第4話

 瑠璃の輝きを思わせるこっくりとした深い青の門を見上げて、桂蓮姐さんが言う。


「本当にどうしちまったんだろうねぇ、蒼玉そうぎょく宮のてい淑妃しゅくひ様は……」

「おおーい、誰かいませんか。診療にきた宝玉治癒師ですが!」


 言いながら、私は遠慮なく蒼玉宮の門をどんどんと叩いた。けれど辺りはしんと静まり返っており、誰の返事も返ってこない。


「桂蓮姐さん、まさか中で皆死んでたりしませんか?」

「物騒なことをお言いでないよ。みんな生きているのはまちがいない。ちゃんと飯の時には侍女や宦官たちがぞろぞろと取りにくると言っていたからね。ただ……」


 言って、桂蓮姐さんが不安げに蒼玉宮を見上げる。


「中で何かあったのは、間違いないだろうね」


 私はうなずいた。


 ――蒼玉宮はもともと、四夫人が管理する四つの宮の中でももっとも静かな宮だ。青色の額玉を持つ汀淑妃ていしゅくひ様が控えめ、かつ物静かな性格のため、蒼玉宮全体がそんな雰囲気に満ちている。


 だが、それにしたって今は静かすぎた。


 つい数日前まで静かどころか、汀淑妃ていしゅくひ様にしてはめずらしく精力的に、何枚もの絵を描き上げていらっしゃったのに。


「誰かー! 誰かいないんですかー! このままだと禁兵を呼ばなきゃいけないことになっちゃいますよー!」


 私が半ば脅すようにしてどんどんと大門を叩き続けていると、ようやくトタタ、という控えめな足音がして、大きな門がキィと少しだけ開かれた。


 隙間から覗くのは、青い目をした侍女。彼女はおどおどと怯えながら囁いてくる。


「ごめんなさい。今、中には誰も入れるなとのお達しで……!」

「妃様の具合が悪いのですか? 宝玉治癒師なら額玉とお体、両方を診れますよ。私が嫌なら他の治癒師でも……」

「本当に大丈夫なんです!」


 言うなり、またばたんと門が閉められる。

 私が見ると、桂蓮姐さんはやれやれとばかりに首を振った。


「今日は諦めるしかなさそうだね」

「今日はって、もう三日目ですよ。締め出されたのは」


 蒼玉宮から離れながら、私は愚痴をこぼした。


 何を隠しているかは知らないけれど、普段物分かりがよく手のかからない汀淑妃ていしゅくひ様が隠すなんてよほどのことだ。もし体調に関わることなら、放っておけば放っておくほどまずい。


 どうにかしなければ。


 私はその場で考え始めた。

 正規の方法で行くなら宝玉治癒師のかしらに連絡し、皇帝陛下の許可を取れば強引に押し入ることもできる。けれどこの方法は初日の時点で試みているのだが、治癒頭に「大した事じゃないだろう」と突っぱねられてしまったのだ。


 私は思い出して苛々とする。


「なーにが『大したことじゃないだろう』だ。汀淑妃様が隠す時点で、よほどのことだと思いませんか!?」


 その言葉に桂蓮姐さんも難しい顔でうなずく。


「あんまりこういうこと言いたくはないが、治癒師は額玉には詳しくても、女心には疎い奴が多いからね」

「ならば、ここはいっそ侍女に化けて忍び込みますか? 実家から借りた紫水晶をぺたりと額に張り付ければ、誰も私が石無しだとは気づかないでしょう」


 これは私が時々使う変装の手だ。

 ほどよい大きさの四角に切った紫水晶を糊でくっつけるだけの単純な策なんだけれど、意外とこれが誰にも気づかれない。みんなの記憶には、石無しの私がよっぽど印象に残っているのだろう。


「そうだねえ……。あっ、紫瑶しよう。ちょうどいい方がいるじゃないか。あの方に頼んでみなよ」

「あの方って? ……うへぇ」


 うながされるまま顔を上げ、私は咄嗟に桂蓮姐さんの後ろに隠れた。


 そこに立っていたのは、ひと目で高級品だとわかる黒の袍を着た美丈夫だった。

 びっしりと施された金糸の刺繍は華やかかつ重厚で、あれだけで私の給金何年分かになる代物だろう。


 それを着ている男も、長い白銀の髪を湛えたすらりとした長身に、どこもかしこも作り物のように整った涼やかな美貌をしている。切れ長の目に宿るのは七色に光り輝く宝石眼で、何より額にある大振りの額玉は、圧倒的な輝きを放つ金剛石だった。


 瞳の色といい額玉の種類といい、こんなものをもつ人物はこの国でも限られている。 


 彼は私たちに気付くと、「やあ」と朗らかに手を上げた。


「こんなところで会うとは偶然だね。桂蓮殿と、それから紫瑶しよう殿」


 そう声をかけられてしまっては、さすがの私も避けることはできない。


 私は完璧な笑みを浮かべて進み出ると、サッと両手を胸のところで合わせる拱手きょうしゅの挨拶をした。


璨希さんき皇太子殿下に置かれましては、ご機嫌麗しく」


 ――そう。彼はこの嘉巽かそん国の皇太子である、 璨希さんき殿下だ。


 御年二十三。見目麗しく、文武両道でさらに人格者と名高い皇太子は、後宮のみならず国内全体でも圧倒的な支持を集めている。

 皇帝に皇子は数多くいれど、皇太子にはこの人物以外にはいないとも言われるほどの人徳で、まさに完璧な貴公子だ。


 ……と、ここまで説明して私の舌がかゆくなってきた。


 璨希さんき殿下はそんな完璧貴公子なのだけれど、なぜか私は苦手なんだよね……。


 もちろん、完璧貴公子である彼は、“石無し”である私に対しても完璧な態度で接してくる。

 それどころか“石無し”の人間を初めて見たらしく、事あるごとに気にかけてくれるのだが……それがかえって居心地が悪いのだ。

 妃嬪たちならともかく、男にちやほやされる趣味はないので、正直そっとしておいてほしい。


「相変わらず君は僕のことが嫌いなようだね。笑顔がこわばっているよ紫瑶しよう殿」

「……何をおっしゃいますやら」


 ……なんでバレたんだろう。

 私の作り笑顔、妃嬪たちには一度もバレたことがないし、自慢じゃないけど毎回「キャー」って頬を赤らめられる完璧な笑顔のはずなのに。


 ……こういうところが苦手なんだよね。

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