12話「變化」
一週間ぶりの学園だったが、なんらかの感慨があるはずもなく、むしろようやく学園生活がはじまる、というような気持ちしかなかった。
思えばまだ三日しかこの学園にいなかったのか……。濃厚すぎるだろ、俺の体験。
胸やけすらするほどに。
いま、頭の中では三日しか経っていないが、実際はそうではない。ちょっとした浦島太郎になった気分で、よくわからない撞着があった。
俺がジョシュアに転生したのが一瞬だったように、学園もまた、認識での三日目を更新されながら、ゆっくりとなにかが変化していた。
──にじりよるように、確実に。
カラと談笑しながら廊下を歩いている。
ちなみにメフィストフェレスは足の小指が痛いとのたまって部屋で寝ている。
俺に対して、周囲の悪感情は特に変わりはないらしい。いままでのこともあるし、失った信用を取り戻すのは難しそうだ。取り戻す必要はないが。
だからまあ、以前と同じく俺に話しかける人などいないだろうと思っていたが、急に後ろから誰かが声をかけてきた。
「おはよう!」
「……ルーク」
「ひうっ」
カラは猫のように飛び跳ねて俺の腕に抱きついた。
おいおい、お兄さんが守るから安心しな?
……冗談半分で。半分ガチで。
カラは怯えていた。
変化のうちひとつは、彼に関わるものだ。
カラにあのあとで聞いたが、彼の感情は空っぽで、変色どころかそのものがないらしい。だから彼女はこわがって、黙ってしまった。……ならどうして動いていられるんだろう? なんて考えると、彼女の恐怖心を辿れる気がした。
でも俺はカラじゃないから。
「心配したぞ、ジョシュア。学園に戻ったんだな」
「あ〜、うん。まあなァ……」
誰かじゃないから俺にとっての印象は、空虚だっただけの人間。それに尽きる。
彼はあくまで普通の人間だ。
そして否定されたことがない人間。
だから自分の在り方が正しいと信じていた。
普通すぎて、大多数の共感を得やすい在り方だったから、いままでは上手くいってきたのだろうが。
だからあのとき俺は、彼から周囲の共感を奪った。彼の異常性を引き摺り出して、眼前に晒して、すこしだけだが、たしかに奪った。
その結果はというと。
「ルークがジョシュアに話しかけてる……」
「殺しかけたのに、なんも感じないのかな?」
「いや、謝るために……」
云々。
悪感情というほどでもないが、共感が失せた隙間に植えられた不安の種。それが時間という水を与えられ、芽を出していた。
彼らはルークを疑うことを覚えたようで、以前より遠巻きに彼の動向を見守っていた。
それはつまり主人公としての失墜を意味していた。
……なまぬるい正しさの化身のような彼はもういなかった。
「それで、なにしにきた?」
「ああ、やはり分るかい」
汚い本心ではざまあみろ、とも思うがその反面、なんというか……妙な気持ち悪さがあった。即座に態度を翻した大衆への嫌悪感だろうか? あるいは罪悪感か? 俺が奪ったのに?
そんな筈はない。
正体不明のこの感情はなんだろう、と考えていると、彼は意外なことを口に出していた。
「お礼を言いにきたんだ」
「え? なんでお礼?」
なんで? ホントにわからなかった。
「あぁ。みんなに言われて理解した。あのとき、僕は君を完全に見くびっていた。だから決闘を受けてもしょうがない。そう思っていたんだ」
『みんなに言われて』らしいがそれは仕方ない。いままでにそんなことはなかっただろうし、彼を否定して、それを理解させるような言葉を、ヒロインらは知らなかったから。
「昨日の今日でそれは当然かもしれないな」
「でも、負けたよ……負けたんだ。負けることができた。そのお礼さ」
思わず噴き出しそうになる。面白くておかしくて、楽しい気分だ。なんだ……簡単なことだった。俺は先ほどの感情がなんなのかやっとわかった。
負けることができた、なんて。
俺だったら礼なんて言えない。
負けることは悔しいし、苦しいし、辛いから。
もし言うとするなら……勝っているときだけ。
彼は信じてるのか。自分はまた勝つって。
やはり主人公は、負けてもなお強者だった。
「あの時の言葉は訂正するよ。君は強かった」
「ふーん……」
その態度を見て俺は当然、憤りも憎しみも感じることはなく……ただ羨ましかった。
いいなぁ。自分を信じて、前に進めて。
俺は無我夢中だったからさぁ。
なんて、浅ましくも羨ましかった。
──あのとき勝てたのは、ほとんど偶然のようなものだ。もし次にルークと戦ったら何度やっても、結果は変わらない。確実に負けてしまうだろう。
だから俺は別に強くなんて、ない。
なのに彼はそんな俺を強いなんて言えるのか。
