第7話

 侍女は先ほど『見たことのないお茶をよく飲んでいた』と言っていた。

 だからお茶を置いてある茶房なら、何か手がかりがあるのかと思ったのだ。


 ――しかし、数分後。


「うーん。ないね」

「ないですねぇ……」


 私と桂蓮姐さんは、蒼玉宮の茶房で途方に暮れていた。


 表でざぶざぶと洗濯をしていた侍女の手も借りながら、私たちは中に置いてあるありとあらゆるものを調べてみたのだけれど……特にあやしいものはなかったのだ。


 匂いを嗅いだり時には舐めてみたりもしたけれど、どれも値段に差はあれど、普通のお茶にすぎない。


 念のため厨房もくまなく調べ、最近飲んでいる薬湯なども全部教えてもらったものの、その中にも特段変わったものはなかった。


「うーん……」


 私と桂蓮姐さんはふたりそろって唸った。


「もう少し調べたいところなんですが、この後丹婕妤たんしょうよ様に呼ばれているんですよね。なので二手に分かれませんか? 姐さんに、薬師と他の宝玉治癒師に何か処方していないか、聞いていただきたいのです」

「それはいいけど、あんた、ひとりで丹婕妤たんしょうよ様のところに行って大丈夫なのかい?」

丹婕妤たんしょうよ様自身は元気でいらっしゃいますから、わざわざふたりで行くほど必要はないと思っています」

「あたしが言っているのはそこじゃないよ。丹婕妤たんしょうよ様の、紫瑶しように対する執着の方だ。ふたりきりになったら押し倒されやしないかね?」


 姐さんの言葉に私は苦笑いした。

 正直、それは私も少し心配していた部分ではある。


「……さすがの丹婕妤たんしょうよ様でも、そこまでしないだけの理性があることを信じたいですね」


 姐さんはまだ迷っているようだった。

 本当は安全を期するために二人で丹婕妤たんしょうよ様の所に行った方がいい、けれど原因解明を優先するなら、少しでも早く情報を集めた方が良い。


 そのことは、姐さんも十分わかっているのだろう。

 散々迷った末に、姐さんは結論を出したようだった。


「……わかった。それなら、丹婕妤たんしょうよ様の理性を信じて、あたしは他の人に聞いてこようじゃないか」


 そうして私たちは二手に分かれたのだった。






 紅玉宮の巨大な門をくぐり、春牡丹が咲き乱れる道を通って、私は丹婕妤たんしょうよ様の住まいである房間に向かう。

 道中すれ違う侍女や妃たちに異変はなく、いたっていつも通りのように見える。


 昨日診療したばかりの丹婕妤たんしょうよ様は、なぜか今朝になってもう一度『最近よく眠れないから診てほしい』と言ってきていたのだ。

 とは言え断ることはできないため、こうして私がもう一度出向くことになっている。


「こんにちは。宝玉治癒師の紫瑶です」


 春風が吹き抜ける、広々とした房間。

 けれどいつもならすぐに出てくる赤髪の妃は、今日は姿を見せない。


「……丹婕妤たんしょうよ様?」


 いぶかしんだ私が、もう一度名を呼んだ時だった。

 前からたたたっと駆け寄ってきた丹婕妤たんしょうよ様が、そのまま私の胸に飛び込んできたのだ。


「うわっと!」


 全力だった上に不意打ちだったため、私はその場にどすんと尻餅をついた。丹婕妤たんしょうよ様も、一緒に倒れこむ。


「いたた……丹婕妤たんしょうよ様……!?」


 なんとか片手で体を支えたものの、飛び込んできた丹婕妤たんしょうよ様は私の胸にひたりと抱き付いて離れない。


「ちょっと……もしもし……」


 ――ごめんなさい姐さん。今日はどうやら、丹婕妤たんしょうよ様の理性を信じてはいけない日だったみたいです……。


 ひとりで来たことを後悔しながら、私は無理矢理丹婕妤たんしょうよ様を引きはがした。

 それから彼女の顔を見て、ぎょっとする。


 丹婕妤たんしょうよ様の額玉は昨日以上に鮮烈な輝きを放ち、そして瞳も同じようにギラギラと光っていたのだ。まるで獲物を狙う猫を思わせる瞳に、私は目を丸くした。


紫瑶しよう様……わたくし、あなたをとってもお慕いしているんです……!」


 その顔は赤く、はぁはぁと漏らされる息は早く荒い。脈をとらなくても、押し付けられた胸から、ドッドッという力強い音が聞こえている。相当だ。


丹婕妤たんしょうよ様、落ち着いてください。とりあえずお部屋の中に行きましょう。ね?」


 こんなところを他の人に見られたらとんでもないことになる。

 紫瑶との疑似恋愛ごっこはなんとなく皆の間で公認になっているとは言え、あくまでそれは“ごっこ”の範疇であればの話。

 実際に外で抱き合ったりなんかしたら、あっという間に噂を広められるだろう。


「そうですわね、中に行きましょう! それがようございますわ!」


 言って、丹婕妤たんしょうよ様はしゃっきりと立ち上がった。

 その様子に私が驚いて目を見開く。表情からして、てっきりお酒を飲み、酩酊状態になっているのかと思ったのに、意外にも彼女の足取りはしっかりしており、意識もはっきりしている。


