File2:多情無心『男と女たち』完

 誰も住んでいない部屋なのに喚き声や足音がして貸すに貸せない。どうにかしてほしい。

 とある大家からそんな相談をされたのはそれから更に三か月ほど経ったときだった。昼でも夜でもお構いなしに騒ぎ立てるものだから他の入居者が怯えてしまい、何人かは引っ越してしまったのだそうだ。

 具体的に何を言い争っているのかまでは聞き取れないが、とにかく修羅場っぽい雰囲気なのだと大家は語った。加えて明らかに複数人が床を踏みしめる音がするのだという。誰もいないのに。この異常事態に最初こそ怖がっていた大家も損害が大きくなるにつれてうるせえよいい加減にしろよという怒りの気持ちの方が強くなっていったとか。

 空き部屋の以前の入居者は引っ越したのではなく亡くなったとだけ大家は隠に伝えてきた。あからさまに詳細について語るのを嫌がっている。今のところ室内が傷つくでも誰かが怪我をしたという状況でもなかったので、今回隠はその意図を汲んで詮索を避けた。状況が変われば大家と話し合わなければならないだろうが。

 

「……確かにうるせえな」


 大家から鍵を受け取り、隠は一人で件の部屋の前に立っていた。もう眼鏡は外してある。

 ドタドタと床が鳴り、人の……恐らく女性の叫ぶ声が扉越しに漏れてきていた。


「どうも嫌な予感が……」


 隠の頬が引きつる。結んだ髪を乱雑に撫でて気持ちを落ち着けた。

 三階建ての小綺麗なアパートだ。『203号室』と書かれてあるのを再度確認してから隠は鍵を開けた。

 

『吉貴! 逝かないで! 逝っちゃだめ!』

『室くん、酷いよ。あたしを置いていくの?』

『吉貴さん。私は一緒に逝けるよ。他の人たちとは違うんだから』

『吉貴くん……ほんとはわたしだってあんなことしたくなかったの』

『タカはずっと私と一緒にいるよね?』

『室さん、あなたがいないと私どうしたらいいか分からない……』


 空っぽの部屋の中央で六人の女が一人の男に群がっていた。生者は一人もいない。生霊と死霊だけがこの空き部屋を占領している。

 たおやかな手が男の頭を首を肩を腕を腰を太ももを足首を足先を掴んで離さないでいる。その状態で男と目を合わせようとあちらこちらへ歩き回っていた。足音がうるさかったのはこのせいか。女たちはそれぞれ必死の形相で話しかけているが当の男は知らん顔だ。気怠げに天井を見上げるだけで、誰にも心を開かない。

 室吉貴。宮間日奈子。柴口有紗。隠の中で顔と名前が一致するのはこの三人だけだ。そしてあることに気が付いて隠は表情を曇らせた。


「……跡を追ったのか?」


 六人の女のうち、五人は生霊で一人は死霊だった。宮間日奈子。室と別れるべきか悩んでいるようで最初から確固たる答えを持っていたように見えた彼女は死んでいた。

 室を永遠に失ったことに耐えられず自死したのか。もしかすると事故で、あるいは病気で亡くなったのかもしれないけれど。

 深く息を吐いて、隠は部屋に足を踏み入れた。扉を開けても誰一人反応を示していない。侵入者の存在を知らしめるためにわざと大きく足音を立てて向かう。

 そして一人の男が――室がぐりんと全身を捩らせて隠を見た。


『隠さん。僕を助けてくれませんか?』


 百点満点の微笑みで室は言った。彼に『核』はなかった。放っておいてもいつかは消えるだろう。彼女たちはそれを阻止しようとしているのか、この世に引き留めようとして室に取り縋っているのか。

 こうして近くにいるにも関わらず隠を認識しているのは室だけだった。他の皆にとっては隠などどうでもいい。隠に限らず、他の誰もどうだっていいのだ。もはや彼女たちの世界に室以外の人間は存在していない。


「仕事だからな。やってやるさ」


 と返事をして隠はまず黒く変色した右手を生霊たちに向かって払った。手から飛び散った禍々しい泥のようなものが生霊たちに付着する。すると呆気なく生霊たちは蒸発してしまった。残ったのは目を丸くした室と相変わらずの宮間だけ。

 

『へえ……本物だったんですね』

「まあな」


 言葉みじかに答えて、隠は左手も変化させる。まず宮間へと手を伸ばした。


「あんたにとっては能無しもいいところだったろうけどな」


 黒い手が宮間の胸を貫いて核を引き抜く。室以外眼中にないおかげで隙だらけだった。手中の核を口へ放り込んでからもう片方の手を室の頭に乗せる。

 室から表情が消える。ようやく本当に終わることを覚ったからだろうか。宮間が室の耳元で熱っぽく囁いている。


『隠さん』

「何だ」

『僕って、最低ですよね?』


 隠はその問いかけには答えないまま、二人を同時に消滅させた。輪郭が徐々に薄くなりついには隠にすら捉えきれなくなって部屋は本来あるべき静けさを取り戻す。


「『やっと二人きりになれるね』か……」


 最期の最期まで宮間は室だけを見つめ、室はまた天井を仰いで薄笑いを浮かべていた。


「……最低かもな」


 独り言は所詮誰に向けるでもない。部屋に何も残っていないことを確認し、隠は去っていった。



File2:多情無心~完~

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隠の心霊案件解決ファイル 鈴成 @tou_morokoshi

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