13話「紫炎」

「圏外」

「圏外」


 圏外……圏外。

 圏外ってなんだ?


「圏外って……なんだ?」

「さぁ……?」


 ルークは俺の素朴な質問にそう呟いたきり、黙ってしまった。圏外。圏外ってなんだ。頭のなかで圏外を転がしていた。


 そうして講義がはじまった。

 いつしか講義が終っていた。


「ジョシュア。どうしたの?」

「圏外。俺は圏外」

「清々しいほどの紺色」


 一日が終り、寮の自室に戻った。


「ご主人様、どうされました?」

「圏外」

「は? 頭おかしいんですか?」


 ベッドのなかにいた。

 俺は寝た。


「なぜ戻ってきているのだ!?」

「圏外……」

「帰れバカもの!」


 起きた。


 気づいたら、昨日と同じ講堂にいて、昨日と同じく隣にルークがいた。


「圏外ってなんだよ!?」

「え……ずっと悩んでたの!?」


 周囲の生徒は驚いてこちらを振り返っていた。だがそんなものはもはや気にしてなどいられなかった。


 そのなかで彼だけは内容に驚いて俺の叫びに疑問を投げかけた。なに言ってんだお前よぉ。この空虚主人公がよぉ。


「当り前だろ俺めちゃくちゃ頑張ってたろ! 偶然みたいなもんだけどお前に勝ってんだぞ!? は? なんで圏外ってそもそも圏外ってなんだよ!?」

「う、うん……君は強いよ」

「ありがとう! でもおかしいだろこれ!?」


 ゲームのなかで『決闘ランキング制度』の名簿などもちろん登場していない。設定資料集にも存在していない。内情にまで詳しくはないが、五〇〇人の名簿など膨大すぎるし、コストが高いからだろう。


 だから、あくまでゲームプレイにおいての話だが、登場する生徒にはすべて順位がついている。

 もちろんジョシュアにもついている。


 詳細は不明なものの、すくなくとも圏外だったなんてことはありえない。

 なぜなら、彼の場合は敗北により、順位が下がってゆく描写が明確にあるからだ。


 だから俺にも順位はついているだろう。

 むしろルークに勝ってるから、彼より上だろう。

 わりと上位だったら余裕ぶって高笑いしてやろう。


 ……そう考えていたのに。

 血を失って気絶するまで戦ったのに。

 心ん中でちょっと優越感に浸っていたのに。


 侮辱され、プライドをへし折られた気分だ。制御不能な衝動が折れた部分から勢いよく飛び散った。


 気が狂いそうになった。というか狂った。


「俺の勝利がなかったことになるなんて、絶対許さない。ぶっ殺してくる」

「えぇ……」


 それからの講義なんか耳に入るはずもなく、ただ目を閉じ、仮想敵の慟哭を頭に焼きつけて過ごした。


 講義が終了した瞬間、いい感じに沸騰した脳を抱えながら講堂の扉をブチ開けて学園長の部屋に向かった。背後から聞こえてきたルークの制止なんて、なかったことにした。


 カラが外で待っていてくれた。ちいさく手を振って、それから驚いていた。色を見たんだろう。


 めちゃくちゃ可愛いし本当にいい子なので礼を言いたいがいまの俺にそんな余裕はない。冷静さが抜け落ちていた。


「ジョシュア。あ……赫い」

「カラ。何位だった?」

「ちょうど一〇〇位だった」


 その情報が鼓膜に運び込まれて、つい彼女を見る。


「話なら聞く。教えて」


 彼女は心配していた。


 理不尽な八つ当たりじみた怒りを、彼女にぶつけようとしている自分に気がついた。

 バカか俺は。

 それだけは絶対になにがあろうとしちゃいけない。


 急激に状況を俯瞰しはじめると、死にたくなるくらい申し訳なくなったし情けなくなった。なんで俺は。


「……カラ。俺は何位に見える?」

「わからない。昨日と同じ紺色になった。悲しいの?」

「俺さ。圏外だったんだ……それで、もっと上だと思ってたんだ」

「圏外。それで紺色」


 彼女は納得したようだ。

 めずらしく悩ましげな表情でじっと俺の目を見つめたあと、すこし考えた様子で、ゆっくりと口を開いた。

 

「なぜ? 圏外のほうがいい」

「えっ」

「圏外なら警戒されない」

「……?」


 すぐにはカラの言っている意味が分らなかった。

 俺はあの勝利が失われたことに対して悲しいのであって、そんな話をしているわけでは……。


 だが、なにかその発想は。俺の拘りは、矮小か?


