030

「ご飯たーべよ?」


 昼休みになった途端起きたベルに声を掛けられる。この子、睡眠と食事の為に学校に来ているんじゃないだろうか。来ては寝て起きて食べて午後はまた寝る。ここ一か月くらい彼女が教科書を広げている所を見た事がない。一か月程前の筆記試験は赤点を回避していたけど、次の試験は厳しいんじゃないだろうか。


 ベルは寝起きが良いらしく、パッと目が覚めてすぐにいつものテンションでわたしに話しかける。睡眠時も寝相が良いのか寝息が聞こえてくる事はない。まるで最初から寝てなどいないように。


「い、良いけど、どこで食べる?」


「ここで良いよ。もしかして買いに行ったりする?」


「きょ、今日は作って来たから、大丈夫……だよ」


 たまに起きれなくて作れない時があるけど、大抵自分で作って持ってきている。学校にも食堂はあるけど、カロリーが気になるので自分で作ったのを食べるのが一番良い。……ついでにアリシアさん達が食べる分も用意出来るしね。だってわたししか料理出来ないんだもん。あのヒト達、わたしが料理出来る様になるまで基本外食かパンだし、魔法食って言って全っ然美味しくないモノ食べてたし。あれを始めて食べた時思わず顔を顰めてしまった。ファブラグゼルより数千倍単位でお金あるのにご飯が美味しくないのは由々しき問題でしょ。


 魔法は便利だ。朝作ったモノが傷むことなく食べられる。ホワイトリザードの皮を使った、デグルの製品。魔導だったり魔科学だったり言われる技術の一端。アリシアさんは新しいモノが好きだから、そういうのを買っては自慢するんだ。一体何時デグルなんかに行っているのか謎だけど、どうせ転移魔法で瞬時に移動してるに違いない。


 アリシアさんが商人として生きてしまったら、色々と破綻すると思う。ほぼ無制限に物資の輸送が可能で、大陸中の商人が一日に運ぶ量を、やる気を出せば一日で運ぶ事も出来るだろう。とは言え、それは理想値。そんな数を用意出来る訳が無いから、精々一国の貿易を一人で全て行うくらいに留まるだろうか。絶対に彼女を商人にしてはならない。素材が欲しけりゃ自分で狩る。冒険者のメンツ丸つぶれだ。ダメダメ、良くないほんとに。


「相変わらず料理上手だよねミーシャちゃん」


 わたしが開いた弁当を覗き込むようにして見たベルが感嘆の声を上げる。


「う、上手くなるしか無かったん、だよ」


 失敗しても全部食べられてしまう。どれだけ不味くても勿体ないからとか、折角作ってくれたんだからって言って全部食べちゃうんだよ。体調とか悪くならなかったのは、アリシアさん達だからなんだろうか。結果わたしの分も無くなっていたし。味覚に異常があるという訳じゃないとは思うんだけど……。優しさっていうのは分かってるよ? もちろん。だけど、失敗作を平気な顔して食べられるとちょっと不安になる。


「家ではお手伝いさんとか居ないの?」


「居ない、よ。半分くらいわたしがお手伝いというか家事してる感じ……かなっ」


「そうなんだ。ほんとに普通の家みたいなんだね」


「う、うん。普通、だよ」


 普通、だと思うよ。ヒトは異常だけど。温かさとか、賑やかさとか、そういうのは一般的な家庭と変わらないと思う。この温かさはファブラグゼル家と変わりない。愛されているんだと、分かる。分かってしまう。だから必ずどこかで答えないといけない。わたしがしたいこと、わたしがやるべきこと。期限は迫ってる。


「私は料理なんて出来ないから、ちょっと羨ましいよ。相手を落とすには胃袋を掴むのが一番早いって言うし」


「……、そ、その言い方だと好きなヒトが居るみたいだけど、居るの?」


「……、さ、そんな事より、明日って実技講義だっけ?」


「ご、誤魔化し方下手すぎでしょ……」


「うるさいな。良いんだよ私の事は」


「わ、わたしの事は深堀りした癖にっ!」


 ずるい、ずるいぞ! わたしだってそういう話聞きたいんだからなっ! だって普通に面白そ……っ! これじゃアリシアさんと同じか。いやもう同じでいいや! そういうの好きもっと聞かせろぉっ!


