推論

 渦霧は肩平が持ってきた被害者の交友関係のリストに目を通した。親類縁者はもとより、小学、中学、高校、大学、警察学校時代の同級生と同期生を始め、警察官になってからの同僚や真蟻梨署の署員の名前が並んでいる。


「あ? これはどういうことだ?」


 リストに羅列された名前を眺めていた渦霧が声を上げた。


「何がですか?」


「ここ」渦霧はリストを肩平に見せながら、一つの名前を指し示した。「なぜ彼の名前がある?」


 肩平がリストを覗き込む。「それは同じ署の……いや、違いますね」


「被害者は交通課だったよな? たとえ同じ署に勤務していたとしても、彼と接点があるのは変じゃないか?」


「確かにおかしいですね。本人に確認してみますか?」


「そ……いや、ちょっと待て」


 渦霧は机の上に重ねてある書類の一枚を適当に抜き取ると、裏返して『大人』という文字を書いた。リストの名前と見比べる。


「紙片の文字との関係性は無さそうですね。成熟した人間という意味であれば、彼を含めたリストのほぼ全員が当てはまりますが……」


 渦霧は『大人』と書いた文字の下に、それぞれ『おとな』『オトナ』と平仮名と片仮名でも書いてみた。被害者が漢字で表記したのは、他と比較して簡易だったからか。それとも漢字であることに意味があるのか。


「なぜ文字を塗り潰した……」渦霧が独り言のように呟く。


「見られたくなかったんですかね?」


「誰に?」


「犯……トリカブト料理を食べさせた人物に、でしょうか……となると」


「その人物は被害者が絶命するまで、もしくはその直前まで現場にいたことになるな」


「でも待ってください。それだと、その人物は被害者が文字を書き、塗り潰すところまで見ていたことになりますよね。であれば、文字が書かれた紙片を処分できたはずです。でもそうはせずに、わざわざ被害者の喉に詰め込んだのはなぜなんでしょうか?」


 辻褄が合わない。処分できたのに処分せず、自分を特定される恐れのある物的証拠を残した。その理由は何だ。この前提が間違っているのか。


「……死んだ後に文字を残した?」荒唐無稽と思いながらも、渦霧は口に出していた。


「渦霧さん……それはさすがに……」肩平が顔を歪めた。わずかに憐れみと同情の色が窺える。


「待て。たとえば、死んだと見せかけたのだとしたら、どうなる?」


「どうなるって……そうですね……仮に被害者を殺すのが目的だったのだとして、相手が死んだのを見届けたのなら、目的を果たした以上はもう現場にいる必要もありませんから、証拠を湮滅してその場を立ち去るんじゃ……あ!」


「つまり、こうだ。被害者は中毒症状が現れたことによって自分が毒を盛られたと気づいた。だが、下手人げしゅにんがいる状況では、手がかりを残したとしても処分されてしまう。そこで下手人を立ち去らせるために死んだふりをした。それを見て被害者が死んだと思った下手人が立ち去る。下手人がいなくなった後、被害者は絶命するまでの間に文字を書き……」


 喋っているうちに、渦霧は矛盾に気づいて言葉を止めた。これでは文字を塗り潰した意味がない。文字を見られたくない相手は、この時点ですでに立ち去っているのだ。それは同時に、紙片を被害者の喉に詰めた人物が消えたことも意味する。


 複数の人間による犯行だとしたら——被害者に毒を盛った者と、被害者の喉に紙片を詰めた者の二名——それは考えられない。


 何か見落としているのではないか。渦霧は沈思しながら、自分の書いた『大人』という文字に目をやった。

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