20-聖女の霊がわたしを聖女にしようとたくらんでいる

 以前聞いたときは答えてくれなかった。

 話したくないことだというのはわかっていた。

 それでもいいと思った。


 貧民街の子どもと、子どもにとりついた幽霊。

 ただそれだけの、信頼も何もない関係が、自分たちの距離感なんだと思っていた。


「事態を軽んじた結果が、あの事件だよ。わたしの命にかかわる話なら、知らないままにはしておけない」


 ソフィアの苦笑いから笑みだけが消えて、困り眉だけが残った。

 悲しそうにも見えた。苦しそうにも見えた。

 だからと言って、ここで引く気もない。


『すべてを打ち明ける前に、一つだけ、約束してくれますか?』

「内容次第かな」

『私の話を聞いたからと言って、私以外の何かに悪感情を抱かないでください。すべて私が行った身勝手で、他に感情を向けるのはお門違いですので』


 シルヴィは唸った。

 話の全容が見えてこない。


「話の中身による」

『ダメです。約束してください』


 とりあえず、自慢話の類でないのは確からしい。

 それも、話を聞くことで人生観が変わりうる、そんなレベルの話。


 シルヴィは少し悩んで、意を決した。


「わかった。話を聞かせて」


 ソフィアは悲しい顔をして、唇を震わせた。


「わかりました。では、少しだけ昔話をしましょうか」


  ◇  ◇  ◇


 昔むかし、あるところに白髪の少女がいました。

 少女は生まれながらにして膨大な聖力せいりょくを持っており、無意識下でも聖結界せいけっかいを維持できる、類まれなる才能を持っていました。


 ある日のこと、彼女の弟子が神殿を訪れ、神託を受けます。


『ソフィアより優れた聖女はいない』


 白髪の少女は笑って否定しました。

 というのも、彼女はまだ聖女候補の一人であり、聖女になってすらいなかったからです。

 弟子が大げさに言っているか、聞き間違えたかのどちらかだと思ったのです。


 しかし、数年後。

 少女は考えを改めるようになります。


 純血主義。


 当時の王都には、血統を極端に偏重する傾向がありました。

 嫌いな人と子どもを産むことは当たり前。

 好きな人と一緒になれないのも当たり前。

 少女が生きていたのは、そんな時代でした。


 このままではいけない。

 彼女は、国の方針に批判的な態度を取りながら、人々に愛に生きる素晴らしさを訴えました。

 最初は理想論だ、と非難していた人たちも、理想を憎んだわけではありません。

 彼女の考えは次第に幅広い層に受け入れられました。

 その時代の聖女に、

「聖女の名は、あなたにこそふさわしいわ」

 と言われたのは、数百年の時を超えたいまも、少女の宝物の思い出です。


 しかし、彼女の思想を不愉快に思う層も、少なからずいました。


 政略的な婚約を破棄されて、婚約者を一般人に略奪された貴族や、醜く肥え太った権力者たちです。


 当時の王都には、デマゴゴスという扇動的民衆指導者がいました。

 彼らは権力者たちの都合の悪い人物のスキャンダルを捏造し、蹴落とすことが生業です。


 一部の権力者たちはこのデマゴゴスを使い、どうにか聖女を失脚させようと躍起になりました。


 しかし、

「なるほど。私が男爵家令息様に紅茶を掛けたと。ところでその日、私は茶会に参加せず、下町でぶどう踏みをしておりましたが、いったいどのようにして紅茶を掛けたのでしょうか?」

 彼女の語る真実を前に、

「私の作った結界で使い魔ファミリアが死んだ? はて、結界は魔を拒みこそすれ、殺傷力は持たないのは一般常識かと存じますがいかに?」

 スキャンダルはなかなか成立せず、

「私の思想が国を衰退させている? 食料自給率も出生率も上昇しておりますが、あなたは何をもって衰退とおっしゃっているのでしょうか?」

 自由恋愛の思想は着々と根付いていきました。


 聖女は、慢心していたのでしょうね。

 正しい行いには良い結果が伴う。

 そう、信じていたんでしょう。

 だから、気付けなかったんです。

 ここまでの一連のデマ報道が、すべて最後の布石だったんです。


 ――いくら聖女とはいえ、ここまで潔白すぎるのはかえって怪しいんじゃないか?

