File2:多情無心『憑いてる女』

「うーん……」


 室が目を伏せる。同時に黒一面のカップを無意味にスプーンでかき混ぜていた。


「あまり乗り気ではありませんか?」


 隠が助け舟……のようなものを出すと、室の手がぴたりと止まった。晴れやかな表情で隠を見る。


「そうですね。先ほども言ったかと思いますが、何かが憑いているとしても僕には影響が出ていないので」

「室さんがそう仰るのなら私も無理には勧められませんね」


 別に室に倣ったわけではないが、わざとらしく肩を竦める。

 こうなるだろうと予想はついていたので落胆もしない。珍しいことでもなかった。依頼者が望まないのであれば隠にできることはないのだ。

 その後、形式的な会話をいくつか交わしてから室が立ち上がった。


「それでは、失礼します。相談に乗っていただいてありがとうございました」


 頭を軽く下げて室が去っていく。レジで会計を済ませる後ろ姿にはびっしりと女性たちが縋り付いている。隠は眼鏡をかけ直した。それでも当然ながら彼女たちは視えている。

 お礼にと押し付けられた……否、渡された舞台のチケットを指で叩く。室は影響が出ていないと言ったが、そもそもあれほど濃い生霊が複数人取り憑いている時点でまともな状況にはない。それに室は気付いていないのだろうか? 気付いていても関心がないから放置しているのだろうか?

 生霊に室を害する力はなくとも、生霊のもとになった女性たちが――つまり生者が室に何かしないとは限らない。というようなことも『形式的な会話』のときにそれとなく伝えてみても反応は薄かった。

 室は確かに涼しげな美形だ。テレビに出ている俳優にも負けてはいないだろう。ただ、恋人としては付き合い甲斐のなさそうな男ではないか? 室が現在何人の女性と関係を持っているかは知らないが、そのうちの何人の名前を彼は覚えているだろうか。などと考えてしまうほどに、室は他人に興味がないように見えた。

 それでも世の中ではああいう男がいいと思う女性が多いのか。隠にはいまいちピンとこないけれども、恋人のいない男が何を言っても僻みにしか聞こえないだろう。

 そして、コーヒーを飲んで自分も退散しようと隠がカップに手を伸ばしたときだった。


「吉貴さんと何を話していたんですか?」


 先ほどまで室の座っていた席に見知らぬ女が腰を下ろしていた。帽子を被っている。隠は無言で隣のテーブルに視線を移した。誰もいない。正面に戻る。そこにいたはずの女が何故か移動してきていた。


「部外者に話すことはない」

「部外者じゃないです。私、吉貴さんの恋人です」

「いや、そういう問題でもないんだが……」


 面倒事に巻き込まれかけている。さっさとこの場から離れよう。隠の判断は早かった。しかしそれ以上に謎の女の行動の方が速かった。意識したわけではないだろうが的確でもあった。


宮間みやま日奈子ひなこ。○○大学の二年生です。演劇部に所属していて……」


 と謎の女改め宮間日奈子は自己紹介から室との馴れ初め話を長々と続けていたが、隠は最初以外まともに聞いていなかった。何故なら宮間が自己紹介を始めると同時に帽子を取ったからである。

 そうして現れた顔には見覚えがあった。垂れ目で、鼻が丸っこい。化粧は濃く見えないよう丁寧に施されている。可愛らしい顔つきの女性で、室に取り憑いていた生霊の一人でもあった。なるほど、部外者ではない。当事者だ。今更どうしろという話だが。

 それにしても帽子で顔が隠れていたとはいえ隣にいた彼女に室はまったく気付かなかったのか。まさかこんなところにいるとは思わないから、何か引っかかることがあっても彼女を彼女として認識できなかったのかもしれないが。


「……浮気されてるのはもう分かってたんです。吉貴さんはあまりそういうのを隠さない人だから。だけど、私が一番だって……一番大切にされてるって……」


 宮間はさめざめと泣いていた。今の今までほとんど隠に口を挟ませずに語り続けた人とは思えないしおらしさだった。


「結局、不安になって彼を尾行してたと?」

「…………」


 宮間が首肯した。ハンカチで涙を拭っている。


「おれは室さんからある相談を受けていただけです。内容は……話せませんが」

「恋人でもだめですか」

「室さんから同意をいただかない限りは無理ですね」

「そんな……」


 宮間は哀れっぽく鼻を啜った。しかし無理なものは無理だ。というか隣のテーブルで聞き耳を立てていたのだろうからある程度は事情を把握しているのではないだろうか。女の生霊が六人取り憑いていて本人はそれに特に覚えがないという中身があるようでない会話だったとしてもだ。

 自業自得でしかないけれども、生霊に対処するためには今のようなにっちもさっちもいかない話し合いを最低でも六回はこなす必要があるのだと考えると室が面倒臭がったのにも一応理解ができた。


「……私、あの人と別れた方がいいんですかね」


 ハンカチを握りしめて、宮間がぽつりと呟く。ぼんやりとした目で隠の手元にあるチケットを見ていた。


「…………どうでしょうかね」


 と言って終わらせるはずだったが、隠はついつい言葉を続けてしまった。


「まあ……その方がいいとおれは思いますけどね……」


 愛想笑いをするにも限度がある。隠は頭を抱えた。とりあえず一度煙草を吸わせてくれないか。



■■■

 


 隠が室吉貴の名前を再び耳にしたのはあれから二か月後のことだった。

 特に予定のない平日だ。隠はのんびりと起床して昨晩の残りのカレーを昼ご飯に漫然とテレビを眺めていた。昼時のバラエティ番組が始まる前の短いニュース番組が流れている。


『続きまして……昨夜二十三時頃△△区の路上で二十代の男性を包丁で刺し、殺そうとしたとして△△署は殺人未遂の疑いで会社員の柴口しばぐち有紗ありさ容疑者を現行犯逮捕……刺された男性は病院に搬送されましたがその後死亡が確認され……劇団員の室吉貴さん……』

「……ん?」


 聞き覚えのある名前に改めてテレビ画面に集中すると、隠の思い浮かべた通りの人物が映っていた。どうやら室は死んだ……殺されたらしい。

 そして、容疑者として映された女性にも同じく見覚えがあった。室に取り憑いていた生霊の一人だ。アナウンサーによれば柴口もまた室の恋人だったようだ。それから痴情のもつれによる犯行か、と続けた。

 室が恋人に刺されて死んだ。驚きよりもついにか、という納得感が先に来てしまった。この結末になった責任の何割くらいかは自分にあるのだろうか。そんなところまで背負いきれないというのがどうしようもない本音ではあるのだが。

 そういえば貰ったチケットは使わずじまいだったな。スプーンでカレーを掬い、口に運ぶ前に動きを止めた。


「……宮間さんは結局別れられたんだろうか」


 喫茶店では結論が出ないまま(会話らしい会話もできなかったが)だったけれど。隠のふにゃふにゃな助言は間違いなく彼女には届かなかっただろう。あれで届いてたら逆に驚いてしまう。


「人間よりも霊を相手にする方がよっぽど楽……楽……か……?」


 せっかく温め直したカレーがちょっと冷めてしまうまで隠は考え込んでいた。

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