第24話 死神

 ミレーヌは目を開いた。

 汚い床に転がっていた。

 あら? とのんびりと首をひねる。


 嫌ですわ、何が起きたのかしら?


 空気がよどんでいるせいか鼻がむずむずして、クシュンとくしゃみをしてしまう。

 どうやら夢を見ている訳ではなさそうだった。


 ここはどこかしら?


 寝起きでボーっとしていたので、頭を悩ましたのもしばらくたってからだ。

 目に見える範囲には、埃の積もった床や薄汚い袋が積み上げられている。

 重厚な石作りの部屋だ。

 あまり使われていない様子で、造りからして砦や旧家の中にある倉庫だろうか?


 ミレーヌは起きあがろうとしたけれど両手は後ろにまわされて縛られているし、ずっと変な態勢でいたせいで身体が痛かった。


 あら嫌だと眉根を寄せて、見知らぬ少年に声をかけられたことを思い出す。

 あの子に誘拐されたとしか思えない。

 荒んで壊れそうな眼をしていても、悪いことをするようには見えなかったのに。


 あてもなくさすらっているのかと思っていたけれど。

 こんな建物に連れてこられるとは、悪い人たちに騙されているのではないかしら?

 ひどい人たちがいたものだわ。


 子供を騙すなんてと憤慨しながら、ふたたびクシュンとくしゃみをした。

 窓がないので時間がよくわからなかった。

 だけどお腹がすいていたので、かなり長く気を失っていたに違いない。


 遠征の人たちもそろそろ帰ってくるはずなので、ミレーヌは肩を落とした。

 せっかく材料を用意したのに、ご飯を作ってあげられない。


 ガチャガチャと重い鍵が外される音がした。

 ミレーヌはそちらに目を向ける。

 入ってきたのはあの少年だった。

 やせぎすだし、飄々として妙な風格がある。


「起きてる?」


 ええ、と答えながらも再びくしゃみをする。

 こんな埃っぽいところにいると、どうにも鼻がおかしくなってしまう。

 少年はツカツカ歩み寄ってきて、倒れたままのミレーヌを簡単に起こすと、ヒョイと壁にもたれるように座らせた。


「怖い?」


 ええまぁ、とミレーヌは首をかしげた。

 多分ここは大きな建物だ。

 使用頻度は低くても立派で、廃墟ではなさそうだし、この少年の所有物でもない気がした。


「あなた一人ですの?」

 ん? と少年は肩をすくめた。

「一人だと言えば一人だし、たくさんと言えばたくさんいるかなぁ。僕はどうでもいい」

「どうでもいい?」


 変な言い方をすると思った。

 なんとなく、ガラルドに通じる話の噛み合わなさがある。

 そういう部分の足りない子なのかしらと、嫌な想像をして眉根を寄せた。


「聞いてどうするの、お姉さん?」

 しゃがんでまっすぐに見つめられ、ミレーヌは眼をパチパチと瞬きした。

「どうって……あら、嫌だ。本当に! どうしようもありませんわね」


 思わず笑ってしまった。

 そして、この子はどうしてこんなに恐い顔でにらんでみせるのかしら? と頭を悩ませる。

 わざと怖い顔をしなくてもいいのに。


「変わってるなぁ、僕といても怖くって泣いちゃったり、怯えてビクビクしてくれないんだ」


 少年も眉根を寄せて渋い顔になっていた。

 普通なら誘拐された時点で泣いて正気を失うのに、妙に人懐っこく笑っているので気味が悪いと顔に書いてある。


 それでも不快感がなさそうだった。

 少年と会話が続く気配がしたので、ミレーヌは肝が据わった。

 この子はガラルドより会話が成り立ちそうだ。


「変わっている訳ではありませんわ。もっと顔の厳つくて目つきの悪い方々といますから、あなたはとっても可愛らしくてよ?」


 こんな若い子と話すのは久しぶり! とコロコロと笑うので、少年は思い切り肩を落とした。

 しだいにゲッソリしてくる。

 ミレーヌの姿はどこからどう見ても、おびえて助けを待つ人質の姿ではなかった。


「ねぇ、誘拐したんだけど、わかってる?」

 人質なんだよ? と念押しをされて、ミレーヌは確かにそうだと眉根を寄せた。

「そうみたいですわねぇ……困りましたわ」


 自分が人質なら、黒熊隊の人に迷惑をかけることになる。

 誘拐されても、家政婦の仕事はクビにはならないだろう。

 でも、問題はそこではないから困ってしまう。

 ミレーヌはため息をついた。


 助けに来るのが黒熊隊の人ならいい。

 ガラルド本人が来たら派手なことをしそうだ。

 短気を起こして暴れなければいいのだけれど。


 ひどく嫌な想像をしてしまった。


 救出前にガラルド様がブチ切れて、この建物ごと破壊したら、わたくしは助からないわ。


 あの性格ではありえない話ではなかった。

 どうしましょう? などと悩んでいるので、少年もため息をつく。

 英雄に来てほしいと思うなら理解できるのだが、英雄だけはごめんこうむりたいと言われても困る。

 変な女を人質にしてしまった。


「それだけ? 他に言うことあるだろう?」

「まぁ、お願いをきいていただけますの? 痛いんです。できればほどいていただきたいわ」

 ミレーヌの期待の眼差しに、なんだかなぁとぼやいて少年は再びため息をついた。


「ほどいても逃げられないよ?」

「そのぐらいわかりますわよ。嫌ですわ、無駄なことはしません」


 無駄ねぇ……と少年は眉根を寄せた。

 誘拐されたら普通は逃げることや、自分の扱いを気にするはずなのに、ミレーヌはまったく興味がないようだった。

 対等な口の利き方はするのは妙だが、暴れることもないしおとなしくしていそうなので、そのお願いを聞くことにした。


