第6話 聖水?

 古来より、湯を沸かすのは重労働の代表である。まず大量の水を入れるための入れ物がないといけない。その中に水を注ぐのも大変だし、火を起こすための薪も、どこかから集めて適切に燃やさねば、水を沸騰させる火力は得られないのだ。


 それを見ず知らずの土地でやるのだから、苦労は倍ではきかない。鍛え上げられた騎士たちでなければ、準備だけで半日はかかっただろう。

 しかし流石はリカルドの旗下の精鋭なだけあって、朝のうちに湯気の白い柱が、エシェンの沼地に立ち昇っていた。


「ついでに、お粥も作っておいてください。せっかくの火ですから」


 メリアはてきぱきと指示を出す。プライドの高い騎士のことだから、下手をすれば剣が抜かれていてもおかしくない状況だ。

 しかし迷いなく命令を下すメリアには、言いようのない迫力があり、なんとなく逆らうことができない。


「俺の部下に飯炊き女の真似事をさせるのか?」


 リカルドが騎士たちの心中を代弁する。指揮官として、部下の不満をためたままではいけないという判断だ。


「聖水を作る、大事なお役目です。専門の、酒保商人の方々がいれば、そちらに頼んだのですが」


「……行軍が遅くなるからな」


 リカルドはふい、と顔をそむけた。この時代、軍というのは単体では完結せず、特に補給の部分は商人にまかせていた。酒保商人と言われる彼らは、飲み食いは元より、戦利品の売買、賭博などの娯楽の提供、果ては女の世話まで、金になりそうなものはなんでもやった。

 ゆえに、進軍にはこのような商人たちの馬車が列をなして付いてくるのが普通である。


 当然、足は遅い。余計なものをこれでもかと載せて運ぶのだから。リカルドはそれを嫌って商人たちを置いてきたのだから、文句を言える立場ではなかった。


「ですが、このような無茶にも付いてくる騎士様が、これほどいるとは。リカルド様は、部下に慕われておられるのですね」


「ふん、一応は世辞も言えるようだな。それで、この湯をどうする気だ?」


 リカルドは思わぬ称賛に目を見開くが、すぐにしかめっ面に戻る。メリアは何も言わず、泡立つ釜の中を覗き込む。


「良さそう、ですね」


「何がだ?」


「白いものが、釜の底に付いているでしょう」


 リカルドも釜の中を見る。確かに底の部分に淀んだものがある。


「ああ。だがこれがどうした?」


「上の部分をすくって、冷ましてから患者に与えます」


「それで病が治るとでも?」


 どう考えても、ただ湯を沸かしただけだった。種や仕掛けらしきものもない。


「治ります」


 それでもメリアは言い切った。そしてまた、騎士たちを操り、どんどん冷ました湯を運ぶ。



「聖別した水です。これを飲んで、しばらくすれば治るでしょう」


「は、はあ」


 横になっている兵士は、半信半疑で水を飲んだ。もちろん、苦くも甘くもない。ただの水だ。ただ少し口当たりがいいような気もする。ひょっとしたら効くかも。そんな淡い期待があった。

 さらに、いくつかの野草の入ったお粥を食べて、寝かせられる。どうにも子供扱いされている気がする。とはいえ反抗する気力も無かった。

 兵士は久しぶりに腹の中が休まった気がして、深い眠りに沈む。




 目が覚める。普段どおり体を伸ばし、ベッドから下りた。調子は良くない。脚がずいぶん萎えている。しかし頭ははっきりしてきた。

 そうだ、俺は呪いにやられて倒れていた。今もろくに動けない。


 兵士はそう思い出して、立ち上がった自分自身を知覚する。


「な、治った……」


 

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