第35話「離れる二人」

 アルクシエラへと帰還した俺たちは、日を改めてエイリアル公と謁見し、そこで直々に称賛を与えられた。特にディオナには正式にドラゴンスレイヤーの称号が授けられ、名実ともに彼女の実力が認められる形となった。

 それと連動し、傭兵組合も彼女を二級傭兵へと昇格させ、多くの傭兵たちが彼女に羨望と畏敬の視線を向けることとなる。


「“隻腕の鬼姫”?」

「そうそう。もう巷はその噂で持ちきりよ」


 俺が傭兵組合に顔を出したのは、一週間ほど日にちを置いた後のことだ。食って寝ればピンピンしているディオナとは違い、ただの中年男性にすぎない俺はしばらく寝込まなければ体力も戻らず傷も癒えないのである。

 謁見式の翌日からディオナには次々と指名依頼が飛び込んできたようで、彼女は俺がベッドで唸っている間にも傭兵として働き始めていた。そんな彼女の姿はやはり広く噂になっているようで、カウンターから乗り出したリリがそんな異名を口にしたのだ。


「二つ名ねぇ。まあ、そりゃあそうか」

「あれだけのことをして付かないはずもないわね」


 何かしら目立った事をした傭兵は、周囲から名前以外の看板で呼ばれることがある。“早駆けの”何某とか、“蛇の眼の”何某とか、そういった具合だ。中には“死体漁り”やら“ホラ吹き”といった悪名と呼ばれるような類の二つ名を付けられる輩もいるが、ディオナの場合は純然たる誉れだろう。

 隻腕も鬼も、安直といえばそうだが彼女の特徴をよく示している。

 先の一件で義手と棍棒を失ったディオナはユガに頼み込んで、今は古いものを使いつつ早速新しい装備を作ってもらっているようだしな。


「やっぱり二つ名が付くとなると一大事ね。アルクシエラ以外の町からも次々指名依頼が舞い込んでくるし、帝国からも要請があったのよ」

「それは大変そうだなぁ」


 二つ名はディオナの存在をその実力と共に広く知らしめる。彼女が拠点としているこの町だけに留まらず世界へと知れ渡るのだ。今の彼女は毎日大量の依頼が舞い込む忙しい身ということだ。


「何よ、他人事みたいねぇ」


 俺の反応が気に食わなかったのか、リリは尻尾を揺らしながら唇を尖らせる。


「そうは言っても、俺のことじゃないからな。こっちは相変わらず三級のままだし」


 ディオナは豊穣竜ネイチャードラゴン討伐という功績によって二級へと昇格したが、俺はただ近くの村に走っただけだ。エイリアルから新しい槍こそ貰う手筈になっているものの、それ以外にこれといった褒美もない。


「アランだって二級相当の実力はあると思うんだけど」


 リリは俺に対する評価が不相応だと思っているようで、組合の判断にも不満を露わにしている。とはいえ、俺が一切豊穣竜ネイチャードラゴンに触れていないのは事実である以上、これで昇格というわけにもいかないのだ。


「あんまりおっさんを買い被るなよ」

「アランがおっさんだとしたら、私はおばさん?」

「年下じゃないか……」


 何やら導火線に火をつけそうだ。俺は慌てて話題を変えて、適当な依頼がないか尋ねる。


「三級相当でいいの?」

「ああ。日帰りできる楽なやつで頼む」

「そんなふうに向上心がないから、上からの評価も芳しくないんじゃないの?」

「俺はいつも通りやるだけだ」


 深いため息をつきつつもリリは依頼を見繕う。彼女が出してきたのは、近場の林に棲むアーマーベアの討伐依頼だった。


「お気を付けて。あなたの無事と成功をお祈りしています」


 恭しく礼をするリリに手を振り、出口へ向かう。


「“万年三級”だ」

「“隻腕の鬼姫”と釣り合うような奴じゃねぇよなぁ」


 その間際、聞こえてきたのはそんな言葉だった。


━━━━━


 その日、ディオナが戻ってきたのは俺が夕食を食べ終えてそろそろ眠るかと考えた頃の事だった。


「ただいま!」

「おう、おかえり」


 一仕事終えたようなさっぱりとした表情で部屋に入ってきた彼女は、テーブルにずっしりと重たい袋を置く。二級傭兵となり、指名依頼が飛び込んでくるようになった彼女は報酬額の大きなものから優先して仕事をこなすようになっていた。おかげで経済事情も以前とはかなり変わってきた。


