第25話 オルランド

 少年は深呼吸をして、息を整えた。

 ミレーヌのペースがものすごくのほほんとしているうえに、筋金入りのナチュラルなので頭痛がする。


 今すぐ王都に戻してこようかと悩む。

 あやうく、誘拐の目的を忘れそうだった。

 そんな少年を尻目に、あくまでミレーヌはほのぼのとしていた。


「ねぇ、オルランドは何がお好き? 誘拐犯でもお腹はすきますでしょう? 材料さえあれば人質らしく、多少の我儘はききましてよ」


 人質らしく?


 声に出すのをぐっと我慢し、口をつぐんだ。

 一回の発言に対して、返事として十は奇妙な台詞が返ってくるに違いない。

 予感というより、確信があった。


 我慢だ、我慢。

 泣き叫んで暴れられるより、きっとこれはマシな状況なんだと自分に言い聞かせる。


 そんな少年の目の前で。

 ミレーヌは食糧らしい袋を漁っていたかと思えば、あら鶏の声がすると壁に耳を当てている。

 確かにこの外は鶏小屋だった。

 そう言うと「卵料理は調理がすぐですわ」とミレーヌは非常に喜びはじめた。


「お姉さん、本気で台所に行くの?」

「ええ、もちろん。わたくし、オルランドの人質なんでしょう? 一緒にいてくださいな」


 ミレーヌはニコニコと笑い返した。

 適当に袋の中から見つくろった物を、ポケットに入れてあったバンダナに包む。


「まずは台所で、次は鳥小屋に行きませんこと?」

 ミレーヌが楽しそうなので、なんだかなぁと少年はぼやいた。


「なんですの?」

 あたりまえに首をかしげているので「何でもないよ」と返して、先に立って歩き出す。

 落ち着かない表情でいるのは少年だけだ。

 ここが台所と教えられたところで、ミレーヌは少しだけ下ごしらえをした。

 たまたま見つけたザルを持って鳥小屋に向かう。


 すれ違った男や遠くで見かけた男がジロジロと視線を向けてくるので、ミレーヌは「嫌だわ」とつぶやく。「オルランド」と小さな声で少年を呼ぶと「離れないでくださいね」と頼んだ。


