020

 シャツを着て、スカートを穿いて、靴下を履いて、その上からブレザーを羽織り、ボタンを全て閉じる。


「「にあってるーっ!」」


 ドアの隙間から覗き込んでいたアリシアさんとセニオリスさんが感嘆の声を漏らす。何も変質者みたいに覗く事は無いだろうに。シグに見られるのはちょっとアレだけど、この二人なら拒否はしない。気にしているのはわたしよりも二人の方だろう。


 今日が初登校……というわけじゃない。制服が届いたのでその試着。もし何か取り違いがあっても今ならまだ間に合う。そういう意味での試着。中でも一番重要なのはサイズよりも、尻尾を通す穴がスカートに空いているか。また、その位置が寸分違わずズレていないかを確かめる。わたしは猫虎族で尻尾が細長い方だからまだマシだけど、犬狼族だと大変だ。さらにわたしみたいなヒトの体に猫の様な耳と尻尾が生えているタイプではなく、完全に獣人である場合、更に厄介だ。チャックに毛が挟まって死ぬほど痛い。


「どうですか?」


「凄い似合ってる! めちゃくちゃ可愛い!」


「そりゃミーシャちゃんは可愛いからねぇ。当たり前だよ」


「なんでシアちゃんが腕組みして頷いてるの?」


 私の娘だからね! キリっと目を開いてどや顔で主張する。胸も張ってしまって、なんだかこっちが恥ずかしい。………この空間全員胸無いな?


「ミーシャちゃんは違和感無い? 尻尾とか大丈夫?」


「あぁ、はい。大丈夫です。良い感じです」


「そか。ならよかった。本当に良く似合ってるよ。こりゃあ大人気間違い無しだ……!」


「だいにんき?」


「引く手数多って事だよ。ま、ミーシャちゃんにはあんまり意味無いかなぁ」


「あと鞄も確認してね。何故か知らないけど指定鞄じゃないとダメなんだよねぇ。カルイザムはそんな事無かったのに」


「ルールは場所によって変わりますよ」


 風土にあったルールとか、そういうのも多いし、そもそも校風だとかそういうのを大事にしなければ学校としては潰れてしまう。何でもあり、なんてそんな学校なら行っても行かなくても関係が無いでしょ。わたしが行くのはファブナーリンドの魔法学校なので、別の学校のルールは正直どうでも良い。


 制服も可愛いし、何も文句は無い。寒ければコートを着ても良いらしいので、そこも安心。まあそれも学校指定のだけど……デザインも悪くない。温かそうではあるし、これに対して文句言うヒトも少ないでしょ。


「入学式は、丁度一週間後。なのでこれを更にプレゼントっ! とは言え、そこまで高価なモノじゃないんだけどさ」


 アリシアさんがどこからともなく杖を取り出す。アリシアさんがいつも使っているモノじゃない。初めて見る杖だ。


「はい、これ。本当は梱包とかしていた方が良いんだろうけど、杖を梱包するのはちょっと……ね」


「い、良いんですか?」


「この前杖あげるって言ったでしょ。それだよ。魔法学校に行くのに杖が無いなんて何しに行ってるんだって話だし」


「ありがとうございます」


 差し出された杖を受け取る。少し重い。長さで言えばわたしの身長ほど。木で出来ているからまだ軽い方だと思う。アリシアさんの杖はわたしじゃたぶん持ち上がらない。あれは杖が使い手を認めてるとかそういう類のオーパーツだ。現代の技術でも再現は出来ないと思う。永帝とか、そういうレベルの話だからね、アレ。


 わたしが受け取ったモノは普遍的ではあるけど、かなり貴重な素材が使われているのが解る。これで高価じゃないって言うんだから、つくづくアリシアさんの金銭感覚は狂っていると思う。ちゃっかり柄に宝石が宛がわれているので、間違いない。確かに魔導士が持つようなモノではないけど、一般国民や一介の冒険者には手が出ないような価値のモノ。


 これをわたしが握っていいのか。ろくすっぽ魔法が使えないのにこれだけの価値のあるモノを?


「キミはこれくらいなら使いこなせるよ。まあでもキミの場合、結局最後は杖無しになるだろうけどね」


「……………………………………」


 わたしの魔力回路の話かな? 魔法を使った事の無いわたしからすれば全く自覚の無い能力。本当はアリシアさんにアグニくらいは教わろうと思っていたのだけど、わたしの学力ではそもそも学校にも受かりそうになかったので、そちらはパス。入学してから学校でもアリシアにも教わろうと決めたんだ。受からなかったら何の意味も無いしね?


「凄い、手に馴染む」


 最初から自分の一部であったかの様に杖は綺麗に馴染む。魔力回路が少しだけ活性化されたような気がする。なんというのだろうか、目が悪いヒトが眼鏡を付けた時の様な……ぼやけていたモノにしっかりと輪郭を描かれたみたいな、そんな感じ。


「杖は相性が大事。ミーシャちゃんの場合、魔力回路がしっかり整っているから大抵の杖を使いこなす事が出来るだろうけど、ただ一点問題があってね」


 アリシアさんが鼻高らかに語り始める。タメになる話だから、しっかり聞こう。この先もし杖を選ぶ事があったら参考になる。


「ミーシャちゃんの魔力回路は特殊でもある。一度発動した魔法を詠唱無しで即座に放てる。私やオリちゃんが行う無詠唱でも追いつけない程に迅速に。ただ、その状態は魔力回路がいつだって全力で開かれている事を指す。そのおかげで魔力回路は常時潤っている状態だけど、魔力が飽和して、魔力回路がぼやけてしまうんだ」


 なので~、と彼女は続ける。魔法の事になるととても饒舌になるのは、アリシアさんらしい。とは言え、あまり長く話されるのも困るのだけど……。まあでもそうはならないでしょ。セニオリスさんが居るのだから、きちんと止めてくれる。


「杖の方に魔力を溜めれるようにしたんだ。魔力回路に残っている余分な魔力を杖に吸わせて保存。キミは杖から魔法を放つのではなく、魔力回路から直接魔法を放つから、限りある体内で魔力を溜めていてもしょうがない。自分のキャパシティを越える魔力量は体内保存されないから、効率も悪い。なので、杖に保存して魔法を使う度に杖から補給する方式にしたんだ。まぁこれは杖でなくても良いんだけど……。ほら、宝石魔法とかあるし、あぁ言うので良いんだけどさ。でも学校では必ず杖を使う事になるから、なら兼用しちゃえって事で、この形になったんだ」


