日曜日の夕方。

 私たち家族は普段よりドレスアップして、ジルの家を訪問した。

 カミユの家族と一緒に、私たちの歓迎パーティーをしてくれるんだって。


 ジルの家の裏手には広い庭園があって、ちょっとした屋外パーティーを開くのにピッタリだった。ケータリングサービスの人が来て、テーブルクロスのかかった長机に、オードブルの大皿をいくつも並べてくれる。


 うちの父さんは朝から何故か大緊張していた。

 理由は、ジルの父さんだった。


「ああっ、オーブリー博士! いつもご著書を、は、拝読しております!」


 優しいブラウンの髪と目をしたジルの父さんは、すっと鼻筋の通った俳優みたいな顔立ちをしていて、背も高くて、丸顔に丸眼鏡をかけたうちの父さんと並ぶと、大人と子供みたい。

 職業は分子生物学者。私には何がなんだかサッパリだけど、本を書いたり、いろんな企業と協力して商品開発をしたりしているらしい。


「昨年末に発売された『ホムンクルスキット』、素晴らしかったです!」

「おお、あれを購入してくださったんですか。ありがとうございます」


 握手を求められて父さん、照れまくっている。

 そういえば通販で買った黴みたいな変な生物を、水槽の中で一生懸命育ててたわね。あれ、ジルの父さんが作ったやつだったんだ。


 様子がおかしい人は他にもいた。カミユだ。

 彼が読書好きだと知ったうちの父さんが、日本スタイルの文庫本をプレゼントした瞬間から、それを胸に抱きしめ、頬を赤らめ目を潤ませて、恋する乙女みたいに虚空を見つめている。

 いや、虚空じゃない。あれは、うちの父さんを見てるわね。


「カミユ、あんた、父さんのファンだったの?」

「ソフィー、なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ! 君の父さんがコズミックホラーの名手、日本人作家のゴロー・クロダ先生だって……!」


 私は肩をすくめた。

「言うわけないでしょ。父さんの本、なんかキモくて私嫌いだし」

「何を言うんだ! 人類の根源的な恐怖を語らせたらクロダ先生は!」


「お兄ちゃん、顔はいいけど中身はホラーマニアなの。呆れないでね、ソフィー」

 そう言って私の袖を引いたのはカミユの妹、ガブリエラだ。愛称はガビィ。


 緩くうねるストロベリーブロンドの構造色ヘアを持つ彼女は、大人っぽい喋り方をするけれど、来月やっと7歳になるのだという。その外見の天使っぷりたるや、ベティを遥かに凌駕していて、私は初対面から度肝を抜かれてメロメロになっていた。

 この愛らしい顔で出会うなり「会えて嬉しいわソフィー。姉妹みたいに仲良くしてくれる?」ってお願いされたら、どんな極悪人も心を入れ替えるんじゃないかしら。


「たぶん、アレクサンドラの日本アニメマニアの血が遺伝したのよ。私もデボラのファッションマニアの血を受け継いだから、人のこと言えないけど」


 カミユの家は父さんがいなくて母さんが2人。アレクサンドラが構造色ヘアを開発した遺伝子デザイナーで、カミユの生みの母なのだそうだ。

 デボラはファッションデザイナーで、アレクサンドラが創り出した構造色のシルクや羊毛、麻や綿を使って、次々と新ファッションを生み出しているのだとか。


 その2人のデザイナーに囲まれているのが、車椅子に座るうちの母さんだった。


「お会いできて本当に嬉しいわ。ぜひ遺伝子構造を拝見させていただきたいと思っておりましたの。そのしなやかな筋肉がどういうデザインになっているのか気になって気になって。体調が落ち着いたらぜひうちの研究室に遊びに来てくださいな」


「いま<Vega2>で宇宙劇場のプロジェクトが進んでおりますの。無重力空間で全方位が舞台になって地球ともVRでコラボできる予定でね。復調したら私たちの構造色糸で織りあげた衣装を纏って主演していただけないかしら?」


 2人ともテンションが高い上に早口だ。母さんは笑顔のまま呆気に取られている。とにかく、歓迎されていることだけはよくわかる。


「ソフィーもガビィも、遠慮しないでどんどん食べて飲んでちょうだい。うちに女の子が2人も来てくれるなんて夢みたい! なんて華やかなの!」


 ジルのお母さんがそう言って満面の笑みで勧めてくれるから、私とガビィは大人たちが盛り上がっている間に、遠慮なく好きなデザートから攻めていく。


「そういえばソフィー、ジルは?」

「AIの調整中かな。壁に何か映したいって、うちの母さんが頼んだみたい」


 指についたクリームを舐め取りながら私が答えた時、庭に面した白い壁面全体が、その色を変えてうねり始めた。

 みんなが一斉に注目する。どこからともなく音声も聞こえる。


『パリ・オペラ座ネットです。本日のトピックはこちら……』


 画像が大きいから最初はわからなかったけれど、よく見たらそれは、パリ・オペラ座が配信している公式動画の映像だった。

 建物の外観から画面が切り替わり、姿を現したのは、パリ・オペラ座の総裁。

 ベティのお祖父さんだ。


『ミッシェル・タジョーの進退についてお話しします』


 急に母さんの名が出たから、ドキッとした。

 総裁はまるで私が見えているかのように、こちらを見つめた。


『まず、はっきりさせておきましょう。彼女が公演中に転倒した直後、突然引退宣言をして宇宙に飛び立ったことから、オペラ座とトラブルがあったのではないかと良からぬ噂が立ちました。これは誤解です』