 少年は顔をしかめた。

 本気でこの女はオルランドで名前を定着させるらしい。

 マジかよ? とあきれたものの、嫌だと言ったらうるさいに決まっている。

 うるさいのは耐えられないので、とりあえずそのまま流してしまう。


「あの、絶対に近くにいてくださいな。貴方の他は変な方ばかりなんでしょう?」


 オドオドしてミレーヌが身を寄せてくるので、う~んとオルランドは頭を悩ませる。

 よくわからなくなった。

 どこからどう見ても、これはかよわい人質の態度だ。


「人並みに恐いの?」

「当たり前ですわ」


「僕のことは怖くない訳?」

「まぁ! 意地悪なことを言わないで」


 文句が返ってきたものだから「大きな誤解があるよ」とぼやいた。

 さらったのはオルランドである。


 あの辺でジロジロ見ている男たちは、ミレーヌがどこの誰かもまったく知らないのだ。

 職業と勤め先を話して助けを求めれば、あんがい厄介な女を連れてきたと大騒ぎするかもしれない。カナルに身柄を戻そうとする輩も出てくるかもしれない。

 東流派に自分から絡んでいく強心臓の犯罪者はいない。

 そう説明したら、ミレーヌは悩んでしまった。


「まぁ! そう言われてみれば……なぜかしら? オルランドに初めて会ったと思えなくて……」

 う~んとしばらく考えながら、せっせと鳥小屋の中にある卵を集めていた。


「どこかで会いました?」

「そんな訳ないだろ?」


 あっさり返されて、そうですわよねぇとミレーヌは眉根を寄せる。

 確かに見覚えのない顔だ。


 誘拐犯、イコール、オルランド。


 誰かに騙されたわけでもそそのかされたわけでもなく、自分の意思で率先してミレーヌを誘拐したのはオルランド。

 そのぐらいは、理解していたのだけれど。


 なぜだか、全く怖くない。

 ツンツンとんがってみせるのが、可愛くて仕方ないくらいだ。

 おかしいですわ、とミレーヌ自身も首を傾げるしかなかった。


 とりあえず、二人そろって台所に向かう。

 建物には幾人も男がいた。

 想像以上にたくさんの視線が追ってきたけれど、全員が遠巻きにしていた。

 誰一人、オルランドにもミレーヌにも声をかけてこなかった。


 嫌な視線、とミレーヌは身をすくめるしかない。

 怖い顔をしてみせるオルランドはかわいく感じるのに、彼らはただ恐ろしいばかりだった。


 よかった、この子がいてくれて。


 場違いな感想を抱きながら、ふと目があったオルランドに微笑みかける。

 本気で「気持ち悪い」とつぶやかれて、ひどいと口をとがらせるしかなかった。


 古い扉を閉じて、ようやく嫌な視線から逃れられた。

 当然だが、台所はあまり使われていなかった。

 ただ、道具が多いし当たり前に使用できる機能的な造りなので、ミレーヌは喜んでいた。


「わたくしも一緒に食べてもよろしい?」

「好きにしなよ」


 止めても無駄だと思っているオルランドの目の前で、ミレーヌは二人分のスープやオムレツを作っていく。

 ガラルドの好きなトロトロのオムレツを見て、オルランドは顔をしかめた。


「気持ち悪いソレが本当に食べ物?」

「まぁ! 食べられないモノは作りませんわ」

「とても食べ物とは思えないね」

「まぁ! 好き嫌いをするなんて、本当にどこまでも子供なのねぇ」

「子供……」

 青ざめた顔でつぶやいたオルランドは、ぐうっと言葉を飲み込んだ。


 僕は死神だぞ。


 のど元までそんなセリフがこみ上げていたが、ひたすら耐える。

 反論はさらなる不可解な言葉を生む。

 そんなのはまっぴらごめんだった。


 だから他には特にコメントもせずに、ミレーヌの様子を気味悪そうに観察していた。

 新しく作られたしっかり焼き目のついたふんわりオムレツに、妙な顔をしたぐらいだ。やわらかそうなのにトロトロ感はゼロだ。

 本当に二人分あると目だけで確かめている。

 あっという間に食事が出来上がる。


「どうぞ」


 ミレーヌがうながしても、オルランドは動かなかった。

 小さなテーブルに並べた食事には目もくれず、四角い穴にしか見えない窓枠に座ったままだ。

 興味がないわけではない。

 その視線はずっとミレーヌの動きを追っていた。

 だからミレーヌは、ジッとオルランドを見つめた。


「なに?」

「冷めますわよ」


 どうぞと再びうながされて、仕方なくと目に見えてわかる表情でイスに座った。

 そのままオルランドが動かないので、アラアラとミレーヌは笑ってしまった。

 奇怪な眼差しを、目の前のオムレツに向けている。

 料理をしているところも見ていたはずなのに、ずいぶんと慎重な性格らしい。


「妙な物は入っていませんわ」

 笑いながらミレーヌが横に座って当たり前の顔でいるので「変なの」とオルランドは口に出した。


 ミレーヌは先に食べ始めた。

 慎重なだけではなく見慣れない物を前にした顔をしているので、おそらく王都流の郷土料理をあまり食べたことがないのだろう。

 そう予想して、さらに促した。


「冷めるとおいしくないですわよ」


 断る権利はないんだろうなと胸の中でぼやいて、オルランドは抵抗するのをあきらめた。

 ツンツンとフォークでつついて中身を確かめながら、ちょっとづつ口にしていく。

 その様子は分解とか解剖に似ている気がして、ミレーヌは「かわいい」と笑ってしまった。

 コロコロと笑うものだから、オルランドはショックを受けた。


「僕がかわいい?」


 ありえない。

 僕は死神だぞ?