「分かりやすく嬉しそうな顔。ミーシャちゃんってほんと分かりやすいよね」


「……だって気になるじゃん」


「そうだろうけどさ。私のはダメ」


「なんでぇ」


「ダメなモノはダメですっ!」


 ベルにきっぱり断られてしまった。これ以上聞くのは野暮。というか嫌がられると思う。これ以上聞いて嫌われるのは嫌だ。


「私の事は置いといて、ミーシャちゃんはあれから変わらず?」


「へ? 何が?」


「そりゃあ王子様の事についてだよ」


「……何も無いよ。ある訳無いよ」


「それもそっか……会わないって決めてたもんね。…………純粋な質問なんだけどさ、寂しくならない? 好きなヒトと会えないのって辛いじゃん」


 気になるんだろう。彼女にも好きなヒトが居るみたいだし、たぶん学内だろうから、会えないという感覚が気になってしまうんだと思う。正直わたしも気になる。好きなヒトといつでも会える感じ。時々羨ましく思う。手を繋いで帰っている同じ学内の生徒を、羨望の眼差しで見てしまう事もあるんだ。一緒になれる。一緒に居られる。それがどれだけ幸せな事か。


「……そりゃ、寂しく思う事もあるよ。会いたいなって思ったり抱き着きたいなって思ったりするよ。やり場が無いっていうのは結構辛いけど、でも絶対この後一緒になれるんだって思うと、それだけでにやけちゃうわたしが居るから。いつかがあるなら我慢できるよ」


「……本当に信頼してるんだね」


「あの子に恋愛は無理だよ」


「酷い言いよう。だけど、まあそれはそれで良いかもね」


 モテないという訳じゃない。女子受けは良いと思う。けど、ヒトから寄せられる好意に鈍感なんだ。直接好きって言っても、『ありがとう』でそれで終わり。実際小さい頃では何度か言われている場面を目撃した事がある。全員商人の子だったし、全員見事に玉砕してた。あれは残酷だと思う。友達としての好きと恋愛対象としての好きには大きな溝があって明確な違いがある。けど、彼にとってはそれが両方同じに見えていたんだと思う。その癖、わたしと約束だって言って実質婚約してくるみたいな大胆さも持っている。こう言っちゃアレだけど、ライラはわたしにぞっこんなんだよ。えへへ。


「顔、にやけてるよ」


 言われて整える。


「それだけ好きなんて、もう才能だよ。叶ったらとんでもなくデレそうだね?」


「……なんかそれ……あ、いやなんでもない」


 アリシアさんにも言われたなぁって言おうとして辞めた。そうだった、隠してるんだった。自分で嫌って言いながら忘れるなんて、本当に意思が弱い。……言い訳をすると、ベルであれば、別にバレても何も問題無いんじゃないかって思ってしまったんだ。ベルは底抜けの善人だ。それはこの四か月で良く分かった。だから彼女なら別に言ってしまっても馬鹿になんてしないんじゃないかって思ったんだ。


「卵焼き一つ貰っていい?」


「うん」


 ひょいパクっと、卵焼き一つお弁当箱から消えてしまう。美味しく出来たはずだから誰に食べてもらっても構わない。けど、家族以外の誰かにわたしが作った料理を食べてもらうのは初めてだな?


