公園のホログラム噴水を臨むベンチにて。

 私たちは3人並んで、パチパチ弾ける星型チップの入ったアイスキャンディーを舐めていた。お詫びの印に、うちの冷凍庫から持ち出したものだ。

 宇宙へ引っ越すことになった経緯を白状すると、カミユが「なるほどね」と頷いた。


「たまにいるんだよな。そういう、嫌がらせに命かけてる奴」

「巧妙だよな、なんつーか」

「その点、ソフィーはわかりやすくて良かった」

「その通り。誰もが誤解しようのない、明快な悪態だった」


 なんだか、変なことで褒められている。


「けどさあ。それって本当なのかな? ソフィーのせいで引っ越しになったって」

 既にアイスを食べ終えたジルが、棒をくわえたまま首を傾げた。

「俺はてっきり……」

 何か言いかけて、不自然に言葉を切る。


「何? 思うことがあるなら、言ってよ」

「いや、まあ……」

 歯切れが悪い。今日出会ったばかりの自分にもわかる。ジルらしくない。


「おまえ、何か知ってるな?」

 カミユにはお見通しって感じだ。棒に引っかかっていた最後のアイスを口に頬張り、ハムスターみたいに頬を膨らませて、彼はジルの顔を覗き込んだ。


「そういえば、ミッシェル・タジョーが近所に引っ越して来るって話、最初に言い始めたの、おまえの母さんだよな」

「あ、シーッ!」


 決定だ。ジルは何か隠している。


「何なの?」

 私は眉間に深い皺を寄せ、アイスの棒を唇の端に引っ掛けて、腕と脚を組んだ。

「自分の母さんのことなのに、私には知る権利がないってわけ?」

「いや、そうじゃないけどさ。俺の考え過ぎかもしれないし……」

「だから、どんな?」

 眼に力を込めて正面からジルを見つめると、彼は諦めたように肩を竦めた。


「わかったよ。言えないけど、じゃあ案内する」

「どこに?」

「母さんの職場。俺の想像が正しければ、そこにソフィーの母さんもいる」

「あんたの母さん、何の仕事してるの?」

「宇宙基礎医学研究。宇宙環境を使って病気を治す仕事」


 ドキンと心臓が鳴った。


『ソフィーのお母さんは〝天然〟だから、何か遺伝子に潜んでいる病気が出てきた可能性もあるって……』

 今まで忘れていたベティの言葉が頭に浮かぶ。


 私たちは自走式タクシーに乗り込み、アドニス地区を後にした。

 数分走るとコロニーの中核エリアに入り、無機質な建物群が姿を現す。

 本物か人工かわからないけれど、綺麗に刈り込まれた緑の植え込みがあちこちで道を隔てていて、その上に建物群の名を示すホログラム文字が浮かんでいた。


『宇宙医学総合研究所』

 そう書かれた場所で、タクシーが停まる。

 奥にはパステルカラーの箱を積み重ねたようなビルがあり、そのガラス張りの正面玄関から、2人の女性が慌てて飛び出してくるのが見えた。

 1人は白衣姿で、1人は歩行補助装具を身に着けている。


「母さん」

 ジルと私の声が被った。

 そっか。自走式タクシーに乗る時、生体認証をしたから。

 子供のそういう行動は親に通知が行くようになってるって、説明されたっけ。


「ソフィー、どうして?」

 近づきながら母さんは、胸に手を当てて顔を強張らせていた。

 なんとなく真っ直ぐ見れなくて、私は目を伏せる。

「ジルに連れて来てもらったの。きっと母さんがここにいるからって」

「ジル! あんた、勝手なことをして!」

 ジルの母さんがお怒りだ。私は慌てて口を挟んだ。


「ジルを怒らないで。私のためにしてくれたことなの。自分のせいで母さんがバレエを辞めることになったと思って、落ち込んで、学校でひどい態度を取ったから!」


 息を呑む母さんの方に足を一歩踏み出して、私は勇気を出して視線を合わせた。

「母さん、教えて。宇宙へ来た本当の理由は、病気のせいなの?」


 ほんの一瞬、母さんは瞳を彷徨わせたけれど、すぐに覚悟を決めた力強い顔つきになった。

「ええ」

 しっかりと頷く母さんから、私も目を逸らさない。

「黙っていてごめんなさい、ソフィー。母さんはね、軟部肉腫という、珍しいになってしまったの」

 

    *


 軟部肉腫。

 珍しいだと聞いて、私はショックで何も言えなくなった。


「体の中の、腎臓の近くにできていたみたいでね。

 あまり痛みもなくて、気付かずにいるうちに、大きくなってしまって。

 実は、脚の骨に転移していたの。舞台での骨折は、それが原因だった。

 病院で詳しく調べたら、肺にも小さいのがたくさん転移していた」


 帰りの自走式タクシーの中で。

 私は母さんと二人きりで座って、シートは広いのに母さんに自分の体をぴったりくっつけて、腕を絡ませてじっと話を聞いていた。

 そうやって触れていないと、体が震えて、怖くて仕方ない。


 は、治らない病気ではないと聞く。

 でも、発見が遅れたとかで死んでしまう人の話も聞く。

 治るんでしょう?