 要は、外付け容量という事らしい。気付いては居た。わたしの体内の魔力は飽和気味で、このままでは危険な状態になってしまう。本来、魔力は使っていなければ自然と破棄されて新しいモノが生成される仕組みになっているけど、わたしの場合そうもいかなかったみたいで、やや特殊な魔力回路は一度掴んだ魔力を離さない。こんな言い方、乙女としてはしたくないけど、魔力回路の贅肉が豊富に付いていた。もちろん掴みきれなかった魔力は破棄されるけど、一度掴まれた魔力は使われるまで消えないみたいで、わたしの体内の殆どを占めていた魔力はわたしが生物として誕生した当時のモノから変わっていないらしい。


 それが今全て杖に吸われた、という事になる。古い魔力では何か悪い事が起きるのかと言われれば明確に答えは出せないけど、外界に溢れているエーテルというのは日々変化している。本来リアルタイムで作られる魔力というのはそのエーテルを使っているので外界に魔法として放出、または魔力の塊として放出しても溶ける事は無い。んだけど、古い魔力の場合、現在のエーテルの環境に溶けきれず、魔法を放っても溶けてしまうらしい。


「ちなみに、ため込まれた魔力はリアルタイムで外エーテルの環境を算出して形状を変化させるから安心してね。魔法として放出しても溶ける事は無いよ」


「そうですか」


 杖を眺める。やっぱりこれを持ち歩くのって相当効率悪いよね……。アリシアさん達みたいに空間置換でどうにかしたいけど、そんな事が出来るのなら学校に行く意味も無いし。いや、神子になるのなら絶対に行くべきか。まだ、決めかねてるけど……。


 …………? 違う、比較対象を間違ってる。アリシアさん達を対象にしたらダメ。空間置換で杖だけ取り出すってどれだけ難しいことか……。目の前で当たり前のようにされてるから慣れてるだけで本来はとてつもない技術なんだから! 魔法の最奥だとか、はぁ、いつかそういう魔法も使えるようになれば……なんて思うけど……。


「出来るだけ肌身離さず持っていて欲しいけど、そりゃ無理か……。まあ出来れば、だから」


「学校には毎日持って行く事になりますし、魔法使いが杖を手放して生活…………あ、いや、なんでもないです」


 ここに居る魔法使いは普段から杖を持ち歩いていなかった……。おかしい、わたしが読んだ本に出て来る魔法使いたちは肌身離さず持っていたと思うんだけどなぁ! おかしいなぁ。


「ともかく、出来るだけ持っておきます。いつかわたし自身にとってとても役立つと思うので」


「そか」


 アリシアさんは頷いて、それじゃ、ちょっとお仕事行ってくるね。何か問題があれば、すぐに呼んで。とわたしの部屋の前から離れていった。すぐにシグを呼ぶ声が聞こえ、同じような事を伝えたんだと思う。


「わたしは……どうしよっかなぁ」


 用事は無いし、勉強も一応はキリの良いところまで進んでいるし……。読書に勤しむのもいいかもしれない。アリシアさんが買ってくれたモノもあるし、学校指定の教養魔導書も一応ある。それに読書は良い。勉強は好きでたくさんしているけれど、読書はもっと好き。ライラとやっていた冒険者ごっこと天秤に掛けると、そりゃ冒険者ごっこだけど。


「う~ん……」


 歴史書、地理学、小説、魔法哲学、魔法力学……麗愛の話、は置いといて……。麗愛はさんざライラに聞かされ続けたから、話の流れを完全に覚えてる。だから今更読むのもなぁ。


 なので、これから入用になるかもしれないと思うから魔法力学を少々。とは言え入門編。難しい話は無い。んだけど、専門的な話にはなる。


 魔法とは学問。戦闘術ではなく、突き詰めてしまえば殺しの道具として便利になるだけなのです。はい、根本は学問なんですよ本当です本当なんです……。アリシアさんとかセニオリスさんを見ているとそんな気がしないのだけど。


 未知に充ち満ちているのだからこれ以上ロマンに溢れた学問は他に存在しない、のです。学者といえば大体魔法を研究しているヒトを指す。他の学問であれば必ずその学問の名が着いた後に学者と着ける。歴史学者とか、天文学者とか。


 無駄に分厚い本を本棚から取り出す。魔法力学。魔法が何故発現するのか、を詳しく解明する学問。大きく締めくくると魔法学だけど、こんなん一つに纏められるか! と、細かく分けられた。その内の一つ。


 聖方魔法。現代魔法の礎になった魔法式。その研究も魔法力学に含まれている。魔法力学だけでこれだけあるのだから、魔法学が複数に分けられているのも頷けるでしょ? これでもまだ説明していないモノが多いんだから、未知に充ち満ちているというのは正解だと思う。


 ページを開く。魔法学の概要が書かれた一ページ。長ったらしく書いてあるけど、要はこの学問はとっても大事で物凄くロマンに満ちているとか、そういう事が書いてある。あとは理念。魔法力学が何に役に立つのか、とか。そういうのが結局一番大事だったりする。


 ページを捲る。学者になりたいのなら全てにしっかり目を通さないといけないかもしれないが、わたしは別に学者になりたいわけじゃないので、そこら辺は飛ばして……、と。この本を書いたヒトには申し訳ないけど、そういうのは覚えなくても支障は出ないので……。わたしに必要なのは暗記力。重要じゃない部分と重要な部分を綺麗に切り分けて難しい言い回しをしている所を簡単に訳して頭に叩き込む。


 捲ったページに書かれているのは、聖方についての現状の見解。現代魔法が広く使われている関係で、わたし達現代人は聖方をあまり知らない。魔法を使うだけであれば、聖方なんてどうでも良いしね。使えるのだからそれで良い。極めるならば聖方を理解した方が良いのはそうなんだけど……。聖方は現代の礎になった魔法式だと先ほど言った通りなのだけど、聖方には現代には無い属性という考えが色濃く存在する。古臭いからとそう言って現代魔法には取り入れらなかったのだけど、もちろん現代魔法に属性という考えを付与するとその分幅は広がる……と考えられてる。