「美味しいね、これ。凄く美味しい」


「あ、ありがと」


 少し照れてしまう。初めて美味く出来た時も、アリシアさん達にべた褒めされて恥ずかしかったのを思い出す。あの時は頭撫でたり色々としてもらった。たった二か月ちょっと前の話だけど、もう懐かしい。時間が経つのは早い。早すぎてちょっと自分が追い着けていない。いつの間にかもうこれ以上暑くなることはなくなる時期になってしまった。あとは下がっていくだけだ。


 黙々とご飯を食す。今日は本当に上手に出来たと思う。卵焼きの甘さ加減も丁度良い。お浸しも美味しいし。今日はたぶん良い日。


「ミーシャは居るか?」


 教室のドアが開かれると同時に先生の声で呼ばれる。


「は、はいっ」


 ギリギリ聞こえるだろう声を精一杯出してここに居ますとアピールする。


「あぁ、すまない、放課後少し職員室に寄ってくれないだろうか」


「か、構いません、が。な、何か用事……ですかっ」


「少し手伝って欲しい事があってな。前回筆記試験一位だったお前に是非、な」


「わ、わかりました」


 結局具体的な要件は教えずに先生はそのまま教室の外へと出て行ってしまった。


「前にもなんか引き受けてなかった?」


 食べ終わった弁当箱を仕舞ったベルが、机に肘を着く。


「まあ、頼まれたんだし、やるよっ」


「ミーシャちゃんがそれで良いなら……じゃあ終わるまで待ってるね?」


「うん。ありがと」


 わたしも食べ終わったお弁当を仕舞って、一息吐く。何をさせられるんだろう。後日配布するモノの手伝いとかだろうか。なんでわたしなんだろう。筆記試験一位とかそういうの関係無いと思うんだけどな。


「そうそう、めちゃくちゃ話戻るんだけど、明日から実技講義だよね?」


「うん。そうだよ。最初はアグニとかだと思うけど……」


「この前はからっきしって言ってたけど、どう? 使える様になった?」


「い、一応、アグニなら。ただ、構築に時間が掛かりすぎてるからもっと練度を上げないとって、感じ……っ」


「そかぁ。じゃあ私と同じくらいかな」


 アグニなんて簡単な魔法だと言われがちだと思う。実際魔法の中では簡単な方なんだと思う。わたしでも使う事自体は数日で出来たんだ。ただ問題は極める事に関してだ。もちろんアリシアさんみたいになりたいわけじゃない。あれは無理。ヒトの域じゃない。せめて連続灯火くらいは出来る様になりたい。目標は五個。今はまだ三つしか出来ない。


 考え方は複数あるけど、わたしの場合魔力回路を分割するやり方。でもこれ以上増やせる気がしないから、たぶん別のやり方の方が良いんだと思う。ただ、別の考え方を使うとなると、また一からやり直しになる。一つ灯火は出来るだろうけど、二つ目になると何もかも、感覚さえも変わってくる。そうなると殆ど別の魔法を扱っているようなモノ。


「ミーシャちゃん難しい顔してる」


「うぇ、そう?」


「指摘されると変な声出すよね、ミーシャちゃん」


「うっ、いや、うん。癖かも、ね」


「魔法の事考えてた?」


「わたしには向いてないなって」


「そうなの?」


 そうかな? と首を傾げられる。杖とか、筆記試験とか、そういうのを総合してガワだけ見れば確かに向いていないなんて思われないと思う。けど、実際は筆記だけが得意で実技がスッカスカ。アグニが使えた所で結局何か役に立つということは無いんだ。ただ魔法の基礎として習うには適しているだけ。そもそも魔法を使うって言っても、現代魔法に組み込まれ頒布された基本魔法を使っている時点で、魔法式を使えているという事にはならない。最初から現代式の理論を構築、展開して魔法を使えるとは思ってないけど、そこまでの道が暗すぎて見通せない。


 組み込まれた、というのは他の誰かが構築した理論をそのまま転用しているだけに過ぎない。全部アリシアさんの受け売りだけど、だから、彼女は殆どの魔法使いに対してそこまで好印象を持っていない。彼女からすれば全て魔法にすら至ってないとか。転移魔法なんて聖方にも現代式にも組み込まれてないモノ。そういうのを使えるようになって初めて魔法使いと名乗れる、と彼女は言うんだ。無理でしょ、それ。


 骨子、理論、構築、魔力の糸を編んで魔法と成す。現状アグニで精一杯のわたしには夢のまた夢。特殊な能力があったとしても、それを上手く使うには元となる魔法たちを会得しなければ何の意味も無い。何の為にわたしにはこんな能力があるのか。使い方が分からなければ自覚もしていない。ならある意味はなんだろう。アリシアさんがどうやってわたしの能力を知覚したのか分からないけど、養子にした理由はその能力由来。わたし自身でなく、能力目当て。うん。その方が良い。プレッシャーが減る。


