第5話



 私が笑顔のまま硬直していると、璨希さんき殿下が桂蓮姐さんを見た。


「桂蓮殿も息災にしているかい。そなたらは貴重な女宝玉治癒師。男宝玉治癒師たちにはわかりづらい女心も上手に読み取って治療してくれるから、陛下も非常に助かっていると聞くよ」

「お褒めに預かり光栄でございます、皇太子殿下」


 言いながら、桂蓮姐さんが両手を合わせて拱手きょうしゅの形をとる。


 実際、璨希さんき殿下の言う通り、宝玉治癒師は人の心、特に後宮なら女心を読むことを求められる。なぜなら額玉には体調の他、妃嬪たちの精神状況も大きく影響してくるから。


 悩みがあれば額玉は濁るし、落ち込んでいると輝きを失う。

 ある意味、額玉にはその人物のすべてが表れると言っても過言ではない。

 それは薬を飲んでいる宦官すら一緒で、変化は少ないものの、額玉には現れてしまう。


 表面上では微笑んでいても、額玉が濁っていればその人物は何かを抱えているというわけだ。

 宝玉治癒師の一番の仕事は額玉の輝きを保つことだが、額玉の変化を読み取って人物の動向を把握するのも仕事のうちだった。


 だから何かを企んでいる人物は、宝玉治癒師を避けたがる傾向にある。


 ……まあそりゃ、考えていることを読み取られたらたまらないもんね。

 私も正直、その部分に関しては本当に額玉がなくてよかったと思っているくらいだもの。


 その点――と私は顔を上げて目の前の皇太子殿下を見た。


 この人はいつ見ても、輝きが安定しているな……。


 皇族にだけ受け継がれる金剛石ダイヤモンドの額玉は、言わずもがなこの国の頂点。その輝きはあらゆるものを超越する圧倒的な眩さで、まさに絶対君主にふさわしい石だ。


 それでも皇帝と言えど人間。

 時に落ち込んだり悩んだりすることもあり、実際現皇帝陛下の金剛石が曇っているのも見たことがあるのだが……。

 璨希さんき皇太子殿下だけは、私がここで働き始めてから丸二年、一度も曇っているのを見たことがない。


 いずれ皇帝になる人物として精神が安定しているのは非常にいいことではあるのだが、その完璧すぎる部分が、かえってうさんくささとなって私はどうにも苦手だった。


「ふたりとも、何か困りごとはないかい。あったら遠慮なく声をかけてくれ」


 その言葉に、桂蓮姐さんがハッとした顔で私を見る。

 一方、私は殿下に悟られないよう少しだけ目を伏せた。


 ……こういうところも、実は苦手な理由だったりする。


 私たちが困っている時、ここぞという時に殿下から救いの手が差し出されたのは、実は一度や二度ではない。


 独自の伝手か、はたまた野生の勘か。

 この完璧な皇太子殿下は、何かあるとどこからともなく現れてくるのだ。


 とは言え、無駄な意地を張っていても仕方がない。それより最優先すべきは己の任務であり、妃嬪たちの健康、額玉の輝きである。


「恐れながら、皇太子殿下」


 私は拱手の形をとったまま、一歩前に進み出た。


「先日から蒼玉宮の様子がどうもおかしい気がいたします。あのたおやかな汀淑妃ていしゅくひ様が、頑なに診療を拒んで顔すら見せてくれません」

汀淑妃ていしゅくひ様が? それは確かに気になるな……。陛下にこの話は?」

「いえ、まだ。治癒頭には話したのですが、恐らく皇帝陛下には伝わっていないかと」

「ふむ……」


 形よく尖った顎を撫でながら、璨希さんき殿下は目を細めた。普段穏やかな瞳が、今だけはきらりと鋭い光を放つ。その光も虹のような七色の輝きを放っているものだから、見ている分には本当に綺麗なのだけれど……。