 現代魔法を創った当の本人が、『属性なんて古臭い考え、余計に魔法の範囲を狭めてる。属性はいわゆる元素と呼ばれるけどさ、エーテルも第五元素なんだよ。空気、火、土、水の四つに囚われてるなんて愚かにも程がある。それでいて説明出来ない属性が出てきたら無属性って、魔法を馬鹿にしてるの?』とキレ気味に発言。誰も反論出来ず、現代から属性は抹消された。


 未だに属性に固執するのは、数千年も使われてきた聖方という魔法式を失いたくないという恐怖から来る逃避だと思う。確かに属性という考えはとても面白いと思う。だけど属性という考えが無くなった事で結界等の所謂無属性だと言われ続けていた魔法が目覚ましい発展を遂げた。


 だって、四属性に振り分ける事の出来る魔法よりも無属性の魔法の方が全体的な数を見れば圧倒的な数を占めていた。そんなの馬鹿でしょ。少し聖方が可哀想なので弁明すると、聖方が創られたのはかなり昔の話。魔法学問が全く発展していなかった。けれど、未知の力には名前を付けなければ誰もが混乱してしまう。無理やり当てはめて、とりあえずの説明をしたんだと思う。


 そもそも魔法学が急激に発展したのはここ千年程の話。現代魔法を創るに当たって掛かった年数は数えていないとの返答だったけど、たぶん百年単位だと思う。それまでずっと広く使われていた聖方は実際はとても優秀なんだ。現代魔法が完璧すぎるだけ。とは言え、どうせまた千年程すれば現代魔法も忘れ去られると思う。魔法学とはそういうモノ。いつ魔法というモノが根底から覆されるか分かったモノじゃない。


 エーテルは存在しているだろう、という仮定の下に割り当てられた架空元素……だと言われているが、アリシアさん曰く実際に存在しているとの事。


 属性の話に戻るけど、何故四属性だったのかという説明は難しい。熱素と燃素、これが別モノだって言われてパッと理解出来なかった。なので火に組み込んで分かりやすくした結果、極限まで絞りすぎて四属性になった……という説が濃厚らしい。実際、魔法は熱素と燃素に関してはかなり密接な関係があったようなのだけど、そもそもが存在していない元素でもあった為に説明が難しかったようで……苦労が伺える。現在、魔法はそういうモノだ、と殆どが割り切られているおかげで属性という考えが必要になくなった、というのが正しい。古い考えではあるが、グラーヌスやイグニッションは聖方にも存在する魔法だったみたい。良い所は残し、悪い所を無くして新しきを継ぎ足す。そうして現代魔法は創られた。


「………………………………………………………………………………………………」


 難しい話、だと思う。これでもかなり噛み砕いた方なんだけど……。属性という考えを捨てた結果残った疑問はすぐに片付けられた。魔物対しての弱点魔法はどういう事なんだーっ! とかそういうくだらないもの。属性に弱いんじゃなくて、火が苦手だとか水が苦手雷が苦手って普通に良くある事でしょ? 大抵の生物は爆発すれば死ぬんだから、属性なんて結局関係無い。あぁ、でもそう考えると、熱素や燃素はとても良いモノだったのかな。


 魔法を解き明かすことはつまり、世界の心理に近づくという事と考えられている。間違いじゃない。魔法を知らずに世界を知るなんて不可能。なんだけど、その先は暗闇。魔法を解き明かした先に何があるのやら、解ってない。解ってたら魔法を解き明かす意味は無いんだけどね?


「聖方が創られたのが、えぇと……あれ、いつだろ」


 書かれていない。数千年使われてきたという記述があるだけで、一体どの時期から使われていたのかが記載されていない。重要な情報だと思うんだけどな。それが解らないと、そもそも魔法式の謎さえも解けないと思うのだけど……。この本には書き忘れただけ? でもこれ、アリシアさんが選んでくれたモノなんだけどな。まさか、解ってない……んだろうか。うぅん……可能性は低くない。魔法というのは未知だから、未知で充ち満ちているから、そういう事もあるかもしれない。


 解き明かした先に眠っているのはきっと新たな謎なんだと思う。それはいつか未来の偉人に託すとして、わたしは過去の偉人たちが作り上げた魔法論の重要な部分を暗記しなければっ! 楽しいね、こういうの。今まで出来なかったというのもあるけど、本心はきっと魔法に触れたかったんだ。


 聖方にはまだ説明しきれない要素が多く残っている。例えばその分派と呼ばれる祷析魔法とか、使用用途の解らないセーフティ機能とか。あ、そうだ、現代魔法にあって聖方魔法に無い一番の要素はオーバーロードじゃないかな。外エーテルを魔法陣に直接取り込んでリアルタイムで魔力に変換する新技術。周囲のエーテル、魔力を吸い上げて自分のモノにし別の魔法へ出力する。この技術によって実質ヒトは魔力許容量というモノの存在が消えた。……でも残念ながら、これを使えるのは極少人数のみ。確か、前にセニオリスさんが使っているのを教会で見たと思う。


 実際、さっきも言った様に魔法なんて使えれば良い、なんて思うヒトがこの世界の大多数を占めている。オーバーロードに関しては、扱えるヒトが究極的に少ないので、聖方との違いの例として挙げるには適していないと思う。なので属性の話をしたんだ。属性というモノは実際に存在するモノではなく仮想的に当てはめて考えやすくしたモノだったんだと思うけど、魔法学が発展した現在には全く必要の無い考え方。魔法式という枷を掛けている以上、今更熱素とか燃素等の架空概念を当てはめた所で破綻すると思うし。


 聖方では魔法を扱う時、例えば、火を出そうと思った時、まず最初に火属性を中心として術式を組み上げなければならないのだけど、それでは面白くない。確かに火は出せるけど、属性という考えに縛られているので、熱という要素には弱い。熱くない火、触れば溶けてしまう程の高温等の操作が出来ない状態。折角の魔法なのにそういう事が出来ないというのは寂しい。それが出来るだけでどれだけ魔法の域が広がるか……。考えただけでワクワクする……らしい。アリシアさんは特殊なヒトだからこういうので興奮するらしい。


