性程迷惑なモノは無い。けれど、指咥えて見てるだけなんて事が出来る質でも無い。


 それはグライムも同じだった。類は友を呼ぶと言うが、彼の場合は、ヒトの範疇に収まっている。大人には勝てない。それが子供にとっての常識だ。戦って勝てる相手じゃない。それでも、半べそ掻いてる女の子を見て見ぬフリするなぞ、彼には我慢ならない。全く、底無しのおヒト好しだ。


 シグルゼの足が既に駆け足に切り替わっている。助けるたってどうやって? シグルゼに魔法は使わせない。グライムだけでは力不足だ。では体術で? あの大人が魔法を使う事が出来ないのならばそれも可能だろう。アリシアが暇な時は、体術、剣術、槍術、鎌術、アリシアの扱う事の出来るほぼ全ての武術を教わっている。子供ながらにそこらの大人ならば相手取る事くらいは出来るかもしれない。魔法が無ければ。


 決して褒められた事では無い。事情も無しに、ただその子が泣いていたというだけで正義であると決めつけ行動する。アリシアから仕込まれた技術を過信して、出来ると思い込んだ。


 何の為にそこまでするのか。泣いている女の子を助ける為? 違う。それは自分が見たくないモノを見ない為に他ならない。結果としてそれが善性になったのであれば良い。そんなのは最早奇跡に等しいが。


「────────────っ!」


 間違いだったと気付いた時には遅い。これに手を出すならば、相応の覚悟が必要だ。それこそ、ライラックが諦めアリシアに託した様に。


 一秒遅かった。男の手に握られた彼女の腕には薄いとは言え血管が見えている。痩せた肌からチラつく細い血管に、反対の手に握られた注射器の様なモノを挿そうと伸ばす。


 直感的にまずいと感じたのは、医療術に長けたトークライン家の息子の方だ。グライムはその異常にいち早く気付いたが、シグルゼに通達するには遅すぎた。取り出されたアレは医療用には見えない。構造自体は同じに見えるが、あれは魔道具に数えられるモノの一つ。つまる所、血を魔力に変換するモノ。


 少女はその注射器を極端に恐れている。顔が青く、震え、その瞳には大粒の涙を浮かべている。何故、こんな所でやっているのか気になるが、彼らにそれを気にする余裕は無い。血を抜く為には血管を浮き上がらせる為に、ある一定の部分を少し締め付ける必要がある。今ここで男をぶっ飛ばしても少女を巻き込んでしまう。


 本当にこのまま助けようとしても良いのか? そんな疑問が一瞬過ぎる。


「……、っ!」


 シグルゼもあの注射器の異常性に気付いたのだろう。迷いが見えた。けれど今更止まれない。男と少女の間に割って入る様にして、注射器を握っている腕を掴む。


 刺させてはならない。何故血を抜いて魔力に変換する必要があるのか。アリシアの息子であるシグルゼならその予想が付く。何度か聞かされてきた、シンジュルハの話。ファブナーに存在しているベスターと呼ばれる宗派には生贄信仰が存在する。ただ、肉体事全てという訳にはいかない。もちろん最終的には肉体事魂と一緒に捧げる事になるのだろうが、それは、年に一度のみ。


「なんだ、お前……ッ」


 男が驚きながら、シグルゼの手を振り払う。その拍子に少女の腕を掴んでいた手が離れる。先に動いたのはシグルゼではなくグライムだった。医療魔法において、トークライン家はファブナー随一の技術を持っている。そんな家の息子だ。既に軽い医療魔法と身体検査くらいは出来る。それに伴って、簡単な攻撃魔法も。


 だが、子供に出来る事なんてたかが知れている。グライムが魔法を発動出来るまで五秒は必要だ。既に詠唱は開始しているが、動かれれば当たらない。時間稼ぎはシグルゼの仕事だ。けれど、残念ながらそれは難しいらしい。男はグライムの詠唱を察知し、対抗するが如く詠唱を始めている。このままじゃマズイ。どうにかして詠唱を中断させる必要がある。


 使えるモノは手元にない。スペルインターセプト、魔法陣が形成される前なら、衝撃を与え物理的に詠唱を止めれば良い。つまりは、物理で殴る……ッ!


