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レースを見た次の、次の日


俺は会社の自販機で、飲み物を買おうとしていた。

人通りの多い廊下の隣だ。ここの自販機は穴場なんだよ。


どんな穴場なのかと言うと……


「あった……!むちゃ甘シロップコーヒー……!」


そう、伝説の激甘コーヒー


むちゃ甘シロップコーヒーがあるのだ!


このコーヒーはすごい。

すっげえ甘いのにコーヒーの香りが立ってて、えげつなく甘い。


そんな癖の強い商品なだけあって、人気はそこそこ。だけど在庫は少ない。


そんな隠れた名品なのだ。


俺は財布から100円を取り出し、むちゃ甘シロップコーヒーを買おうとした。


すると、急に名前を呼ばれた。


振り返る。


「よっ」

「たっ、高嶺さん……!」


俺の好きな人がいた。

咄嗟に背筋を伸ばす。


高嶺さんはサラりとした黒髪を耳にかけると、ニコリと微笑んだ。


「君もここ知ってたんだ。穴場だよね。変な飲み物たくさんで。」

「あ、はい!そうですよね!」


ラズベリー緑茶やドーパミンミルクティーを指さして、高嶺さんは言った。


高嶺さんも、こういう変な飲み物好きなんだ


「どれにしよっかな〜」


そう悩む高嶺さんを見ながら、俺は苦悩していた。


彼氏いるの本当なのか、聞きたい


俺は高嶺さんが好きだ。

優しくて、ノリが良くて、仕事が出来るカッコ良くて可愛い。


高嶺さんは、その名の通り高嶺の花だと思う。


そんな人に、俺が聞ける……


「これにしよ」


訳ないだろ……!


俺は口をつぐんだ。

さすがに無理だ。キモイって思われる。


モヤモヤした気持ちのまま、俺は高嶺さんが買った物を見た。


「あ、むちゃ甘シロップコーヒー」


高嶺さんが取り出し口から出したのは、むちゃ甘シロップコーヒーだった。


意外だ。


高嶺さんはいつもコーヒーを飲んでいて、甘い物はいつも断ってる。

だから甘い物は好きじゃないと……


「あっ」


俺が言った言葉に、高嶺さんはハッとした表情だった。


「ちが、これはさっき頼まれた物でね!別に私が大の甘党って訳じゃないんだよ!隠してるとかそう言う訳じゃ!そう、頼まれたの!別にこんな子どもに大人気でテレビでも人間が飲むものじゃない〜なんて言われてるコーヒー飲まないよ〜!」


なんか、めちゃくちゃ焦ってるな……


高嶺さんの鬼気迫る感じに俺は少し引いた。


「俺も好きです。そのコーヒー」

「えっ!そんな人いるの!?」


酷くない?


確かに、このコーヒーは世間ではゲテモノ扱いをされるほど甘い。


だけど、そんな驚かなくても……


「お、俺、それよく飲んでます。意外とコーヒーの風味が良くて……」

「だよね!なんか香り良いよね!」

「え、飲んでないんじゃないんですか?」

「アッそうだよ。私飲んでないよ。」

「…………」


高嶺さんは、愛嬌はあるけどクールな印象だ。

仕事は出来るし、いつも凛としてる。でも人当たりが良い。


もしかして、高嶺さん……


むちゃ甘シロップコーヒー飲んでるの、バレたくないのか……?


「あの、これ」


俺は勇気をだして口に出した。


「社長も飲んでるらしいんですよ」

「そうなの?!」


俺がそう言うと、高嶺さんは驚いた顔になった。


心臓をドキドキ言わせながら、俺は喋った。


「堅物っぽい顔してるからビックリしますよね。でも、そんな人でも美味しいって飲んでるし、その……別にそんなに、気にしなくても?良いと思いま……す。」


甘いもの好きでも別に良いと思います。

そんな考えを伝えたくて、俺は言葉を連ねた。


お、俺は何を言ってるんだ……!


そう言い切った途端、急に怖くなってくる。


「あっ、あっ、あっ、別に気にしてることが悪いって訳じゃなくて。いや気にしてるって違いますよね。その、色々言われてるけど、そんな変じゃないよね〜的な……」


俺は怖くなって俯いた。

顔は、たぶん真っ赤だと思う。


「別にそんなに気にしてないよ。」


あ〜ですよね〜!


もっと顔は真っ赤になった。

もう、消えたい気持ちだ。


俺っていつもこうだよな。

なんか気の利いたこと言おうとして、失敗する。


止めれば良いのに言っちゃって、空気が悪くなるんだ。


「私、甘い物好きなんだよね。」


高嶺さんが、俺の考えを遮るように話し始めた。


「でも、みんなにバレると色々言われるから……ちょっと気にしてただけ」


恐る恐る顔を上げて、高嶺さんと目が合った。


ニコリと、綺麗な笑みを浮かべている。


「……でも、ありがとう。」


心臓がドキッとした。

理解が追いつかないまま、俺は返事をする。


「エッあっ、はい。」

「じゃあね」


高嶺さんは小さく言って、去っていった。


俺は惚けたまま、無意識にプルタブを開けて、中身を飲む。


……甘い。めちゃめちゃ。








あ〜!