 魔法式とは、ベースとなる構造の事を指す。組み敷かれた基盤が存在しなければ、ヒトは魔法を使う事が出来ない。土台、と言えば分かりやすいかな。とは言えそう難しい話じゃない。考え方の話が一番大きい。属性にオーバーロード。大きな特徴として挙げるのならこの二つ。だけど他にも色々と細かな所が違っている。


 そもそも魔力効率が格段に上がったのが現代魔法でもある。聖方においてイグニッションなんて使い物にならない程に魔力消費が激しくて、戦闘中に打てば問答無用で魔力が足りなくなって案山子になって死ぬ。グラーヌスだってそう。


 まあそれを工夫して使うというのが一流の魔法使いだったらしい。炉心活性剤でもガブ飲みしていたのかもしれない。そういうのは麗愛の話にも書いてなかった。あまりにも現実的な話だからカットされたのかも。


 魔力が無くなれば魔法を使えなくなる。確かにその認識は間違っていない。とは言え、ヒトの構造上、魔力が完全に無くなってしまうということは絶対に起きえない。便利な事に炉心にはセーフティ機能が付属している。魔力切れとは、生命活動に支障が来たしそうになった時に起きる緊急シャットアウト。炉心からの魔力回路への供給が途絶え、眩暈は意識レベルの低下が発生する。その間炉心は生命活動に絶対に必要な量の魔力を急速に作り上げて延命を行う。そういう仕組み。


 じゃあその魔力さえも全て使い果たしたらどうなるか。簡単。蒸発する。視覚が消え聴覚が消え、腕が欠損し足が欠損し、炉心が停止し心臓が停止し血は止まりやがて胴体も消え、最後に頭部が消え、そして、蒸発する。そうはならないようにセーフティ機能が存在する。まぁこれはもしもの話。そんな事は絶対に起きないようにヒトは設計されている。


 何故魔力が無くなれば形を保てなくなるのか、は不明だけど、起きない事を怖がっていてもどうにもならないと思うし。


 魔法が何の為に存在しているのか。そういう話は魔法力学の範疇ではないけど、関係はある。だって、説明した通りに粗暴な魔法式だったということは焦って創られた、という事になる。なんでそんなにも焦って創られたのか。まるで魔法が急に普及したみたいに。


 色々と気になることは多い。起源が解らないのだから根本的に何の為に生み出されたのかが解らない。魔法という法を扱うのに従って過去のヒト達は何を基準にしたのか。……空白の三千年前。どんな文献にも、三千年以前の歴史について書かれていない。隠されているのか、存在していないのか。


 有名な宗教、シンジュルハも少なくとも千年は経っているが、その経典に描かれたヒトの始祖というのは突如として発生した神が作りしモノとしか記載されていない。それも嘘だと思うし。アリシアさんが解らないと言ったのなら、解る訳も無いのだけど、なんだか気になってしまう。


 …………話が大きく逸れてしまった。魔法力学の話だっけ。えぇと、属性の話はして、聖方の話も少ししたから……。エーテルについて、かな?


 第五元素として紹介したと思う。これは間違いじゃない。エーテルを魔素に変換し、更に魔素を魔力に変換する。そうしてようやくヒトは魔法を扱える。魔物たちは魔素を使っているようだけど、あれは魔法には適さない不完全な物質……らしい。一応は炉心の中で変換を続けているらしいんだけど、魔素は不完全な中間素材、として例えられる。わたし達には使いこなす事の出来ない物質らしい。そしてエーテルはもっとわからない。誰にも使いこなす事が出来ない。


 なのに、なんだけど、ヒトの魂はエーテルの塊で出来ている。エーテルはヒトには干渉出来ない未知の物質。先ほども言った通り存在はしているのはアリシアさんによって確認されてるけど、そもそもエーテルは一体何のために存在しているのか……。


 魔法が当たり前のように使える。その為だけに存在している、なんて馬鹿な話あると思う? 酸素だって呼吸にも使うし、燃やす為にも消費する。あまりそこらの勉強はしてないから曖昧だけど、もっと他にも使い道はある。けど、エーテルは違う。ただ存在していて、魔法を使うために消費され、どこからともなく補充される。


 地脈を通り、世界を駆け巡る。正直な話、エーテルが無くともヒトは生きていけたのかもしれない。エーテルがあるから魔力を生成する器官である炉心や魔力回路が存在するだけで、泣ければ、それらは全部わたし達の体には組み込まれていなかったと思う。事実、炉心も魔力回路も持たないヒトは実在する。だったら、何故?


 とは言え、エーテルを転用して作ったモノも増えてきているらしい。何の為に存在するのか分からないけどでもあるなら全力で使い倒してやるっ! って感じの勢い。そして成長したのがデグル。ほら、前にもアリシアさんが録音機を使っていたでしょ? あれもデグル製のモノ。というかファブナーリンドにある機械類は全てデグル製のモノ。稀にカルイザムのモノも見るけど、あれは機械というより魔道具。デグルの機械は魔科学と呼ばれる新ジャンルだけど、カルイザムのは魔法の延長線上にあるモノ。明確に違っているらしい……? わたしには違いなんて分からないけどさ。


「…………………………………………」


 小さく息を吐く。軽く本に目を通したけど、前に勉強した事と少し被ってる。まぁ仕方ないでしょ。小説で言えばプロローグ。ここからエーテルに対しての実験記録とか、魔法の詠唱についてとか、たくさん書かれている。詠唱に関しては触りだけで、詠唱学というまた別の学問に派生していく。詠唱というけど実際口に出してるわけじゃない。もちろん口に出すこともあるけど、実際は術式を編む事を詠唱と呼ぶ。


 魔法陣で魔力の糸同士を編んで魔法を組み上げる。この工程を詠唱と呼ぶんだけど……わたしやった事無いから、詳しくは解らない。組み上げる事自体は感覚で出来るらしいんだけど、アリシアさんみたいのは無理。イグニッションとか、グラーヌスにまでなると編み上げるのにも時間を使うし魔力もかなり消費する……はずなんだけど、どうしてかアリシアさんやセニオリスさんは詠唱をカットしている。どういう仕組みなんだろう。聞けばわたしの魔力回路にはそういう能力が備わっているとは言うけど、自覚は無いし、使い方も解らない。


「魔法、かぁ」


 冒険者ごっこでフリをしたことはあるよ。前に孤児院でもやった。あの時はライラと会わなくなってからあまり時間が経ってなかったけど、今はもう懐かしいと思う。あれからたった半年で彼は冒険者になったのだから、本当に凄い奴だと思う。


 なのにわたしは……。いや、こんな考え方をしていてはライラに怒られてしまう。冒険者か……。……………………、まあ良いか。


 もし、わたしが神子を選ばなかったらどうなるんだろう。何か出来ることはあるのだろうか。約束したのは彼からだけじゃない。わたしも約束して、でも。不安で。神子になるという事は、トップに立つという事と同義。なんで、わたしなんだろう。魔力回路が特殊っていうだけなら、別に代用は居ると思う。なのになんで?


