第17話僕の作りたいもの①

 すっかり慣れたバルトル様の工房。

 外はもう日が落ちていて、薄暗い室内をランプが照らしていた。


 わたしはそこで糸を紡いでいた。

 バルトル様に自動繰糸機なるものを教えていただいて、一度試してみたのだけど……わたしは魔力を発現することができないからか、繰糸機の注入口に魔力を注ぐ、ということができなくて使えなかった。


 なので、かつてアーバン家の離れでそうしていた時と同じように、わたしは手織りで地道に魔力の糸を紡ぐ。


「……おや、僕の奥さんは夜なべで何をしているのかな?」

「あ……バルトル様……」


 振り返ると、苦笑を浮かべたバルトル様が後ろに立たれていた。


「確かに君に魔力の糸を紡いでほしいと頼んだのは僕だよ。でも、夜はもう寝る時間だ」

「す、すみません。つい……寝付けなくて少し、と思っているうちに夢中になってしまって」


 バルトル様は片眉を下げ、やれやれというふうに笑う。

 そして、わたしのすぐ横に椅子を持ってくると、腰掛けられる。


 じっと見つめられ、戸惑いがちに作業を再開させれば、バルトル様はうん、と頷かれた。


「やっぱり何度見てもきれいだね」

「あ、ありがとうございます」


 ……わたしは魔力の糸を紡ぐのが好きだ。あの家でずっとやってきた唯一の『仕事』だったし、自分の手できらきらと輝く美しいものを作れる、ということは純粋に嬉しくて、楽しかった。

 私室にいなかったことで心配して様子を見にきてくださったバルトル様も、わたしが糸を紡ぐのを楽しそうにしている、ということに気づかれたのだろう。優しく見守ることにしてくださったようだ。


「こんなにいっぱい作っても疲れないの? 僕は繰糸機任せにしているだけでだいぶ疲れるんだけど」

「はい……。疲れるということは、特には……」

「……やっぱり、君、ちょっと規格外なんだろうな」

「えっ」


 思わずピタリと手が止まる。


「ああ、ごめんごめん。いい意味だよ。君が作る魔力の糸はとても質がいい。それに加えていくら糸を作っても魔力が枯渇する感じしないんだろ? すっごい魔力量があるってことだ」

「……そうなんでしょうか……」

「そうだよ。君がアーバン家の大黒柱だったんだろ? 君がいなくなってあそこの家は随分……あ、いや、これは別にしなくても良い話だな。うん、忘れて」

「は、はあ」


 ……そうなんだろうか。バルトル様に言われても、いまいちピンと来ない。


 妹に乞われるままに糸を紡いでいただけで、まさかそれが『アーバン家の電気の魔力』として国に売られていたとは思っていなかった。……自分のできそこないの魔力に『電気』の属性があるとは考えもしていなかったから。


「すまないね、君が糸を作ってくれるとコストを考慮に入れないで開発に集中できるからさ、助かるよ。まあちゃんと製品にする時にはちゃんとコスト面考えて調整しないとなんだけどさ」

「い、いえ、お力になれて、嬉しいです」


 わたしはクルクルと糸を紡ぐのを再開して、手を動かしながら考える。


(……)


 ずっと胸に抱えてきているわたしの疑問と、秘密。本当はバルトル様にいち早くでも申告しなければいけないこと。


 バルトル様に嫁いだばかりの頃にやっと襟足に届くほどの長さだった髪はもう肩につくほどに伸びていた。それだけ長い時間、そばに居続けてしまった。あまりにも居心地がよくて、言い出すのがどんどん怖くなって。


 バルトル様はわたしが糸を紡ぐ姿をニコニコと、まるで幸せそうな笑みで眺めていらっしゃる。


 その顔を見ていたら、罪悪感でたまらなくなった。


(バルトル様は本当に……わたしによくしてくださっている)


 彼のその優しさに、わたしは嘘をつき続けている。


 チラリと、彼を横目で見る。

 夜の帷はすっかり落ちていて、薄暗い工房において夜空の星のように煌めく瞳で、バルトル様はわたしを見つめていた。


 目が合ったことに気づいたバルトル様はそっと目を細めた。


「……髪、伸びたね」


 バルトル様の冷たい手のひらがわたしの頬を滑り、そしてそのまま髪をすくう。

 肩よりも少し長い髪。よく手入れをしてもらっているわたしの髪はなめらかだ。


 バルトル様はわたしの髪の感触を何度も繰り返し撫でて楽しみ、そして、目を伏せて微笑まれる。


「バルトル様……」

「バルトルと呼んでくれ」

「……バルトル」


 どちらともなく顔が近づき、やがて唇が重なった。

 バルトルは優しくて穏やかで、とても温かな人だけど、体温は低い。触れた唇も少し冷たかった。けれど、わたしを映した青色の瞳だけは確かな熱を帯びていた。


「……」

「ロレッタ、愛している」


 バルトルのよく通る声がわたしのためだけに囁かれる。

 じわじわと目元が熱くなっていく。わたしは泣きそうになっていた。


「はい。……わたしも、愛しています」

「……ねえ、ロレッタ。君は今、何を考えている……?」


 バルトルの言葉も、わたしを見つめる瞳の熱っぽさも、たまらなく嬉しくて幸せなのに、どんどんとわたしの瞳には涙が迫り上がってきていた。

 わたしは嗚咽を呑み込み、そっと唇を開く。


「わたし、ずっとあなたを騙していました」

「……うん」

「わたしは両親の子ではないんです。母の……不貞の子なんです」

「……」


 バルトルは静かにわたしの頭を撫で続ける。


 ……ああ、きっと。やっぱり。

 バルトルは知っていた。わたしが不貞の子であることを。


 優しい手のひらの感触と、わたしをまっすぐに見つめるその眼差しで、わたしはそれを悟った。


「わたしは……わたしの身体の魔力は何の属性も持っていません、何の力も使えません。どうしてか、魔力の糸を紡ぐことだけはできますが……。わたしの父は、どこの誰ともつかぬ平民だそうです。……バルトルとわたしでは、魔力を持つ子は期待できません」