 総裁は語った。

 母さんが希少にかかり、治療のために地球を離れたこと。

 表向き、自主的な引退という形をとったのは、多感な年頃の娘を慮った結果であるということ。


『今回、本人からOKが出たので、全てを公表することにしました。同時に、オペラ座の見解を申し上げます。

 彼女の引退の申し出を、我々は受理しません。闘病中もできる範囲で、パリ・オペラ座のアンバサダーとして、我々の芸術を大気圏外へ届ける担い手となっていただく。この考えをミッシェルに伝えたところ、素晴らしい返事をもらいました』


 私は母さんを見た。母さんもこちらを見た。

 その目は黒ダイヤみたいに、きらきら輝いていた。


『彼女は引退年齢までオペラ座のバレエダンサーであり、引退後もエトワールです。

 その黒ダイヤのごとき輝きは、宇宙の星々にも劣ることはないでしょう。

 現在<Vega2>で、宇宙劇場プロジェクトが進められています。オペラ座も積極的に協力していくことになりました。

 いずれパリのバレエ団と、宇宙のミッシェルの演技をVRで繋ぎ、時空を越えての総合芸術をお見せできる日が来るかもしれません。

 まずミッシェルには、回復に専念していただく。

 その上で新たな展望が待っていることを、皆さんにはお伝えしておきましょう。

 ご期待ください』


 映像の中でどこからともなく、拍手が湧き上がった。

 こちらの庭でも、全員が拍手していた。

 もちろん私も、痛いほど強く手を叩く。


 ベティのお祖父ちゃんは、私が考えていたような人じゃなかった。

 勘違いが恥ずかしくて、夕べみたいに自分はちっぽけだと感じたけれど、今度はそれで寂しい気持ちになったりしなかった。


 母さんは嬉しそうに周囲の人々を見回し、まるで舞台にいる時のように魅力的な微笑みを浮かべた。

 そして長い両腕を優雅に操り、車椅子に座ったまま上体を倒して、深々とお辞儀。

 エトワールの舞台挨拶レヴェランスだ。


「おまえの母さん、かっけーな」

 不意に傍で声が聞こえ、赤の構造色ヘアが現れた。

 銀河の赤青が脳裏に浮かぶ。

 どうしてこの髪色を馬鹿みたいと思ったのか、もう思い出せない。

 

「あんたの母さんも、かっけーよ」

 口から自然に言葉が流れた。

「カミユとガビィの母さんも。それに父さんたちも」


 宇宙なんて、まともな劇場もないって、私は思ってた。

 昔は<Vega2>も、構造色ヘアも、黒人のエトワールもなかった。

 でも誰かが生み出した。

 母さんは病気をきっかけに、新しい道へ踏み出そうとしている。

 私もそういう勇気が欲しい。


「ジル、友達になってくれる?」


 訊くとジルは「はあ?」という顔をして、唇の端をちょっと上げた。

「もう一緒にアイス食ったじゃん」


     *


 月曜日。

 私は緊張して教室の扉の前に立っていた。

 すう、はあ、と深呼吸をして、扉を開ける。

 賑やかだった教室の空気が、私が一歩足を踏み入れた途端にぴたりと止まった。

 緊張しながら自分の机まで歩いていった私は、その上に一枚の紙が置かれていることに気付いた。下手な絵が描かれている。

 黒っぽい毛並みの馬がピンクのチュチュスカートを履いて回る姿だ。


「アラブ馬」


 誰かが囁いて、くすくす笑いが広がった。

 私はコートジボワール人と日本人のミックスで、アラブじゃない。

 でも、わからないんだ。ほとんどの子が知らない。私がどんな風に生まれて、どんな風に生きてきて、何があってここにいるのか。

 お互い様だ。私も知らせる努力をしてこなかったし、知ろうともしなかった。


「はよー、あれ? なんか静かじゃね?」

 勢いよく扉が開いて、ジルとカミユが入ってきた。

 突っ立っている私の傍まで来て紙をひょいと覗き込み、「馬か」「馬だな」と言って頷き合い、ジルがピンクのチュチュを指さす。


「そして浮き輪」

「なんでだよ。チュチュスカートだろ」

「馬が履いてたら変じゃん」

「浮き輪でも変だろ」


 会話しながらそれぞれの席に座る。

 チャイムが鳴ったので私も慌てて席についた。するとカミユが隣から手を差し出して、「もらおうか?」と尋ねてきた。


 一瞬、胸がいっぱいになったけど、私は「ううん」と首を横に振った。


「いい。これ、とっておくから」

「真面目」


 わかってるんだ、カミユは。私が、自分が先に石を投げたって忘れないために、これをとっておこうとしていること。


 折りたたんで机にしまった時、先生がやってきた。

 授業が始まる前に私は手を挙げて、思い切ってお願いした。


「あの、自己紹介のやり直し、させてもらえませんか」


 承諾を得て私は、再びみんなの前に立った。

 勇気がいるな。無視し続けるよりずっと。

 すう、はあ。

 深呼吸して私は、舞台上の母さんの姿を思い出し、背筋を伸ばして口を開いた。


「私の名前は、ソフィー・クロダ・タジョーです」


 机の横にかけた鞄の中に、文庫本はもう入っていない。



<了>

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Bad Boys & a Girl【BadシリーズⅡ】 鐘古こよみ @kanekoyomi

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