 ライラに変わると約束した。緊張しいを直して見せるって言った。けど、まだ怖い。他人と話そうとすると、口の中が乾いて上手く言葉が出てこない。アリシアさんとセニオリスさん、それにシグが相手なら話せるようになった。それにも半年程掛かって、ようやく最近普通に離せるようになって……。こんなんじゃ変わったなんて言えないっ! ライラは頑張ってくれているのに、わたしは……わたしはっ!


 ダメダメなままのわたしだ。わたしには、無理だよ。学校に行かせてもらうなんて凄い経験をさせてもらう。けど、けれど……。


 本を置いて杖を握る。なんでか安心する。手に馴染むからかな。あぁ、丁度ライラの手もこう風に安心出来ていた。恋しいよ、ライラ。本当は今すぐにでも会いたいんだ。けど、今のわたしが彼に会って何を言うの? 何を話すの? 何を言われるんだろう。


 ………………不安。言い知れない、言葉に出来ない将来への不安が重くのしかかる。胸が詰まって、なんだか苦しい。わたしは、ライラが好き。あの時、わたしがちゃんと言葉に出来ていたらこんな思いで今を生きていなかったかもしれない。わたしなんかを好きだと言ってくれた彼に対して、わたしが出来ることは、何だろう。


 うぅ、ダメだ。思考がネガティブになってる。散歩でもしようかな。杖は……持って行こう。肌身離さずって言ってたし。


「シグー」


 呼びかけると、小さくはい、と聞こえる。きちんと返事をするいい子。ドアの前から声を掛ける。


「ちょっと散歩してくるね」


「どこら辺まで行くんですか?」


 ドアが開いてシグが顔を出す。隙間から見える部屋には本が散らばっている。また星読みについて学んでいたのかも。彼は、真面目だから。


「えと、決めてなくて……」


「あまり遠くに行かないのと、自衛のためにアリシアさんから貰っているモノがいくつかあるでしょう。それをしっかり持って行ってくださいね」


「お父さんみたいに心配性だね」


「…………………………………………」


「ごめんって、そんな顔しないで? シグのその目怖いから」


「お昼前には帰ってきてくださいね。それとも外で食べちゃいますか?」


「いや、お昼までには帰ってくるよ。弟を一人にはしません」


「そうですか。ではいってらっしゃい」


 あれ、何か言われると思ったのに。


「好意で言われている事に対して失礼な事は言いませんよ」


 おっと見透かされてしまった。う~ん。まだ半年しか一緒に居ないのにライラ並みに心を読んでくるんだよねこの子。そういう能力持ち? まあいいや。…………、深く、気にしない方が良い。


「じゃあいってくるね」


 アリシアさんから貰った自衛のためのモノは、宝石の類。とは言え自衛のためなんだから当たり前だけどただの宝石じゃない。宝石魔法。比較的魔力伝導率の低い宝石の中に、組み上げられた魔法陣を物理的に内包させて思いっきり叩きつけて衝撃を与える事で発動する魔法。アリシアさん作なので機能については問題ない。


 ちなみに殺傷能力は皆無。一つはスタニング・レンデオンと呼ばれる魔法で、周囲を痺れさせる程度のモノ。これがあれば夜盗とかに出会っても安心。二つ目は簡易魔法結界。これは普通の宝石魔法とは違って、わたしの周囲で魔法が発動した場合、自動で発動するわたしのみを守る結界。これだけあれば十分。もし魔法を使われたらこの結界が働くし、その隙にスタニング・レンデオンを投げつけれる。


 あ、制服のままだ……。まあいっか。外着であるのには変わりない。なんだか浮かれている様でちょっと恥ずかしい気もするけど、気にしない気にしないっ。商店街の方に行くわけでも無いし、湖畔の方までゆっくり歩こうかな。


 ファブナーリンドは円状の国。しかもかなり小さい。正しくは領地は大きいけど、国と呼べるような部分はこの城壁に囲まれた部分しかない。正確にはオヴィレスタフォーレも一応はファブナーリンドの領地ではあるから、そう呼べなくもないけど、他の国にも王都とか、そういうのがあるでしょ? あれだけで国の機能を全て賄っていると思ってくれればいい。なので、ファブナーリンドはとても特殊な形を取ってる。円状なのは建国王の趣味と砲台を置く事を考えた事による結果と、大陸の中心に国が存在している所為でもあって、色々と試行錯誤されたみたい。


 おかげで拡張が面倒臭いらしい。難民を受け入れる土地も無いので、城壁の外に難民キャンプを作る始末。いや、これは仕方ないよ。タイミングが悪かったんだ。難民たちも判断が甘いよ。建国されたばかりの国に難民たちを受け入れれるようなお金なんてそんなある訳がない。本来はカルイザムとか、そっちに行くべきだったんだ。まあ、たぶん奴隷落ちしてしまうだろうけど……。プライド、か。まあそうだよね。権力争いに負けたお貴族様が流れて来ることも多い。そんなヒト達が奴隷になぞなりたくはないと思う。誰だってそうか。


 玄関を開いて外に出る。随分暖かくなった。とても過ごしやすくなったと思う。次に寒くなるまでもうこれ以上暖かくなることは無い。ファブナーリンドは比較的住みやすい気候にあると思う。なんでこんな住みやすい場所に文明は起きなかったのか……。大きな川も近くにあるし、謎。


