2年生夏、プールでの話
夏は、本当に大変な季節だと思う。
蝉時雨が降り注ぐプールで、俺は色とりどりな水着に身を包んだ女の子たちが動き回る只中に立っていた。甲高い声と水飛沫を浴びながらも、河原に転がる石ころのように無言を貫いていた。
あちこちで楽しそうな歓声が上がる、心踊る夏のひと時。しかし、俺は髪の毛一本分ですら隙を作るわけにはいかない。ぐっと歯を食いしばった。
そう、何があっても動じるわけにはいかないのだ。目を閉じ、ありとあらゆる数式や術式を脳細胞の隅々まで張り巡らせる。心頭滅却すれば火もまた涼しいという。いかなる時でも難しいことを考えてさえいれば、心が揺らぐことはない。
そう、俺は、真面目な学生なんだ。この追い詰められた状況においても必死に学業に専念しようとしている。
女子校にひとりだからって、邪な気持ちなんて少しもない。決してない。そうだろ?
「環くん、どうしたの? そんな難しい顔して……具合悪いのかな?」
「わあっ!?」
いつの間にかすぐ目の前に、というより懐に収まるように珠希さんがいて、不思議そうな顔をして俺を見上げていた。
「どうしたの?」
今日の彼女は上下が分かれた水着姿だ。ピンクのチェック柄で、胸元や肩部分、スカートの裾をたっぷりのフリルが飾るいかにも女の子らしいデザイン。前に写真では見たことがあったが、実物は初めて目の当たりにした。
なんだこれ、ご褒美か。可愛い。可愛すぎる。
普段は決してお目にかかれることがない、胸の谷間に柔らかそうなお腹。それに小さな臍。隠れているところはどうなっているのだろう。好奇心が暴走する。
「あわわ……」
「環くん?」
ずいと珠希さんが迫ってきて、水着に包まれた胸が、俺の素のままの肌に思いっきり当たった。あまりにもはっきりとした感触に、目がまわる。血液が沸騰しそうになる。
「いやっ、えっと」
「やっぱり具合悪いの?」
取り乱すまいと必死な俺を見つめる珠希さんの目は、あまりにも無垢だった。
それなのに俺ときたら……なにもかもを見てみたいと思ってるなんて最低じゃないか。潰れてしまいそうなほどの罪悪感にさいなまれる。
「お待たせー……ちょっと。香坂くん顔真っ赤じゃん。ちゃんと日焼け止め塗った? 持ってないなら貸すよ?」
「いや、大丈夫だっ」
プールサイドから三井さんに日焼け止めのボトルを差し出されたが、そういうことではない。
「うーん、変なの」
謹んで断ると、三井さんは軽やかに笑いながらつるりと水に入って、俺の前に立った。
スタイルがいいな、と思った。制服を着ていると分かりにくいが、出るところはしっかり出て、引っ込むところは引っ込んでいる。どこを触ってもふわっと柔らかそうな珠希さんとは違い、全体的に引き締まった印象だ。
もしかすると本人もそれを自覚していて、自信が表れているのか。三井さんの水着は珠希さんが着ているものよりもさらに布の面積が少なく……つまり目に毒だった。
顔が、頭が熱くてどうにかなりそうだ。いくら友達とは言っても、こんな姿で目の前に立たれては意識せずにいるのは難しい。目線をあからさまにならないように少しずつずらしていく。
森戸さんが所用で来ていないのが幸いだった。もし彼女がいたら、俺の思うところなんかきっと何もかも見抜かれてしまう。そのあとはボロボロになるまでからかわれるか、魔術を食らって吹っ飛ばされるに違いない。どっちみち命が危ない。
「だ、大丈夫だから。お、俺、あっちで泳いでこようかな。近頃ちょっと身体がなまっててさ」
「いってらっしゃい。じゃあたまちゃん、一緒に遊ぼ」
「うん!」
ふたりからそっと離れ、コースロープを潜った。八つあるコースのうちのふたつはしっかりと泳ぎたい人専用のコースになっていて、何人かの学生が黙々と泳いでいた。スタート位置に立つと、前を見据えてプールの壁を蹴った。
――東都高魔に水泳の授業というのはない。しかし、水中での動きを補助する魔術の実習のため、一般的に学校にあるのと同じ大きさと形のプールが設置されている。
六月の下旬から七月の間、三年生がその実習を受ける事になっている。しかしそれ以外の学年でも、学校に申請すれば昼休みか放課後にプールを利用できる。娯楽の少ない寮生活での夏の楽しみとして、多くの寮生で陽が沈むまで賑わっている。
去年は色々あってそれどころではなかったが、今年は仲のいい子たちに泳ぎに行こうと誘われた。その時は誘ってもらえたことが素直に嬉しくて、母親に連絡して水着を送ってもらった。学校の授業で着ていたものと、川遊びの時に着ていたもの。
学校のプールとはいってもみんな好きなものを着るというので、遊び用のものを着ていくことにした。
早くもこの学校に入学して一年と少し経って、もうすっかりここの環境に馴染んでいた俺。プールがどんな風景だとか、己の身に何が起こるかなんて想像もしないまま、いつものようにノコノコとやってきたわけだ。
しかし、二年ぶりに見る水着姿の女の子たちというのは、妙に色鮮やかに見えて、あまりに刺激が強かった。
どうしてそう感じたか理由はわからない。視力に変化があったわけでもない。いわゆる学校指定の地味な水着ではなく、色も形も露出度も様々だからだろうか。とにかく、中学の時は女子の水着姿を見てもなんとも思わなかったのに、強く関心を引かれてしまう。
要するに、不埒な目で見てしまっているのだ。
気まずさというか、居た堪れなさが水でふやけたみたいに膨れていく。それなのに、目を逸らそうとすればするほど気になってしまう。説明がつかない。なんというかもう、めちゃくちゃだと思った。
この状況をラッキーだと素直に喜べる性質だったらどんなに良かったか。いや、そんなやつはここから速攻で摘み出されるに違いない。だけど、
――珠希さんの胸、めちゃくちゃ柔らかかったな。
少しでも油断すると、鮮やかに感触が蘇って、邪な思いがムクムク湧いてくる。振り払うために、水を必死でかく。
くそ、気をしっかり持つんだ!!
自分の他には女子学生しかいない学校で迎える二度目の夏は、試練の夏になりそうだった。
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