 そんなこんな考えていると予鈴が鳴る。鐘の音。校内にのみ響く様に調整されたモノ。結界だとか色々作用した結果らしい。だから普通に暮らしていても、学校の金を聞く事は無い。


「予鈴だ、次なんだっけ」


「魔法理学」


「げっ、おやすみなさい」


「ね、寝過ぎは体に良くないよ」


 寝る気満々の彼女の机の上は綺麗さっぱり何も無い。さあこれから突っ伏して寝るぞ! という気概を感じられる。そんな事にやる気を出さないで欲しい。今後赤点取っても知らないよ。


「悪い、ヴェルディオン。話があるんだが……」


 誰だっけこのヒト。クラスの男の子っていうのは覚えてるけど、名前とか憶えてないや。話した事……あったっけ? いや、一度ぶつかった記憶があるような無いような?


「う、うん? 何?」


「あぁ、ここじゃあれだから放課後時間くれるか?」


「う、うん。良いけど……」


「じゃあ放課後残っていてくれ」


 それだけ言って彼は自分が使っている席へ座ってしまう。


「今のは?」


「え、自分のクラスのヒトくらい覚えてあげなよ。勉強出来るのになんでヒトの名前は覚えれないんだよ」


「話した事あったっけ。無いヒトは流石に覚えれないよ」


「皆人見知りって分かってるから話しかけにくいんだよ」


「それはそれで、ありがたい……ような?」


 ヒトから話しかけられないのは正直言ってめちゃくちゃ助かる。別に男性が苦手とかそういうのは無いし、なんならわたしのトラウマの原因は女の子だし、別に男性に話しかけられる事が嫌という訳じゃない。誰であろうと話しかけられるのは苦手。仲良くなれば別にそんな事は無い、けど。


「…………クラスの子くらいは覚えてあげようよ。話したことなくても普通覚えるくない?」


「逆に寝てばっかりのベルが憶えてのがびっくりだよ」


「…………さっきのはレグナード・フェレグレッドだよ」


「聞いた事ないや」


「嘘でしょ……」


 先ほどの彼女の受け応えを見るに、たぶんそういう事だと思う。この子が他の男の子と話している時とか、あんなあからさまな態度は取らないし。分かりやすいのわたしもだけど、ベルも相当じゃない?


「そか。そういうことなんだね」


 直接聞いてみる。たぶん顔はにやついてる。


「なに、その顔。ムカつくんですどー」


「そういう事なんだねぇ」


「…………うるさいな」


 照れた。やっぱりそっか。


 なんてしていたら本鈴が鳴ってしまった。


──────────────────────────────────────


 結局先生の手伝いというのは書類仕事。わたしが手伝うような事なの? と思いつつ、まあもし神子になるんだったらこういう仕事もいつかやらされるかもしれないし、と我慢。まだ、なるって決めた訳じゃないんだけどさ。決めてないけど、決意はあるというか。うーん。めんどくさいなわたし。


「ふぅ」


 手伝いを終わらせて、杖を取りに戻ろうと教室へ。帰ったらご飯作らなきゃ。何作ろっかなぁ。なんて考えながら廊下を歩く。時間にして三十分程しか手伝っていない。案外早く終わって何より。ベルもベルで用事が出来ていたけど、どうだろう。すぐに終わって待たせていたらちょっと申し訳ないな。