「わかった。汀淑妃ていしゅくひ様の件は、私が早急に取り次ごう。一日だけ時間をくれるか」

「ありがとうございます」


 璨希さんき殿下は苦手だが、この方はやると言えば間違いなくやる。明日には、私も汀淑妃ていしゅくひ様に会えるだろう。


「ところで……」


 ひとまず段取りがつきそうでほっとした所に、殿下から声がかかった。


「今日は私の額玉を診てはくれぬのか?」


 言いながら、ニコニコと自分の額玉を指している。

 私はうろんな目で殿下を見た。


「………………私が診るよりも、殿下は殿下専属の宝玉治癒師に見てもらった方がいいのでは……」

「なぜだ。紫瑶しよう殿は、額玉を見るのが何よりも好きだと聞いたぞ? それとも金剛石には興味がないか?」

「まさかそんな恐れ多いこと、あるわけがないでしょう……」


 むしろ本音を言えば、ものすごく気になる。

 なんてったって金剛石は皇族限定の石なのだ。額玉好きなら、気にならないわけがない。


 けれど。


「なら、診療してくれるだろう」


 ニコッと微笑まれて、私は観念した。


「……それでは恐れながら、診させていただきます。少しかがんでいただけますか」


 女としては長身である私だが、それでも璨希さんき殿下にはかがんでもらわないと額には届かない。


 私の言葉に、殿下は素直に頭を下げてくれた。

 すぐさま目の前に、大きく、そして光を反射してきらきらと輝く金剛石が現れて、私はごくりと唾を呑んだ。


 この人……やっぱり皇太子だけあって石が本当に立派なんだよね……!


 こんな巨大な金剛石、豪商である父だって手に入れられない。

 なのにそれが額玉としてくっついているなんて! 

 つくづく皇族というのは選ばれた人間なのだなと再認識する。


 感心しながら、私はさらにじっと殿下の額玉を見つめた。


 それにしてもすごい輝きだ。

 濁り? なんですかそれはおいしいんですか? って言いたくなるくらいの澄み渡りっぷり。それでいてまだ見ぬ輝きが隠れていそうな奥深さもあって、無限の可能性を感じさせる。

 これ、どういう風に光を反射しているんだろう?


 私が夢中になって観察していると、ふと璨希さんき殿下が至近距離からじっとこちらを見つめているのに気付いた。


 額玉に負けず劣らず大きな瞳に自分の顔が映し出されているのに気付いて、私はぱっと飛びのく。


「……殿下、診療中は目はつぶっていてくださいとあれほど」

「ああ、すまない。うっかり開けてしまった」


 けろりと言われて、私は一瞬舌打ちしそうになった。


 この方はこういうところがあるから、診療も嫌だったんだよ~~~。


 それから動揺は表に出さず、にこりと営業用の笑顔で微笑む。


「拝見させていただきましたが、殿下はこの上なく健康でいらっしゃいますよ」

「それだけかい?」


 ニコニコと微笑まれて、私は言葉に詰まった。


 ……これ以上何を言えと?


 しばらく考えてから、もごもごと言葉をしぼりだす。


「……たいへんすばらしいかがやきで」

「そうか、ありがとう。嬉しいよ」


 苦い顔で言うと、なぜか璨希さんき殿下はくつくつと笑った。……もしかしてからかわれているのだろうか。


 憮然としていると、殿下は笑いを収めてから言う。


「それでは、すぐに汀淑妃ていしゅくひ様に会えるよう取り計らおう。しばし待っててくれたまえ」

「ありがとうございます」

「それから今度は、そなたに嫌な顔をされないよう、甘味も忘れず持ってくるよ」

「……お気遣いなく」


 それにもまた、璨希さんき殿下はくつくつと笑った。


 ……なんだか私、おもちゃにされているような……。


 ようやく立ち去った殿下の後姿を見て、私ははぁとため息をついた。


「やっと行ってくれた……」


 そんな私に、不思議そうな顔をした桂蓮姐さんが話しかける。


紫瑶しようは本当に璨希さんき殿下が苦手なんだねえ。誉め言葉ぐらい、妃嬪たちの時は口説いているのかってぐらいスラスラと出てくるのに」

「そりゃ妃嬪たちは出ますよ。彼女らは美しい花、美しい宝石と同じなのですから。……しかし男性は花とか宝石とかって感じでは」

「それも珍しい考え方だけどね。妃嬪たちだって皇帝の妻だから表立っては言えないけれど、あの璨希さんき殿下も『美男子、美男子』とかなり騒がれているよ。それこそ、“無石の君子様”と同じくらいには」


 桂蓮姐さんの言葉に私は肩をすくめた。


「前々から言っていますが、璨希さんき殿下とはどうも相性が悪いんです。あの完璧な笑顔の裏で、何を考えているかわからないというか」

「ふうん……。同族嫌悪かねぇ」

「やめてくださいよ! 私とあの方が同族だなんて、そんなわけあるはずないじゃないですか!」


 うへぇ、と顔をしかめてみせると、桂蓮姐さんがカラカラと笑った。


「それより紫瑶しよう、そろそろ次の診療に行かなくていいのかい」

「もちろん行きますよ。来る途中で、よう美人様たちの診療もすると約束してしまいましたから、早く行かないと日が暮れてしまいます」


 言って、私たちは足を早めた。

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