 シグルゼが飛び上がる。小さくすばしっこいのが子供の性質だとは思うが、飛び上がった彼の足が丁度男の顔面に届く距離になっている。魔力が無い癖に身体能力を強化したのではないかと思う程。れっきとした彼自信の身体能力の賜物だが、周りから見れば異常という他無い。その証拠に男は再び驚いて防御を取れずに、シグルゼの蹴りをもろに喰らってしまった。


 行ける──ッ! 着地すると同時にグライムの魔法が発動する。近くにあったレンガの破片を流用したストーンバレット。小石を生み出すことはまだ出来ないが、これくらいなら彼にだって出来る。放出されたレンガの破片は小さいモノで、致命傷には成り得ない。だが確かにダメージは与えられる。小さくてもスピードがあれば、ヒトくらいは殺せてしまう代物だが、男もそこまで軟じゃないようで、シグルゼに蹴られた事によって崩したバランスの中で、急所だけは外している。


 だが、この時点でシグルゼとグライムの敗北が決定した。一撃で倒せなければ、もう勝つことは出来ないだろう。シグルゼの攻撃もグライムの攻撃も殆ど不意打ちだったから成立したに過ぎない。最早男の眼に映る二人は子供というフィルターが剥がされた、ただの敵。


 前に進むのには覚悟が必要だ。相手が自分を子供であると侮る事が無くなった現状を変えるには、決死とはいかないが、負傷するくらいの覚悟は必要だ。大人に対抗するというのは傷付くのさえ厭わない覚悟が要る。そうだろ? カプリケット。


 グライムに眼で合図。女の子を守るというのが優先事項だ。男にとって、シグルゼやグライムの命なぞどうでも良い。男にとって最優先は少女。


 そして、シグルゼやグライムが男を制圧出来ないと判断した時、狙うべくは、あの注射器。あれが無ければベスターへの生贄は捧げられないはずだ。一時凌ぎにしかならないかもしれないが、効果はある。


「────、お前はアリシアの……ッ」


 男に知られているらしい。商店街の方では顔が知られている。こいつも商店街くらいは利用していたのだろう。だったら、警戒は余計引き上がるだろう。ただの子供ではなく、アリシアの息子と知れば、限界まで警戒度は引き上がる。


「…………、」


 お前に何が出来る。


「────────、」


 シグルゼが地面を蹴り上げる。あいつは魔法を使う。ならば、近接は苦手なはずだ。そう考えたのだろう、彼はその拳を振り上げる。が、それは空を殴るだけに終わる。フっと体を逸らされ、簡単に躱されてしまったのだ。油断したのは男の方では無かった。シグルゼ、お前の方だ。相手が魔法を扱うからと言って、体術が苦手な理由がどこにある。


 アリシアもそうだろう。あいつも基本魔法を扱うが、シグルゼに教える事が出来るくらいには体術だって得意だ。この点に関しては別にアリシアだけが特別だという訳ではない。


 さぁ、どうする。魔法も使えない、武術もあまり効果が無いと来た。シグルゼは力不足も良いところ。足手まといだ。まだグライム一人の方がマシ。それでも、何故。


「助ける……ッ!」


 何故? お前にとって少女はなんだ。何故そうも熱くなっている。いや、それよりも何故、お前は、心を……ッ。


 地を駆ける。散々聞かされていたベスターの信者に対する鬱憤は溜まりに溜まっている。アリシアから聞いた情報は全てが正しいという訳ではないが、彼が怒りを露わにするのには十分なのか。見誤ったのはこちらか──ッ!


 魔力の籠っていない拳で幾ら殴ろうとも魔力障壁が邪魔をするだろう。それでもその拳を止めないのは、グライムへの攻撃を赦さない為。少女への攻撃は恐らく無いはずだ。大事な生贄に滅多な傷を付けるとは思えない。故に、優先度は変更される。


「…………っ、ァ、ァアッ!」


 飛び上がり、振り下ろした足が男の頭上で止まり、弾かれる。男が強い訳じゃない。はっきり言ってシグルゼが弱い。グライムの攻撃の方がまだ打開の可能性がある。しかし、グライムの詠唱速度にも問題がある。彼らはまだ子供。仕方ないと言えばそうだが、分かり切っていたのに少女を助けようとした愚かさに気付くべきだった。


「…………ごちゃごちゃ俺の中で喋りやがって、うるせぇんだよ……ッ!」


 ──────────────────────。着地して、心臓辺りをぎゅっと掴む。炉心は、動かない。動かせない。お前に魔力は存在しない。何故か分かっているだろうッ!