 家を出て中央の方向とは別に進む。暫く住宅街が続くけど、湖畔はこっちにある。子供達の遊び場にもなるから敢えて湖畔がある場所に住宅街を作ったのだろうか。いや、教会の位置を考えて……だろうか。どちらにせよ、憩いの場が近くにあるのは良いことだと思う。歩いて五分ほどだろうか。それくらいすると木が見えて来る。草原と木、そして湖。決して大きいというわけじゃないけどかなり深いので、遊泳は禁止されているから、大体は散歩コースか子供達の遊び場として使われている。実は何度かライラに連れられて来ていたこともあったり……。


 しまった、何となくここに来てしまったけど、ちょっと迂闊だったかも。ライラとここに来た事があるということは、当たり前だけどライラと遭遇するかもしれないという事。今のわたしを見ると何を言うんだろう。……悩んでいるような状態のわたしをあまり見せたくはないけど……。どうやら安心して良さそう。ライラの気配は無い。


「杖、重いなぁ……」


 短期間持つのなら全然重いとは感じないけど、持ち歩くのなら重い。重さで言えば、二日分の食料くらいの重さ。


 近くにあったベンチに座る。丁度湖を向いているので丁度良い。太陽の光は反射しているけど、まだ太陽の角度的に眩しくは無い。木によって遮られているからだと思う。隣に杖を立てかける。杖を持っていれば魔法が使えると思われる。なので不用意に敵意を持って近づいてくるヒトも少ない。それにこれからヒトが増えて来るだろうしね。こんな場所で事を起こそうとは思わないでしょ。


「────────────────」


 一人で何をしてるんだろう。ぼぅっと眺めているだけ。別に、今後会えないわけでも無いのに、なんでこんなにセンチメンタルになってるんだろう。バカみたいじゃん。


 両親と離れて、好きなヒトに好きと言えないまま離れて。神子になれ、か。……重いなぁ。わたしにはとっても重いよ。自信も無くて、知識も無くて、力も無くて、度胸も無い。アリシアさん達は一体わたしのどこを見て神子になんて選んだんだろう。


「隣、よろしいですか?」


「え、あ、はい。ど、どうぞ……?」


 急に声を掛けられて驚きながら杖を移動させて、隣を開ける。声を聴いて誰か分かったからというのもあるけど、それよりも、


「な、ななななんで、ユメ様がここに?」


「あぁ、えぇと。お忍びでお散歩です」


「お忍び……そ、それって教会のヒトには……」


「伝えてませんね。なので、バレたら怒られてしまいます。秘密にしておいてくださいね?」


「え、あ、はい。ごめんなさい……」


 神子様がそんな事していて良いんだろうか。……ダメだからお忍びなのか。あれ、もしかしてこのヒト割と……。


「ミーシャさんはここで何をしていたんですか?」


「えと、さ、散歩、ですっ」


「そうですか。奇遇ですね。ここは空気が美味しく、子供達も元気に走り回って遊んでいる、良い場所です。私は子供が大好きでして、良くここに来るんです」


「そ、そうなん、ですねっ」


 なんでわざわざわたしの隣に座ったんだろう。わたしが、次期神子候補、だからだろうか。


「一度二人でお話してみたかったんです。神子としてではなく、ユメとして、貴女と」


「わ、わわわ、わたし、なんかと……ですかっ?」


「ミーシャさんと、です。似ていると思ったもので」


「似ている……? わ、たしとユメ様が……ですか?」


「はい。とても良く似ています。境遇が似たようなモノですから。急に呼び出されて神子になれ、だなんて。ちょっとアリシアさん達はトチ狂ってますよね」


「ユ、ユメ様も、そうやって言われたん、ですかっ?」


「私の場合は養子になる事はありませんでしたが……。アリシアさんが直接家に出向いてくださって色々と……」


「い、意外っ、です!」


「そうですか?」


 ユメ様も、同じ? わたしの様に急に神子になれと、言われたの? なんで?


「ユ、ユメ様、は。なんで、神子になるのを選んだのですか? べ、別の道も用意されてた、はずっ、ですよね」


「…………そうですね。別の道も用意されていました。ユメちゃんが嫌がるなら、神子にならなくても良い。アリシアさんの口癖で、あれはまるで、私にではなく、アリシアさん自身に語り聞かせているような言葉でした。………………アリシアさんも責任を感じていたのでしょう。今まで普通に暮らしていた子供に対してお前は将来神子になれだなんて酷な命令です。ですから、別の道も用意した。それでも私が神子になったのは、私にしか出来ないと悟ったからです。他の道は私以外の誰にでも出来ます。けれど神子だけはどうやら違っていて……。特別になりたいという思いは無かったのですが……。どうしてでしょうね、そう思ったらいつの間にか神子になっていました」


 ユメ様は湖を眺めながら語って聞かせてくれる。ユメ様の横顔はなんだか綺麗で、そこに影の一つも無い。これが、大人というモノなのかな。……どうだろう。解らない。


「悩んで悩んで悩みまくって決めたのは覚えています。ミーシャさんもきっと迷っている事でしょう。そんな浮かない顔で散歩だなんて、悩んでいなければしませんよ」


「……………………はい。わ、わたしは、まだ悩んでいます。神子に、なる……べきっ、なのか。でも、わたしには神子になる、なんて未来が視えなくて、……不安なんです」


「やっぱり私達は似てますね。悩んだら散歩してここに来る。私もそうだったんです。ここは落ち着きますから」


「………………………………………………」


 黙るのはマズイかな。失礼じゃないかな。あぁ、もうわたしそんなマナーとか知らないんだけど……。そもそも神子様とここで話すだなんて思ってないしっ。


「ここ、には。幼馴染と一緒に何度か来てて……。それで……今日、もっ、いつの間にかここに来てて……」


「幼馴染ってもしかして男の子?」


「え、はい、そ、そうですけど……」


「きゃー、もしかして将来誓い合ったとかそういうやつ!?」


「………………………………アリシアさんと同じような反応ですね。や、やっぱり、似てる……」


「え!? あのヒトと私似てるんですか!? 最悪だぁ……遠回しにろくでなしって言われてるようなモノですよ、それ……」


 嫌われている……というより畏怖されてるというか。いや……うん。嫌われてるかも。ごめんなさいアリシアさん。あの、庇えないや。


「…………えと、その、誓い合ったというか、誓われたというか……」


「えー何それ何それ面白そう!」


 よぅしこのヒトもアリシアさんと同類だぁ! ろくでもないぞぅ! このヒトは!


