第8話

「――それで、後宮で流行っていたものはなんだったんだい?」


 東宮にある皇太子殿下の居室。

 一見すると派手には見えないのに、その実とんでもない金額のする調度品に囲まれながら、私と桂蓮姐さんは璨希さんき皇太子殿下に拱手をしていた。


 協力してくれた殿下に、事の顛末を報告しに来ていたのだ。


「はい。汀淑妃ていしゅくひ様、丹婕妤たんしょうよ様、および後宮の妃嬪たちが飲んでいたのは――こちらです」


 私の言葉に、桂蓮姐さんが手に抱えた包みを差し出す。


 包みを広げると、そこにはこんもりとした焦げ茶色の粉が乗っていた。

 一見すると薬に見えなくもないが、鼻を近づけると明らかに違う芳香が漂っている。


「これは一体……?」

汀淑妃ていしゅくひ様が隠していたものです」


 言いながら、私は姐さんと一緒に汀淑妃ていしゅくひ様の房間を捜索した時のことを思い出していた。





「――しかし紫瑶の言っているが本当なら、汀淑妃ていしゅくひ様は一体どこにそれを隠していると言うんだい? 普段の診療もあるから、片っ端から調べるわけにもいかないし……」


 汀淑妃ていしゅくひ様の房間の前で、私から話を聞いた桂蓮姐さんが首をかしげる。


 確かに、私たちは既に蒼玉宮の厨房や茶室、薬室など、怪しい所は一通り調べ終えている。もちろん蒼玉宮は広いため、まだ調べていない部屋も多いが、二人だけで片っ端から調べるのは現実的ではなかった。あまりに広すぎるのだ。


「それともまた璨希さんき皇太子殿下に頼んでみるかい? あの方なら人手を貸してくれそうな気がするし……」

「その必要はないと思いますよ」


 けろりと言った私に、桂蓮姐さんは「もしや」と眉をひそめた。


「どこにあるのか、もう目星がついているのかい!?」

「はい、大体は。それに、あとは本人が教えてくれると思います。そういうわけで、早速汀淑妃ていしゅくひ様の元に行きましょう!」


 私は意気揚々と歩き出すと、軽く房間の戸を叩いた。以前来た時と違って、今度はすぐさま戸が開かれる。隙間からおどおどとこちらを覗くのは、汀淑妃ていしゅくひ様付きの侍女だ。


「侍女殿、その後いかがですか。汀淑妃ていしゅくひ様のご容体は」

「そ、それが……。気の荒ぶりは鎮まったのですが、今度は眠気や頭痛、吐き気がひどいとおっしゃられて。治癒師様、本当にこれで大丈夫なのでしょうか!?」


 泣きそうな顔の侍女に、私はにっこりと微笑んだ。


「――うん、順調ですね」

「順調?」

「ええ。それらの症状は、飲むのをやめたことによる離脱症状ですね。抜けきるまでしばらくつらいかもしれませんが、もう少しの辛抱ですよ。つらさがなくなるまでは、お水をいつもよりたくさん飲むようにしてください」

「は、はいっ!」


 侍女との話を終えると、次に私は拱手をして汀淑妃ていしゅくひ様の前に進み出た。

 汀淑妃ていしゅくひ様は座っているのもつらいらしく、横になったままだ。私は静かに枕元に跪くと、細い面にそっと指を這わせた。


「額玉は……少しだけですが、色艶が戻ってきましたね」


 以前見た時は墨を塗り固めたような色になっていた楕円形の額玉は、まだまだ淀んでいるとは言え、上辺は少しだけ深い青味を取り戻しつつある。

 汀淑妃ていしゅくひ様も目はとろんとしているものの、意識はあるようだ。


「……わたくしは元に戻るのかしら……」


 その問いかけに、私はゆっくりとうなずく。


「戻りますとも。毒を口にしたわけではありませんからね。もちろん、これ以上口にすればまた逆戻りしてしまうので、私としてはぜひ例のものの隠し場所を教えていただきたいのですが……」


 途端に、汀淑妃ていしゅくひ様の顔がパッと背けられた。やはり、堂々と言えないものを飲んでいたという自覚はあったらしい。


「……そんなもの、ここには置いていないわ」

「そうですか。ならば大変心苦しいのですが、私たちの方で調べさせていただきますよ。既に厨房に茶室、薬室は調べましたから――」


 そこでいったん言葉を切り、私は汀淑妃ていしゅくひ様の額玉をじっと見つめた。


「装飾品が置いてある居室に衣裳室、それから――書室の方も、よく調べなくては」


 書室。


 その言葉を出した瞬間、それまで変化がなかった汀淑妃ていしゅくひ様の額玉がゆらりと揺らいだ。まるで海の泡がぷくりと水面に現れてはじけるように、一瞬、額玉の色が薄くなったのだ。


