第36話「不可解な依頼主」

 あの日以降、ディオナとはなんとなく気まずい空気になってしまった。そもそも彼女は日増しに多忙になっていき、朝は俺が起きるよりも早く家を出て、俺が寝た後に帰ってくるような生活だ。それでもオーガ族のタフネスでなんとかなっているのだから、凄まじいことだが。

 ディオナが新しい義手と装備を手に入れて、南にある港町シューレシエラへ向かう商会の護衛として町を出発して数日。俺はいつもと変わらず小さな依頼を堅実にこなしていた。


「はいよ」

「確かに。相変わらず仕事は丁寧ね」

「それだけが取り柄なもんでね」


 夕方、組合に戻り一日の成果をカウンターに載せる。なんということはないニワトリに似た魔獣数匹の討伐依頼だ。ついでに解体までしてしまえば報酬が上乗せされるということで、羽毛を毟り血抜きまで済ましている。

 対応しに出てきたのはいつもの如くリリである。彼女も慣れた様子で鳥を受け取ると、状態を確かめて報酬の硬貨を積んだトレーをこちらに押し出す。


「ディオナちゃんは元気そうなの?」

「そっちの方がよく知ってるんじゃないのか? 今はシューレシエラに向かってるところだよ」

「ああ、そうだったの」


 組合の受付嬢の方がディオナの近況もよく知っているかと思っていた俺は、彼女の反応を意外に思う。リリは耳をぴこんと揺らして肩をすくめた。


「私の担当は三級傭兵まで。二級以上はユリアとかもっと上の人が担当するのよ」

「そうだったのか」


 俺の対応にリリがよく出てくるのは偶然ではなかったらしい。一応、リリも二級以上の傭兵に向けた依頼に対処することはできるのだが、暗黙の了解としてそのような区別ができているのだとか。


「シューレシエラかぁ。今はちょうど泳げる季節なんじゃない?」

「ディオナが泳げるかどうかは知らんが」

「そうじゃなくて、一緒に着いてってあげれば良かったのに」


 リリはもう仕事も残っていないのを良いことにカウンターに居座る。以前にもどこかで聞いた言葉に少し辟易としながら、俺は首を横にふる。


「ディオナが受けたのは指名依頼だろ。俺が急に加わっても、依頼主に不審がられるだけだ」

「そう言うものかしらねぇ」

「組合の奴が何を適当なこと言ってるんだ」


 指名依頼ってのは、その傭兵を信頼し特に頼みたいからこそ出されるものだ。それなのにどこの馬の骨とも分からん輩、それも同じ二級ならばまだしも十年も三級で燻っている中年が着いてきても意味がない。


「依頼主、今度はどこの貴族なのよ」

「だから俺よりもそっちの方がよく知ってるだろ」

「はー、つい最近まで過保護だったくせに、もう放任主義になっちゃって」


 リリは呆れたような顔で尻尾を振りつつ、事務室に引っ込む。これで諦めたかと思ったが、すぐに分厚い紙の束を抱えて戻ってきた。


「おい、それって……」

「依頼書の原本だけど?」

「職権濫用じゃないのか?」

「ただの確認業務よ」


 そんなことを嘯きながら、リリはペラペラとページを捲っていく。二級の指名依頼ともなればさほど数もない。すぐに見つかると思ったが、存外時間がかかる。


「あった!」


 ようやく目的の依頼書を見つけたリリが嬉しそうにヒゲを震わせる。しかしすぐに胡乱な目つきになって、指で抑えつつ依頼の内容を熟読し始める。


「どうしたんだ?」

「これ、指名依頼じゃないわよ」

「は?」


 リリは冊子をこちらに向けて、依頼書を見せてくる。立派な情報漏洩だが、それを指摘するものはいない。

 彼女が指し示した先には、確かに指名依頼に捺される判がなかった。つまり、これは誰でも受けられるようなごく普通の依頼だということだ。しかも、適正等級として示されているのは第三等級である。


「なんでこんなものを……」

「帰りにポクロッポ山に寄るって言ってたな。そっちが本命じゃないのか?」

「それだけのためにわざわざ片道一週間も掛かるような遠方に行くの? この依頼、そんなに稼ぎもよくないだろうし」


 リリの不審がる声に、俺は集中できないでいた。そのかわり、脳裏には彼女との会話が思い出される。なぜ彼女は、今回の依頼に俺を誘ったのか。

 シューレシエラは南の温かな海に面する港町だ。交易の要衝でもあるが、広い砂浜と穏やかな海が広がる、貴族たちの保養地としても知られる。なぜわざわざ、そんなところへ向かう依頼を受けたのか。