「と、心の声が駄々洩れになってしまいました。今のは無かった事にしてください」


「………………………………………………」


「そうですか、誓われた……。自分からは言えなかった。言う勇気が無かったんですね」


「…………………………………………、」


「そんな顔をしないでください。大丈夫、勇気が出ないというのは全て悪い事、という訳ではありません。告白というのはかなり勇気が必要になる行為です。残念ながら私にはそういう相手は居ませんでしたが……。そういうモノでしょう」


 ユメ様は優しく語り掛けてくれる。


「きっと貴女は優しいのでしょう。告白されて、それで返せない間に養子となり、会う事はしたくない。そういう所でしょう」


 お見通し。なんで? アリシアさんに話したからセニオリスさんには話が行っているだろうけど……ユメ様と連絡を取っている素振りは無かったし。というかそうやって広めるヒトじゃない。今わたしを見て、そう思ったってこと? え、もしかしてわたし分かりやすい?


「ぶっちゃけると私は貴女を高く評価しています。何故、と問われればちょっとアリシアさんに口止めされているのでお答えすることは出来ませんし、プレッシャーを与えるからあまり言わないようにとも言われていますが、私は隠し事が苦手なので言っちゃいました。私じゃ貴女の不安は拭えませんが、応援くらいなら出来ます」


 応援は、要らない。


「…………………………、」


「応援は、要らない。まそうですよねぇ。……そうですねぇ。端的に事実を述べてしまうのなら、人生とはクソです」


「そ、それ、神子様が言って良いんですか?」


 ……ユメ様は笑う。それもそうですね、と明るく。イメージと違っている。前にほんの少しだけ話した時とは雰囲気がまるで違っている。これがユメ様の素なのだろうか。


「あぁ、雰囲気ですか? 勤務中じゃないので、私もヒトです。あんな機械みたいな対応をするのは勤務中だけです。まぁ同じ穴の狢です。仲良く行きましょう」


「それ、じっ自分が悪党って言ってるよ、うなモノですよ」


「おっと、良く勉強していますね。今のは言葉の綾、気にしないでください。話を戻しますね。人生とはクソです。私が言う事では無いとは思いますが、事実です。総じてクソです。ですがこれを良くしようとするのがヒト全ての願望です。ヒトは幸せになる為に生きていて、その為に魔法を使い、誰かを助け誰かの役に立ち、魔物を倒し、時にヒトを殺します。人生とはそういうモノ。クソみたいなモノが並んでいて、それをどうにかしない限りヒトは幸せにはなれません」


「難しい話ですね」


「はい、難しい話です。誰もが幸せになれる素質を持ちながら、誰でもその素質を活かせるとは限らない。人生において明確な回答は存在しません。あるのなら全員がそれに向かって歩く。単純で単調でつまらない、そんなのに価値はありません。ですので、深く考えるだけ無駄なのです。神子になるのが正解だとは限りません。ですが理由を付けるのなら可能です。それこそ、貴女の言う幼馴染に対して返答をする。その為だけでも良い、頑張っても良いんです。深く考える事はありません。どうせ一回きりの人生なんです。それくらい好きなヒトと過ごしたり、好きな事やってた方が得じゃありませんか?」


「………………………………そ、れが許されるな、ら。わたしは……」


 アリシアさんの養子にはなっていない。それが出来たら、お父さんは、冒険者になっていない……っ。なりたくなかったわけじゃない。けど……。


「だから難しい話なのです。……何が言いたいかと言うと、悩んでばかりで視野が狭くなっていると、本当にやりたい事を見失ってしまうという事です。…………そう根を詰めないでください。貴女を締め付けている悩みを解決するのは難しいのですが、似た者はここに居ます。それに、ほら、緊張しいって自分では言ってますが、私とちゃんと話せているではありませんか」


「………………」


 そういえば、そうかも? ユメ様と話す事自体には緊張してる。だって神子様が相手だもんこれは仕方ないと思う。けど、なんだか話しやすい……? 雰囲気が、アリシアさんに似ているからだろうか。


「ユメ様はなんで、そんなにずっと前を、向いていられる、んですか……。わたしには先が見えない。足元さえもグラついてて崖に立っているみたいで、何も、解らないんです」


「解っているではないですか。崖に立っているという現状把握が出来ているのなら、それは良い事です。お先真っ暗なんて良く言いますが、もっと怖いのは足元さえ真っ暗な事で、自分が今どこに立っているかもわからない事です。崖に立っているのなら橋を架ければ良いのです。簡単な事ではありませんが、諦めない限り、例え間違えて落ちてしまっても登ってこれます。落ちてしまったのなら反対側を登って越えていけばいいのです。ヒトはそうやって成長します」


「…………っ、で、でもっ。落ちたら痛いじゃないですか。死んでしまうかもしれないじゃないですか……っ」


「確かに痛いかもしれませんし死んでしまうかもしれません。ですが、立ち止まっているのは生きていないのと同義です。感情は前に進む為の足枷です。それはとても邪魔で、足を引っ張ってくる事でしょう。ですが、それを理解してしまえば足取りは格段に軽くなる。そしてその一歩は力強く、大きくなります。わたしなんか、と思うのも良いでしょう。自分を見つめ直しているのだから、貴女はとても立派なレディです。悩みながらも前に進む。そうすると自然と悩みは解決されるのです。外部に刺激して貰い解決する場合もあるでしょう。それは背中を押してくれたという事。誰かに助けを求め、答えを求めるのも間違いではありません。人生に正しい解答が無いように、人生に間違いという文字は存在しないのです。全てが貴女の人生です。貴女だけが作る事の出来る一つの物語なのです。忘れてはいけないのは、貴女は一人ではないという事。ミーシャさん、困ったら私のところに来ても良いですし、アリシアさんに頼っても良い。貴女は思春期の女の子なのです。色々と困る事は多いでしょう。ですが、必ず背中を押してくれるヒトが居る。それこそ貴女の幼馴染とか」


