第31話 事件と常連とモーニングセット
あくる日の朝早く、愛は須崎の喫茶店に来て、扉をバンバン叩いた。
「須崎さん、開けてください。須崎さーん!!」
すると扉を開けて出てきたのは、いつもながらの須崎である。二本足で立って愛を見上げる須崎は、まだ眠いのか前足で大きな眼をゴシゴシと擦っていた。なぜか頭に三角形の帽子をかぶっていて、てっぺんについている白いふわふわのポンポンが垂れ下がっている。ナイトキャップというやつだろうか。実際にかぶっている人を見たのは初めてだ。須崎は人じゃないけど。
「おや、江藤さんじゃないですか。まだ営業時間前ですよ」
「はい、知ってるんですけど、一大事なんですよ! 今から常連さんみんな来るから、とりあえず入れてください」
「ははあ、また何か事件ですか」
「事件も事件、大事件ですっ!!」
「そういうことならいいですよ。存分に使ってください」
須崎は、まさかその事件の中心人物が自分だとは露にも思っていないのだろう。場所を提供してあげようくらいの気持ちで愛を店内へと入れてくれた。
「とはいえ、まだ何の支度もしていないので、とりあえず座って待っていて下さい」
「はい」
愛が店内で待っていると、喫茶店の常連客が次々にやってきた。
「ちわーっす、愛ちゃん早いっすねえ!」と高木が朝からテンション高めにやって来て、
「おう、来たぜ江藤」と治部良川が入ってきて、
「おはようございます、江藤さん、それに高木くんに治部良川さん」と竹下が礼儀正しく挨拶をし、
「はよー」と大吉があくびをしながら扉を開けた。
全員が揃ってしばらくしたところで、朝の身支度を整えたらしい須崎が再び姿を現した。
「あぁ、皆さんお揃いですか。ひとまず何か注文でもどうですか? 私も朝ご飯がまだなので、できれば一緒に頂きたいんですけど……モーニングセット、いかがでしょうか」
「お願いします」という声は、五人全員が見事にハモった。
「お待たせいたしました、モーニングセットです。僭越ながら私もご一緒させて下さい」
須崎が自分の分も合わせ、計六人分のモーニングセットを用意してくれた。内容は、厚切りのトースト半分とサラダ、茹で卵、それにブラックコーヒーだった。
二本足で立って料理を運び、ねこの手にトレーを載せ、テーブルの上に注文の品々を置く仕草は非常に洗練されていて、手慣れた感じが出ている。須崎は全ての品をテーブルに置くと、大吉のためにピカピカに磨き上げられた灰皿を一つ置き、それから自分も椅子にちょいんと腰掛けた。
「頂きまーす」
とりあえず朝食だ。愛はコーヒーに角砂糖とミルクポーションを入れてかき回してから一口飲む。このお店でコーヒーを頼んだのは初めてだったが、香りが良い。角砂糖とポーションを入れてもしっかりとコーヒーの味がして、コクがある。
手を伸ばした厚切りトーストには、添えてあったバターとブルーベリージャムを塗った。まだ温かいトーストにバターを載せると、じんわりと溶けて切り込みの中に染み込んでいく。上からブルーベリージャムを塗ってから、一口齧った。食パンそのものの甘みとさっくりした食感、そこに蕩けたバターのなんとも言えないふくよかさと酸味が程よいブルーベリージャムの甘みが加わり、抜群に美味しい。朝ごはんにぴったりだ。
「美味しい……!」
「喫茶店いうたらモーニング定番やしな。須崎さんのとこは朝やってへんみたいやけど」
「うちは十一時開店なので、このモーニングセットは自分の朝食専用です。今日は特別ですよ」
「兄貴、トーストが美味いっす」
「おい高木、お前ジャム塗りすぎだぞワレェ。なんで竹下の分のジャムまで使ってんだ」
「私はジャム使わない派なので、差し上げたんですよ」
「前から思うてたんやけど、お前甘党やろ」
「へへへ!」
わいわい言いながら朝食を取る。高木はコーヒーに角砂糖を三個も入れていて、治部良川と大吉に白い目で見られていた。
「それで、皆さん揃いも揃って土曜日の朝早くからどうしたんですか?」
「あ、そうだった」
美味しい喫茶店のモーニングで一瞬忘れかけそうになったが、愛たちが集まったのには理由がある。愛は気を引き締め、スマホを取り出し、例の写真が載ったSNSサイトの投稿を表示してからテーブルの上に置いて皆が見えるようにした。
「須崎さん、大変なんですよ。とあるサイトで須崎さんの写真が投稿されて、バズっちゃったんです」
今やこの投稿に寄せられている「いいね」の数は数万に上っている。未だ勢いは衰えていないし、コメントを見る限り場所の特定もされているようだった。
須崎はねこの顔に神妙な表情を浮かべ、耳を垂れ下げてから、至極真剣な声で言った。