 私は微笑んだ。


 汀淑妃ていしゅくひ様は必死に平静を装っているけれど、やはり額玉は正直だ。


「ああ、書室でしたか。強い匂いをごまかすなら、あそこにある墨もいい目くらましになりますからね」


 言って、私は立ち上がった。汀淑妃ていしゅくひ様は何も言わなかったが、後ろからは、はぁ、と諦めたような深いため息が聞こえる。それは、私の質問に対する肯定も同然だった。――どのみち、認めても認めなくても、探すことにはなるんだけれどね。


 そして私と桂蓮姐さんは捜索の末、ついに汀淑妃ていしゅくひ様が飲んでいた茶色の粉を発見したのだった――。





「どうやら、食べ物や飲み物、薬と同じ所に置いておいては見つかると思ったようです。書室の、墨の隣に隠してありました。飲む時もここでこっそりと飲んでいたようで、部屋の中は墨とこの匂いが混じり合って、とんでもないことになっていましたよ」


 言いながら、濃い芳香を放つ粉を指さす。

 当然、これだけ濃い匂いは衣服にも染みつく。蒼玉宮の侍女たちがやたらざぶざぶと洗濯をしていたのは、ここにも理由があったようだ。


「ほう。それで、これは一体何なのだ?」


 まじまじと粉を見つめる璨希さんき皇太子殿下に、私は微笑んだ。


「これは珈琲コーヒーです」

「珈琲? なんだそれは」


 ――珈琲。

 それは東の国に伝わる、飲むと頭が冴えると評判の飲み物だった。

 私は以前読んだ外国の書物でそれを知り、豪商人である父に頼み込んで少し取り寄せてもらったのだが、味がどうにも苦くて好きになれなかったのだ。


 まだ嘉巽かそん国には輸入されていなかったはずなのだが、この数年で手にした商人が現れたのだろう。あるいは、父自身が売りさばいている可能性もある。どちらにしろ、値が張るため庶民にはまだ浸透していないはずだ。