 男の魔法が起動される。正直、何の特徴も無い顔立ちの男だ。市場の中で見てもこいつ個人を特定するのは難しかっただろう。こうしてこんな所で出会えなければ、シグルゼやグライムはこうはなっていなかった。


 運が悪かったとしか言いようが無い。


「……………………ッ!」


 男の周囲に先ほどグライムが使った魔法が発現する。ストーンバレット。けれどグライムと練度がまるで違う。グライムがレンガを利用したのに対し、アレは石ごと創り出している。そうなると威力が桁違いだろう。


 シグルゼが上体を逸らす。その瞬間先ほどまで頭があった位置を石が高速で駆け抜けていく。当たれば穴が開いていた。躱しきれなかった石は、彼の脇腹を掠めていき、家を囲っていた塀がドッゴンッ、と音を立て着弾した場所が崩れている。


 血が滲む。脇腹を掠めた痛みが、熱を伴って脳に届く。


 何故戦う。何故助ける。お前にとって少女はなんだ。勇者にでもなったつもりか? 誰かを助ける力なんて無い癖に、何故そうも突っ走る。


「黙れ……ッ!」


 痛みに呻きながら、脇腹に手を宛がいながら、それでも彼の眼は男に向いている。


「シグルゼッ!」


 グライムの絶叫だった。傷付いた親友を見て足が少しも竦んでいないのは流石と言える。或いは血なんて見慣れているのか?


「男が、泣いている女の子を助けるのは、当たり前の事、だろうが──ッ!」


 シグルゼは本気でそう言っている。何の曇りもなく、そうであるべきだと、感情論無しにそう言っている。恥ずかし気もなくそう言えるのは、アリシアの教育の賜物か、それとも心の問題か。いや、それは今はどうでも良い。心がある無し関係無く、こいつは……ッ。


「俺はお前の事を知らない。八年、ずっと俺の中に居るお前の事を何も知らないッ! けどお前は、俺の事を良く知ってんだろうがッ!」


 …………………………………………………………知っているとも。だからこそ何故と問うんだ。何故飛び掛かった。お前じゃなくて良かった。それこそアリシアを呼べばいい。


「指咥えて見ているなんてもう出来ない。姉さんは変わろうとしている。なら、俺も変わらなくちゃいけないッ」


 それで死んでしまえば、おしまいだろ。


「なら力を貸せ。お前が誰かは知らない。けれど、いつかお前にも守ろうとしたモノが居た様に、俺にも守りたいモノがあるッ!」


 知っているとも。ヒトは何かを護ろうとしないと生きていけない、脆弱な生き物だ。だから、お前の言いたい事は分かる。その心意気は好きだ。いつかのヒトもそうやって己を鼓舞して前へと進もうとした。


 ────────────お前に力を貸す。その意味を分かっているのか? お前の炉心は強制的に止めている状態だ。それを動かせば、お前は……。


「それでもッ、俺は……ッ!」


 死んでも、良いと。そう言えるのか。………………………………………………。あぁ、クソ、そうだったな。ヒトとはそういう生き物だった。感情とはそうも厄介なモノだったな。知っていたはずだが、長い時間の間で忘れていたらしい。あの時、姫はこういう気持ちだったのだろう。


 くそ、ちくしょう、あぁ、知っている。これが感情だ。こういう理不尽な衝動が感情だ。第一がもたらしたヒトが持ちうる最大の特徴。


 思えばあの時、触れていたんだろう。カプリケットを見て、触発されていたのもあるが、決定的なのは……。


「ごちゃごちゃ言ってないで、リソース全部寄越しやがれ……ッ!」


 予断は許されない。シグルゼの決意は覆らない。この先何があろうと、こいつは前に進もうとするだろう。だったら、その決意に、答えなければならない。麗涙は終わっていない。麗愛は一応の決着を付けたが、それでもわだかまりは残っている。このわだかまりの解決に直接関与出来ないのは残念だが、シグルゼなら、なんとかするだろう。


 グライムの遠隔治癒魔法がシグルゼの脇腹を治す。子供にしてこの治癒魔法の技術、流石と言える。


 覚悟は出来ている。私は全てを託そう。役割、その権能、ヒトの器の中に全て詰め込み、お前を生かそう。唯一、気がかりと言えば、双子の星。あいつは、麗涙の結末に納得しているだろうか。いつか来るわだかまりの解決に、あいつは……。


「炉心よ、動け」


 前に進め。感情を踏みしめ足場にして一歩でも多く前へッ! 女の子を守る、たったそれだけの理由で自分の命さえも踏み躙ろうとするその覚悟に、私は答えるとも。なんせ、お前はあの時と似ている。


 行け、前に。知識は既にある。技術はすぐに追いつく。何、お前は強い、大丈夫だ。


「燃えろ、炉心。疑似魔力回路、形成開始」


 全てを越えて、前へ……ッ!


「接続開始」


 その合図と共にシグルゼ────。熱が胸を燃やす。炉心が動いている初めての感覚。あぁ、俺は……。


「燃えよ、剣。腕となりて力になると証明しろ」


 魔法が形成されていく。中からアイツの感覚が消えていく。その痛みを初めて知った。寂しいとはこういう感情か。


 グラーヌス。アリシアさんが使っていた、聖方式の岩石の剣ではない。現代式に改良された炎の剣。知識はある。技術は魔力で補う。そこに何か問題はあるか?


