第5話  無職になった

 無職になり深呼吸して心を落ち着く事が出来た。

 妻をはじめ家族から労いの言葉があった事でまた頑張れそうな気がした。


 辞めたとはいえ、そうゆっくりとはしていられない。


 仕事が無くなるイコール生活が出来なくなる事だと思っていた。


 すぐにハローワークに行き手続きを進めた。


 話を聞くと病気が原因だとすぐに失業給付の受給が始まるという。精神科の先生に相談すると診断書を書いてくれた。そして、就職相談スタッフの担当制というサービスがあると案内があり、私は詳しく私の状況を話し、活用することに決めた。


 仙台市では障害者専用の窓口が設けられており一般の人よりも手厚い雇用支援を受けられる体制がとられていた。


 その後、早速担当者とスケジュール調整をして今後の就職活動が始まった。

担当の新井さんは六十歳くらいで小柄な女性だった。


 この二年半、仕事先では叱られる体験とダメだしばかりの時間がほとんどだった為(会話の7割くらい)、現在に至るまですっかり会話をする事に恐怖を覚えていた。


 担当者の新井さんを前に自分が何を考えているのか、今自分が出している言葉に間違いはないのか、うまく会話できているのかと不安を感じながら話していく。

 簡単に今迄の経歴と前職の状況、障害の事や今、自分が考えている事を口に出した。一通り思っている事を話すと『公共団体の障害者支援センター』の併用を勧められた。行動は早い方が良いと考え、すぐに電話して面談する約束を取り付ける。センター側の予定が埋まっているようで面談は2週間後に決まった。

 

この頃の私はとても急いでいた。貯金が少ない中で、生活できる収入が得られる就職先を早く見つける必要があったからだ。

 

 ハローワークに通い就職相談をする中で、新井さんから教えて貰った事があった。それは精神障害者や発達障害者のような目に見えにくい障害については開示せずに就職する事ができるという。そして更にそのことが原因でトラブルになっても今の法律上は裁かれないと言っていた。

 二週間ほどで再就職に向けての準備に一区切りがついて本格的に就職活動を始める事にした。

 これからどんな仕事をしていこう、私にできる仕事はあるか、検索用のパソコンに職種、収入、年齢を入力して気になる会社を見つけてはプリントアウトした。

 給料で見ると福島の原発事故の除染作業員がわりと好待遇で目に留まった。その他どんなものがあるだろう。やっぱり肉体労働、特別なスキルがない私にとって手っ取り早い稼ぎ口は体を使う仕事。学歴で大体選べる仕事は決まって来た。プリントアウトしてきた仕事を妻に見てもらう。『これなんかいいんじゃない』何となく持ってきた求人票を眺めて二、三枚ピックアップしたものを見せながら、あなたに任せる。でも原発は反対!強く止められた。


 私は『ここまで追いつめられているんだよ。…』と心の中でつぶやいた。

   

 県の障害者支援センターとの約束の面談の日、二十代と思われる女性の方二人が対応してくれた。すぐに面談室に通され、今の現状を一通り説明した。支援の一般的な流れだと適応検査というものをしてからどのようにサポートしていくか決めるのだそうだ。その予約が出来たのは、一カ月後だった。どうもこの施設は混んでいるらしい。

おそらく間に合わない。生活資金が底をついてしまう。『待ってられないなぁ』切羽詰まっている緊張感からか決断は早く、取り合えずの予約は入れては見たものの、就職活動を優先した方がいいと判断した。


 就職活動に専念する旨をハローワークの相談員新井さんに話をした。利用を重ねる中で、もうその頃には、信頼関係もできていた。『阿部さん優しい人だね、だけど少し押しが弱いね。』痛いところついてくるようになった。言ってる事はズボシ。分かっている、決定力不足。自信がないだけだ。

 そしてADHDという障害が重くのしかかり何も持ち合わせてない自分を小さくしているようだった。おかげで私は中年認知症。マイナスの要因ばかりが頭に噴き出してくる。

 