「これは飲み物か? 毒ではないのか?」

「毒ではありません」

「ほう。ならば、もっと近くに」


 呼び寄せられた桂蓮姐さんが珈琲を差し出すと、殿下はくん、と匂いを嗅ぎ、すぐに目を丸くした。


「これは驚いたな。どんな怪しいものかと思ったら、ずいぶん香しい匂いがするではないか」

「はい。珈琲自体は毒でも何でもないですから」


 言って、私は指先に少しだけ粉を取った。さらさらとこすり合わせて匂いを立たせながら、殿下に説明する。


「珈琲は適量を飲めば眠気が飛び、疲労が回復し、頭が冴え渡ります。女性ならば皺やたるみなどにも効く美肌効果、さらに額玉を輝かせる効果もあります」

「へえ。それはすごいじゃないか。私も飲んでみたくなったぞ」

「ですが、何事も取りすぎは毒。特に珈琲は他国で薬効として使われるほど強力な効能を持つため、美肌効果を求めた妃様らが飲みすぎてしまったようです」


 一連の流れはこうだ。


 皇帝の子を産んだはいいものの、汀淑妃ていしゅくひ様は徐々に年を取り始めていた。さらに生んだ子が公女だったため、できることならもうひとり皇子を授かりたい。

 しかし周りには若く輝くような妃嬪ばかりな上に、以前はなかった顔のたるみや皺が気になってしょうがない。


 そこへ、ある日突然珈琲がもたらされたのだ。


 珈琲を飲むと立ちどころに頭がすっきりし、肌艶もよくなった。

 気をよくした汀淑妃ていしゅくひ様はどんどん飲む量を増やし、気付けば一日に十杯も十五杯も飲むようになっていた。


 完全に飲みすぎである。


「珈琲は飲みすぎると、中毒症状を起こします。軽いものだと頭痛、吐き気、動悸など。重症の場合は、嘔吐、手足の痙攣、幻覚、錯乱――」


 言って、私は汀淑妃ていしゅくひ様の様子を思い出していた。


 『四夫人が隙間からわたくしを覗いている』という発言、荒い息、そしてぶるぶると震える体。


 まさに中毒症状の詰め合わせとでもいうべき症状だ。

 きっちりと事前に、『精力的に絵を描いている』という珈琲のいい面も出ているあたりが憎らしい。


 そして丹婕妤たんしょうよ様も同様だ。

 肌艶がよくなり、動きが活発になりつつも、顔が火照ったり動悸がしたり、不眠が始まっていたりと、着実に中毒への道を歩んでいた。


「恐らく丹婕妤たんしょうよ様と同程度の症状が出ている妃様は、他にもおられるはず。早急に妃嬪らの部屋を捜索させた方がいいかと思います」

「そうだな。母上に伝えておこう」


 殿下の母は、何を隠そう後宮の主である皇后陛下だ。

 皇后という地位がある上に、璨希さんき皇太子殿下という確固たる楔を持つため、他の妃たちのように寵愛争いに興じることもなく、ひとりだけすべてを超越した世界に住んでいる。


「ちなみに珈琲の入手元は見つかったのか?」


 その言葉に、私はうっと言葉を詰まらせた。


「ん? なんだ? 言えない人物か?」

「いえ……そういうわけではないのですが……」


 私はちらりと桂蓮姐さんを見た。姉さんも私と同じように、珈琲を飲んだ直後のような苦い顔をしている。


「実は……商人から購入した宝玉治癒師の頭が、密かに妃嬪たちに流していたようで……」

「ああ、なるほど……。ある意味そなたたちの部の落ち度というわけか」

「申し訳ありません」


 私と桂蓮姐さんは、そろって頭を下げた。


 後宮に物を持ってこられる人物なんて宦官ぐらいだと相場が決まっているが、それにしたって出所がよりによって自分たちの部だとは。

 さすがに発覚した時は、めまいを感じた。


 だからあの男、汀淑妃ていしゅくひ様のことを『気にしなくていい』って言ったんだな!


 私が思い出してギリギリと歯を食いしばっていると、殿下が穏やかな顔で言った。


「まあそれは、あくまで彼の落ち度。そなたらに害が及ぶことはない。それよりもご苦労だった。頑張りとして、報酬を授けよう」

「報酬……ですか?」

「アレをここに」


 私がいぶかしんでいると、璨希さんき殿下がパンパンと手を叩いた。

 すぐさま、盆を抱えた侍女たちが足早にやってくる。


 私が見つめる前で、机にコトリと乗せられたのは――。


「あっ! 胡麻団子!!!」


 私はバッと立ち上がった。


 出てきたのは、表面の胡麻がツヤツヤと光り、香ばしい匂いを放つ、ひと目で揚げたてだとわかる胡麻団子だった。


 私は山盛りになったそれに、ごくりと唾を呑んだ。それから恐る恐る璨希さんき殿下を見る。

 彼はニコニコと笑っていた。


「褒美だ。好きなだけ食べよ」

「では遠慮なく頂きます!」


 言うなり私はシュッと椅子に滑り込んだ。


「ありがとうございます殿下!」


 チャッ! と箸を構え、目の前の胡麻団子を掴み上げる。

 間髪入れずに大きな口をあけると、私はまるまるした団子にがぶりとかぶりついた。


 すぐさま聞こえるサクッという音のあとに、口いっぱいに広がる胡麻の香ばしい香り。それでいて噛むと、餡子の優しい甘みと、もちもちした皮の食感が、口の中で手を繋いで踊っているのだ。


「うんまっ……!!!」


 私が野太い声で叫ぶと、殿下は笑った。


「そなたは甘味を食べている時だけ、素直だな」

「甘味は正義ですから」


 もぐもぐもぐもぐと、口を止めずに言う。

 お行儀が悪いのはわかっているが、甘味を前にそんなものを気にしていてもしょうがない。


 それにこれは璨希さんき殿下の数少ない良いところなのだけれど、家臣が多少不躾な態度をとっても、殿下は怒ったりはしないのだ。


 おかげで外聞を気にせず、心行くまで食べられる。桂蓮姐さんも苦笑しているけれど、私は見なかったふりをして次の胡麻団子にも箸を伸ばした。


 いや~ほんと、胡麻団子っていくらでも食べられちゃうよね! 結構お腹に溜まるのが瑕だけれど、それを上回る圧倒的おいしさ! 特に揚げたてアツアツは、最高!