「ふむぅ……困りますね。載せるなら載せるで言っていただかないと。もっと可愛いポーズも表情も出来たのに」
「いやそういう問題じゃないですよね!?」
「お、江藤サン、ナイスなツッコミやな」
須崎のズレたコメントに愛が思わずツッコミを入れると大吉が拍手を送ってくれた。
「いやいや、大吉さんもそうじゃなくって! これっ、大問題ですよ須崎さん。歩いて喋って接客するねこなんて、普通はいませんからね!? きっと今日からしばらく、この投稿を見たお客さんがいっぱい集まっちゃいますよ! どうするんですか!? 須崎さん絶対に珍獣扱いされて捕まって、どっかの研究所とか動物園に送り込まれちゃいますよぉ!」
愛は力一杯叫んだ。
常連客からすると須崎はもう見慣れた存在であるが、世間一般の人はそうではない。
人間と全く変わらない動きをする須崎を見たら、どう考えても研究対象になってしまうだろう。須崎は明らかに普通のねこではなく、そもそも見た目はねこだけど中身は人間ぽいので、その生態を明らかにしようと各国の学者がこぞって押し寄せるに違いない。
愛は、狭苦しい檻の中に閉じ込められて日がな一日人間たちに体中をいじくられ、いろんな装置をつけられて脳波や脈拍を測られたりする須崎の姿を想像し涙目になった。
「須崎さんが捕まっていなくなっちゃったらどうしよう……!」
「まあまあ、落ち着いてよ愛ちゃん」
軽薄な調子で言ったのは、角砂糖三個入ったコーヒーを美味しそうに飲む高木である。愛はそっと高木を見た。眉毛の生えていない顔に人懐っこい笑顔を浮かべた高木は言葉を続ける。
「要するに須崎さんの存在を隠せばいいわけっしょ? じゃ、俺らがこの店でバイトして、須崎さんを表に出さなきゃいいんだよ!」
「あっ、な、なるほど……?」
「どーせ世間の人間なんて、あっという間に新しいものに飛びつくんだから、ちょっとの間誤魔化せばすぐに忘れるって。ね、大吉の兄貴」
「せやな。コメント見る限り合成を疑っとる奴も結構いるみたいやし、一ヶ月くらい誤魔化せば誰も来なくなるやろ」
「てことで治部神様、俺しばらく喫茶店のバイトしてもいいっすか?」
「あぁ!? てめえに接客なんぞ任せられるか! 俺がやる」
「ええええええ。あの、僭越ながら言わせていただきますが、治部良川さんに接客はちょっと……いえかなり向いていないかと……」
「なんだと竹下。ならワレがやるか」
「いえ、私は会社員ですので副業で喫茶店バイトは出来ませんよ。そもそも会社に拘束されてる時間が長いので無理です」
「ってことはバイトできるのは、竹下さんを除いた残りの四人ってことになるっすね!」
高木が明るくノリノリで言った。
「俺と大吉の兄貴と愛チャンと治部良川さんの四人でシフト組んで一ヶ月店回しましょうよ!」
「楽しそうだなワレェ」
「大吉さんと江藤さんは学生ですし、早々日中にアルバイトは出来ないんじゃないですか?」
竹下が心配そうに尋ねた。
「あー……俺は講義なくて空いてる日もあるから、そういう時は昼間もできんで。どうせここ大学から近いし」
「私は平日は学校終わってからじゃないと無理だけど、土日ならずっといられます!」
「なら、二人が働けない時間に俺と治部神様が交互にシフト入ればいいっすね」
「おう」
「一番心配なお二人の勤務時間が一番長いとは、大丈夫なんでしょうか……」
「なら竹下も手伝ってくれや」
「無理ですって。いや……有給取れば一日くらいならなんとか……どうせ有給溜まってるんだし、使っちゃえばいいかな……」
「有給二十日くらいとりましょーよ竹下サン」
「高木くんは私をクビにさせたいんですか」
結局諸々の話し合いの結果、しばらくの間平日は営業せず土日だけ店をやろうということになった。それならば常連客の全員が無理せず働ける。
話を聞いていた須崎は、縞々の尻尾をふりつつ常連客の顔を見渡す。
「なんだか申し訳ないですねぇ」
「なぁに、お安い御用だぜ。今時こんな居心地いい店、滅多にないんだ。くだらねぇ騒ぎで台無しになんてさせねえよ」
「治部神様の言う通りっす。俺と兄貴の思い出の店、ゼッテー守る!」
「須崎さん、今後はむやみに写真を撮らせてはいけませんよ。須崎さんは珍獣中の珍獣なんですから」
「せや。もっと危機感もてや」
「私バイトは初めてなんですけど、頑張りますね!」
「皆様……ありがとうございます。では早速本日から、よろしくお願いします」
須崎が頭を下げると、常連客は力強く頷いた。
この店がありふれたただの喫茶店であると周知させ、皆の記憶から忘れさせるのだ。
ここに五人と一匹による、ねこ店長の喫茶店死守作戦が始まった。
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