 しばらく呆然としていたが、手は解剖を続けていた。

 ひとしきり解剖してとりあえず納得したのか、普通に口に運びだす。

 オルランドが食べる様子をしばらく見つめていたけれど、しばらくして「考えてみたんですけど」とミレーヌは話しかけた。


「黒熊隊の方々に、オルランドは雰囲気が似ていますの……そのせいかも。特にガラルド様かしら? まぁガラルド様に比べたら、オルランドはずいぶんとまともですわよ?」


 彼らは個性的で剣士らしい、特出した古い血を持つ自身を自覚しているのだ。

 ふとした時に見せる、一般人との能力に大きな隔たりがあることを知っている者の顔だ。

 そう、自分を知るが故の独特の空気をまとう。


 フゥンと適当に答えながら、オルランドはつまらなそうな顔をした。

 並外れて古い血が濃いだけだ。

 流派だの偉そうなものを背負う者と一緒にされるのはごめんだった。

 それでも、興味があった。


「東の剣豪ってどんな男なの?」


 一〇年以上も英雄と呼ばれているのだ。

 噂だけでもあふれかえり、正しいモノから明らかに眉唾ものまでテンコ盛りである。

 一緒に暮らしている者なら少しは正しい話が聞けるのではないかと思ったオルランドだが、ミレーヌはものすごく困った顔になった。


「あの、立派な話は一つも知りませんの」

「立派ではないところが、僕に似てるんだ?」

 冷めた言い方に、ミレーヌは眉根を寄せた。

「違いますわよ。ひねたこと言わないで。わたくしに見せない顔が、似ているんですわ」


「訳わかんないなぁ……」

 見てないものに似ているのは変だとつっこむ。


「ですから、似ていると思う剣士としての顔は、わたくしはほとんど知りませんの。家の中ではだらしない、とんだスットコドッコイですもの」

「……スットコドッコイねぇ……」


 一瞬だけ絶句してしまった。

 そんな評価は初めて聞いた。


「自分勝手だし子供みたいに我儘。バカみたいにポジティブですわよ? 都合よく話を進めるから、こんなふうにまともな会話になりませんわ」


 フゥンとオルランドは生返事をする。

 これがまともな会話に属するのなら、ガラルドという男は奇人で、英雄や剣豪としては立派でも日常を共にする周りは相当苦労している。


「もっと知りたいなぁ」とねだられて、ミレーヌは「後悔なさらないでね」と前置きしてから、どれほどズボラでだらしないかを語り始めた。

 ズラズラとガラルドの困った行動を上げただけなのに、そのあと数十分、ミレーヌの語りは止まることを知らなかった。

 のんびりおっとりした行動とは全く違って、とても早口で息継ぎをいつしているのか謎だ。

 オルランドがやめときゃよかったと後悔するぐらい、まったく言葉が途切れない。


 どれだけストレスためてんだ? とあきれた。

 ひどいでしょう? と言われても、パンツでウロウロするぐらい大したことではない。

 見たくはないが家の中なのだ。

 いつ何が起こるかわからない立場なのに、そこまで奔放だと英雄らしいかもしれない。

 どこまで自分に自信があるのか、問いかけてみたい気もする。


「そんな意識では絶対にダメダメ! 若いのだからもう少し気を使わなくては!」

 ミレーヌは語気荒く、オルランドにもダメ出しをした。

「僕はしないよ。あんまり意外だったから、驚いただけだよ」


 さすがに武器を手放す勇気はないと否定すると、よかったと安心している。


 オルランドはそんなミレーヌを奇妙な生き物のように見ていたが、う~んと頭を悩ませた。

 よくわからない相手で理解不能だけど、とりあえず従順な気がする。


「携帯食って作れる?」

 試しに問いかけてみた。

「長期保存の物は難しいですわよ。二・三日でよければ、それなりにですけど」

「なら、明日には全部食べちゃうから僕とお姉さんの、三つずつぐらい作っておいてよ」

 ニッコリ笑った。


「どうせお姉さんはおとなしくじっとなんてできないでしょ」

 やわらかに毒づかれて「まぁ!」とミレーヌはニコニコした。

「人質ですもの! ちゃんとそのぐらいの努力はいたしますわ」


 料理をしていると気もまぎれるので、申し出としてもちょうどよかった。

 任せてくださいな、なんてこぶしを握っているのがうれしそうに見えてしまい。


 人質?

