第3話
ふむ。
「何で十市なんだい?」
「じゅーいち……」
「そいつは私の知ってる掘り師なんだよ。昔馴染みでね。掘り師って解るかい? 刺青を掘る人の事さ。刺青って言うのはこう言うの」
私は後ろを向いて着物を開け、まだ色の乗せられていない空虚な牡丹を曝した。長谷部の旦那は子供には眼に毒だと思ってか少し戸惑った様子だったけれど、ぽかん、と目を開けているヘンリーはぼっと顔を赤くした。その様子が十市にちょっと似ていて、ぷっと笑いが出る。
「牡丹お姉さんの背中、綺麗」
「ありがとよ」
くすっと笑ってから私は着物をいい加減に直す。向き合う姿に戻って、私は話を再開した。しかし子供にもわかる見事さだったのか。本当、随分腕を上げたね、私の十市は。
「十市、って奴に掘って貰っている最中なんだ。十市にはここに緋の色を乗せて貰わなきゃ格好がつかない。でもお前さんがじゅういち、と繰り返す所為で今は代官所の牢に繋がれちまってる。あんたはその夜、十市を見たのかい?」
「知らない。十市って言う人、僕は知らないし見てない」
ふるふるっと首を振るヘンリーにきょとんとしたのは長谷部の旦那の方だった。
「だがヘンリー、お前はじゅういち、じゅういちと盛んに呼んで」
「違う」
ふるふるっとまた頭を振られて髪がさらさらと鳴る。おかみさんの櫛で梳いてもらっているのか、ほつれは何処にもない。のみやしらみもないから大切に扱われていたんだろうことが分かる。
「父上が書いた。切られた血でじゅういちって。でもすぐ血を吐いて、消えちゃった。それがじゅういち」
「十市の事じゃ、なかったのか」
「そのようで。旦那、これで十市を牢からお解き放ち下さるでしょうね? 賭けても良いが首実検したところでこの子は十市の顔に見覚えがないと言うよ」
「知らない。じゅういち。ごめんなさい……」
しょぼん、と頭を垂れた頭をぽんぽんと二回旦那は軽く叩いた。甘やかされてるなあと思うが、二・三日前に父親を目の前で亡くした子供に証言能力はないって事だろう。十市は拷問にでも掛けられただろうかとそちらの方が心配だ。あれは痛みで自分の罪を認めてしまった方が楽だと思わされるらしい。瓦版で見たことがある。もっとも本音を言っても拷問は続くらしいが。百叩きにでも遭っていたらあいつの身体の方が緋牡丹色に染まっているだろう。その発想は、悪趣味で忌まわしい。
「これ」
ヘンリーは懐に手を入れて寄木細工の厘を取り出した。
「前の夜、父上に貰った。大切なものだから持っていなさいと言って」
「ふうん? 見たところ何か中に入りそうだね。音はする?」
「かさかさ時々鳴る。でも僕もこれ開けられないから、父上が何でこれを僕に渡したのか分からない。それからすぐに夜道で切り掛かられて……」
「ちょいと拝借」
ひょいと取り上げ見たことも触ったこともない物なので物珍しさに翳してみたり振ってみたりしてみたが、確かに中に何か、紙のようなものが入っていること以外は解らなかった。縦、横、斜めと木はくっきり色分けされている。仕掛けがあるとみて良いとは思うが、子供に託すようなおもちゃには見えなかった。
「おとッつぁんが作ったものかい?」
「多分……」
「何が入ってるか見当は?」
「解らない」
またしょぼん、としたその頭を、てちてち長谷部の旦那が撫でる。とりあえず箱を返してから、今度は旦那に視線を向けた。む、と丸まっていた背中を正し、旦那は私の視線を真っ向から受け止めてくれる。びいどろ色の目でも真っ直ぐに見てくれるのは、芸者仲間でもそうはいない相手だ。旦那は嘘が吐けない人だから、後ろ暗い所もなくこの異人の目を見つめ返してくれるのだろう。ありがたいことだ。
「殺されたおとッつぁんの方には、何か後ろ暗い所はなかったんですかい、旦那」
「南蛮人の事は探るのを禁じられていてな。ただおもちゃだけ作っていたわけではないと思うが、目星はない。将軍家献上の品としてからくりを作るよう命じられていたようだが、何を作っていたのかは分からないままだ。強いて言うなら胴をよく所望していたらしい」
