016

「スゥ────スゥ────」


 小さな寝息を立ててボクの愛は眠っている。彼女のお腹に置いたボクの手は眠ってもぎゅっと握られたままで、庇護欲が擽られてくる。


「……………………………………………」


 こうして寝顔を眺めるのも何年振りだろう。


「…………………………、」


 眠ったままの彼女の頭を優しく撫で続ける。わしゃわしゃ撫でてぐちゃぐちゃになってしまった髪の毛も少しはマシになった。起きてから直してあげよう。こうなったのは我慢出来なかったボクの所為だし。


「…………………………ふふ」


 安心して眠っているのがありありと解る。だってこんなにも幸せそうな寝顔、そうそう見れるモノじゃない。可愛い、と心から思う。


 シアちゃんと何があったか、なんて話はノンデリにも程がある。たまには振り返ることも大事だけど、それはボク達が行うべきことではない。伝えるべきことは伝えた。それでもボクがここに居るのなら、それはシアちゃんのおかげ。


 眠ったままの彼女の頬をつんっと突いてみる。さっきされたお返し。


「……んむ」


 無意識だろうけど、少し頭を動かしてボクの指から逃げる。睡眠は必要ないとは言え、こういうのを見ると、やっぱり一緒に寝るって特別な事なんだと再確認出来る。昔は良く水をぶっかけられて起こされていたっけ。懐かしいな。


 甘えたな彼女を見ているとボクも幸せな気持ちになる。本当は冷めるモノだって聞くけど、なんでだろうね。一切冷める事は無い。文字通りボクにとっての救世主でもあるからかな。う~ん、でもそれだとそれを言い訳にしてるように見えるな……。言葉にするのが難しい。好きな物は好きで、愛してしまっているんだから仕方ないだろ。そういうモノなんだよきっと。


 ほら、殺し愛なんて良く言うでしょ。あれ? 言わない?


「書類仕事、ボクでも手伝えるのだけやっておこっか」


 幸い机から遠い訳ではない。残念ながら胸も小さいので、少しくらい上半身が傾いてもシアちゃんの息を阻害する事にはならない。クソ、なんか言ってて悲しくなってきた。魔法で増やすか! そんな事したら色々弄られそうだけど……。いや、良いや。やめよう。今のままが一番だ。


 校閲の仕事は楽な部類だ。禁書庫に運ばれる本達の移送も始まったと聞く。それを実際に禁書庫まで運ぶのはボク達の仕事。


「アグレシオン関連の本だけはきちんと管理しないと、ね」


 書類を眺め、チェックリストを確認する。運ばれてくる本のリストだけど、所々名前が隠されている。これじゃ確認のしようが無いのではないかと思うが、ボクかシアちゃんの魔力を通せばインクが光って文字が読める。そういう仕組みのモノを使っているだけ。その殆どはアグレシオンに関連する書籍。


「…………ボク達もアグレシオンの事は良く解ってないんだよな……


「ん──ぅ……?」


 おっと、起こしてしまいそうだ。もう少し声を抑えて……。とは言え、一人で黙って作業するのは苦手だから口には出すけど。


 禁書庫にぶち込まれるモノたちはそれら全てが禁忌に値するモノ。大体は魔導書だけど、禁書扱いされるような医学本とか、エッチすぎてダメってなった小説とか、グロすぎてダメになったナーサリーとか、そういうのも含まれている。


 中でもアグレシオンだけは特別だ。あれだけは外に出してはいけない。そもそものヒトという生物に関して根底までを覆しかねない。最古の魔法はまだ良い。あれもまた、魔法学を覆しかねないモノだけど、歴史はダメだ。麗愛で清算したんだから、わざわざ掘り返す事でもないってのもあるけど……。ヒトが何故魔物と明確に差別化されているのかとか、そういうのが全て解ってしまうのは、ちょっと都合が悪い。


 ボク達の都合が、ではない。ヒトがヒトとして生きていくのに、だ。それに魔王だとか勇者だとかそういうのに対しても都合が悪い。麗愛で全て解決された以上話す必要は無いし、拡散する気も無い。後世を頼まれた身としては少々重い気がする……なぁ。ネドアの騎士様はどこかへと姿をくらますし。あのヒト厄介事押し付けてトンズラこいたんじゃないか!? ……そんな気がしてきたぞぅ! なんというか全体的に性格終わってそうだもんなあのヒト! あの男は本当にもう!


