第17話「はじめての報酬」

 組合へ戻る頃には、ディオナも落ち着きを取り戻していた。だが、彼女の心に大きな傷があるのは事実だ。彼女が奴隷に堕ちていた時、どのような暮らしを送っていたのか、こちらから進んで聞くことはなかった。しかし、馬用の鞭を見ただけであれほど取り乱す姿を見ると、なんとかしてやりたいと強い思いが湧いてくる。


「……」

「大丈夫。肉食って寝たら、全部へーき!」


 結局、俺は彼女を慰めてやるための言葉のひとつも思い付かず、むしろ彼女に気を使われてしまった。彼女を守り育てなければならないというのに。


「とりあえず、組合で金を受け取って、飯にするか」

「うん!」


 大荷物を担いだまま、組合の建物へと入る。夕暮れ時の組合は、俺たちと同様に仕事を終えた傭兵たちで賑わっている。商人根性の逞しい組合は報酬として支払った金を回収するため、一階に酒場を設けているのだ。依頼の完了を報告したその足で、外に出ることなく隣のカウンターで酒を買うというのが、傭兵の基本的な仕草である。


「お、リリか」

「お疲れ様。その子が昨日言ってた女の子ね」


 カウンターにつくと、奥の事務室から猫獣人の受付嬢が出てくる。どうやら俺たちの帰りを待ってくれていたようで、挨拶や労いもそこそこにディオナへ目を向けた。


「アラン、コイツも知り合い?」

「コイツとか言うな。まあ、お互いアルクシエラの組合にずっといるからなぁ」


 妙に鋭い目つきをするディオナに頷く。リリは俺よりも何歳か若いが、彼女が受付嬢としてこの組合で働き始めたのと、俺が傭兵として活動を始めたのはほとんど同じ時期のことだ。同期というのも少し違うが、それ以降ほとんど毎日のように顔を合わせているため、気心知った仲ではある。


「腕がないって聞いて心配してたけど、元気そうないい子じゃない」


 ディオナの失礼な物言いも気にする様子なく、リリは彼女を見て相好を崩す。彼女が白い髪を優しく撫でると、ディオナは一瞬驚いた後おとなしくされるがままになっていた。


「今は義手の訓練中なんだが、前途有望だぞ」


 俺はディオナに目を向ける。彼女は懐にしっかりと納めていた依頼書の写しをカウンターに並べ、更に背負っていた薪と土食いモグラの入った麻袋を置いていく。


「土喰いモグラの駆除と畑の草刈りと、薪集めね。それじゃあ、確認します」


 リリは一瞬で受付嬢としての顔つきに変わり、ディオナの成果を確かめる。とはいえ、今日確認されるのはモグラと薪の数だけだ。草刈りは畑の所有者が成果を確認し組合に報告した後でようやく報酬が支払われる。


「すごいわね。土喰いモグラの頭を割ったの?」

「それだけじゃない。地中で寝てるやつを一発で仕留めたんだ」

「ええっ!?」


 ディオナが土喰いモグラを仕留めた時の様子を語ると、リリは信じられないと目を丸くする。それだけモグラの頭蓋骨が硬いことは有名な話なのだ。


「ディオナちゃん、本当に有望ねぇ。組合専属傭兵にならない?」

「せんぞく?」

「人の弟子に粉をかけるんじゃねえ。専属傭兵なんかになったら厄介な仕事しか回さなくなるだろ」

「ええー。残念」


 頭上で繰り広げられる会話にディオナはきょとんとしているが、今のところ彼女はまだまだ独り立ちできるほどの実力はない。少なくとも、俺が持っている知識と技術は叩き込まなければ。

 隙あらば勧誘してくる粘着質な受付嬢をしっしと払いながら、俺が持っていたレッドバニーの入った袋も確かめてもらう。


「はいはい。あれ、こっちもずいぶん多いわね」


 珍しいこともあるもんだ、とリリは言外にこちらを見る。たしかに普段は五匹討伐なら必ず五匹までしか持ち帰らないというポリシーを持っている俺だが、今は二人分の生活費を稼がねばならないんだ。余裕があれば残業だってする。