俺、変なやつだって思われたかな〜!


寝転がりながらそう考える。

ずっと足をじたばたさせて、大の字になっていた。俺、もう無理かも……


でも高嶺さん笑ってくれたし……


いや、あれフォローしてくれただけじゃね〜!?


奈落に沈んでいくような、そんなとめどない考えが振り切れない。

だって、気になってる人だから。


俺は務めて冷静になる為に、スマホを開いた。現実逃避だ。


「セイゼイガンバル 馬……と」


セイゼイガンバル、で検索してもあの馬しか出てこない。

だけど、一応付けた。


「うわ!炎上してる……!」


すっげえ燃えてた。


原因は、セイゼイガンバルの転向だった。


ダートから芝に転向する話題は、ついこの前発表されたばかり。


ダートから芝に転向って、ヤバいのか……?

てか、そんなにダートと芝は違うものなのか……?


でも、草が生えてるか生えてないかの違いじゃないか。


セイゼイガンバルの走りは凄かった。

地面が変わったって、強いに決まってる。


俺は燃えてることで、少し沈んだ気持ちで、その日は寝た。


しばらくして──


──俺はセイゼイガンバルレースを見に来ていた。


こんな連続して見に来ることは無いとは思ったが、どうしても気になってしまう。


ダートから芝に転向したのを、あそこまで炎上するなんて、何かある。

そんな気がしてきた。


「あ、おじさん」

「あ゛?ああ、お前か」


一言目が怖い……


俺がレース場に着くと、そこにはおじさんがいた。


前回のセイゼイガンバルのレースで、俺に競馬のいろはを教えてくれた人だ。


俺は会釈をして通り過ぎようとする。


……えっ!めっちゃ近づいてくる!


「お前、ヤバいぞ」


えっ!?怖っ


真剣な顔のおじさんに、俺は怯える。


服か?匂いか?

俺は脇付近を嗅いだ。何も分からない。


「お前、セイゼイガンバルの発表見たか?」

「え?は、はい。見ました。ダートから芝に行ったんですよね……?」

「その様子だと……あんま理解してねえな」


頭をボリボリ掻いて、おじさんはため息を吐く。


俺はゴクリと唾を飲んだ。


「……まぁ、見るか」


怖いよ!


おじさんはそれっきり黙って、俺は一緒にレースを見ることになった。


返し馬をしていた馬が、ゲートに入る。

一頭嫌がった馬がいたけど、概ね滞り無く進んだ。


レースが始まる。

馬が飛び出した。

そして、セイゼイガンバルが一番前を走る。


「逃げ馬がいなかったか……」

「に、逃げ馬?」

「ハナ……先頭を取る馬だ。コイツがレースの流れを作る。今、誰もハナを取ろうとしなかったから、セイゼイガンバルが前に出たな。」

「へえ……」


俺がそう言うと、おじさんはレースから目を離さず答えた。


ベージュのタテガミが、向かい風になびいている。


セイゼイガンバルの後ろに黒い馬が二頭。


黒い馬を追うように集団で何頭か固まっていた。

最後尾にあたる馬はいない。


天気は快晴。

晴れた芝の馬場は、硬さがあって走りやすいらしい。


「セイゼイガンバルの適正がどれなのかは知らんが、急に馬場も脚質も変えるなんて考え難い。」

「きゃ、脚質って、走り方ですか?」

「ああ。セイゼイガンバルは前回では先行──逃げの後ろで走る馬だったし、それで勝てた。」


コーナーを曲がる。

ゆっくりとした流れで、曲がりきると、黒い馬──先行の馬の間で順位が変わった。


「今、固まって走ってるのが差し馬だ。後半、主に最後の直線で末脚で差し込む。」

「へえ……」

「ちなみに、最後方から一気に飛び抜けるのが追い込みだ。今回はいないがな。」


固まっている馬──差しの馬は、少し、混みあって走りにくそうな雰囲気がある。


セイゼイガンバルは、先頭で走っている。

足音すら聞こえてきそうな瑞々しい走りで、先行よりギリギリ前に出ていた。


後ろの直線を走り、またコーナーを曲がる。

最後の直線だ。


「坂だ」


おじさんが呟くように言う。


レースコースには坂があることが多い。

この坂は、パッと見だと緩く見えるが、実際はかなり急斜面らしい。


セイゼイガンバルが一番最初に坂に入り──沈んでいく


「……えっ?」


セイゼイガンバルはどんどん沈んでいく。

水に落とした石みたいに、馬群に沈んでいく。


まるで新しい船が轟沈したみたいだ。

太陽光にキラキラ輝きながら、埋もれていった。


ゴールする。


一着にミライセイテス

二着にゴーテスミラクル

三着に……


知らない馬が並び、セイゼイガンバルは


「六着……下から数えた方が早い……!」


派手な敗北だった。




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