「はぁ~…………」


 シアちゃんを起こさないように、だけど大きく息を吐く。溜息です。はい溜息ですとも。シアちゃんに聞かれたら幸せが逃げるとかなんとか怒られそうだ。ボクもシアちゃんがするとそう言うけど。


 シアちゃんの溜息は比較的多めだと思う。未来が視えているからなのかもしれない。幸せが逃げるよ、か。余り良いセリフじゃないかもしれない。幸せが見えているのなら彼女は溜息なんて吐かない。そうでしょう。あぁ、くそ、そういう事か。シグが居る居ないに関わらず、元々シグが関係しない場所であれば変わることはない。最悪な流れな気がする。


 魔女の呪いは仕組みが馬鹿みたいに複雑怪奇だ。ボクもあれの構造を理解出来ていない。シアちゃんもそうだ。じゃないとアインセルの呪いを受けてそのまま放置しているはずが無い。


「………………………………………………」


 資料を再び机に戻して、彼女の頭を撫でる。幸せな未来が視えていないというのなら、溜息が多くなるのも頷ける。腹立たしい。…………数ある未来を決定づける、か。別に、アインセルが行った事は決して悪い事じゃない。実際、シアちゃんが視えている未来、決定付けられたモノは比較的幸せなモノなのだ。彼女が溜息を吐く程の未来、か。あれだけの悲惨な経験を積んでおきながら、まだ溜息が吐ける、か。どれほどの未来なんだそれは。どれほどの凄惨が待っているのだろう。


 ……………………………………優しく彼女の頭を撫でる。サラサラな髪がボクの指に少しだけ絡んで、すぐに解ける。


 何故、彼女はこんなにも過酷な生き方をするのだろうか。……いや、知ってる。周りの子が比較的辛い目に遭わない為に、だ。その結果、彼女自身が苛まれたとしても厭わない。シアちゃんはそういう子だ。…………そういうところは嫌いだ。優しいのは良いが自分には優しくしない。それじゃダメだ。ダメダメだ。体は資本、大切にしなければコロッと死んでしまう。……シアちゃんに関してはそうはならないかもしれない。けれどこの先、もし何かあってボクが居なくなった場合、この子はどうなるのだろう。そんな事を考えてしまう。


 だから、嫌いなんだ。


「……………………………………………………………………」


 怖い、それがただ怖い。ボクが消えて居なくなること自体は怖くない。いつかそういう巡りが来た時、ボクは呆気なくその座を譲る。そう決めているしそう話している。だからそれは怖くない。怖いのはシアちゃんの方。何するか分からない。自分も後を追いかねない。……ボク以外の拠り所くらいは見つけて欲しい。が、生きてる内にボク以外に愛想振り撒かれたら刺したくなるけどさ。……っといけないいけない。ボクがこんなのだからいつまで経っても抜け出せないんだ。


「はぁ────────────」


 大きな溜息一つ。どうしようも無いなこりゃ。シアちゃんが他の奴といちゃついてる所見たらもしかしたらその相手をグラーヌスで刺し貫くかもしれない。いや確実にする。一本じゃ満足できない。もっと、もっとだ、原型が無くなるまで……。


 そうじゃないそうじゃない。落ち着けボク。変な仮想敵を作って脳内シミュレーションしてどうする!? 大きく息を吐く。これは溜息じゃなくて深呼吸。落ち着かないと、ほんとにやらかしかねない。依存、はもうとっくにしてる。してないとこんなに長い時間一緒に居られない。


 もし、シアちゃんが辛いというのであれば、ボクには何が出来るだろう。介錯か? それなら別の世界に転移でもしよう。この世界から消えるのなら、死ぬのと大差はない。だって誰だって死ぬのは怖いはず。ボクが特殊なだけだ。名を貰い生きている。思えばあの時死ぬべきはボクだった。いや、あの時からずっとそう思っているんだ。麗愛の最後、それは単純な話ではなく……。…………────思い出す程に綺麗な思い出だけど、それは補正だろう。実際は意地汚く諦めなかっただけの話。


 アリシア────彼女だって名を失った。大きな痛みと後悔を背負ってそれでも諦めずに立ち向かって、それで、それで……。────────やめだやめだ。毎回思い出す度に胸が痛くなる。本来必要無い機能の癖に、嫌がらせかの様に置いていきやがって。セニオリスは意地が悪い。いや、せめてもの贖罪か。なんというか、全部ぶっ壊したというのに、全部元通りにされたみたいな、そんな悪夢みたいな現実だった。


「最初はキミの事も嫌いだったのに」


 ボクの膝の上で安らかに寝息を立てている可愛い女の子。ボクは彼女が嫌いだったんだ。……でももうそれは昔の話。昔すぎて忘れる事が出来ずにこびりついている。ボクが居なきゃ生きていけない。キミが居なきゃ生きていけない。共依存みたいな関係で、でも多分ボクの方が最初に依存していて……。ドロドロに溶けあうように堕ちた。


 撫でる。彼女の髪に指を通して、櫛を通す様に。愛らしくてたまらない。憎たらしくて堪らなかった幸せな女の頭を撫でる。……これじゃボクが嫌な女だ。お互い水に流すって約束だけど、でもあれだけの冒険を、あれだけの話をなかった事には出来ないんだ。


 どれだけ時間が経っても、頭の中では解っていても、でもどうしてもボクは否定したくなる。何もかもを忘れて生きていこうとするヒトが嫌いになる。


 何故、ここを選んだ。何故国を創った。何故、ボクと共に在る。何故、何故、何故……。好きの反対は嫌いでは無くて興味無しなんて事を聞く。けれど、そんなの違うだろ。好きの反対は嫌いで良い。屁理屈並べて拗れた言い訳するなら最初から真っ直ぐでいい。そういう単純な話だった。


 何故、ここを選んだ。


 何故、国を創った。


 何故、ボクを選んだ。


 何故、呪わなかった。


 何故──何故──何故──何故──何故──何故何故何故何故何故ッ!