「ていうか、撲殺されてるわね。ユガの腕が鈍ったの?」

「違う。……コイツが仕留めた」

「あっ! コイツって言った!」


 無邪気に指をさしてくるディオナの頭を抑える。リリは今度こそ驚いた顔でそんな彼女を見ていた。


「レッドバニーを!? まさか、ずっと気になってたけど、その丸太で?」


 リリの視線の先にあるのは皮を剥いで多少削って形を整えただけの、棍棒とも言えないような丸太棒だ。俺が頷くと、彼女は驚きを通り越して呆れた顔をこちらに向けた。


「オーガ族は力が強いって聞いてたけど、これは予想以上ね」

「俺だって驚いてるさ。おかげで楽ができたのは良かったけどな」

「だからって傭兵一日目の駆け出しにレッドバニーの相手をさせる?」


 俺が嗾けたんじゃなくて、ディオナがやりたいと言ったのだ。と弁明したところであまり効果はないだろう。代わりに俺は肩をすくめてはぐらかす。

 レッドバニーは頑張ればただの農民でもクワで叩き殺せる土喰いモグラとは違い、それなりの訓練と経験を詰んだプロでなければ難しい魔獣だ。だからこそ三級傭兵向けに限定して討伐依頼が出されているのだが、ディオナはそれを有り合わせの武器で倒してしまった。

 初日でこの成果は華々しいという言葉では足りないくらいの偉業だろう。


「ディオナちゃん。これが報酬ね」


 報酬額の計算を終え、リリがカウンターにトレイを置く。そこに乗っているのは、数枚の銀貨だ。


「ディオナ」

「う、うん……」


 草刈りの報酬は後日として、今回は土喰いモグラの駆除と薪集めの代価だ。ほぼ完全な状態で手に入ったモグラと、多めに集めることができた薪、それぞれの加算分を合わせても彼女の一食分の食費になるかならないかといったころか。

 それでも、ディオナにとっては初めての仕事で手に入れた、初めての金だ。


「ありがとう!」


 大切そうに銀貨数枚を握りしめ、ディオナは赤い瞳を輝かせる。


「こちらこそ。順調な依頼遂行ありがとうございました。あなたの今後の活躍を期待しています」


 リリも期待のこもった笑みを浮かべて丁重に腰を曲げる。彼女自身何度も繰り返した定型文だが、そこにある感情は本物だ。


「アラン、銀貨だ!」

「そうだな。大切に持っとけよ」


 ディオナは嬉しそうに飛び跳ねてこちらへ銀貨を見せつけてくる。初仕事で手に入れた銀貨はやはり特別なものだ。それだけは使えず、常に懐に忍ばせているという傭兵も多い。ディオナもまた、慎重に懐にそれをしまい込んでいた。

 彼女の初仕事が報酬の受け取りまで終わったところで、俺も自分の報酬を受け取る。レッドバニー一匹で、ディオナの一日の稼ぎより少し多いくらいの額が稼げるのだが、彼女がそれに気付く様子はない。


「アラン! 肉食いに行こう!」

「そうだな」


 組合で金を受け取り、懐も暖まったところで、俺たちはリリに別れを告げて外に出る。ディオナがずっと楽しみにしていた食事の時間だ。

 仕事帰りの男たちを狙って支度を始めた屋台を見ながら、何がいいか物色する。


「あっ」


 その時、俺はふと古びた小さな店の前で立ち止まる。食事を供する店ではない。カビとホコリの匂いが漂う古本屋だ。


「アラン?」

「ちょっと待ってろ」


 俺はディオナを軒下に待たせ、店に入る。雑多に本が詰め込まれた背の高い書棚の中へ忍び込み、物色する。懐かしさも感じるようなインクの匂いと、古い紙の匂い。


「あった」


 見つけたのは、古びた表紙の薄い本。子供向けの教科書だ。俺は薄く積もったホコリを払い、それを持って店主の元へと向かった。

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