9 タテエボシ

「タチエボシ?いや、やっぱりタテエボシ・・・鬼の資料の中にあったな・・・

 あれは、奈良時代の終わりから平安時代の初め頃で・・・。」

 帰りの車の中、考え込んでいた田中直樹さんは呟き、

 

「えっと、ですね。タテエボシは、たしか特殊な力の持ち主で、地上を魔の国にしようと企んだ女、で、

 それから、奥州にゆかりがあったのか、その地方の豪族と手を組もうとして、度々文を送ったものの、どういうわけか、その豪族がなかなか現れれず、

 そうこうするうちに、自分を討つためにやってきた、田村麻呂に説得されて改心し、それから、鬼退治に力を貸すことになり、

 たしかその後、彼女は田村麻呂と生涯を共にしたとかなんとか・・・」

 あれこれ思い出しながら話してくれた。


 屛風岩で、わたしに、あの遭遇した異形の者のことを彼は、

「烏天狗だね、それ。それにきっと、、タテエボシならどこかで見た記憶があります。」と解説してくれたのだ。

 帰り際に、さらに次々出てくるそれに、わたしとおばあちゃんは聞き入っていた。

「すごいね、さすがに大学の職員さんだ。」

 おばあちゃんの囁きに、わたしは何度もうなずいた。

 

 それにしても、あれはやっぱり天狗だったのか。

 ただ、その「タテエボシ」の話しは、まるでそこいらのコミックのようなストーリーで、本当に実在する人物なのか疑わしい。おとぎ話を聞かされているようだ。

「タテエボシ」の系譜だなんていわれても、今のところ何の繋がりも見えないから簡単には信じられない。

 

 昼間の出来事を整理できないまま帰り着き、わたしは疲労感に負けて何もかも放り出してさっさと布団に潜り込んだ。そしてすぐに眠りに落ちていった。

 眠りについた途端、下へ沈んでいくような感覚になった。

 深い海の底に沈んでいくような。

 これで朝までぐっすり眠るのだと思っていた。


 うとうとしていると、次第に波打ち際のさざなみのような音がしてきた。

 遠くから、ざわざわ、ざわざわ、それが段々大きくなり、

 突然、人のざわめきになった。 

 はっとして、気が付いた時には、なぜかしっかり二本の足で立っていた。

 顔を上げると目の前には大勢の人。

 

 そこには、薄灯りの中、古めかしい着物を身に着けた人々がいた。

 見たことのない光景だった。

 わたしは、広間の真ん中、舞台の上にいた。

 (ここはどこ?)

 わたしが胸から薄紫の扇を引き抜いた。

 (何が始まるの?)

 勝手に手足が動いている。自分の意思など関係なく。

 身体に染み付いている動きだった。流れるように次の型へ移っている。

 見知らぬ人々がわたしを仰ぎ見ている。(この人たちはなにをしているの?)

 

 赤い袴の裾を軽やかにさばき、白絹の心地いい衣擦れを感じながら、わたしは舞っていた。

 頭には丈の高い烏帽子。立烏帽子タテエボシを着けている。

 扇を翻す。腰の剣の紅い房が揺れている。

 そして厳かに剣を抜き、右に左に払う。

 音楽はない。自分でひとつの節を高らかに謡いながら舞っている。

 でもその詞がわからない。聞いたことのない言葉だった。


 さっきから目の端にちらちら強い視線を受ける。とても禍々しい視線だ。

 身体全体をなめまわし、魂の深いところを搦めとろうとする。

 わたしはそれに抗うように剣を振る。視線を断ち切るように剣を振っていた。


 終わって、舞台を降りると

「どうじゃ、タテエボシ、吉と出たか、それとも凶か」

 待ちかねたように進み出てきた老女にそう問われた。

(この人今わたしをと呼んだ?)


「凶、と」肩で息をしながらわたしは答えている。

「なん、と、」相手は絶句している。

「そんなばかな。連戦連勝じゃ。都の者らはことごとく討ち取っておる」

「そうじゃ、何が凶、なものか、」

 あちこちから声が上がるが、わたしは、いやが静かにまた口を開く。

「それは今だけ。近いうちに方々から崩される」


「なにが、神の声を伝える者じゃ、そんなわけあるか。

 我らは今後もあやつらに、決して、決して屈することはない」

「やっぱり、こいつも都もんじゃ。ここで育ったとはいえ、見ろあの装束を、

 まさしく都風ではないか」

「こいつの言葉など聞くことはない」「そうじゃ、そうじゃ」


 何を今さらと、彼女は思っている。いや思っているのはわたし?

 ぼんやり幼い子どもの姿が立ち現れる。

 胸に浮かんでくる記憶の断片が見えてくる。

 母親らしい女性に連れられこの地へやってきた頃からの情景だ。

 

 これは、このタテエボシの中に、わたしが入り込んでいるということなの?

 時代を遡って彼女の体験を共有しているよう。

 まるでひとつの肉体にふたつの魂が存在しているかのようだった。

 

 夢を見ているのだと思った。

 でも衣装の手触りがたしかにある。頬をつたう汗もぬぐえる。なによりこの人々の視線がやけに痛い。

 鋭い視線と罵声を浴びながらタテエボシ(わたし)は部屋を出る。

 戸口をくぐるまであの気持ちの悪い視線は消えることはなかった。それが誰のものかは分かっていた。


 そこで場面が一転した。

 次にわたしは馬に乗っていた。供をふたり連れ、月明かりの中、粛々と進んでいる。

 そうして明け方、山の民の炭焼き小屋に潜む。それを幾日も続けていた。

 から身を隠しながら西に進んでいるのだ。

 山から山、森から森と、人里を離れて移動している。


 しかし、ある小屋で、密かに供のひとりが炭焼き人に文を渡すのを見た。

 すぐに問い詰めていた。

「お前はやはり、やつの手先だったのか。知らせたのか、わたしの居場所を」

「タカコ様、どうかオオタケ様にお頼りくだされ。オオタケ様は悪いようにはなさらないとおいいいです。」

「あいつは、裏で都人と通じておる。アテルイを裏切る機会を図っておる」


 そしてまた、場面は反転する。回り舞台のようにくるりと変わった。

 場所は山裾。もう日が落ちていこうとしている。


「大人しく、われと夫婦になれ、そして、ゆくゆくはこの地すべてを、この世のすべてを、われらのものとするのだ。

 お前の力と、わしの力を併せれば叶わぬことはない。」

「お前は今の自分の姿が分かっているのか?

 お前は、お前は今、鬼になろうとしておるぞ。それも醜い汚らわしい鬼に、」

 そこは紛れもなく屏風岩の前だった。

 そばにはもうひとつ鎧武者の姿がある。

 そして、

「裏切り、者め、この、恨み、はらさで、おくべき、かあっ、うおおおおおおおおっーーーー」

 断末魔の叫びが響き渡る。


「あああっー」わたしも叫んでいた。

 そして、目が覚めた。

 嫌な夢を見た。起き上がると汗が顔に、首に、流れ落ちてきた。

 身体が重い。ごそごそ這い出して洗面所に向かう。


「ああ、明日香、なのかい?」

 おばあちゃんのひどくかすれた声がした。

 振り向くと目の下にクマを作った顔があった。

「おはよう、どうしたの、おばあちゃんその顔、」

「あんただって、ひどい顔じゃないの。

 いやそれがね、変な夢、見ちゃって、」

「わたしも、そう、」


 鏡に映ったふたりの顔は、どちらも同じようにひどく青ざめていた。

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