第32話 臨時バイトの常連客①
土曜日の昼前。日本橋の一角に、人がわいわいと集まっていた。スマホ片手にうろうろしているのは、十代後半から二十代前半の若い女性たち。
「ねえ、ここら辺なんでしょ、ねこが接客してくれる喫茶店って」
「みたいだけど……どこなんだろう」
「あっ、その路地裏にある店じゃない? ほら、看板が出てる」
「どこどこ……あれ? めっちゃ薄暗いしなんか汚い感じだけど」
「でもほら、それっぽい」
友人にスマホの画面を見せる。そこには、路地裏に立つ店の看板の写真が写っていた。
昨日たまたま見つけた、一枚の写真。そこにはトレーを持ってニコニコしている縞ねこが写っており、そしてその写真はたちまちネット上で話題を掻っ攫った。
すごい、可愛い、と言う声から合成を疑う声までさまざまなコメントが寄せられており、投稿主は合成説を否定するかのように喫茶店の表の写真と詳しい住所を投稿していた。
「入ってみようよ」
「えー」
「違ったら出ればいいし」
渋る友人の腕を取り、喫茶店の扉を開ける。からんからん、と音がしてから開いた扉の先には、ドラマや映画でしかお目にかかったことのない年季の入った喫茶店の店内が広がっていた。そして店の中には、一人の六十代ほどの男性が仁王立ちしている。男性は眼光鋭くこちらを睨みつけてきたかと思うと、腹の底から声を出し、威圧してきた。
「あぁ、なんじゃワレェ!」
「えっえっ」
「あ、あの……お店、間違えましたぁ!」
突如ドスの聞いた声で怒鳴られ、たまらず今しがた入ったばかりの店を出る。
扉を閉め、なるべく店から離れたくて走って通りまで出て、日本橋駅近くまできてようやく立ち止まった。
「……びっくりしたぁ……」
「もう、怖かったぁ。やばくない? 絶対やばい店だって」
「えー、でもあの店で合ってたと思うんだけど……」
「きっと投稿自体がフェイクで、入ってきた客にやばい薬とか買わせようとしてるんだよ」
友人に言われて思い返せば、確かにあの老人のまとう雰囲気は只者ではなかった。明らかにカタギの人物ではない。
「やばー、変な投稿に引っ掛かっちゃった」
「気をつけないとね」
「うん。気分転換に違うお店に行こうよ」
「そーしよそーしよ」
***
「ちょっと治部良川さん、一体なんなんですかさっきの声かけは。お客さまが入ってきたら『いらっしゃいませ』ってにこやかに言うんですよ」
「そうは言ってもよ、竹下。ナメられるわけにいかねえだろうが」
「喧嘩腰過ぎますよ」
須崎の店の中では治部良川を囲んで反省会が開かれていた。皆の接客スキルがわからないので一人ずつやってみようとなったのだが、一人目のお客さまからして躓いてしまった。
治部良川の接客スキルが最低レベルである。客を威圧した挙句に追い返してしまうなど、もはや接客以前の問題だ。
「治部神様、次は俺の番っすね。俺の接客見て、学んでくださいよ」
「何が学んでくださいよだ、偉そうなこと言ってんじゃねえよ見習いのくせに」
「鳶職人としては見習いっすけど、接客だったら治部神様より上っすよ」
「言うじゃねえか。そんじゃあテメェの接客とやらを見せてもらうぜ」
「おう、任せてください!」
ちょうどその時、店の前に人がいる気配がして、愛は声をかけた。
「皆様、お客さまですよ」
「よし、じゃあ、高木任せた」
「お安い御用っす!」
常連客及び須崎は高木一人を残して厨房へと引っ込む。そこから高木の様子を気配を押し殺して見守った。
「いらっしゃいませぇ!」
高木の間伸びした声が聞こえた。
「お二人っすかぁ? お好きなお席にドーゾ!」
高木は厨房にやってきて、水とメニューを持つと、また客席へと去っていった。店内から客の声が聞こえる。
「あのー、このお店、ねこが接客してくれるって聞いたんですけどぉ」
「えーっ、やだなぁお客さん。ねこが接客するわけないじゃないですか」
「でもほら、この写真……」
「なになに、写真? すげー良く出来てんね、合成じゃねえの?」
高木は店員とは思えない砕けまくった口調で相手をしているが、しかし治部良川の初見で相手を一喝する接客よりよほどマシだ。須崎の存在に関してもすっとぼけているし、これならいいんじゃないかなと隠れて事態を見守っている愛は思う。しかしそう油断したのがいけなかったのかもしれない。続く高木の言葉に、愛は度肝を抜かれた。
「ねーそれよりオネーさん、めちゃくちゃ美人だね。名前は?」
「え? えーっとぉ……」
「どこ住んでんの? この後暇? よかったら俺と一緒に……」
「わあああ」
慌てふためいた竹下が厨房から店内へと飛び出して行った。
「も、申し訳ありません。彼は接客に不慣れでして。ご注文はいかがしますか? はい、クリームソーダですね。かしこまりました」
竹下は高木を引きずって厨房まで連れてきた。全員が白い目で高木を見る。
「何で接客中にナンパしてんねん」
「高木さんって、見境ないですよね」
かつて高木に東京駅でナンパされたことのある愛は、心底幻滅して言った。
「俺のこと言えねえじゃねえかよワレェ」
「いやっ、可愛い子を見かけたらとりあえず声かけるのが礼儀ってモンでしょ? 治部神様よりマシだと思いますけど!」
「高木さん、クリームソーダ出来ましたよ」
厨房で自分の仕事をしていた須崎がにゅっとクリームソーダを出して来た。
「アザーっす、須崎さん!」
「くれぐれも余計なことは言わないでくださいよ」
「わーってますよ竹下サン!」
クリームソーダを受け取った高木は、非常に信用ならない軽薄な笑顔を残して厨房から出ていった。
「お待たせしました、クリームソーダです!」
「あ、どうも……」
からんからん、と音がして次なる客がやって来た。高木は元気に「いらっしゃいませぇ!」と挨拶をしていた。その後も次々に、扉が開いて客が来る気配がした。
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