「…………………………………………」


「決して恥じる事ではありません。私達ヒトは一人では生きていけない生物です。何かに縋っていないと生きていけない弱い生物です。迷って迷って迷ってようやく見つけた解答が間違いだった、なんてザラです。けれど、それでも背中を押してくれるヒトは必ず居るのですよ。神子になるかならないか、なんてまだ考えなくても良いのでは? まだ一年半程あります。アリシアさんから聞きましたよ。学校合格したんだと。だからその制服を着ているのでしょう?」


「こっ! れは、違うくて……き、着替えるのが面倒だったから……で……」


「誤魔化さなくても良いですよ。学校から制服が届いて袖を通した時の感動は一生に一度のモノです」


「……………………ユメ様はどうしてわたしにこんなに話をしてくれるんですか?」


「そうですねぇ。暇だったというのもありますが、先ほど言った様に私とミーシャさんはとても似ていたので。少し、懐かしいと思ってしまっているのです。私も同じように悩みましたからね」


「そう、ですか……」


「あぁ、でもこの話は秘密ですよ?」


「解っていますよ。…………もう少し、考えるのは後にしようと思います。今は学校に集中しようかと」


「えぇ。私は貴女を応援していますよ。同じ穴の貉のよしみです」


「ふふ、はい。わたしもユメ様のお忍び散歩の助長犯ですっ。……あの、また、お話してくれますか?」


「もちろん。秘密にしていただけるのならいくらでも。私はミーシャさんを友人として歓迎します」


「……っ! ありがとう、ございますっ」


「それでは、また」


「はいっ」


 ユメ様は立ち上がって軽い礼をする。わたしも慌てて立ち上がって深々とお辞儀をする。ユメ様の言っていることは解る。とても、解る。だけど、全てじゃない。まだわからないことはあるんだ。理由を見つける。まずはこれから始めないとかな。


「あ、言うのを忘れていました。……制服、とても似合っていますよ。良い学校生活を、青春を送ってくださいね」


 ユメ様はとても明るい笑顔で、眩しくて、あぁ、わたしもこのヒトみたいになりたい。素直にそう思った。


 何か返そうとしたときにはもう既にかなり離れた位置に居る。わたしの声量じゃ届かない。


「………………………………………………………………」


 気持ちが完全に晴れた訳じゃないけど、少しだけ楽になった気がする。またユメ様と話が出来るのなら、それも楽しみだし。もうすぐお昼。そろそろ帰らないとシグがお腹を空かせて待っているかもしれない。


「………………、」


 大きく鼻で息を吸って、口からゆっくり吐き出す。


「よしっ」


 杖を持ち上げて、帰路に着く。


 ライラ。……ライラ、わたしは学校に行くよ。それで卒業したらきっと、ライラと並んでも恥ずかしくないようになる。だから、もう少しだけ、待ってて。


「ん~~~っ」


 伸びをする。今更だけど良い朝だ。子供達は駆けて遊んでいる。朝から元気な姿を見る、こっちも少し元気が出て来る。孤児院の子達を思い出す。冒険者ごっこに付き合わされたきりだけど、今でも顔を思い出せる。わたしは案外ヒトの顔を覚えるのが得意らしい。


「帰ろ」


 小さく呟いて、少しだけ軽くなった足で踏み出そうとして──。


「ミーシャ?」


 声を掛けられた。──────────しまった。ユメ様と話すのに夢中で気付かなかった。あぁでも嬉しい。だってこの声は、この声音は。


「ひ、人違い……です、よ」


 杖を顔の近くに持ってきて隠す。


「俺がミーシャを間違える訳無いだろ」


「…………──────────っ!」


 この野郎、そういう事言うと勘違いされるんだぞぅ! ……もうしてるか。いや、いやいやそうじゃなくて、


「わ、わたし急いでるのでっ!」


「…………そうか。悪いね。引き留めて。そうだよな、まだだよな。ごめん」


「ち、ちが……くないけどっ! もう少し、あと少しだけ待っててっ! わたし、学校に行くの。だから。だからっ」


「あぁ。わかった。ごめんな。声を掛けるべきじゃなかった」


「ううん。声を聞けて嬉しいよ。大丈夫。もう少ししたら、ちゃんと言うから。ちゃんと、伝えるから」


「…………。俺も、もっと強くなるよ」


「うん。そんなに長く、待たせないから」


 どうしようもなく嬉しい。わたしにとっての王子様。最悪なタイミングだったけど、それでも、声を聞けた喜びが勝ってしまう。くそぅ、どうしても好きだなわたしっ! 口元が緩んじゃう。……わたしってこんな露骨だったっけ。半年会えなかっただけでこれってこと? うそでしょ?


「それじゃ、またな」


「うん。またね」


 顔は見ない。見せない。わたし達の約束。本当は振り返りたい。彼の顔を見たい。けど、今じゃない。今じゃないんだ。じゃないと、揺らいじゃう。今ユメ様にしてもらった話全部投げ捨てて彼に抱き着いてしまいそうになる。だから、ダメ。


 足音が遠ざかっていく。


「おい、ライラ、あれがお前の言ってた幼馴染か?」「そうだけど、なんだよ」「めちゃくちゃ可愛いなぁ……良いなぁお前」「……そうだな、ミーシャはとっても──」


 最後まで聞こえずに遠ざかってしまった。思わずその場にしゃがみ込む。


 ……これで良い。良いんだよ。まだなんだ。だから、こんな所でしゃがみ込んでる暇は無い……っ! けど、けれど、もう少し、せめて、この緩み切った顔が戻るまでは、このまま。だって、そうじゃないとシグに何を言われるかわからない。というかこんな顔で歩くのは恥ずかしい。


 あぁ、もうっ! もう本当にわたしってヒトは、どれだけ……っ。ライラ……ライラ、ライラ、声を聴いただけで再確認出来た。好き、好きだ。大好きだ。どうしようも無く好きなんだ。だから……きっと追い着くから。


 自分に言い聞かせる。大丈夫。わたしは大丈夫。だって待っていてくれる。長く待たせる気なんて毛頭ないけど、気合い入ったっ!


「よしっ、今度こそ、帰ろっ」


 杖を強く握りしめる。来た時のネガティブはどこへやら。わたしの心は踊るように。強く一歩を踏み出した。

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