 ドアを開く。


「ごめん、お待た────せ?」


 ベルが居る。それは良い。というかベルしか居ない。レグナードは帰ったのだろうか。ベルが椅子に一人座っている。その姿に違和感があった。


「…………どう、したの?」


「────────っ、」


 わたしに気付いたベルが勢いよく立ち上がる。鞄をの肩掛け部分をぎゅっと握って、


「…………ミーシャちゃんって、アリシア様の娘ってほんと?」


「──────────────え?」


「私じゃ、ダメみたい」


 そう呟く様にして、わたしの隣を通り過ぎて走って行ってしまう。


「……え、ちょっと、待ってっ!」


 声を掛け、振り向くももう彼女の姿は無い。追いかけないといけないと思った。だからすぐに杖を持って鞄を強引に背負う様にして教室を出ようとした。


「待ってくれ、ファブラグゼル」


 レグナードが居た。


「………………っ」


 話しかけられて、動きが止まる。急に話しかけられた。今まで接点が無いヒトに急に。脈絡もなく。何のためらいもなく。話しかけられた。困惑。恐怖。でもそうこうしている間にもベルは走って一人で帰ってしまう。せめて校門までで良いから一緒に居たい。けど、それを邪魔するように、教室のドアを塞ぐように彼は立っている。


「話があるんだ」


「わ、たしには……っ、無いっ……から、どいてっ」


 精一杯捻りだした声。聞こえてるか分からないくらい小さい声。無視をしよう。そうすれば、ベルに追い着ける。そうじゃないと、置いて行かれてしまう。


 ぶっちゃけた話、わたし、こいつ苦手だ。現在進行形で邪魔をされているという認識もそうだけど、何より顔が気に食わない。なんだよその甘いマスクは、どうせそれで女の子悪戯にひっかきまわしてんでしょーが。いや、これは良くない。良くないよミーシャ。この言い方はあまりにも酷い。知らないヒトにそれはダメ。


「………………………………っ」


 ベルを追いかけなくちゃ。嫌な予感がする。このままじゃ、ダメな気がする。だから、走った。彼とドアの間隙を縫って、走り抜けようと。けれど、


「──────ひっ」


 腕を掴まれた。あ、無理。無理です。ほんとに無理。彼も必死なのは分かる。なんでこんなに必死なのかは分からないけど、必死なのは凄く分かる。けど邪魔だ。邪魔にも程がある。


「…………触らないで」


 酷く冷たい声が出た。初めてだと思う。自分でも少し驚くくらい冷たくて低い声。それでも彼は手を離さない。彼も彼で必死だから、離そうとしない。


「大事な話なんだ」


「……………………、離して」


 か細くて聞こえているか分からない声で懇願する。人見知りなんてしてる場合じゃない。どちらかというと嫌悪感が勝っている。知らないヒトに腕とはいえ触られるというのは不快感極りない。それも男性だ。正直今すぐ逃げ出してベルを追いかけたい。けど、どうやらそれは許してくれないらしい。


 ようやく離された。もう、大体予想は着いたんだ。最悪だ。本当に最悪で最低で、酷い話だ。わたしは明日から、ベルにどんな顔をすればいい。さっき知ったんだ。


「ベルを、フッたんだね」


 自分でも驚くくらい冷静になっていた。いつもなら絶対に出ない声。いつもなら絶対にまともに喋れない。けど、何故か今だけははっきり言葉が出た。


「俺は……っ」


「ごめん、無理」


 聞きたくないというのが一番。


「………………………………………………好きだ」


「無理だって言ったじゃん」


 掴まれた腕がジンジンと痛む。強く握りすぎだ。冷静でなかったのかもしれないけど、こんな奴とはごめんだ。わたしにはライラが居る。ライラしか居ないんだよ。


「わたしには、許嫁が居るから」


 嘘じゃない。本当だ。許嫁が居る。最強の言い訳だ。誰に何を言われるはずが無い。


「親が決めたモノだろ。ならなんとかなる。駆け落ちでもなんでも出来るッ! 俺は、ファブラグゼル、お前が好きだ。殆ど話したことはない。一目惚れだ。ヴェルディオンと話している姿を見て、その笑顔に惚れた。親が決めて、お前が望むモノではない婚約なら、破棄出来るだろう。だから」