 そう訊きたかったけど、訊けなかった。


「完治ではなく、共存を目指した方がいいって、医師に言われたわ。

 いろいろ治療法を試してみて、コントロールするしかないって。

 闘病しながらバレエを続けるのは、まず無理よ。

 正直、頭が真っ白になって……そしたら、父さんがね」


 医師の説明を聞いて、ずっと黙っていた父さんが、急に言ったそうだ。

 完治の可能性はまだある。宇宙での治療法が研究されているはずだ、と。


「父さんは宇宙が好きだから、そういうことをよく知っていたの」

 母さんは私にもわかりやすいよう、嚙み砕いて教えてくれた。


 とは、自分の体の細胞が勝手な増殖と分裂を繰り返して起きる病気だ。

 がん細胞は何かの方法で集合し、合体し、どんどん大きくなる。その合体が宇宙のような無重力環境では起こらなくなり、そのまま死滅するらしいと発見されたのは、約100年ほど前のこと。

 机の上での実験は、うまくいっていた。

 でも、実際に治療に使えるよう研究を進めるためには、大規模な設備や協力してくれる患者が必要になる。全て整うのはなかなか難しくて、ずっと足踏み状態だった。

 数年前、<Vega2>に宇宙医学の研究施設ができ、ようやく環境が整った。


「実験データは揃っていて、あとは臨床結果を出せばいいだけのところまで来ている。思い切って宇宙に行って、完治を目指さないかって、言ってくれてね」


 父さんが宇宙移住の夢を抱いていたのは本当で、前から密かにいろいろ調べていたらしい。それが功を奏して、すごい速さで移住の準備が整ったのだ。

 その時の父さんの様子を思い出したのか、母さんが小さく笑った。


「君を失うのが僕の最大の恐怖だ。ソフィーもそうだ、なんて言ってね……」

「そうよ」

 私は大きく頷いた。母さんの腕にもっと強く齧りついた。

 もしも母さんが……なんて、考えただけでゾッとする。ベティや他の嫌なことなんて全部どうでもいい。そんなに恐ろしいことが起こるくらいなら!


 そこまで考えて、私はハッとした。

 そうか。

 父さんも母さんも、私が何よりそれを怖がるって知っていた。

 だから引っ越しの理由、はっきり言わなかったんだ。


「あなたを信頼していなかったわけじゃない。でも、不安にさせたくなくて。

 今から思えば、私に勇気が足りなかっただけね。

 かえって心配をかけてしまって、ごめんなさい、ソフィー」


 母さんが優しく髪を撫でてくれたけど、私は、声が詰まって何も言えなかった。

 教えてほしかった。ううん、ほしくなかった。

 どっちもある。だから私、父さんと母さんのやり方が間違ってたって、言えない。


「母さんが〝天然〟だから、そんな病気になったの?」

「違うわ。これは後天的なもの。あなたに遺伝はしないから、心配しないで」

 そんなこと。私は涙ぐんだ。

 本当に訊きたいのは、そういうことじゃない。

 勇気を振り絞った。


「治るの?」

「わからない。でもジルのお母さんは、全力を尽くすって言ってくれた。

 私は諦めずに頑張るだけ。バレエと同じようにね。

 可能性があるなんて、素晴らしいことだと思わない?」


 半分想像していた答えだったけど、実際に「わからない」と言われると衝撃的だった。私はまた泣きそうになったけれど、ぐっと堪えた。

 母さんは強い。

 バレエダンサーだもの。苦しさを隠して微笑むことには慣れている。

 私が泣いてちゃいけない。

 黙って頷くと、母さんはホッとしたように笑って、抱きしめてくれた。


 家に戻ると父さんが帰っていて、私の行動ログを見たのか、青い顔でリビングをウロウロしていた。

 私と母さんから事情を聞くと、今度はやけに張り切って、「ようし、家族会議だ!」と言い出した。


 何をするつもりかと思ったら、リビングテーブルにありったけのお菓子やポテトフライを出して、今思ってることをみんな腹割って話そう、だって。

 私も冷蔵庫からベガ・コーラを出してきて準備を手伝った。


 こんなに父さん、母さんとたくさん話すのは久しぶり。

 私は地球にいたとき、学校で何があったのかを初めて告白した。

 ベティのこと。それ以外のクラスメイトのこと。肌の色と、ミッシェル・タジョーの娘であること。今まで友達と呼べる子が1人もいなかったこと。

 でもそれは、もしかしたら、私の態度も原因だったかもしれないこと。

 母さんは涙ぐんで私にキスして、父さんは鼻を啜りながらケーキを買いに行った。


 家族会議の後は、家の壁全体を画面にして、サメが出てくるB級パニック映画の最新リメイク版を観た。

 部屋中をサメがぐるぐる泳ぎ回って、本当に襲われているみたい。

 3人ソファの上でギュッと固まって、お腹の底から思いっきり叫んで笑うと気分が晴れた。夜はリビングに寝袋を出して、キャンプみたいに3人で一緒に寝た。

 天井に夜空が投影されて、たまに星が流れる。

 見つけるたび、母さんが治りますようにって願いながら、私は、宇宙から見た自分がいかにちっぽけな存在かってことを考えた。

 お願いするしかできないなんて、すごく無力だ。

 また涙が滲みそうになった時、遠い夜の向こうで、赤と青の銀河が戯れるように渦巻いているのを見つけた。

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