 手の縄を切ると、ミレーヌは非常に喜んだ。

 ありがとう! なんて瞳をキラキラさせていた。

 縛られた痕の残る手首をもんで、やっと楽になったとブラブラと当たり前にふっている。


 奇妙な物を観察しているような眼差しに出会い、ミレーヌはちょっと首をかしげた。

 少年は未知の生物に出会った表情だ。

 どこからどう見ても、ご機嫌から遠い。

 身長はそこそこでもやせっぽっちな少年で、ロクな物を食べていないに違いない。

 不機嫌を直す手っ取り早い方法が一つある。


「あの、お腹すきません?」

「何もないよ、悪いけど」

 即答だったので、任せてくださいなと胸を張った。

「わたくしが作りますわよ?」


 この倉庫の中にも食糧らしき袋がたくさんあるので、材料はたくさんあった。

 ちょっと中身を漁ってみようかしらとミレーヌは頭をひねった。

 簡単でも美味しく、お腹の膨らむメニューを考えなくては。

 ミレーヌが立ち上がってパンパンとスカートのほこりを払うまで、少年はポカンと口を開けていた。

 理解不能だったので凍りついたのだ。


「作る? 何を?」

 あんまり派手に少年が驚いているので、プッとミレーヌは吹き出してしまう。

「嫌ですわ、食事ですわよ。お腹がすくと必要以上にイライラしますでしょう?」


 イライラねぇと少年は眉根を寄せた。

 家族と話すような口調に、人質の自覚のなさもここまでくれば立派だと思った。


「一つ教えとくけど、ここから出たらお姉さんはただの女だよ。僕には人質だけど」


 あら、とミレーヌは声を上げた。

 少年の言い方で、この建物の中には大人の男が何人もいると予想がついた。

 無頼者に女扱いされるのは強姦なので、さすがに不安になったけれど、よく考えたらこの部屋の鍵を少年が持っている。

 良くわからない無頼者は恐ろしかったが、主導権を持っているこの子といれば妙なことは起こらないと確信を持った。


 確かにこの子は何を考えているかよくはわからない。

 だけど悪漢とか野盗のように、他人の尊厳を奪って欲で生きる人間とは、全く種類が違っている。


「では、わたくしの安全はあなた次第ですのね? よろしくお願いしますわ! ええっと……わたくし、ミレーヌですの。あなたは?」


 ミレーヌがケロッとして笑っているうえに、ほとんどお友達感覚で話を続けているので、図太いな、と少年はあきれ返った。

 王都に住み始めたばかりなので、剣豪の情報も少なかった。

 住み込み家政婦と聞いて連れて来たのに、とんでもない間違いを犯した気がする。


 口数の多い偉そうな女が消えて清々したと、ガラルド一行に無視されたらどうしよう?


 少し不安になる。

 そのぐらいミレーヌがありえない反応をとるので、オズオズと問いかけた。


「お姉さん、ずっとその調子で生きてきたの?」

「ええ、何か問題が?」

 自覚がないのが一番の問題だろうと思いながら、なんとなく会話をつづけてしまう。


「死神」

「え?」


 ミレーヌは眼をパチクリさせた。

 唐突過ぎて意味がわからなかった。


「僕は、死神なんだよ」


 サラッと繰り返されて、名前のことだとようやくわかった。

 縁起でもない不吉な呼び名だ。


「少しは怖がってくれた?」

 やっと黙った! と確かめるように顔を覗かれて、ミレーヌは眉根を寄せてしまう。

「困りましたわ、呼びにくいじゃありませんか」


 他にありませんの? と文句をつける。

 名前すらないことは、戦災孤児などにはありふれたことだ。

 そういった地域の生まれなのだろうと予想しながら、さすがに死神君と呼ぶのは嫌な感じで嬉しくもなんともなかった。

 もっと親近感が持てる呼び方は多いし、他人の名前でもいいから気にいったのを一つぐらい選べばいいのに。


「なんて不器用なの! それはよくないことだわ」


 コンコンとミレーヌは説教を始めた。

 さすがに少年はプチッと切れた。


「仕方ないだろう、本当なんだから! 他の名前なんて生まれたときからないんだよ!」

 気がついたらそう呼ばれてたし、不自由もなかったからどこが悪いんだ! と怒鳴った。

 ミレーヌは耳を両手でふさぎ、ひどいですわと口をとがらせた。


「怒らないでくださいな。耳が痛いですわ」

「怒らしてるのはお姉さんだろう!」


 好きで怒っている訳じゃないと思いながらも、こうして感情的になるのは何年振りだろうと、意外な自分の姿に戸惑ってしまう。

 よく考えなくてもこうした会話が成り立つ相手はいなかったので、誰かに腹が立つとかまともに向き合うことも初めてだ。


 この女、死神ではなく、人を相手として話している。

 気味が悪かった。


「もう、ガラルド様と一緒で短気なんだから。仕方ありませんわねぇ……名前も決めないなんて、あなたの方が変ですわよ。ああ、そうですわ! オルランドと呼んでもよろしいかしら?」

「は?」

「わたくし、ずっと弟が欲しかったんですの! 素敵な名前でしょう? あなたに名前がなくて、丁度よかったわ。今からそうなさい」

 パチンと両手を合わせて決まりだと喜んでいるミレーヌに、思わず少年は両手を壁についた。


 勘弁してくれ。


 本気で嫌になってしまった。

 理解不能な女を誘拐してしまった。

 声にしても届かないとわかっていたので、心の中で何度も繰り返すことしかできない。


 僕は誘拐犯なんだぞ。

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