「からくりの歯車かねえ」
「だがこの出島では出て行くものも入って来るものも調べを受ける。形式的ではあるが、れっきとした役人の調べだ。誤魔化せるものはいない――と思う、のだが……」
曇った顔に何かしらの思い当たりがあるのだと知れて、私はじっとその眼を見逃さないようにする。
先に音を上げたのは旦那の方だった。
「……長崎には二つの奉行所がある。これは知っているな」
「勿論。伊達にここで生まれ育っちゃいないよ」
「その内のどちらかが、秘密裏に南蛮貿易の富を貪っていると、匿名の投書が代官所に投げ入れられた」
「いつ?」
「ヘンリーの父親が死んだ前の晩だ」
ふるっと震えたヘンリーが、懐に箱を仕舞い直した手で旦那の羽織の袖を握る。
「ヘンリーの父親はその密貿易に絡んでいた可能性がある、ってのかい? 旦那は」
「十中八九な。しかし証拠がない。住んでいた長屋に取り調べに行ったところ、からくりの設計図ばかりが散らばっていて家探しされた後なのか違うのか分からないほどだったからな」
「ふぅん……」
金平糖をまた一つぽりぽりと食べるヘンリーは、少し涙ぐんでいるようだった。
「ま、私の聞きたいことは聞けたから、とっとと十市を牢から出しておくんな。まさかもう拷問に掛けているなんてことはないだろうね?」
「まだ間に合うはずだ。では俺は出るぞ、牡丹。おいで、ヘンリー」
そうして異人の子供とお代官様は廓を去って行った。
危ない所だった、と次の朝方十市が妓楼に来た時に見た顔は、数発殴られてこそいたけれど比較的元気そうだった。もう少しで拷問に入ろうとするところで長谷部の旦那が間に合ったらしい。そこで初めてヘンリーと十市は顔を合わせたそうで、案の定首実検してもヘンリーの父親を殺した下手人ではないとのことだった。もっと体格の良い、ちゃんと修行した人の身体だったらしい。十市はどちらかと言うと華奢な方だし、刀なんか差したら町人姿には目立ち過ぎるだろう。ほっとして背中を晒すと、早速色を入れる作業になった。やっと緋牡丹になれるという安堵と、十市が無事だった事とで一気に眠気が来る。しかしこの作業は中々それを許してくれない。
「今回は本当、お前のおかげで助かったよ。代官所の連中が変にピリピリしていてなあ、俺もそれに当てられてしまいそうだったもんだから、何事もなくお解き放ちになれて良かった。商売道具も無事返してもらえたしな」
「あんたなら刀なんかじゃなく匕首のなんか短い方が使い勝手が良いだろうからね。まあそうすると手に血がべっとり、って感じだろうが」
「うひぃ、怖いこと言うなよう。瓦版にはまだ出る前で良かったよ、しかし。客を無くするところだった。危ない危ない」
「まったく、呑気だねえあんたは。しかし、ヘンリーのおとッつぁんが最後に書き残した『じゅういち』ってのは何だったんだろう。そっちが分からなきゃ、あんたがいくらお解き放ちになったからと言っても油断は出来ないよ。やっぱりお前しかいない、なんて番所に連れられて行ったら今度こそ百叩きだの石抱きだのが待ってるかもしれないんだから。素行良くしときな」
「胸に留めておきます、はい。しかしなんだろうな、『じゅういち』ってのは。数の十一か? 俺じゃないとしたらそっから探って行くしかないよなあ」
「いでっ。まあそうだねえ。じゅういち……じゅういち……おとッつぁんが死んだ時に、ってぐらいだからよっぽど大事な暗号だとは思うんだけど、さっぱり意味が解らない。大体本当にじゅういちだったのかすら疑わしい。ちゅういちとかじゅうきちとかの可能性もある。でもあんだけ頑なにじゅういちと言い続けるんだから、何か特徴的な符号だったのかもしれない」
ふーむ、鼻から息を逃しながら私は考える。
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