040 ─ActuaryPoint─

『姫…………ッ! 姫──────ッ!』


 声が聞こえる。耳を劈く轟音と共に、高貴なる城は崩れていく。滅亡だ。旗は折れ、座に就く者の息は途絶えた。ならばここはもはや国とは言えぬ。ただの瓦礫の山だ。歴史なぞ意味は無く、そこにあったという事実さえも風化し消えていく。結局、全ては無駄だったのだと嘲笑するが如く、城は崩れ逝く。


『姫……ッ!』


 泣きそうな声で誰かを呼ぶ。騎士の声。姫が敬愛していた、唯一無二の騎士。アグレシオンが滅びてもその忠義は彼女の為。死なせてはならない。直観が叫んでいる。


『何故、……ッ! 何故私目を助けたのです……ッ』


 問う声は近い。既に視界は途絶えているが、その方向と位置くらいはわかる。


『何故、……、何故…………ッ!!』


 彼の声は彼女だったモノにはもう届かない。良いのか? と彼女に問う。肉体より脱した魂は冥界へ帰る。その前に現世を少し漂うのだ。


 返事はない。返事は、無い。良かったとも言えないのだろう。必死で仕方なかったんだ。だから決して良かったとは言えない。


『……私に出来る事は……』


 騎士は膝を就く。右手を心臓に伸ばし、最後の誓いを掲げる。何故、と疑問を持ちながら、それでも彼の忠義は本物だ。彼女が望むのならば、なんだってする男だ。故に、彼女は彼に後を任せた。未来を見通すことの出来た彼女ならばこそ見えたモノを信じ、意味はあるのだと納得して、そうして前に進む。


 感情は前に進む為の足枷だ。耐えに耐え抜いたその次の一歩は飛躍的に前へと跳べる。それはヒトに対して使われる言葉では無い。前とは何か。この話は魂とは何か、という話に直結する。いや、良い。決して、我々のみに宛がわれるべき言葉でも無いのは事実。我々にとって前とは、ヒトによっての前とは違うモノだ。


『…………、使命は、既に……』


 託されている。姫はそういうヒトだ。


『…………………………ですが、私は』


 崩れ逝く城、己の忠義を果たす場所が、己が仕えた場所が、崩れていくのをただ見守る事しか出来ない。天纏う龍を墜とそうが、既に国としての機能は途絶えている。最早ここはただの瓦礫の墓だ。奇しくも崩れた巨大な城は墓標に見える。国全ての民の墓標。


 故に誓いを。沈み逝く仲間達に敬愛を。命からがら抜け出した者も居るだろう。文明は途絶え、新たなる者達に託される。


 疑問は多い。アグレシオンに罪は無い。ヒトをヒトたらしめ、この世に繋ぎ止めた。その功績はいつまでも続く。だが、語られる事は無いだろう。


『私は、………………………………貴女を、ずっと』


 一国の姫として彼女は完成系であったと思う。とは言え、人間としてはダメダメだった。人間をヒトだと定義したのは王であり、彼女ではない。彼女が残した功績なぞ、この騎士を今ここに生かせている事くらいだ。けれどこれはヒトが前に進む為には必要な事だった。


『おい、お前』


 それは私に向けられた言葉。彼にとっては不倶戴天の仇となるアレを討滅しなければならない。その為にはヒトの力では不足している。私には関係の無い話だ。だが、内側から湧いて出るモノは一体なんだ。


 精霊に凡そ心と呼べるモノは存在しない。では、この胸から沸き立つモノはなんだ。痛みを伴うような、最悪な感覚。


『手伝え、』


 その目つきは、龍を睨み離さない。手伝え、と。分かっているのか。その選択は己を縛り付ける事になる。死ぬことよりも辛い選択だ。それでも、選ぶというのなら。


『アレをせめて……ッ!』


 砕けた鎧は空を睨む。その外装は殆ど意味を成していない。城と共に崩れていき、彼の頭部があらわになっていく。


 何故だ。何故、戦う。お前はもう戦う必要は無い。国は滅びた。故にお前は既にこの国の騎士ではない。姫に与えられた使命は、生きる事だろう……ッ。


『国が滅びようとも、我らアグレシオンの意思は、途絶えぬと知れ──ッ!』


 感情は、邪魔だ。姫の意思を尊重する。私にはそれしかない。アグレシオンは滅んだ。事実は覆らない。情は無い。この胸を引き裂く程の痛みはきっと気のせいだ。外傷は無い。そもそも私に外傷は付かない。内部を貫かれたかのような痛み。ならこれは何だ?