「アラン」

「……」


 リリの声が胸に突き刺さる。俺は何か、とんでもない思い違いをしていたのではないか。

 依頼書に目を落とし、再び読み進める。そして、ふと違和感を胸に抱いた。


「なあ、リリ」

「何? 今からでもシューレシエラ行きの依頼を見繕うの?」

「そうじゃない。この、ナルカポ商会って知ってるか?」


 指で示したのは依頼主の欄。そこに記されているのは、ナルカポ商会という企業の名前だ。片道一週間はかかるアルクシエラとシューレシエラを商圏として収め、三級相当とはいえディオナが引き受けても違和感がないほど破格の報酬を用意できるほどの余裕がある。そんな商会となればかなりの規模で、知名度もそれなりにあるだろう。

 しかし、俺はこんな名前の商会を聞いたことが一度もない。それは、毎日のように様々な依頼主の名前を見ているリリも同じのようだった。


「聞いたことないわね。貴族御用達の商会なのかしら」

「いいや、それもない。ここ十年で興った新参ならともかく」

「アラン、貴方……」

「ちょっと詳しく調べてみてくれないか」


 これは俺からの依頼であり、組合の職務でもある。二級傭兵が受けるほどの依頼の主を、彼女たちが調査していないはずもない。それなのに、なぜこんなことが起こるのか。


「ダメね。顧客リストにもナルカポ商会の名前はないわ。ただ、この依頼、貴族の紹介で来てるわ」

「なんて貴族だ」

「それは――」

「教えろ!」


 怯えたリリが、おずおずと紙片に家名を書き記す。完全な守秘義務違反だ。彼女には申し訳ないがそれを受け取る。記されているのは、まだ若い、百年程度の歴史しかない新興貴族のようだった。


「シューレシエラの組合と連絡は取れるか?」

「できるけど、どうするの?」

「明日が到着予定日だ。ディオナたちがちゃんと到着するか調べてほしい。それと、途中の町にも組合はあるだろそこに――」


 早口で捲し立てる。謎の焦燥が胸をかる。その時だった。


「リリ! アランもいたか、ちょうど良かった!」

「ユリア!?」


 突然、組合の扉を蹴破ってユリアが現れる。私服姿で明らかにオフの格好をしているが、彼女は血相を変えて駆け寄ってくる。


「ど、どうしたのよ突然」

「遠音の魔法で、ペルクシエラから緊急の通報が来た」


 遠音の魔法。エルフやハーフエルフが扱う、高度な情報伝達の魔法だ。風に乗せた声は万里を越えて目的の人物へと届けられる。ハーフエルフのユリアは組合間の緊急連絡要員でもあったのだろう。

 通報を発したペルクシエラはシューレシエラのすぐそばにある町だ。ディオナの旅程が順調であれば、昼前にはそこに着いているはず。


「二級傭兵ディオナが行方不明になった」

「なんですって!?」


 リリが椅子を倒して立ち上がる。状況は予想する中で一番悪い方向へと転がり始めていた。


「状況は?」

「ペルクシエラの傭兵が調査に向かったところ、街道から外れたところで馬車が燃えていた。おそらくナルカポ商会のものだろうと」

「襲われたか?」

「分からない。詳しい調査は明日以降に――」

「悠長なこと言ってる場合か!」


 狼狽えるユリアに、思わず声を荒げてしまう。彼女は悪くないと分かっていても、俺自身に余裕がなかった。居ても立っても居られず、俺は走り出す。


「ちょ、ちょっとアラン! どこへ行くの!?」

「貴族街だ。この貴族を調べる」


 手に握っているのは、ナルカポ商会を組合に紹介した下級貴族の名前だ。それだけあれば、なんとか糸口も見つかるはずだ。

 しかし、リリとユリアは目を見開いて首を振る。


「調べるって、どうするつもりなのよ!?」

「今からエイリアル公に会うつもり? 流石にアランでもそれは――」

「大丈夫だ」


 二人の言葉を遮る。

 俺は覚悟を決めて、彼女達に向かって口を開く。俺の言葉を聞いた二人は一様に驚き、呆然と立ち尽くした。


「すまん。二人も協力してくれ」


 そう言い残して、組合を飛び出す。夜闇の深まる通りを走り、俺は貴族街へと向かった。

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