 なのに、この興奮ぶり。


 私は何ひとつ異変を見逃さないよう、目を光らせながらゆっくりと部屋に踏み入れた。


 すると、入るなりすぐさま丹婕妤たんしょうよ様が私に抱き付いてくる。


「ねえ紫瑶様。わたくし、今日はわざわざ人払いしましたのよ。それも先ほど申しました通り、本当にあなたのことを……」

丹婕妤たんしょうよ様。先ほどまで、何か飲んでおられましたか?」


 その言葉を流しつつ、私はくん、と鼻を動かした。


 部屋の中にはかすかにだが、どこか苦いような、香ばしいような匂いが残っていたのだ。


 私の質問に、丹婕妤たんしょうよ様がぎくりとした顔になる。

 かと思うと、彼女は逃げるようにサッと身を引いた。


「いっ、いえ。何も……その、ちょっとお茶を飲んだだけで」

「お茶?」


 私はその言葉を聞き逃さなかった。

 すぐさまずいっと、丹婕妤たんしょうよ様に詰め寄る。今度たじたじになったのは彼女の方だ。


「どんなお茶ですか。見せてください」

「な、なんてことない、普通のお茶よ?」


 言いながら、丹婕妤たんしょうよ様の視線がスゥッと外される。さらに額玉の柘榴石が、一瞬ゆらりと揺らいだのを私は見逃さなかった。


 ……これは嘘だな。


 私は微笑んだ。


 優しくにっこりと――この上なく美しく、妖しい光を浮かべて。


「……悪い子だね。あなたは嘘をついている」


 その瞬間、なぜか丹婕妤たんしょうよ様が「はぁんッ」と色っぽい声を漏らした。


 ……しまった。言い方を間違えた。

 凄んだつもりだったんだけれど、頬を赤らめている彼女を見るに、逆に喜ばせてしまったらしい。


 でも、それならそれでやり方がある。


 私は丹婕妤たんしょうよ様の顔にツ……と指を這わせてから、ぐいっと顎を持ち上げた。


「さぁ、教えて……。一体、何を飲んだのですか」


 耳元で囁けば、顔を真っ赤にした丹婕妤たんしょうよ様がぷるぷると小さく首を横に振った。


「わ、わたくしも名前まではわからないのよ……! ただあれを飲むと、額玉が輝く上に体も痩せて、肌も綺麗になるって聞いただけなの!」


 私は苦笑した。

 そんな怪しいものを、名前も知らずに飲んでいるなんて。


 それから密かに吐息を嗅ぐと――どこか煙っぽい、苦い香り。


 うん、汀淑妃ていしゅくひ様と同じ香りがするね。


 間違いない。このふたり、同じものを飲んでいる。


 ううん――。


 そこで私は考え直した。


 もしそのお茶に額玉が輝く作用があるのなら、恐らく汀淑妃ていしゅくひ様と丹婕妤たんしょうよ様だけではない、色々な妃が口にしているはずだ。


 最近の妃たちの輝きぶりを思い出して、私は苦笑した。


 何かあるとは思っていたけれど、やっぱりね……。


「現物は残っているのですか?」

「い、いえ……。なるべく早く処分するように言われたから、飲み終わったあとのものは全部地面に埋めてしまったわ。新しい分は、今度またもらえると……」


 うわぁめんどうなことを……。


 内心顔をしかめていると、私は机の上に手巾が置きっぱなしになっているのに気が付いた。

 人払いをしたと言っていたから、普段ならすぐに片付けてくれる侍女がいなかったのだろう。


 私は丹婕妤たんしょうよ様を椅子に座らせると、机の上に置かれている手巾を持ち上げた。


 白色の手巾には、うっすらとだが何か拭いたような染みがついている。

 一見するとお茶をこぼしただけのように見えるが、そこから放たれる臭いは、間違いなくお茶ではなかった。


 嗅ぐと、鼻腔を満たすのはどこか香ばしく、そして苦い匂い。なのに、わずかなすっぱさも感じる。


 ああ、これ……多分だね?


 私の頭の中で、ようやく特徴が一致するものが浮かび上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る