「無い……ッ!」


 手の先から延びる感覚は魔法へと繋がっている。グラーヌスを選んだのは見慣れていたからというのが大きいが、聖方式を即興で扱える程知識はない。疾うに廃れている魔法式を勉強するにはそれこそ学校でなんかじゃなく、アリシアさんが管理している禁書庫に入るこむしかない。


 剣を射出する。炎の剣とは言え切るためのものじゃない。ぶつけて爆発させ周囲丸ごと巻き込むモノだ。ぶっちゃけ剣である必要はないんだ。


「なん、だ急に、一人でぶつぶつ喋ってると思ったら……ッ」


 男が炎剣を見て絶句に似た表情を浮かべる。一撃で圧倒するなら、それこそこれくらいはしなくちゃいけない。ストーンバレットなんてこけおどしで済むなんて思うな。


 ──────ド、ッゴン! と耳を劈く轟音が響く。グラーヌスが着弾した音だが、まだ男は生きている。殺すまではいかなくともダウンはするだろうと思ったが、男は中々のやり手らしい。油断? そんなのはしていない。単純に見誤っただけだ。初めての魔法というのもあるけど、そもそも戦闘が初めてというのも大きい。魔法だけが得意な相手なら上から捻じ伏せるだけだとアリシアさんは言っていたが、相手は体術も相応に習得している輩。魔法も一般的な冒険者レベルはある。


「シグ、ルゼ?」


 グライムが口を開けて止まっている。俺が魔法を使えるなんて思っていなかったのだろう。俺も同じだ。生まれてこの方、魔力というモノ自体感じたことがなかった。内から湧き上がってくる衝動が、感情と言うのなら、なんとも心地いい。


 魔力は魂の老廃物から生成される。新陳代謝といえばわかりやすい。魂は感情によって起伏し、古くなっていく。そうして出来上がった古いモノを新しいモノと入れ替える際に出来るモノが老廃物だ。それが炉心に巡り魔力となる。


「グライム、この子を頼む」


 アリシアさんに教わった魔法の殆どは広範囲に及ぶ広域魔法に属する。その中でも一応は一転直下型のグラーヌスを選んだが、やはりそういう魔法はダメージは大きいが簡単に避けられてしまう。


 鼓動が早くなっている。時間がない。短期決戦で決めなければ、負ける。


霹靂へきれきよ、天籟てんらいと共に響け。矢となり槍となり、撃ち落とせ」


 キュクロープス。魔法陣から雷の矢と槍が形成されていく。その数は五十程にまで登り、俺の少し後方で待機する。これだけの数があれば必ず当てられる。地味な魔法だけど、効果は絶大だ。本来一本の矢として弓術師が使う魔法だけど、魔法は応用が基本だ。何事もやって失敗するまでは続けなければならない。まあ、アリシアさんからの教えなんだけどさ。


「何故、急に魔法が使えるようになった? この急激な雰囲気の変化はなんだ?」


 男は首を傾げいている。俺だって不思議だ。俺の中に居たあれは、なんだったのか、そいつのせいで魔法が使えなかったのか。ただ一つ言えるのは、きっとあいつのおかげで八年前、俺は生き延びたのだろう。


 役割とはなんだ。権能とはなんだ。何も知らないし聞かされていない。けれど、あいつのおかげで生きていられたのなら、せめてここで勝たなくては。


「行け、キュクロープスッ」


 全弾発射。矢と槍が一斉に放たれる。この数の矢と槍を一度にすべて避けるのはもはや転移する他ない。獣人族ならばあるいはあるかもしれないが、あの男は普通のヒトだ。そう簡単に身体能力は向上しない。


 丁度槍の一本が太ももに突き刺さる。それを皮切りに腕、肩、腹に矢と槍が突き刺さっていく。痛みに呻き、痺れてまともに動かないであろう体に、それでも鞭を打つ。どうしてそこまで対抗するのだろうか。そこまでして生贄が大事か? いや、良い。それよりも今なら、あの注射器を壊す事が出来る。


 ゆっくり男に近づいて、その手に握られた注射器を奪い取る。痺れて力が入らないのだろう思ったよりも簡単に奪い取れた。やってることは完全に悪役な気がするが、これでたぶん助けられる。


 注射器を握り潰すように力を入れると、ピシっというガラスにヒビが入る様な音がしたと思うと、ガギンッと嫌な音と一緒に注射器は完全にその原型を保てなくなった。男も動きを止めた。痺れが全身に回ったのだろう。


「これで、良い……は、ず──────……………」


 意識が急激に薄くなっていく。急な炉心の起動、疑似魔力回路の生成に体が追い付かなかったのだろう。何よりも、魂が、驚いている。


 まぁでも、なんとかなった。あとはグライムに任せよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る