 気持ち悪いな、このヒト。これを言ってくれたのがライラだったら、飛び上がる程嬉しい。死んでしまうくらいに嬉しい。だけど、なんでこのヒトはわたしの許嫁を勝手に否定しているんだ? ふざけるな……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなッ! 全身の毛が逆立つ。嫌悪感、拒絶反応、怒り、怒り、怒り。せり上がってくる。何だよ、こいつ。腹が立つ。今までで一番、最高に腹が立つ。どんな事を言われようと、どんな仕打ちを受けようと、何を強制されたって別に良い。だけど、それだけは、ダメだ。ダメなんだよ、それはわたしが今頑張る意味だ。頑張れる意味だ。それを馬鹿にされた。それを否定された。


「…………、ふざけないで」


 震える。それは怯えではなく、腹の底からせり上がってくるモノによる怒り。人見知りだとか、そんなめめっちい事で本音を隠すのも疲れた。だからもう一度。


「ふざけないで……っ!」


 吐き出した言葉と共に、思いっきり左手で平手打ち。ぺちんっ! と情けない音しか出なかった。こういうのは良い音が出る程気持ちいけど痛くはないらしい。実際あんまりスカッとしなかった。やり損だ。だからまだ怒りは収まらない。


「なんでロクに喋った事も無いヒトが勝手に否定するの。意味が分からない。そもそも誰だよ。一目惚れ? 知らないよ、他所でやってよ。何も知らない癖にヒトが大切にしているモノを馬鹿にして……っ!」


 もし、まともに魔法が使えたら、わたしはたぶん使ったと思う。心の底からイライラが収まらない。嫌いだ。嫌いだ、嫌いだ。全身が拒絶する。好意で言ってくれていると分かるから余計に腹が立つ。そういうのは気遣うべき事柄だ。なんで許嫁って言葉だけ勝手に決め付けられたモノと思い込む。迷惑だ。


「……っ、ご、ごめん。俺は、」


「嫌い」


 はっきり強い口調で、そうだ、アリシアさんは敵にはきちんと威圧すべきだと言った。だったら真似をしよう。わたしにとって今の彼は、敵だ。邪魔な存在だ。早く追いかけたい。じゃないと間に合わないっ!


「だいっきらいっ!!」


 ついでにもう一発平手打ち。バッチィィインッ! 響いた。


「二度と、話し掛けないでッ!」


 今までで一番大きな声だったと思う。生まれてから今までを数えて、その中で一番大きな声。それくらい許せなかった。それくらい今の文言で、こいつの全部が嫌いになった。殆ど知らないから、どういう心境で、どういう意味で、どういう理由で言ったのか知らない。必死だったのも分かる。必死な告白だった。ライラとした約束よりも、正直情熱的だったかもしれない。けれど、


「……ごめんね。ベル、追わなきゃ」


 彼もわたしの事を知らない。冒険者の子が学校に来れるわけがない。だから、わたしを冒険者の子と知った時彼は幻滅するだろう。知っている。そもそも彼に対してそこまで興味も無い。興味無しから大っ嫌いに昇格したんだ。良かったじゃないか、おめでとう。


 告白っていうのはこういう風に相手の地雷を踏まない為に慎重にするモノでしょーが。一目惚れ? だから告白? 話したことも無いのに? 馬鹿じゃないの?


 走り出す。教室を出て階段を下りるころ、チラリと見えた教室のドアから伸びる影は、その場にへたりこんでいた。


 走る。走って、走って。ライラに連れられた頃の様に、階段だって二段飛ばしで、少し危ないけど駆けていく。


「ま、待ってっ!」


 奇跡的に追いついたベルに声を掛ける。けど、振り向いたその顔を見て、わたしは、掛ける言葉を失って。


 泣いていた。


「……………………………………」


 なんて言えば良いんだろう。回避しようが無かった。なんてのはきっとベルからすれば言い訳だ。わたしが、取ったようなモノなんだから。心が、張り裂けそうだ。


 痛い。


 理不尽だ。知らないヒトに勝手に惚れられて、その相手を友達が好きになって、それで、わたしが告白されて。最悪だ。これ以上無い程に地獄だ。


 ベルはわたしが言葉を迷ってる間に、背中を向ける。今の表情は、色々ぐちゃぐちゃで、頭の中がぐるぐるして出力すべき感情を迷っているんだ。訳も分からないまま泣いて、けどたぶんその涙だって自覚してない。そんなの、どう声を掛ければ良いの?


