はち. 4


「やだ…。どーしよ……どーしたら…止ま」


 夕姫ゆきがおろおろしていると、まだ動けないコウの声帯から、かすれた音がでた。


「……ゅ…き…?」


「そーよ。あたしよ…。あんた、なんでこんな…」


「…へぇ…。来ると……思わなかっ…——おまえに…殺されるとこ…、だったん…だ…」


「なによ、知らないよっ!

 血が止まらないのは、あんたが物騒なもの、はやしていたからでしょっ…!」


 夕姫ゆきのコートが、彼の血で、ぐちょぐちょいっている。


「(抜いたの)失敗だった…。血…血がね、…とまらな…っ」


「いいから、この邪魔くさいの、とっぱらって…。そ…したら俺…、動けるから…」


「でも…」


「傷は、治る…。

 この意識の束縛さえなければ…。

 …おまえだって、そうだろ…。

 ちゅ…と、ハンパして…、俺…殺す気か…?」


 その口からは、耳にしたこともない掠れた声。


 苦しげに催促された夕姫ゆきは、思いなおして、作業を再開した。


 まだ、その体内に存在している彼ではないものをみつけ、とりだすまでもなく、無に昇華する。


 それは、彼女がBAKUだからこそ可能になる作業だ。


 コウの言う通りならば…。


 彼女自身は、あまりこっちで怪我をしたことがないから、明確な自覚もないが、ここでは、本人の意志の力で、瀕死の損傷も再生できるらしい。


 けれども、それはきっと、固体の精神力でカバーできるところまでなのだろう。

 生きものである以上、限界はある。


 時間が経つほど、彼の血が…。


 コウが活動するためのエネルギー、生きゆく要素、活力・魂が傷口から流れ出してゆく。


 手がけた以上は、もたもたしてなど、いられなかったのだ。


(おねがい…、間にあって!)


 悪夢に呑まれた人間(コウのことだが)を取り出したことならあるが、人の内部にまぎれた他人の幻想を排除するなんて行為は、これが初めだ。


 BAKUである夕姫ゆきにとって、余分な幻想(他者が形づくる思念)とコウ――それを見極めるのは造作もない作業だったが…。


 それでも、慣れない状況、初めての体験だったので、どこのどれを優先して手をつけるべきなのか、いちいち手順を迷った。


 ハラハラドキドキの連続だったが、ひたすら、細事に集中し、自身の感覚と直感を頼りに選択除去をすすめてゆく。


 緊迫した静寂のなかに、短い時が流れた。


「はぁー…。生きかえった…」


 がくっと頭をたれたコウが、一度、脱力して、解放の吐息をついた。


 流血した痕跡はそのままでも、体にあった傷は、すでに塞がっている。


 しかし…、


 もぞり、よろりと移動して、近場に見いだした鍾乳石の柱を頼り、どうにか立ちあがろうとしている彼の顔は、白いというより青い。


 土気色だった。


 足の動作が、かなりおぼつかない。


 よく見ると、傷も癒着しただけで、完治まではしていないようである。

 腕などは、血を拭ったあとに、線状の傷痕がくっきり見てとれた。


 背中や肩の傷は、乾ききらぬ血で汚れた着衣がじゃましてよく見えないが、おうおうに深刻そうだ。


 赤色の痕跡が、色白な肌にやたら栄えて、痛々しい。


 気力で立っているのかも知れない――そう認識すると、夕姫ゆきは、ふくれっつらで、彼にとりつくと、彼の胸元に額を押しつけるようにして斜めに肩を貸し、その胴を抱え支えた。


 血で汚れたシャツの背中を、くしゃくしゃにつかむ。


「なにやってるのよっ! このていどの夢に根負けして…。

 …こんなことじゃ、やってゆけないじゃないっ」


「だから、俺は、そーゆー戦闘にむいてないんだって…。

 平和主義だからな…。……。

 …脱落…、認めさせるのに手間どった」


 ずしっと。コウの重みが夕姫ゆきの体に乗ってくる。


 触れている体から、確かに。それでいて、強いともいいきれない鼓動が感じ取れた。


「…コウ? …だいじょうぶ、だよね?」


「…。…すこし…、こたえた…。…」


 夕姫ゆきは、彼を支えたまま左手を空におよがせて、なにかを払うようなしぐさをした。


「…――横になった方がいい…。でも、ちょっとだけ、待って。洞窟ここ、とっぱらう…。

 もっと、あったかくて、おちつけるところ、行こ…」


 冷たい岩肌が砂塵のようにまいあがり、二人には触れることもなく、空気にとけてゆく。


 相手の夢の状態など、おかまいなし。問答無用の強引な撤去だ。

 コウの表情が微妙にゆるんだ。


「怒ってるだろ、おまえ…」


 多少、雑でも、解放には違いはなく…、


 そこにあった珠里じゅりの暗い夢が、ほぐされ消去されてゆく。


 対象によっても変わるが、夕姫ゆきが夢の混迷を分解昇華するさまは、一足飛びに氷を気化してしまうのに似ている。


 悪夢を消されたものは、そこにあった迷いやこだわりを、ほとんど忘れてしまうのだ。


 人間は、暗いものも明るいものも、自分のなかに芽生えた感情をのりこえて、より大きく成長するものだから、質が悪いからと、安易に消してしまうのは、得策ではない。


 解決されたわけではないので、ちょっとしたおりに、似通った悩みを抱えこみ、育てる確率が高いのだが…。


 本人の力では、解きほぐすことも不可能なほどねじ曲がってしまったものにとっては、BAKUのその粛清が、ある種の救済…救い……呪縛からの解放となる。


「…。あたし…、なんだか、この感じ…。知ってるような気がする…。

 …ん。

 最近…(どこかで見かけたみたいな…)」


 夕姫ゆきが、ぽつりとこぼすと、コウは、わずかに口のはしを持ちあげて、小さく笑った。

 なんとも言えず、おかしそうに…。


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