第16話「癒えない傷」
ディオナの傭兵初日はつつがなく終わった。それどころか、オーガ族としての力の片鱗や、彼女自身の有望性を垣間見ることができて、大いに今後が楽しみになる順調な船出と言っていいだろう。
「おっ肉、おっ肉♪」
夕暮れの迫るなか、俺たちはアルクシエラの高く聳える防壁を目指して歩いていた。土喰いモグラがまるまる六匹も詰まった麻袋を背負ったディオナは、その重さを感じさせない軽快な足どりだ。今日の夕飯のことで頭がいっぱいなようで、下手な鼻歌なども歌っている。
「はぁ。まったく、体力が無限に湧いてくるのは若いからか?」
丸一日歩きっぱなしだと言うのに、まるで疲労を感じさせない。レッドバニーを五匹ほど詰め込んだ麻袋を背負った俺はもう這々の体だというのに。
「アラン、そっちも持ってあげようか?」
「大丈夫だ。これは俺の依頼だからな」
振り返ってそんなことを言うディオナにキッパリと断る。たしかに彼女は力持ちだ。モグラの入った袋だけでなく、重たい生木の棍棒もまだ持っているのにかなりの余裕を残している。
しかし、レッドバニーの討伐は俺が引き受けた依頼なのだ。たとえそのほとんどを調子に乗ったディオナが殴り殺していたとしても、せめて運ぶのは自分でありたい。
「遠慮しなくていいのに……」
「これはプライドの問題なんだよ」
よくわからない、と唇を尖らせるディオナ。彼女もそのうち分かるようになるさ。
しかし、レッドバニー五匹は多すぎたな。追加報酬が出るからといって狩りすぎた。ただの駆除依頼であれば爪や心臓、魔石なんかを討伐の証明として持っていけばいいのだが、今回は皮や肉も丸ごと買い取ってもらう予定だった。そちらの方が稼ぎとしては大きいとはいえ、どう考えても重すぎる。
そもそも薪も山のように背負っているのだ。どう考えても重量オーバーである。
「ふぬぬ……」
「アラン! もうすぐ!」
真っ赤な顔で背負子を背負い直していると、ディオナが励ましてくれる。防壁はすぐ近くまで迫り、土で汚れた農具を担いだ農民たちや、歩き疲れた様子の旅人などが門に詰め掛けている。
「ちょっと遅かったか」
アルクシエラはこの辺りでは一番大きな町ということもあって、人の流動も激しい。朝は仕事に出る農民、傭兵、旅立つ旅人、行商人といった奴らが町の外に向かって流れ出し、夕方になると逆に大量の人が戻ってくる。そのため、大きな門の関所は時間帯でかなり混雑するのだ。
いくら門が大きくても、関所を動かす人員の数が少ない。一人一人の身分を確認して、場合によっては通行税を取るのだから、非常に歩みは遅い。すでに門の前にはかなりの列が出来つつあった。
「ああ、面倒臭い……」
さりとて門をくぐらねば中には入れない。巨人族も登れないような防壁を乗り越えて侵入したところで、警備の魔導具で察知されてお縄にかかるのが目に見える。俺とディオナは大量の荷物を背負って、大人しく列の最後尾についた。
その時、にわかに後方が騒がしくなる。石を弾く車輪と、地面を蹴る馬の足音、それに混ざって男の大きく喚く声がする。
「退け退け! 邪魔だ! 轢かれたいのか!」
「うわっ!?」
突然現れたのは二頭立ての立派な箱馬車だ。御者の男が鞭を振り回し、門の前に集まっていた人々を威嚇する。その猛烈な勢いに驚いた農民たちがクワを取り落としながら避けて、土のうえに尻餅をついていた。
「ったく、横暴なやつだな」
いかにも金がかかっていそうな馬車はそのまま列の真横を通り過ぎて門の中へと入っていく。おそらく、貴族向けに商売をしているような豪商の乗る馬車なのだろう。高い税を支払うだけの力があるため、優先的に門を通ることができるのだ。
見るだけで眉間に皺が寄ってしまうような光景だが、あれも正当な権利だ。乱れた列もすぐに落ち着きを取り戻し、人々は再び粛々と順番を待つ。
「……ディオナ?」
俺はそこでようやく、ディオナが黙っていることに気がついた。いつもの彼女なら、あの馬車について教えをせがんできたり、もしくは横暴な態度に憤慨していただろうに。様子のおかしな彼女の顔を窺って声を掛けると、彼女の肩が大きく跳ねた。
「大丈夫か?」
「う、うん」
明らかに大丈夫ではない。俯いた彼女の表情は青白く、小刻みに体が震えている。力も抜けてしまったのか、棍棒と麻袋も落としてしまった。ディオナは肘を抱き、ぎゅっと口を閉じている。
「どうしたんだ? どこか痛むのか?」
怪我していたのを見落としていた可能性を思い、声を掛けながらディオナの体を見渡す。しかし、特に目立つような傷はない。ならば骨折か体調不良かと思ったが、ディオナは首を横に振った。
「ごめんなさい。お、思い出して……」
「思い出し……。もしかして、あの鞭か?」
ぎこちなく頷く。それを見て、ようやく彼女が酷く怯えていたことが分かった。
ディオナの様子が急変したのは、あの馬車が通り過ぎた直後だ。彼女は御者が振り回す長い鞭を見ていた。そして、思い出してしまったのだ。過酷な労働を強いられていた奴隷時代の記憶を。
おそらく、鞭で叩かれたのだろう。すでに体にあった傷はほとんどが癒えているが、いかにオーガと言えど肉を食っただけで心の傷までは癒せない。彼女にとって鞭は恐怖の象徴なのだ。
「大丈夫だよ、安心しろ」
こう言った時、どう声を掛けてやればいいのか分からない。傭兵のなかにも心を壊す奴はいるが、そういった連中はどうやってこれを乗り越えてきたのだろうか。専門家でもなければ知識もない俺には見当がつかず、ただディオナの背中を撫でてやることしかできなかった。
「もう鞭で打たれることはないんだからな。組合に行って、金を受け取って、美味いものを食おう」
「うん……」
俺の精一杯の慰めに、ディオナは健気に頷いてくれた。
そんな彼女にため息が出るとともに、こんな彼女を痛めつけた奴隷商人に黒い気持ちが滲み出してきた。
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