「──────────────」


 私じゃ、ダメ。そんなはずない。ベル以上に良い子は居ない。居ないんだ。


 痛い。


 わたしは、明日から、どうやってベルと過ごせば良いんだろう。どうやって、話せば良いんだろう。どんな顔をすれば良いんだろう。


 痛い。


 わたしの足は動かない。凍り付いたように動かない。声を掛けようとして伸ばした手も自然と下がって、ベルの背中は雑踏に呑まれて見えなくなる。どうしようも無い。ヒトの好意に関して、良いも悪いも無い。


 ベル、わたしは。どうすれば良いの。何がしてあげられる? 居なくなれば、良い? きっとわたしが居なかったら君は幸せだったよね。だって、わたしが居なければ絶対あのヒトはキミを好きになっていたと思う。ちがう、いいわけだ。だって、だって……。だってさ…………。


 へたりこみそうになった体を無理やり杖で支える。吐きそう。大きな声を出したからか、喉が痛い。


 わたしは。わたし、は……。どうして。


「────────────」


 視界が、潤んでぼやける。なんでわたしが泣くんだ。違うでしょ。わたしが泣いたってどうしようもない。何にもならない。意味なんて無いっ! 泣かないで。そんな暇があるなら……っ!


「────────ぅ、あっ、ぁあっ」


 痛いくらいに彼女の気持ちがわかるんだ。どうしようもなく分かるんだ。あの子は度を越した聖人だ。だって、わたしを恨んで、一発殴ったっておかしくないじゃないか。好きなヒトが好きになった相手は、その好きなヒトをお昼まで知らなかったんだ。そんなの腹が立つに決まってる。思いっきり殴って当然だっ。なのに。


 彼女は口を閉ざして、わたしの隣を逃げる様に去ったんだ。優しすぎるよ。わたしには勿体ないくらい良い友人。親友なんだ。たった一言だけ、私じゃダメみたい。ってそれだけ。わたしに対する言葉は実質それだけだった。アリシアさんの娘ってバレたのはこの際どうでも良いっ!


 握った杖が震えている。それでようやくわたしが震えている事に気付いた。


 寒い。おかしいくらい寒い。まだまだ温かい時期なのに、気持ち悪い寒さがわたしを覆っている。吐き気がせり上がる。


 心に石を詰め込まれたみたいに重くて痛い。心が、張り裂けそうだ。


 こんなにも簡単なのか。こんなにも、友達を失ってしまうのは簡単なのか。知らなかった。知りたくなかった。ずっと友達で居られたらって、思って。だけど、理不尽に破られた。彼を恨むのは筋違い。彼はたぶん悪くない。ううん、わたしに対して言ったことは、死んじゃえって思うくらいには最低だったけど。彼はわたしを好きだと言っただけだ。誰を好きになるかなんて、そんなの本人にも決められない。


 だから、やり場なくて困ってる。どうすれば良い。どうすれば、わたしは良かったの? 誰も悪くないと思う。言い訳だって、ベルからしたら、わたしは最悪な恋敵だ。しかも相手に興味が無いと来た。どうすれば良いんだよそんなの。わたしはどうすれば。誰か、教えてよ。本にはそんな事書いてなかった。冒険ごっこじゃそんなことは教わらなかった。学校でも教わらなかった。アリシアさんにだってセニオリスさんにだって、誰にも教えられることは無かった。どうすれば良いか分からない。ベルが望んだ返答は、何なんだろう。


「わたしは、ミーシャ・アリシオス=ファブラグゼル。アリシアさんと、セニオリスさんの、娘……」


 大きく息を吐く。気休めのおまじない。だけど案外なんとかなって来た。アリシアさんとセニオリスさんの娘。だからしっかりしなきゃ。そう思いこむ事でなんとかしてきた。


「………………、」


 だけど今回ばかりは効果が無い。


「────────っ」


 ようやく動いたわたしの足は、湖畔へと向かっていた。

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