どこか誇らしく、同時に安心もしていた。
やはり主人公は主人公でいてくれた。
だってそうでなくちゃ。いや。
「そうでなくては、張り合いがないな」
「は……ははっ! 次は負けないよ?」
彼は嘘っぽい笑い声を上げたが、勝つという言葉には嘘はないようだった。
主人公に立ちはだかるのが、悪役の役目だから……そして俺はジョシュアの主人公だから。
もし立ち向かってきてくれないと、なんて不安だったんだ、俺は。
よかった。
「あら……ルーク様、こんなところにいらしたの……って」
クーラ王女が、廊下の角から唐突に現れて、俺たちに鉢合わせた。それからカラと……俺とルークがいるのを交互に見比べて俯いた。
しばしの無言、からの。
「なにしてますの!?」
「ク、クーラ……謝ろうと思って」
「貴方ひとりでは妙なことになるから、わたくしに相談してからって言ってあったじゃありませんか!」
爆発。
「王女、落ち着いて……」
「うるさい! 貴方は黙ってくださいまし!」
「はわわ」
なだめる俺に彼女は怒鳴った。
こっわ。
すっげえ剣幕だった。助けてカラちゃん。
多分ルークくんこんな感じで詰められたんだ……。
そりゃ考え変わるよ。空虚な器に変な物体入ってもおかしくないよ。
「大体ですね! 貴方は!」
「はい……はい……」
彼女なりのロジックは事実から逸脱して印象論にまで拡張しているようだ。さながら集中包囲網。ルークはなにも言い返せないでいる。色々苦労してるんだろうな、彼女も。
言い合っている、いやむしろ言って言われているふたりをよそにして、まだ震えて腕に抱きつくカラに、なんとなく尋ねてみたくなった。
彼は結局、一度もカラのことを気にしていなかった。震えておびえて腕にしがみつくカラのことを。
俺のことも、おそらく人間としてというよりは、障害物としての興味で接しているのだろう。
そんなもの言ってしまえば俺だって自分勝手な定義論に当てはめて、主人公だなんて断定してる。
だから、まあ……。
「彼らは何色に見えるんだ?」
「み。見たくない」
「いいから」
「……赤……空虚。やっぱりこわい」
「あはっ、やっぱりかぁ」
そりゃそうだよなぁ。
人間そんなにすぐには変わらない。
だけどずっと変わらないとは限らないしな。
だって俺は、この世界で人間に出会ってるから。
だからこう言うよ。
「空虚でもいいんじゃないか?」
「なぜ?」
「誰だって変わってるところはあるもんだよ」
俺にもお前にもな。
♢
それと、もうひとつの変化があった。
取っていた講義が同じだったので、ルークとともに講堂へ向かう。カラとクーラ王女は別の講義だったので一度別れた。
あのときどうだったとか、あのときこうしようとしただとか、感想戦みたいなものを繰り広げていた途中、急に思い出したような雰囲気で彼は口を開いた。
「なあジョシュア」
「どうした?」
こちらのほうが盛大な変化だ。取り返しがつかないほど、影響力のある変化。
「君、何位だった?」
『決闘ランキング制度』。
それがついにはじまっていたのだ。
俺がルークに勝ってしまったから、ひょっとするとなくなるんじゃ、なんて思っていたが杞憂のようだった。
ゲームのストーリー展開は、このランキングを起点に進行されることが多い。
つまり。
ストーリーはいまから開始するということになる。
「僕は七七位だったよ」
彼は歩きながら、制服の内側から薄い石板を取り出すと、朧げに光る文字を見せてきた。
この『エヴォルヴ・アカデミア』の学生証だ。
七七位。ゲームと変わらない順位だった。
高くないように思えるが、五〇〇位まである数列のなかで、これはかなり凄まじい。しかも一年で。
「そういえば確認してなかったな。何位なんだろう……」
「僕に勝ったんだし結構上なんじゃないか? 自慢じゃないけど、僕は強いんだよ」
「知ってるよ」
かつてジョシュアがそうしていたのにならって、鞄に入った学生証を取り出し、スマートフォンのように操作する。なんだか懐かしい気分だ。
ゲームでのジョシュアは正確な数値こそ描写されてはいないものの、最初に二七八位と闘って負けているので、大体そんなものだろうか?
なんてとぼけながら……もっと上に決まっているだろうと、内心では反証的にほくそ笑んでいた。
「どれどれ?」
「勝手に見るなよな」
ふたりで小さい画面を覗き込んだ。
しかし予想に反して。
「あっ!」
「マジか?」
予想に反して。
その石板には『決闘ランキング圏外』の文字があった。
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