 へぇ、人質なのはわかってるんだ、一応。


 は~とかふ~とか言葉を飲み込むための深呼吸をして、オルランドは「そうして」と答えた。

 どこが? なんて言っては、あとが面倒だ。


 食事を食べ終わったオルランドがそのまま席を立つので「ごちそうさまは?」とミレーヌはうながす。

 ものすごく嫌そうな顔を見せたが、反論したら面倒なやり取りが果てしなく続くと予想できた。

 だから、不承不承に「ごちそうさま」とオルランドは言った。

 棒読みだったけれど、ハイハイとミレーヌは満足そうにうなずいた。

 実に不本意なやり取りである。


 オルランドは気を取り直した。

 ミレーヌの側にいるから、自分のペースを乱されるのだ。

 側にいなければ、いつもの自分に戻れる。

 手早く扉や窓を内側から厳重に封鎖していき、最初に座っていた窓枠にひょいと乗った。


「いい? 僕が帰ってくるまで、何があってもここから出たり、開けたりしないでよ。言うこと聞かないと、どうなっても知らないからね」

「まぁお出かけ? わたくし、人質ですもの。おとなしく待ってますわ」


 気をつけて行ってらっしゃいと朗らかに手をふられ、なんだかなぁと眉根を寄せながらオルランドは窓から出て行った。

 そこからヒュウッと風が吹き込んでくる。

 ポツンとミレーヌは取り残された。


 どうしてここだけ開けたままなのかしら?


 何の気なしにその窓を覗いたミレーヌは、ヒッと悲鳴を上げて後ずさってしまう。

 目もくらむような断崖だった。


 ドキドキドキドキ。


 見ただけで心臓が跳ね上がって、ゾッとしてしまった。

 こんな場所から飛び出すなんて、オルランドには翼でもあるのかしらと妙な心配をする。


 ちょっとだけ顔を出して見下ろすと、所々には岩や木が顔を覗かせている。

 目もくらむような切り立った崖で、はるか下に川が流れていることに、ミレーヌは鳥肌の立った腕をなでた。

 落ちたら絶対に助からない。


 傾きかけた太陽に夜が近づいたことを知り、ゴソゴソとランプを探して灯りをつけた。

 台所もあまり使われていないが道具は整っていて、実用的で立派な品物がゴロゴロと転がっている。

 ミレーヌのような素人目にも大きくて石造りの強固な建物だし、古いけれどお城か要塞みたいだ。


 そんなふうに思いながら、フライパンをつかむ。

 とりあえずオルランドに言われたとおり、食事でも作っておきましょうと気を取り直していた。


 自分でも変だと思うぐらい彼を信頼している。

 それに、なんだかほっとけない気がしていた。


 そこまでするかしら? と感心するぐらいオムレツを分解して解剖しながらも、さっきの食事をオルランドはおいしいと思っていた。

 つい顔に出してしまい、ミレーヌがニコニコしていたので、気持ちを読まれて悔しいと感じたらしくコメントはグッと飲み込んでいた。

 作り方もよく観察していたので、手順などを記憶していたのかもしれない。


 一度も本気で笑わなかったけれど。


 根っからの悪人ではないと自分の勘を信じる。

 外は太陽が落ちるとあっという間に暗くなり、チカチカと星が瞬き始めていた。


 早く帰ってこないかしら。

 不安がよぎる。


 まったく知らない場所で一人取り残されたことに、少し心もとない気がした。

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