 ……………………その全てを彼女は明かさない。その全てをひた隠しにしてボクにさえ明かさない。


「でも、それでも信じてしまっているボクは」


 馬鹿なんだろう。認める。認めるとも。いっそ潔いでしょ? だってここまで愚直なまでに信じて、惚れこんでしまっているんだから、馬鹿だってそう言うしかないでしょ。


 ボクはキミを信じている。心の底から信じている。愛して信じて疑ってそれでまた信じて愛してキスをする。じゃないと、誰がキミを信用するんだ。誰が理解してあげられる? ボク以外の誰が! 千を超える歳を重ねて、それでも劣る事無く、誰にも理解される事はなく、それでも折れずに前を向く。託されたから? たったそれだけで、意味を持たなくても前を見る。


 ダウナーウィッチ。冤罪の魔女、異端の魔女、黒色の魔法使い、アリシア、カルイザムの魔王……。魔王、か。皮肉だ。勇者が魔王って呼ばれるなんて。まああれはただのあだ名。何の意味も持たないただのあだ名。重要なのは上記四つ。けど、今はそこまでじゃないでしょう。


 最近になってダウナーウィッチなんて呼んだヒトなんてクラリス────ストライクウィッチくらいだろう。確かサミオイ近辺の森に塔の残骸を回収しに行ったときにそう呼んでいた……と思う。あいつ嫌いだからあんまり覚えてないけど。


「生きて、辛くても駆けて、仲間を失って、それでも進んで、また失って、意思を継いで……。いつかボク達が託す番が来る。そう言って千年。旅をして、旅をして、旅をして、学園長になってみたり、星々の民……? を撃退して、また旅をして、国を創って、王になったと思ったらすぐにその地位を捨てて……。ほんとに、何がしたいんだよ、シアちゃん」


 ドグラゼシアを見た、ミレーシャを見た、アースガルドを見た、ヴィレドレーナを見た、イネニスも見た、ローグブライトも見た、ノーストルガニスも見た。


 カルイザムから出た。ジャベルを見た、モッフモフゥを見た、デグルに行った、アベランに行った、ヤキュロスを見た、レンドゥッカに献花して、サミオイに笑いかけて、サウストルガニスを滅ぼした。


 そして、ファブナーリンドを創った。わざわざこの地に、これからは我々の時代であると宣言するように。三千年前の遺跡の上に。


 でも違う。もうボク達の時代じゃない。これからはシグ達、若者たちの時代。ボク達はもうエピローグを迎えたおまけキャラ。だから、きっと、残りの十三年が経てば終わりにしよう。ボクとシアちゃんの物語は一旦幕引きにしよう。いつまでも長いエピローグを語っては観客が飽きてしまう。


「…………………………………………そしたら」


 そしたら一緒に寝転がって日向ぼっこしよう。幾らでも抱き枕になる。愛玩になったとしても許容しよう。どこまで行ってもボクはキミと一緒でありたい。


 それを世界が許さないならば…………ならば、再びボクは、キミを殺して、世界を殺して、ボクを殺そう。


 キミが居ない世界に価値は無い。


 キミが居ない時間に意味は無い。


 ────キミが言ったんだ。


「責任、取ってくれないと、ね」


 眠ったままの彼女に笑いかける。ボクをボクたらしめる最上の理由を、優しく撫でる。


「しつこい女。だけど、嫌いじゃない、寧ろ好きでしょ? ボクの事」


「────────…………………これ以上、どう責任取れって?」


「────────────────あれ、起きたの?」


「少しだけって、言ったよ」


「そっか」


 起きた癖に起き上がろうとしない。彼女ははにかんで笑う。


「気持ちいい。ずっと、ずっとこうしてたい」


「ふふ、うん。そうだね。たった十三年。そうしたら、二人で暮らそう」


 ボクの手を握る手に力が籠る。それは了承の合図。それと、照れくさいからやめての合図。


「今更照れても遅いでしょ」


「その、改めて言われると、流石に……照れ……る」


「──────────────────────」


 彼女の手をぎゅっと握る。先ほどより強く、このまま離れなくなってしまうかもしれないって思うくらいに。


「ん、」


 シアちゃんはまた赤くなって、ボクの行動の意味を理解して、


「二人が寝静まった後……なら」


 机に置いていた帽子で顔を隠す。随分と初心な反応。何もかも初体験みたいな顔してる。


「じゃあ、お仕事さっさと終わらせよっか。十分休まったんでしょ?」


「うん。だけど、あと十分だけ、いや、十五分だけ、このまま。仕事はちゃんと終わらせるから」


「………………仕方ないなぁ」


 帽子を剥がして真っ赤になった彼女に、そっと……。

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