「夕飯は? あそこの屋台で肉買ってきたんだが――」


 魔導コンロに火を付けつつ話し掛ける。夜遅くまで仕事をして腹が減っているだろうと思って買っておいたのだ。


「ごめん。今日ももう食べてきちゃった」


 しかし、ディオナは申し訳なさそうに眉を寄せて腹をさする。


「貴族からの依頼で、大森林の深層にいる黄金鳥を倒してきたんだ。そうしたらお礼にって、たくさんご馳走になったの」

「そうか……」


 より多い報酬を用意できる依頼主が優先される以上、ディオナへ仕事を頼むのは貴族のような富裕層が多くなる。彼らに依頼の品を納品しようとすると、わざわざ組合を通さずに直参してくれという話も多いようで、彼女も貴族街へ行くことが増えたようだ。

 貴族というのは見栄の社会で生きている奴らで、ディオナは美味いものを食べると素直に美味いと言うし食べっぷりも気持ちいい。そんなわけで、依頼を終えた後に晩餐会へ誘われることも珍しくないのだ。


「アランにも食べさせたかったんだけど……」

「そんなみっともない真似しなくていいから」


 入れ物でも持って行けばよかったと後悔しているディオナに、絶対やるなと釘を刺す。そんなことをすれば、実際がどうであれ俺が指図したような噂が立つ。それでディオナの評判まで落としてしまったら申し訳が立たない。

 俺はコンロの火を消し、焼いた肉を戸棚にしまう。これは明日の朝食にでもしよう。


「明日も仕事は入ってるのか?」

「うん。午前中にユガのところで新しい義手と武器を受け取って、そのまま大森林の深層に入る。帰ってくるのは、三日後になる予定」

「そうか」

「その後は、南の方にあるえっと港町の……」

「シューレシエラか?」

「そう! そこまでナントカ商会の馬車を護衛して、帰りはポクロッポ山の大岩の巨猿ギガントロックを倒してから帰るから……」

「二週間くらいはかかるな」

「う、うん……」


 流石に二級傭兵ともなると、日帰りできる依頼だけというわけにはいかない。もう半月近く先まで予定が詰まっているようで、もはやディオナは覚えるのも大変そうだ。手帳でも買っておいてやろうか。


「そうだ! 今日の依頼主から手帳を貰ったんだった!」


 そう言って、ディオナは鞄の中から高級そうな手帳を取り出す。そこにはすでに、今言った予定も書き込まれている。


「メモしたことを忘れるんじゃない」

「えへへ。ごめんごめん」


 ペラペラとページを捲るディオナの表情は嬉しそうだ。仕事をこなせば金が貯まり、金があればついに学校へ通うこともできるのだから。


「そうだアラン。今度の護衛依頼、アランも一緒に行かない?」


 彼女が手帳から顔を上げてそんなことを言う。きっと、彼女からすれば純粋な善意から来る提案なのだろう。もしかしたら、ここしばらく一緒に仕事ができていないからという理由もあるのかもしれない。

 けれど、俺は首を振ってそれを拒否する。


「その依頼はディオナへの指名依頼なんだろ? 俺が着いていくわけにはいかない」

「え。あ、えっと……」

「帰りのポクロッポ山も、中年にはちょっと厳しいからな。ディオナは港町を満喫してくるといい」

「……そっか」


 彼女が受けているのは、二級傭兵のディオナへ向けて頼まれた指名依頼だ。エイリアル公が俺とディオナの二人に向けて出した依頼とはわけが違う。おそらく商会が運ぶ積荷もかなり高価な代物なのだろう。そこに俺がやってきても不安分子を増やすだけだ。

 それに、復路のポクロッポ山も規模こそ小さいものの立派な魔境だ。歩き慣れているわけでもなく、俺には少し荷が重い。

 俺はやはりアルクシエラ近辺で小さな依頼を片付けている方が性に合っている。


「そ、そうだ! アラン、あのね」


 ディオナが再び口を開く。


「エイリアルさんが、貴族街にお屋敷を用意してくれるって言ってたんだ。ほら、ここも狭くなってきたし、ふ、二人でゆっくり暮らすならそういう所の方がいいんじゃないかって。お、お金はワタシがいっぱい稼ぐし!」


 彼女の声が急激に遠のいていく。まだ口を動かしているのに、その言葉が聞こえない。

 たしかにディオナの稼ぎなら、貴族街の邸宅でも家賃を支払えるだろうし、そのうち購入できるほどにもなるだろう。二級傭兵がこんなボロアパートにいつまでも住んでいるというのも、評判だけでなく治安の面でもあまり良い話ではない。

 けれど――。


「すまん。俺は、ここから出るつもりはない」

「え……」


 彼女の純粋な善意からの申し出を、俺は拒否せざるを得なかった。


「貴族街に移りたいなら、一人で行ってくれ」

「なん、で……」


 赤い瞳が揺れる。しまったと思うも、これだけはどうしようもないのだ。


「すまん。もう寝る。ディオナも、明日も早いだろう?」


 彼女の視線から逃れるようにベッドへ向かう。

 翌朝、俺が目を覚ました時には既にディオナの姿はなくなっていた。

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