 ずっと言わなくてはいけなかったこと。言えば、もう隣にはいられないと思って、言えずにいたこと。

 ようやく口にできて、わたしはなぜか胸が空くような気持ちになっていた。


「ずっとそれで悩んでいたの?」

「はい。本当は、もっと早く言うべきだったのに。わたしは……黙っていました」


 頭を撫でるバルトルの手を取る。

 大きな手のひらを両手でぎゅっと握り締めながら、わたしはニコと精一杯微笑み、そして一息に言った。


「バルトル、あなたはとても優れた人。それに、優しい人。あなたがこの国でもっと活躍するところをわたしは見たいです。……だから、わたしがあなたと結ばれるべきではないんです。不貞の子のわたしじゃ、あなたの出世のお役に立てません。……いままで、ありがとうございました。短い結婚生活でしたが、わたしは幸せでした」


「……は? いや、おい。待てよ。何を言っているんだ、君は」


 バルトルは意味がわからないとばかりに、いつになく少し乱暴な口調で、眉と口角を吊り上げていた。普段見ない彼の厳しげな表情と声にびくりとなるけれど、わたしは続けた。


「……わたしはあなたのことを、結婚してすぐに……好きになってしまいました。いままで……ずっと、言えなくてすみませんでした。本当は、すぐに打ち明けるべきだったのに。わたしは不貞の子なのだと。不貞の子のわたしでは、爵位を継がせられるような子を産むことはできないのだと」


 最後まで聞いて、バルトル様は厳しかった顔を今度は困ったように眉を顰めさせた。


「……僕も君に言っていなかったことがたくさんあるよ」


 青い瞳がスウっと細められる。


「僕は別に爵位にこだわっていない。地位や名誉なんてどうでもいいし、子供にそれを継がせていきたいだなんて思っちゃいない」

「……でも、あなたは……自分と結婚してくれる貴族の娘を探していたと……」

「……そうか。……ごめんね」


 彼は少し悲しげに苦笑した。


「ねえ、ロレッタ。僕は最初から他でもない君と結婚をしたかったんだよ。君の紡ぐ素晴らしい魔力の糸を見て。そして、君の家のことも……知っていたから」

「……バルトル」

「だから、君を早くあの家から連れ出したかった。君が『不貞の子』と呼ばれて狭いところに閉じ込められているのが許せなくて」


 わたしはただ彼の顔を見上げ、涙に潤む瞳を揺らす。


「あえて触れなくてもいいことだと思っていた。そんな不名誉な呼ばれ方をしていることを蒸し返したくなかったんだ。けど、ごめん。そのせいでむしろ君を苦しめてしまった」

「そんなこと……わたしの、わたしの勇気がなくて、ずっと言えなかった、それだけですよ」


 バルトルは頭を下げる。金の髪のつむじを見ながらわたしは震える声でバルトルの言葉を否定した。バルトルはずっと優しかった。彼が謝ることなんてひとつもないのに。


 すっと顔をあげたバルトルは真剣な面持ちを浮かべていた。ぐ、とわたしの手を掴み、力を込める。


「なあ、ロレッタ。君は僕の嫁だろう。正式に書状を交わしている。国からも認められている夫婦だ。離縁など、承認しない」

「……バルトル」


 

「僕はたしかに、君に恋していたからという理由で君を娶ったわけではない。けど」


 一呼吸おき、バルトルは続ける。


「君と結婚してから僕は君を好きになろうと努力したし、君に好きになってもらえるように努力した。……僕は、きっと君以外の誰が相手だったとしてもそうしていたとは思う。寂しい家庭にはしたくなかったから。でも、実際に頑張れたのは君のおかげだ。君も僕に歩み寄ろうとしてくれたじゃないか」

「バルトル」

「君と話すたびに、僕は君に好きになってほしいと思ったし、君を……もっと好きになりたいと思った」


 不貞の子と呼ばれ続け、まともに愛を受けることはなかったわたし。そんなわたしができることといったら、せめて、彼に対して素直であろうと努めることくらいだった。歩み寄ろうとしたなんてほど立派なものではなかった。


 そんなことくらいしかできなかったわたしの小さな努力。それなのに、バルトルはこんな風に言ってくれる。

 さっきからずっと涙に溢れている瞳からとうとうひとしずくの涙がこぼれた。

 

「……わたしも、あなただったから……」


 言い終わる前に、わたしの目の前で金の髪の束が舞った。

 バルトルが勢いよくわたしに飛びつき、抱きついてきたのだった。


 ぎゅう、と一回り大きい彼の身体にすっぽりと抱き締められる。


「好きだよ、ロレッタ。君しかいない」

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