16 天狗の術

「亜紀、亜紀ちゃん!、お前、まさかその人を・・・」

「心配いたすな。生きておる。そうやすやすと死んでもらっては困る。

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 お前たちの魂もすべてこの我がいただく。うはははははっ・・・うぐっ、」


 いびつな顔に正面から錫杖を打ち下ろす。

 頭を砕いたはずだったが全く手応えがない。


 九字を切る。

「臨・兵・闘・者・階・陳・烈・在・前」

 だが、これも効果がない。雲霞を相手にしているようだ。


 かつて私の大切な者を悲嘆の淵に落とし、

 今また私の大切な者の命を脅かしている鬼。


 目も口も鼻も耳も悉く空洞、手応えのないその身は闇の塊だ。

 人であった時の心は失われ、人の魂を己の糧にして生きている。


 沸々と怒りがこみあげてくる。

 過ぎ去りし日々の哀しみやるせなさが積もり凝って澱となり、

 澱が火種になり怒りの炎を燃え上がらせる。


 しかしなぜ術が効かぬ。修行は極めた。人智を超えた力を得たのだ。

 あざ笑う顔に全身が煮えたぎるようだ。


「うははははっ、お前の力はこんなものか、アテルイに連なる者よ。

 だがしかし、なぜ天狗の姿なのだ。」

「お前を討たんがためだ、大嶽丸。」


 もう一度錫杖をその肩口に討ち下すがやはり空を切るのみ。


「ほう。これは頼もしいことじゃ。

 そしてそこのお前、モレの匂いのお前、お前はどんな術が使えるのじゃ。」


 顔を向けられた足元の田中直紀には今の言葉は寝耳に水だったようだが、

 途方に暮れるどころか一瞬で何かを悟ったような顔つきになっていた。

 

「まあしかし、ここにこうして、我に馴染みの者の末裔が一堂に会した、

 まことに、目出度いことだ。」


 田中直樹もかつて権力にまつろわぬ民、蝦夷と呼ばれた一族の末裔なのだ。

 アテルイの腹心モレ。共に育ち共に闘い、共に死んでいったふたり。

 巻き込まれるべくして巻き込まれたといえる。

 

 鬼の大嶽丸。

 やつは手に入れたくても叶わなかったものへの激しい怒りと恨みの念を、

 時を超えた我々で晴らそうとしている。

 

 やつの人としての年月は邪な想念を増幅させるに十分な時だった。

 タテエボシによって己の醜い姿を露わにされ塵と消えていくはずだった。

 

 だがタテエボシの、遥か昔にオオタケから受けた恩への情けが仇とあだなった。

 とどめを刺す手が躊躇したのだ。やつの全てを滅することができなかった。

 

 残った恨みの念は地獄の底へ落ちても、地獄の業火に焼き尽くされることはなく。

 密かに復活の日をうかがっていたとは思いもよらぬことだった。

 

 復活を成し遂げたとき出くわしたのが幼い頃の父とその弟だった。

 父の弟の魂を奪ったのを恨みを晴らす復讐の手始めとしたのだろう。

 

 幼い頃の父たちが一時期身を寄せていた山裾の家は亜紀の実家だった。

 この私も何かに導かれるようにその家で亜紀に再会したのだ。


 黄泉の国へあのお方を訪ねたとき大嶽丸の復活を知らされた。

 あの世とこの世の狭間を守る神となられた坂上田村麻呂様。


 そのとき必ずあの家を襲うと確信があった。

 だから跡形もなく焼き尽くしたのだ。匂いさえも残らぬほどに。

 

 だがやつは苦も無くタテエボシの系譜を探し当てた。

 亜紀を連れ去れば誰がここに来るのかも見通していたのだ。


 気配を消し山肌に擬態するなど恐ろしい術を使う。

 依然として奴は余裕で我々を眺めている。まだ隠しているものがあるはずだ。

 

 足先で猫がネズミをいたぶるように笑いながら蹴り上げ拳を振り下ろす。

 こちらの攻撃は全く効かぬのに、やつの闇の力はかざすだけで衝撃を与える。 


 しかしあの娘はさっきからいったい何をしているんだ。

 剣の効力は衰えてはいないはず。

 なのに致命傷を与えるどころかまるで場違いな方向を向いている。

 

 いくらタテエボシに連なる者とはいえ所詮人の子。

 これ以上は歯が立たないとみるべきだろう。


 今こそを試すときなのか。







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