余計な事に囚われている自分に気が付き頭を振った。


 若かりし頃のまともに働けていたと思われる二十代を思い出し出来そうな仕事を探す。時間はあまり残されていないと自分に言い聞かせて引き続き求人を探した。

 妻は女性特有の更年期障害、体調不良で中々働けない、そして子供一人を何とか養っていく為に必要なお金は月に最低二十二万円。自信の持てるキャリアを持ち合わせていない私にそれだけの給料を出してくれる会社は限られていた。

 検索キーワードを入れると無数に表示され自分の希望を入力し求人先を絞り出していく。ちょっとした検索の違いで現れて来る会社を見て御縁一つなのだと思った。

 職種は営業職、力仕事、訳がありそうな仕事。私にも出来そうな求人を持ち帰り妻に見せた。反応はたいして変わらない。今度はきちんと自分で優先順位を決め『この会社とこの会社と…』3社受けることに決めた。


 次の日、希望を出しにハローワークに行って紹介状を出してもらった。対応してくれるのはもちろん新井さん『阿部さん、頑張ってるね。営業職だけど大丈夫?業務内容は訪問営業だけど、あと、ここは今まで3人応募しています…』今までのやり取りで気になった事やプロとして求人票から見て取れる事をアドバイスしてくれる。本当に担当制を選んでよかったと思った。


『ところで、障害の事はどうする?』『話して給料が上がる事はないと思うんでクローズでお願いします。』


 今回応募した三社は、書類選考で全部落とされた。

 落ち込んでいる暇などないと気持ちを切り替えて求人探しを続けた。新しい求人を見ていると魅かれた会社があった。


 『動産の総合商社』眠っている資産の売買営業、撤去作業、運搬作業。リサイクル業に興味があった。この物余りの時代でどんな事をしているのか知りたかった。

 前に進むしかない。履歴書を早々に仕上げるとハローワーク経由で直ぐに書類をそろえ求人先に送った。

 数日が過ぎた頃、見知らぬ番号から携帯がった。〇〇倉庫の沢田ですが、女性の声で少し聞きなれないイントネーションを耳が感じた。 『面接しようと思いますが、阿部サンは十一月〇〇日都合ドウデスカ?』 『その日の午後なら…』『そうですか、ちょっと待って下さい…』

 どうやら、その日社長が東京から来て面接してくれるらしい。

   

 東北営業所の拠点は自宅より車で約三十分という距離にある。とは言ってもマイカーは持ち合わせていない。もっぱら僕の相棒は110CCの白いスーパーカブ。前職の仕事場はスキー場のある山麓にあった。凍える冬も一緒に越えた言わば戦友である。

 それはさて置き面接当日、ナビゲーションに導かれてそれらしい建物に着いた。小さい看板を見ると『〇〇倉庫』間違いない。『失礼します。』男の人がいたので声を掛けると応接室に案内され待つように言われた。



 ガチャッ。背丈は175センチほどのガッチリとした体格で整えられた口ひげから清潔感と男らしさのある五十歳くらいの人が入って来た。



『それじゃ始めようか』   


『よろしくお願いいたします。』



『ウチの会社どんな事しているか分かる?』


『ホームページ見たくらいでしかわかりません。』



『どうして、応募したの?』


『リサイクルとか、古物に興味がありまして…』

『私は世の中でよく言うリサイクルって言葉嫌いなんだよ。私が扱うのは動産品。資産だから…』


『動産品ですか…』



『どうやれそう?』    

         

『頑張ります。』


『じゃーいつから来られる?』




『すいませんちょっと考えます…一週間後の〇〇日からでもいいですか?』




『ちょっと裏で打ち合わせするから』と五分ほどの面談で就職先はあっさりと決まった。


 打ち合わせは入社研修の話で最初の一カ月は千葉県の大きな倉庫で研修からスタートする事になった。


 早速、ハローワークの新井さんに就職先が決まった事を報告する。

『よかったじゃない。おめでとう。』



                  『おかげ様です。お世話になりました。』


 短い気持ちのこもった会話だったがあっさりとした別れになった。その他、身の回りに連絡し入社に備えた。

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