「挑戦者はどこにでも紛れる」


 ……理解してしまった。

 カラは天才だった。感情の天才。

 周りの感情を読み取る目を持ち、だからこその発想で、必然的に俺のそれも知っている。

 

 つまり彼女は俺の本質に先んじて発言していた。


「俺は……そうか」

「だからジョシュアの勝利。アドバイス」

「あはっ。あはははは!」


 彼女の詭弁に近い正論を咀嚼してから、悩みが吹っ切れた爽快さでつい笑ってしまう。


 評価基準だとかなんだとかそんなものはむしろ逆だった。勝つためにはノイズに過ぎない。

 ジョシュアではなく、俺の本質からほど遠い。


 なにもないからこそ……弱者だからこそ、そうやって勝って奪い尽くす。なんて思いながらも、命を賭して勝利したからこそ、反動としてか、子どものように拘ってしまったのだ。


 俺は安寧に身を委ねようとしてそんなことも忘れていたらしい。それも弱さだから、やっぱり弱いままだった。それを感じられた。


 下にいなければ勝利することはできない。

 高校一年生のあのときの初期衝動が薄れていて。


 彼女はそれを俺より先に察知していたようだ。


「ありがとな、おかげで思い出せた」


 逆だ。まるで逆。

 いつのまにか俺は、目をつぶって、頭の中で圏外を転がして、そいつをそのまま飲み下すように生唾を飲み込んでいた。目を開いた。


 カラはそれを見ながら楽しげにくすくす笑って、笑い終えて聞いてきた。


「あなたの本当の色は?」

「赤紫。黒い赤紫だよ」


 まあ、なんというか油断していたんだな。

 自嘲して無言で笑った。



           ♢



 その後、メフィストフェレスが弁当を届けにきていた。受け取って、俺は用事があるからと言ってその場を去った。ふたりは不思議そうな顔をしていた。


 いまごろふたりで昼食を摂っているのだろう。

 カラはもちろんのこと、メフィストフェレスも絶世の美女だし、さぞ絵になるはずだ。


 なんというかこういうのってさ。

 たま……らんよね。


 阿呆になりながらひとり廊下を歩いていた。

 結局のところ、用事というのは学園長に文句をぶつけにいくことであった。

 だって普通にムカつくし。


 ……それに、そもそも理由が分らない。


 なぜゲームと違う順位になっているのか、なんてことはもちろん聞けはしないが、とにかく不安だったのですこしでも知りたかった。


 原因は推測することができる。


 俺がジョシュアではないという要素と、それに付随する変動をもたらした影響だろう。


 特にルークとの二度目の決闘。


 存在しないはずだったが、俺がジョシュアであった以上、起こるほかない。怒らなければ、俺ではなかった場面だから。……仕方がない。


 しかしそこで思考を切るのは違う。


 俺は準備しなくてはいけなかった。

 いずれくる魔族との死闘にすこしでも不透明な要素は入れたくはない。主人公なら正々堂々となんとかできるのだろうか? でも俺には無理だ。


 俺とカラと、メフィストフェレス……はよくわからないけれども。命に直結する要素なのに、確認すらせず死に際で「あ〜あんときやっとけばな」で済む話ではない。


 そんなもん。むしろジョシュアに殺される。


 ため息と自問自答などを繰り返しながら歩いていたら、ついに部屋の前に着いてしまった。


 ……威厳を主張する、いたるところに金の意匠を凝らした木製の扉。無意味な虚飾で不恰好にも思える。

 でも俺だって無様な虚勢を皮肉に包んでは、焦燥を覆い隠そうとしていて。


 だから立場は変わらないし変わらせない。勝手ながらそう考えさせてもらうことにした。


 あえて気楽に戸を叩いた。


「失礼します」


 なんて心にもないことを言い、本当に失礼してやろうかな……と発想を尖らせつつ、室内に入っていった。余裕を保つためでしかないが、それでいい。


 ……圏外じゃなけりゃ会うつもりもなかったんだけどなぁ。だって学園長は。


 思いながら、奥の窓際を見た。

 本が山積みになっている机を隔てて、こちらを落ち窪んだ眼窩で伺う老人がそこにいた。


 歳は七〇程度、でも正確には知らない。

 ジョシュアよりもかなり高い背丈。

 襤褸とみまごう黒っぽい正装に身を包んで。

 病的に細く長い手脚を、窮屈そうに椅子に折りたたみ──いやむしろ折り曲げられ座っているようだった。


 皺の刻まれた相貌は百年生きた狸のような老獪さを彷彿とさせ、老いさらばえて水分を失った皮膚は、硬く、分厚くなっている。


 病んだ巨木が枯れる間際に知性を持って語りかけるのならば、きっとこんな姿なんだろうな。


 彼は億劫そうに口を波立たせる。

 しゃがれた声で言ってきた。


「ジョシュアだな?」


 そうですよ。

 あなたの孫の。


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 




 


 


 


 


 


 


 

 


 


 

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