メッセージ

混沌加速装置

現場

 綺麗なもんだな。捜査一課に所属する古参の刑事である渦霧うずきりが、室内に仰向けで横たわる遺体を目にして、最初に抱いた感想がそれだった。幾度となく見てきた凄惨な現場と比較してのことである。被害者の遺族からすれば、刑事が遺体の状態に対して感想を抱くこと自体が不謹慎だと思われかねないが。


「遺体の身元が判明しました。真蟻梨まぎり警察署の交通課に勤務する警察官、田地たじ臣博おみひろ三十三歳、結婚歴は無く、このアパートで一人暮らしをしていたそうです」


 肩平かたひらが手帳を見ながら報告した。渦霧とは二十ほど歳が離れた若い刑事だ。若いと言っても、三十歳そこそこのはずなので、世間からすると中年の部類に入る。


「身内か……死因は?」


「死因はトリカブトによる中毒との報告を受けています。テーブルに残っていた空の食器から、アコニチン、メサコニチン、ヒパコニチンなどのアコニチン系アルカロイドが検出されたそうです」


「参ったなぁ……」


 七月上旬の現在、トリカブトをニリンソウと間違えて誤食する事故がたびたび起こる。よって、事故、自殺、他殺のそれぞれの線を疑わなければならない。


「それと、先ほど鑑識の牛縁うしふちさんから、これを渡されました」


 肩平がファスナー付きのポリ袋を掲げた。中にハガキ大の白い紙片が入っている。もとは丸められていたのか、全体的に皺のあとが付いている。


「遺書か?」渦霧はポリ袋を受け取って裏側を見た。「何だこりゃ?」


 まるで子供が落書きでもしたかのように、紙面のほとんどが黒いインクでぐちゃぐちゃに塗り潰されている。


「丸まった状態で遺体の喉の気管付近に詰まっていたそうです」


「死にぎわに落書きして、その紙を自分で食っちまう……なんてこたぁないよな。仮に他殺だったとしてもだ、事件に関わる物証を犯人がそんな場所に残していくとも考えられないが」渦霧が部屋を見回す。まだ多くの鑑識官が仕事をしているが、部屋に荒らされた様子はない。「物盗りではなさそうだな」


「まだ詳しいことはわかりませんが、被害者のものと思われる財布の中には現金が入ったままであり、誰かと争った形跡もないとのことです」


「これさえ無けりゃ、ほぼほぼ事故か自殺の線でカタが付きそうなんだがなぁ」渦霧は紙片を何度も引っくり返して裏表を確認した。


「被害者の同僚や知人の話では、自殺をほのめかすような言動はなく、また自殺をするような人物ではなかったそうです」


「とはいえ、発作的に死にたくなるやつもいるからな。自死を選ばざるを得ないほどの、誰にも話せない悩みを抱えていた可能性も考えられる。とりあえず、これの解析、牛縁さんに頼んでおいてくれ」


「わかりました」


 渦霧が肩平にポリ袋を手渡したところで、作業をしていた鑑識官の一人から声がかかった。


「渦霧さん、ちょっと」


「何か出ましたか?」渦霧は訊ねながらドアの近くにいる鑑識官に近づいていった。


「ドアノブの指紋、拭き取られたあとがありますね」


「これから自殺しようとする人間が、わざわざ自分の指紋を拭き取ったりはしませんよね」


「しないでしょうねぇ。捜査の撹乱が狙いなら別でしょうが、被害者は警察官だったんですよね? だったら、そんなことをしても嫌がらせにしかならないことぐらい、わかると思うんですけどねぇ」


 指紋だけを消しても意味はない。現場にはそれ以外の痕跡が無数に残っている。完全な湮滅いんめつを図るのであれば、現場を丸ごと消し炭にして跡形も残らないようにするしかない。


「また何か出たら知らせてください」渦霧は鑑識官にそう告げると、別な鑑識官と話している肩平に声をかけた。「近所に聞き込み行くぞ」

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