鑑定

「渦霧さん、おはようございます。科捜研から例の紙片の鑑定結果が上がってきています」


 渦霧は出勤して自分の席に腰を下ろすなり、近づいてきた肩平に声をかけられた。


「何か出たか?」


「ええ。二種類のインクが使われていたらしく、塗り潰しの下に書かれていた文字が判読できたそうです」


「何と書かれていたんだ?」


 肩平が手帳を開いて読み上げる。「漢字で『大人おとな』と」


「おとな? ダイイングメッセージにしちゃあ、ずいぶんと大雑把だな。それとも大人という名前の人物を指しているのか?」


「調べてみたところ、全国に大人という苗字を持つ人は百十人ほどいるようで、その中でも鹿児島県が最も多いそうです」


「被害者の周りに大人という人物は?」


「姓と名の両方、それからそういった渾名あだなで呼ばれている人物がいないかをあたりましたが、今のところ見つかっていません。また、真蟻梨まぎり署のほうでも確認してもらったのですが、署員に該当する人物はいないとのことです」


「筆跡は被害者本人のものだったのか?」


「はい。やや乱れてはいるものの、被害者本人の筆跡で間違いないそうです。紙片の筆記に使用された二種類のインクと同じペンも、二本とも現場から見つかっています。それらに残された指紋も被害者のものと一致したそうです」


「つまり、被害者は文字を書いた後、その文字を自分で塗り潰したわけか」


「状況証拠からすると、そうなりますね」


 トリカブトは摂取すると、消化の始まる十分から二十分以内に中毒症状が発症する。摂取量によっては数十秒で死に至ることもあるが、通常一時間から六時間ほどかかる。中毒状態にあってもメッセージを書き残すことは可能だ。だが、それならば、なぜ救急なり警察なりに助けを求めなかったのか。答えは自殺であった場合だ。または、助けを呼べる状況になかったか。


「一つずつ可能性を潰していくか」渦霧は椅子の背もたれに身体を預けた。「まず、事故であった場合だ。被害者に山菜採りの趣味はあったのか?」


 トリカブトとニリンソウは若葉が似ているだけでなく、同じ場所に混成している場合が多い。知識のない者が山菜を採りに行き、間違えて採集して誤食してしまい、中毒症状におちいるという事故がしばしば起こる。


「いえ、そういった趣味があったという報告は受けていません。アウトドアとはあまり縁のない人物だったようです」


「被害者本人がトリカブトを採ってきた線は無しか……」


 採集が本人でなかったのならば、トリカブト入りの料理を調理した人間が他にいる可能性がある。


「被害者に恋人はいなかったのか? 被害者宅を頻繁に訪れていた者でもいい。料理を作って一緒に食卓を囲むような友人とか」


「恋人はいなかったようです。それと、頻繁と言えるかはわかりませんが、被害者宅を何度か訪れたことがあるという、被害者の友人数名の証言は取れています。ですが、その友人らによると、被害者宅で料理をしたことはなく、また、被害者本人もあまり料理をするほうではなかったようで、食事はもっぱら外食が中心だったそうです。真蟻梨署の同僚にも、料理は面倒だから食事は外食かデリバリーばかりだと漏らしていたそうです」


「そうか……被害者の交友関係のリストはまとめてあるか?」


 持ってきます、と言って肩平が自分の席へと向かった。


 被害者本人や友人が料理を作ったのでないのならば、誰が料理を作って食べさせたのか。被害者がトリカブト入りの料理を食べたのは紛れもない事実だ。例の紙片とドアノブの指紋が拭き取られていることからも、すでに自殺の線は消えつつある。事故と他殺の二つに絞ってもいいかもしれない。

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