『お前は、もう知っているはずだろ』


 どういう意味だ。


『感情は、前に進む為の足枷だ』


 それはヒトにのみ適応される。ヒトではない私には別の意味でしかない。


『必ず大きな一歩に変わる時が来る。今がその時だ』


 私は、精霊。月の精霊。彼方の地よりこの地を観測する者。この地に降り立ったことを間違いだとは言わない。得られたモノは多く、気付けたモノは大きい。所謂文明の崩壊だ。そんなモノ良くある事だ。文明とはやがて滅ぶモノ。とは言え、彼らが己をヒトだと定義したのは大きな意味がある。十三に並ぶ武装、その第一に触れ、ヒトはヒトとなった。


『手を貸せと言っているんだ精霊』


 騎士は私を睨む。意味を理解しながら、それでも戦わなければならないと己を奮い立たせるように、剣を強く握り、盾を構え、その先は龍へと。何故、そこまで出来る? 理解が出来ない。死者は蘇る事は無い。最早守るモノなぞ、あるモノか。


『お前も姫に恩を感じてやがるなら、さっさとその力を貸しやがれッ!』


 …………。これは、感情だ。私が目を逸らし続けた、ヒトの持つヒト唯一の摩訶不思議な不具合だ。感情を得た精霊は必ず消滅する。魂の老廃物は感情の起伏によって生まれる。純粋なエーテルの塊である精霊にとってそれは──。


「────精霊炉、解放」


 何故と問う。不合理な手段だ。彼を生き延びさせる事だけが目的ならばきっとこの選択は間違っている。ヒトにはヒトの道があり、精霊には精霊の役割がある。それを放棄しようなどと到底許される事では無い。


 今一度何故と、問う。意味は? 理由は? 本当にそれで良いのか?


「あくまでこれはヒトの戦争」


 私には何の関係の無い話。観測を生業とする私にとって一番遠い出来事。けれど。


「麗しき姫の流した涙」


 意味を見出すのなら、それだけで良い。必要なモノは、何も無い。


「たったそれだけでここまで奮起出来るのであれば託そう」


 第十三の解放。私に出来るのはこれだけ。手伝え、その意味を理解しているというのなら、


「魔法の真髄篤と見よ」


 十三に並べられたモノは十二へと数を減らす。この先を視たモノとして、最期くらい綺麗に飾ってやるために。


「私は月の精霊。ここに──……」


 ここに、証明するは原初の十三。ヒトがヒトとして存在するのであれば、これは私からお前達への最大限の祝福。そして、


「姫への返礼はここにて果たす」


 それが私に出来る唯一の事。姫よ、きっと愛していた姫よ。私は、お前の最期を看取る事は出来ない。騎士はこの先も暗澹たる悪路を突き進むだろう。それがお前がした彼への押し付けの忠義だというのなら、ランタンくらいは私が用意してやる。


「命とは尊ぶべきモノ。私がここで得たモノは、何物にも代えがたい美しいモノだった」


 手放すには惜しい。お前達の信条が、お前達の意思が、お前達が遂げようとした本懐が。全てが美しいとそう思える。


「ならば」


 魂を燃やせ。炉心を燃やし、全てをあの騎士にッ!


「全部持って行け。文字通り私の全てだッ! 今更怖気づくなよ、ヒトの騎士ッ!」


 例え十三が十二に減ろうとも、それは未来に必要な犠牲。


 ダウナーウィッチの誕生は二千年後。


 騎士の忠義を果たすのも二千年後。


 魔法は生まれる。彼らヒトの手に握られし第一を媒体とし、感染していくだろう。


 それでいいッ! 疾く広まれ。魔法よ美しく在れ。呪い振り払い空を照らせ。月はお前達を祝福し永遠に見守ろうッ!


 空を、覆う魔法陣。星と星を紡ぎ成すそれは、


「魔法の空。疾く御覧じろ」

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