 ――実は聖女こそデマゴゴスを裏で操っていて、自分に不都合な真実を隠しているんじゃないか?

 ――純血主義に何か不都合があり、それを廃止するのが目的の魔族の使いなんじゃないか?


 真実っぽい話から、明らかな嘘まで。

 実に多種多様な憶測が飛び交いました。

 真偽を確かめるべく、聖女は裁判にかけられました。


 結果は、「二百八十票」対「二百二十一票」で有罪判決。

 岩穴に投獄された彼女の刑は、一番の重罪。

 死刑、でした。


(そして、騎士であったグランの願いを退け)


 語り手のソフィアは主人公を彼女から私に変えて、こう続けた。


「私は大罪人の烙印を押され、毒杯をあおることになったのです」


  ◇  ◇  ◇


 ソフィアはおそるおそる、シルヴィの顔色をうかがった。

 心優しい少女が、この話を聞いて、どのような反応をするのかが不安だった。


 シルヴィは目を閉じ、沈黙を貫いていたが、話の終わりと感じて口を開いた。


「じゃあ、やっぱわたし、聖女に向いてないわけだ」


 怒るのでも、悲観するのでもなく、少女はころころと笑っていた。


『シ、シルヴィ! そんなことないですよ! あなたには私がついているんですから――』

「うん。ソフィアが誰よりも聖女だったって話でしょ? ってことは、わたしがどれだけ頑張ったって、ソフィアにはかなわないわけじゃん」

『え、ええ? いや、えーと、それでいいんですか? いまの話を聞いて?』


 完全に予想外だった。

 もっと激しくののしられると思っていた。

 絶交される可能性も視野に入れていた。

 それなのに、黒髪の心優しい聖女は、以前と変わらず笑いかけてくれる。

 もしかすると、以前より優しいとすら思う。


「他に何かわたしに関係ある?」

『え、いやほら。私が純血主義を否定したのが聖女の力が弱まる原因になってまして、その結果シルヴィは結界の外へ出るリスクを冒さないといけなくなりまして――』

「だからこうして、ソフィアと出会えた」


 星明かりを宿した少女の瞳は、とても穏やかだった。


「まあ、いろいろあったけどさ。ソフィアと出会えてよかったってのは、まぎれもない本心なんだよ」


 シルヴィはなんだか、いろんな疑問がひも解けたような爽快感をかみしめていた。


 王都ではなく森の中に埋葬されていたこと。

 歴代聖女名鑑から省かれた理由。

 ソフィアが過去を語りたがらなかったわけ。

 モダレーテ女史から受けた忠告。


 それらすべて、元をたどれば一点に帰着するのだ。

 つまり、

「ソフィアの肩書が聖女か大罪人かなんて、どっちでも変わんなくない? わたしはわたしで、ソフィアはソフィアでしょ」

 シルヴィの結論は、小さいことを気にしてんな、だった。


『シルヴィは、それでいいんですか?』

「いや、今日からあなたは男爵家の養子ですって言われたからって、わたしがわたしじゃなくなるわけじゃないでしょ? それと同じでしょ」


 シルヴィは人の目を気にするタイプではない。

 それはソフィアも知っていた性質だ。

 だけど、本質ではなかったと、ソフィアは気づいた。


(シルヴィ、あなたは何より、人の本質を愛せる人なんですね)


 大罪人も聖女も、ただの肩書。

 自分は自分。

 そんなの、考えたこともなかった。


 だけどシルヴィの語った言葉が、他のどんな言葉よりも、心を、温かい気持ちにさせてくれる。


『ふふ、やっぱり、神託なんてあてになりませんね』

「ん?」

『シルヴィ、あなたは聖女に向いていますよ。私より、ずっとずっと』

「またその話? わたしはならないって」

『いいえ! シルヴィには私を超える聖女になってもらいます! そのためにも私、頑張りますからね!』

「張り切るな!」


 白髪の幽霊が、ほほ笑みかける。

(シルヴィ、あなたと話せてよかったです)

 凍てついた心が癒されていくのを感じながら、ソフィアはシルヴィに感謝の言葉を繰り返すのだった。

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聖女の亡霊がわたしに取り憑いた 一ノ瀬るちあ🎨 @Ichinoserti

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