「そういえば褒美と言えばもうひとつ。恐らく治癒頭の席が空くだろうが、もしよければ私からそなたらを推薦することもできるぞ」

ひゃらなら、桂蓮姐さんでお願いします」


 私はもぐもぐしながら間髪入れずに言った。


「これ、紫瑶しよう!」

「桂蓮殿でいいのか?」


 焦った顔の姉さんが慌てて止めに来るが、私の口は止まらない。


「当然ですよ。桂蓮姐さんの方が技術も経験もあるし、何より人望がある。私が後宮で尊敬している唯一の宝玉治癒師なんですから」


 “石無し”と言われて笑われ蔑まれ、かつ嫉妬もされる私と違って、桂蓮姐さんは堅実に実績を積み上げてきたのだ。

 他の宝玉治癒師も、私が治癒頭になると言ったら大反発を受けるだろうけれど、信頼のある桂蓮姐さんならきっと誰も反対しない。


「わかった。なら新しい治癒頭には、私から桂蓮殿を推薦しよう」

「あ……ありがたき幸せ!」


 桂蓮姐さんが、感極まったようにバッと床にひざまずいた。

 璨希さんき殿下のことだ。きっと一週間後には、桂蓮姐さんが治癒頭として収まっているのだろう。


 うんうん、それがいい。桂蓮姐さんの給料も上がるし、姐さんが治癒頭なら一緒に診ることは減っても、何かと融通してもらいやすくなる。


 それに私の記憶によれば、桂蓮姐さんは嘉巽かそん国初の女宝玉治癒頭になるんじゃないのかな? さすが姐さん、かっこいい!


 想像してニコニコしていると、私の隣に璨希さんき殿下がトンッと腰を下ろした。


 う……。胡麻団子と桂蓮姐さんの件は感謝しているけれど、距離が近いのはちょっといただけない。


 私はずりずりと椅子を動かして逃げた。

 そんな私を、殿下がにこりと微笑みながら見つめてくる。……私の苦手な笑みだ。


「それで紫瑶しよう殿は、何か出世欲はないのか? ――例えば、皇太子妃になるとか」


 その言葉に、危うく口の中の胡麻団子を噴き出すところだった。


 でもそんなもったいないことはできない。私はあわてて口を押えてこらえる。


 それからごくりと飲み込み、ヘッと投げやりに笑う。


「その冗談は、たちが悪すぎて笑えませんね」


 過去には妃として見初められた女宝玉治癒師もいなくはないのだが、そうは言っても端の妃に収まったにすぎない。


 けれど、現在まだひとりもいない皇太子妃となれば、それはつまり将来の皇后になるということだ。


 美しい将来有望な少女ならともかく、何を好んでこんな“石無し”なんか……。

 そういう冗談を飛ばすところも、苦手なんだよね。


 私が軽蔑した目で見ると、璨希さんき殿下は心外だと言うようにぽりぽりと顎を掻いた。


「冗談ではないのだがな……」

「なら、お世辞ってことにしておきましょう。どのみち私は皇太子妃なんて面倒なもの、興味ありませんよ」


 皇帝ただひとりを愛し、身を捧げ、寵愛を競う――そんなの、考えただけでめんどくさすぎて震える。それよりこうして、仕事の終わりに胡麻団子を食べていた方が幸せだ。


 次の団子に手を伸ばそうとした私に、璨希さんき殿下が穏やかな笑みを浮かて言った。


「だが、もしそなたが皇太子妃になり、ゆくゆくは皇后になれば……そなたの命令ひとつで、後宮中の女たちが好きなだけ額玉を見せてくれるぞ」


 その言葉に、ぴたりと私の手が止まった。


 ……私が好きなものは、ふたつある。


 額玉と甘味だ。


「それは……かなり……いや、ものすごく魅力的な話ですね……」


 ずらりと目の前に並ぶ、飾り立てられた美しい額玉と妃たちを想像して、私はごくりと唾を呑んだ。


 それは時の権力者だけが目にできる、圧巻の光景だ。


「そうだろう。悪くないだろう」


 ニコニコしながら璨希さんき殿下が続ける。


「だから頭の片隅ぐらいに入れておいてくれ」

「……わかりました。ただし、片隅だけですよ」


 そんな軽口をたたきながら、私はまた次の胡麻団子へと手を伸ばしたのだった。

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無石の宝玉治癒師~後宮の病は私にお任せください~ 宮之みやこ @miyako_

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